-36- 広がる病
「火焚隊長……? あんた、奥さんに乱暴してんすか……?」
「いや……丁重に扱ってるが?」
「なら、何の心当たりがあって火ぃ小さくしてんだ? おいこら、火焚太蝋大尉。奥さんに何かやらかしたんじゃねぇだろうな……!?」
「仕事中だぞ」
「流石に誤魔化されねぇぞ! あ! そもそも結婚したの一ヶ月前だって言ってましたよね!? この前まで雨鷺討伐で基地を留守にしてましたけど、まさか、その間、奥さんを放置してたんじゃ――」
自称紳士の斬島は仕事そっちのけで太蝋に説教し始めた。
その殆どが正論ばかりで太蝋は言い返すこともせず、黙々と自分の仕事を熟し続ける。
階級や立場的には太蝋が上でも、斬島の方が年齢は上だ。
その分の人生経験上の説教を懇々とされ、痛い腹を探られる思いであった。
斬島からの説教を受けながらも、その日の内に決済すべき書類を何とか片付け、太蝋は火焚の屋敷へと帰宅した。
連日の災物討伐が重なり、流石に気疲れしたようだ。
古参の女中に出迎えられ、夕飯の支度をするように頼むと太蝋は自室に続く廊下を歩いていく。
自室の障子を開けようとした瞬間、太蝋の脳裏に部屋から出てきた八重の姿が映った。
物置部屋を挟んだ一つ隣に八重の部屋がある。太蝋は八重の部屋の前まで足を伸ばした。
「八重、居るか?」
昼間と同じ掛け声を口にすると、部屋の中で人が動く気配がした。少しして八重の部屋の障子が開く。
「旦那様……お、お帰りなさいませ」
慌てた様子で辿々しく言われる挨拶が妙に胸に響く。
太蝋はホッとする安心感に包まれながら返事をした。
「……うん。ただいま」
「も、申し訳ありませんっ。玄関まで、お出迎えに出るべきなのに……っ」
慌てていた理由がそんな小さなことだったのかと思い、太蝋は思わず苦笑してしまった。
「夕餉前とは言ったが、いつ帰るとまで言わなかったからな。これからも明確な帰宅時間は言えないから、無理に出迎えに来る必要はないよ。私が顔を出すから、八重は好きに過ごしてなさい」
「は、はい……」
太蝋の言葉に対し、八重はどう好きに過ごして良いものか分からないと考えながら、申し訳なさそうに目を伏せた。
「夕餉は食べたか?」
「い、いえ……まだ……」
「……。待っててくれてたのか?」
「えっ」
何処となく期待が篭った声に、八重は反射的に顔を上げた。
瞬間、太蝋と視線が絡んだ気がして胸が高鳴る。
八重は真っ赤に染まった顔を咄嗟に両手で覆った。
太蝋の指摘が正しかったからこその動揺が顔に出てしまったことが恥ずかしくて堪らない。
「あ、その……っ、待っていた方が宜しいかと思って……っ」
「待っていなくても良かったけど」
平坦な声で言われ、今度は肝が冷えるような感覚が八重を襲った。
余計な気遣いだったのかもしれない。
しかし。
「待っていてくれて嬉しいよ」
続けて言われた言葉に耳を疑い、八重はそっと顔を上げて太蝋を見た。
いつ見上げても太蝋と目があっている気がして落ち着かなくなる。
「っ……さ、左様でございますか……」
「うん。……着替えてくるから、もう少し待っててくれ」
太蝋は踵を返して自室へ入って行く。
その姿を茫然と見送った後、八重は先ほどまでの太蝋との会話を思い出して、また顔を赤くさせた。
(うぅ……どうして、よりにもよって旦那様の前でこんなに醜態を晒してしまうのかしら……っ)
呆れられてやしないかと不安になりながら、八重は太蝋が着替えを終えて出てくるのを待った。
祝言以来の一緒の食事に期待で胸を膨らませて。




