-3- 半端者の蝶
八重と千重の姉妹は火蝶の血族らしく背中に立派な翅の痣を持っていたが、八重は――欠けていた。
片翅分の痣しかなかったのである。
千重と同じ翅であることは確かだったが、右の翅しか無い状態で生まれてきた。背骨から左側には何の痣もなく、右側には蝶の翅が確かにある。
蝶に成り切れていない上に、人の背中であるとも言えない身体は八重を半端者であると示していた。
火蝶の血族をよく知る人間からすれば、八重は目の上のたんこぶだった。
何も八重が初めての事例では無い。過去にも前翅だけが無い場合や、後翅が無い、翅の一部が欠けている――などと言った変異体は生まれてきた。
その度に半端者の蝶達は存在そのものを疎んじられてきたと言うだけである。
その嫌悪感はもはや、本能的なものとしか説明できない。
本来揃っている筈のものが揃っていないことへの気持ち悪さが、火蝶の一族を通して、外部の人間にも伝わってしまうのだ。
よく分からないが避けるべきもの――と感じさせてしまう。
対して、千重は今代の蝶の中で最も立派な翅を揃え、火を扱う能力にも長けていた。
火蝶はその翅から出る鱗粉を用いて、治療、守護、攻撃を行なえる。その力を発揮するために必要となるのが、体内に宿る霊力である。
千重は霊力が強く、火の扱いも鱗粉捌きも見事なものだった。
まさしく火の蝶と言う表現が相応しい、美しさと強さを兼ね備えていたのだ。
火焚家の次代当主に相応しいと言われ、また期待されていた。
しかし、優秀だった故か千重は嫁入り直前、巫女になってしまった。
火の神が千重を欲しがったからかもしれないと噂が立つほど、千重が巫女になってしまったことを惜しむ声は現在に至るまで続いている。
だが、巫女となってしまった蝶を、いつまでも恋焦がれている訳にはいかない。
現当主は千重の妹である八重を次に指名した。
片翅である火蝶を次代の当主に据えるなど分家が納得しないと、当然のように反対の声が上がった。
その声の中には火縄の声もあった。
娘の一人を巫女として捧げた上に、もう一人の娘まで火焚家に取られるとなれば、娘を愛していれば当然の思いだっただろう。
だが、現当主は「何も次代の当主を嫁に務めさせる必要はない」と言った。
次代の当主は長男夫婦の娘を据えれば良い。その為の嫁入りだ、と。
いずれにしても男児しか居ない本家では、嫁を迎え入れるのは必須事項だった。
八重を嫁にと言ったのも、十一代目巫女である千重の功績にあやかってのことでもある。
とは言え、千重と八重の歳の差は六つ。火焚家長男は千重と同い年。当時、八重が嫁入りするには時期尚早だった。故に、四年の月日が経つのを待ったのである。
「これ以上、お待たせするわけにはいきません……。それに、今の時期でないと火縄も身動きが取れませんし……」
火縄家の家業事情を鑑みて、八重は言った。
今の時期は六月初旬。蚕業で言うところの春蚕が落ち着く頃合いである。
現在は夏蚕に向けて、蚕を育てる準備を整えながら、収穫した繭を生糸に変える作業中なのだ。
忙しいことに変わりはないが、本格的な夏蚕が始まる前でなければ、八重の嫁入りに火縄夫妻はついていけない。
また、八重の嫁入り先である火焚家の長男の仕事の都合としても、今の時期でなければ祝言を挙げることも難しいと言う事情がある。
何もかも、今でなければならないのだ。
八重の嫁入りを先延ばしにしなければならない事情もない。
「それは、そうなんだが……」
八重の言葉に対して、桑治郎は渋々と言った様子で呟く。
そんな桑治郎に対し、透子はまたも呆れた様子で言った。
「八重の嫁入りを決めたのは貴方でしょう? 今更、愚痴愚痴と何ですか。情けない」
「いや、それはだな……ご当主様の後押しが、だな……」
「いい加減、言い訳がましいですよ。おやめなさいな」
「むう……」
何やら自分が知らない事情で両親が口喧嘩をしているように感じ、八重は慌てた様子で言う。
「ほ、本当に大丈夫です……! 父様も母様も喧嘩なさらず……っ」
八重の制止を聞き、透子は「はぁ」と溜息を吐いて目頭を抑えた。
母の機嫌を損ねてしまったかもしれないと不安になる八重。
だが、次の瞬間、透子の口から出てきた言葉は八重の予想を超えるものだった。
「とにかく。どうしても向こうでの生活が嫌になったら報せなさい」
「……え?」
「私達は、いざとなれば本家と事を構える覚悟でいますからね」
「うむ」
透子の言葉に桑治郎も、うんうんと頷いた。
そんな両親を前にして、八重は茫然とする。
だが、すぐに我に帰って首を横に振った。
「い、いいえっ。い、一度、嫁に行った身となった後で、帰りたいなどと言ったら、火縄にも火焚にも申し訳が立ちません……っ。精一杯、お役目を果たせるよう頑張ります……っ」
自分に求められている役割は理解している。
それを果たさずして、逃げるなど巫女になった千重にも顔向けできない。
こうして心配してくれる両親にも、本家と事を荒立てるようなことは避けてほしい。
これまで通り、平和に蚕業を営んでいてほしい。
そんな思いを心の中で唱えながら、八重は嫁入りへの不安を押し込めた。
そうでもしなければ、嫁に行きたくないと言ってしまいそうだったから。
「はぁ……。まぁ、貴方ならそう言うだろうとは思っていましたけどね……」
「だからこそ、心配なのだがなぁ……」
八重の言葉に対し、両親は揃って項垂れた。
半端者と言われる生活を送ってきた八重は、与えられた役目に必要以上に応えようとする節がある。
人並み以上の働きを見せなければ、自分の居場所はないと体現するかのように。
そんなことはない、と両親や姉の千重が言い含めても、八重の劣等感は中々払拭されなかった。
そして、それは今でも続いている。強い劣等感と責任感の狭間に自ら立って、自らを追い込んでいる。
それが父母である桑治郎と透子には心配の種だった。
嫁に行った後も、八重は劣等感に苛まれて苦しむことになるのではないだろうか?
そんな心配は嫁入り先が本家であろうと分家であろうと同じだ。
ならば、せめて、火蝶本家の当主の言葉を信じてみようと思ったのが、八重を本家に嫁入りさせる決意を固めた理由であった。
本家の長男こそが、この八重の夫となるに相応しいと言われたのだから――




