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-33- 新人女中


 急用が出来たと言って、太蝋が火焚の屋敷を出ていって二日後の昼。

 八重は充てがわれた自室の縁側で中庭を見ながら、ぼうっとしていた。

 左手で生糸を手繰り、右手で糸車に生糸を巻き付けていく動きをしながら。


 火焚家の使用人は相変わらず八重には冷たく、朝昼晩の配膳の時だけ代わる代わる人がやってくる。

 まるで囚人のような生活だ。


(旦那様は今頃、何をされてるのかしら……)


 思い返すのは太蝋との帝都観光が多くを占め、あの時にこんな言葉を言えていたら、太蝋はどんな言葉を返してくれたのだろうかと考える。


 着物は自分で織れるから、と言って断っていたら?

 雀通りを抜けた後、あまりの恥ずかしさに手を離してもらったが、そのまま繋いでいたら、どんな心地だったのだろう?

 咄嗟に思いついた川ではなく、他の場所に行きたいと言っていたら?


 色んな可能性を考えては、そうすれば良かったと思うことが多々あって心の残りが募っていく。


(……また、連れて行ってくれるかしら)


 表情が分からない蝋燭ろうそく頭の夫を怖いと思っていた筈なのに、今はそれほどでもない。

 もっと知ってみたいと思っている自分に戸惑いを覚え、八重は仄かに顔を赤らめさせた。


 すると。


「八重、居るか?」

「えっ……」


 部屋の障子の向こう側から太蝋の声が聞こえてきた。

 白昼夢でも見てしまっているのか?

 そう思いながら八重は縁側から立ち上がり、部屋の障子を開けた。


 開けた先に軍服姿の蝋燭ろうそく男がピンと背筋を伸ばして立っていて、八重を見下ろしていた。


「良かった、居てくれて。八重に会わせたい子が居てね。連れて来たんだ」

「あ、会わせたい子……ですか……?」


 二日ぶりに会ってすぐに言われた言葉に戸惑っていると、太蝋は自身の後ろに立っていた人物を見せるために身体を捻った。

 太蝋の視線誘導を受け、その人物に目を向けて八重は「あっ」と声を上げる。


「あの時の……っ」


 川辺の側で転んだ少女――ヨネの姿があった。

 ざんばらに切られていた髪は奇麗に切り揃えられており、着ている着物は火焚家の女中と同じ物だ。


 ヨネが女中と同じ格好をしていることを不思議に思い、八重がポカンと見ていると太蝋が言った。


「うん、町医者の前で騒いでた子だよ。訳あって家で働かせることになってね。名前は田村ヨネ。歳は十四。八重と歳も近いし、良い話し相手になるんじゃないかな。良くしてやってくれ」


 まさか、川辺で出会った少女とこんな形で再会することになるとは。八重は心底驚いた。

 だが、太蝋の口から「訳あって――」と言われたことから、太蝋の仕事が関わっているのかもしれないと八重は察する。

 また、聞いてはいけないのだろうと言うことも。


「……分かりました」


 八重は部屋から出て、仏頂面のヨネの前に立ち、緊張しながら話し掛けた。


「私は八重。これからよろしくね、ヨネさん」

「……はい、奥様」


 仏頂面のまま、余所余所しい態度で返事をされ、八重はきゅっと口を噤んだ。

 初対面の時から良い印象は持たれていないのだろうと思うと、少し気が重くなる。

 すると、太蝋が口を開いた。


「八重。私はまた少し出てくるよ。夕餉ゆうげ前には戻ってくるから」

「あっ、はいっ。承知しました」

「ヨネのこと、頼むよ」


 そう言い残し太蝋は玄関の方へ歩いて行った。

 目の前の少女を頼むと言われても、八重にはどうして良いか分からない。

 女中の世話なんてしたことが無いのだから。


「ええと……。あっ……。怪我の具合は大丈夫?」


 川辺で転んだ時、ヨネは怪我をした素振りも見せずに走り去って行った。

 しかし、町医者の元から立ち去っていくときに、ほんの少し赤い液体が膝から伝うのが見えていた。

 やはり、あの時に膝を擦り剥いていたのだろう。

 あれから二日しか経っていない。きっと怪我も残っている。


(もし足を怪我しているなら、立たせておくのは可哀想ね)


 そう思い、八重は自室の障子を開けながら、ヨネに言った。


「よければ中へ入って」


 嫌がられるかもしれないと思い、緊張して言うとヨネは八重を一瞥いちべつしてから部屋の中へ入った。

 その姿を見てホッと息を吐くと、続けて八重も入る。

 部屋の隅に置いてあった座布団を、ヨネが立っている前に置きながら八重は言う。


「どうぞ座って。楽にして良いから」


 八重に促され、ヨネは静々と座布団に正座した。

 足を痛がる様子は見られない。

 不思議に思いながら、八重は「えっと……」と口籠もりながら、ヨネに言う。


「足を崩しても大丈夫よ……? 怪我に響くでしょうし――」

「治りました」

「え……?」


 八重の気遣いの言葉にヨネはつっけんどんに返した。

 そんな態度よりも八重が気になったのは怪我が治ったと言う報告だ。

 二日前に擦り剥いた傷が、もう治った?

 いくら治りが早い年頃とはいえ、一日二日で完治するような怪我などない筈だ。

 鼻緒が切れて、派手にすっ転んだ光景を見ていた身からすれば、余計に信じ難い。


 そんな疑問が八重の顔に出ているところを見て、ヨネは溜息混じりに言った。


「……治してもらったんです。……ご当主様に」

「あ……」


 ヨネの答えを聞き、八重は納得した。


 守護の力を有する火蝶かちょうの一族では、女は特にその力を強く持つ。

 結界を張って脅威から人を護ったり、傷付いた身体を治したり、いざとなれば火の力で敵を攻撃することも可能だ。

 火蝶一族の本家当主である火焚玲子ほたき れいこは、その座にふさわしく火蝶としての力も凄まじい。膝小僧に負った小さな外傷を治すことなど、わけないのだ。

 当主とヨネが接点を持っており、また太蝋の意向で火焚の屋敷で働くことになったのには、やはり並々ならぬ事情を抱えていそうな気がした。


 それを聞いて良いものか分からないまま、八重は縁側で使っていた座布団を持ってきて、ヨネの正面に座った。


「そうなのね……良かった……」


 ヨネの怪我の完治を知って、八重はホッと息を吐いた。

 そして、自分には〝できない〟ことでヨネを助けてくれた当主に感謝の気持ちを覚える。

 向かい合う形で座ったものの、八重はこれ以上に何を話そうかと頭を巡らせて焦った。

 すると。

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