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-18- 紡ぐもの


 動揺して泣きそうになっている八重を見て、当主は微笑みながら立ち上がって言った。


「大好きなのね。それは良かった。じゃあ、安心して機織り機の部屋まで案内できるわ」

「へっ?」

「一応、我が家にも機織り機くらいあるのよ? けど、まともに使えた試しがなくてね。贔屓にしてる呉服屋で用事が済んじゃうものだから。だから、これを機に八重ちゃんにあげるわ」

「えぇっ!?」


 さらりと機織り機を譲渡すると言われ、八重はこれまでに無いほどの大声で驚きを露わにした。

 いくら、一家に一台と言われているほど普及している機織り機とは言え、それの所有権を渡されることになるなんて思いもしなかった。

 大量の絹糸に加え、機織り機を貰うことになった状況に八重はただただ困惑する。


 そんな八重に「こっちよ」と言って、当主は機織り機がある部屋の方へ歩いて行ってしまった。

 困惑した頭のまま当主の後を急いでついて行くと、屋敷の奥に位置する部屋の前に到着した。


 襖を開けた先に見えたのは実に立派な機織り機。

 側には経糸たていとを用意するための整経せいけい台もある。

 機織り機は部屋の真ん中に設置されており、窓からは裏庭の竹林が見える。

 風通しが良いらしく、竹林がさざなみの音を立てると同時に涼しい風が部屋へ吹き込んでくる。


 静かに布を織る為に用意されたような空間にほだされ、八重は機織り機を触りたい気持ちを掻き立てられた。


「この部屋も好きに使って良いわ。絹糸以外に欲しいものがあれば言いなさいね」


 当主の言葉を受け、八重はハッと現実に引き戻された。


「ほ、本当に私如きが使って良いんでしょうか……」


 どうしても火焚家にある全ての物に対して、軽々しく触れて良いとは思えない。

 それは自分自身が片翅かたはねの半端者であり、不出来な人間だろうと思うから。

 そんな八重の不安を当主は笑い飛ばした。


「やぁだ、八重ちゃんったら~! 使って良いから連れて来たのよ? 八重ちゃんが布を織りたいなら、好きなだけ織れば良いのよ。織った布も好きに使いなさい。太蝋が八重ちゃんにあげたくて取り寄せたものなんですからね」


 当主は「楽しんでね」と言い残し、機織り部屋を出て行った。

 部屋に残されたのは茫然とする八重と、絹糸が入った桐箱を持った新人の女中。


 暫く茫然としていた八重は新人の女中の「奥様? 大丈夫ですか?」と言う声で我に帰り、改めて機織り機に目を向けた。


 壊れ物に触れるように怖ず怖ずと機織り機に手を滑らせる。

 埃一つなく手入れされた機織り機は何処も傷んでいない。

 大切に管理されていたとも言えるし、全く使われていなかったようにも見える。


 いずれにしても、また絹糸に触れる時間を持って良いと許されたのは八重にとって幸せに違いなかった。


(……旦那様とお義母様に、何か作って贈ろうかしら)


 思わぬ形で二人の気遣いを感じた結果、八重は芽生えた感謝の気持ちを込めて絹を織ることを決めた。

 着物の袖をたすき掛けし身動きをしやすい格好になると、八重は新人の女中から絹糸が入った箱を受け取った。


 一束手に持つと懐かしい感覚に包まれた。

 陽だまりような暖かさが手先から全身に広がっていく。ホッと心が安らいだ。


 手慣れた様子で絹糸を手繰り、八重は整経せいけい台で経糸たていとを準備し始めた。

 反物を織る為の前準備の一つである。

 するすると絹糸が整経せいけい台の棒に巻き付けられていき、長い長い糸の束が出来上がっていく。


(絹が出来たら、何を作ろうかしら)


 わくわくと胸を躍らせながら八重は微笑みを浮かべて作業を続けた。

 純白の絹糸が夏の太陽光をキラキラと反射させて機織り部屋を満たす光景は、心無い言葉や視線に晒され続けて憂鬱になっていた気持ちを晴れやかにしてくれた。

 土砂降り続きだった心の暗雲が晴れていくようだった。



   第一章【雨だれ石を穿つ】 完

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