接触
どうも、父母の様子がおかしかった。
むしろ、赤木圭一は、今まで自分が気付かなかったことに、驚きを感じた。
それは、赤木自身が兄の死の痛手から完全に立ち直っていないのに、学校でも家でも普通に振舞おうと無理を重ねていて、余裕がなかった為でもあり、親の絶対性を疑うほど、大人ではなかった為でもある。赤木が如何に大人らしく振舞おうとも、実際は中学二年生であった。
赤木の父と母は、跡取の死を忘れようとして仕事に打ち込んでばかりいるものと、赤木は思っていた。記憶を辿ってみると、確かに最初のうちは仕事に熱中しているようであった。
いつ頃からだろう。そう、碰上異変が起きた頃から、家の中に怪し気なお札や置物が増えてきた。
近頃では全く報道されないが、異変が起きた時には新聞にも大きく取り上げられていて、父母は深刻な顔をして記事を読んでいたように思う。
赤木は、自分が間近に体験したことに動揺して、父と母の様子を気に留める余裕がなかった。
兄の死から間もない頃に起きた碰上異変は、兄の死と何か関係があるのかもしれない、と父母が考えたのだろうか。
今更、何をしているのか父母に聞ける関係ではなかった。
赤木は父母に気を遣って学校にも通っていたのだが、勝手に休学しても、気付かれなかったかもしれない。
いっそ、赤木が大きな問題を起こした方が、異状に早く気付けたかもしれない。
いろいろ考えると、赤木は絶望的な気分になってきた。今や父と母は、揃って朝晩の祈祷を欠かさない。家の中に神棚に似た祭壇を設えて、両脇には壷やら塔やらを並べてある。桟や柱はお札だらけだ。
赤木は、相談しようとして風祭に何度か電話してみたが、いつも留守だった。
家の人に、戻ったら電話させましょうかと聞かれるのだが、赤木が必ず電話を取れるとは限らないので、いつも断っていた。
なまじ両親のことだけに、赤木が外に相談しようとしていることを、悟られたくなかった。
久し振りに親子三人揃って食事をしているのに、一言も会話がない中で、赤木は家出をしようかと考えていた。
今、赤木がいなくなっても父母は気にしないのではないか。
しかし、学校を休むのは問題である。家出は文字通り、家から離れることを目的としている。
赤木のもう一つの世界である学校と、完全に縁を切るのは躊躇われた。両親の顔を立てるというか、世間に怪しまれないために通っているとしても、家を失った後では彼にとって大事な社会との接点である。
それに、学校から問い合わせがあった時の父母の対応で、他の人に様子がおかしいことを知られたくもなかった。
それにしても、風祭はどうして家にいないのか。急に忙しくなったようだ。肝心な時にいないとは、つくづく赤木に運がない。
「風祭さんは」
赤木ははっとして、口を噤んだ。考えていることを口に出していたらしい。いつからだろうか。父母の様子をそっと窺ってみたが、二人とも赤木の言葉など聞こえなかったかのように、黙々と箸を運んでいた。
登山に使われるような大きな背嚢が、机の上に並べてある。資料の一部を片付けて空いた机を作り出したのである。背嚢の中には、頑丈な紐や金具や燃料などが八分目ぐらいまで詰まっていた。背嚢の脇には寝袋まで用意してある。
「探検隊みたいだな」
千田教授が、装備を確認して呟く。ひととおり調査を行ったので、竹野たちが説明のために呼んだのである。千田は竹野たちが調査をしている間、大学や警察、官庁、政治家方面を回って色々と根回しをしていたらしい。
自衛隊を投入すれば一発で解決する、と主張する一派がいて、抑えるのに苦労した、と笑っていた。
竹野たちが失敗すれば、いずれ出てくるかもしれない。
「君達の話では、碰上異変は碰上家の江戸屋敷に造られた桜ヶ池の脇の祠に原因がある、ということだったね。桜ヶ池に埋められた財宝か何かを守る為に奉られたものが、第二次世界大戦中の空襲で被害に遭った人達によって変質したところを、近年雑誌で埋蔵金伝説として煽られた何者かが財宝を掘り出そうとして、祠にいるものを起こしてしまった、と。ふうむ、世間的認知を得るのは容易ではないな」
「成功すれば、認知を得られるきっかけになるのやないですか」
「教授、先ほども申し上げましたが、今の話は仮説に過ぎません。実際に中を見るまでは、真実と断定できないのです」
「筋が通っているじゃないか」
千田は、不思議そうに竹野に尋ねた。
「例えば、桜ヶ池に埋められたものはとうの昔に掘り起こされているかもしれません。そうなると、原因は祠ではなく戦時中の被害者かもしれない。また、非常に考えにくいことではありますが、当初警察が考えたように、学生運動家が新しいバリケードを製造する実験に成功したのかもしれません」
「まさか」
「例えば、です」
「学生運動家と言えば、ポン大の新聞部がまた動き出したぞ」
「また?」
千田の意味ありげな言い方に、日置が問いかける。
「碰上異変の初めにも精力的に取材して回っていたのだが、当時は学生運動の関係が疑われていたから、警察の方から圧力がかかって結局記事にはならなかった。今回は二年生諸君が独自に取材しているらしい。誰か頭のいい奴がいて、慎重に進めているらしく、今のところどこからも圧力はかかっていないようだな。ここへも来たんじゃないかね」
竹野と日置は深江を見た。深江は首を振った。
「表立って取材を申し込めば、私の耳へ入るようになっておりますから、恐らく担当の記者に接触したのではないでしょうか。彼等は私達の存在を知らない筈ですので、担当記者からここに至るのは困難かと思われます」
千田は深江の言葉に、心なしかほっとしたようであった。そこで、竹野が考え込むような姿勢をとった。
「多分、OBを通じて取材を進めているのでしょう。となると、最初の調査委員の失踪がばれるのは時間の問題です。いずれ私達の存在も嗅ぎつけるでしょう」
「そう言えば、例の赤木少年と新聞部の誰かが接触したいう報告があったやないか。風間だったかな」
「風祭です」
メモを繰っていた深江が訂正する。
「そうや、風祭やった。赤木少年から聞いた話では役に立たんかったから自分で調べとるのなら、赤木少年は何も知らんことになる。それとも、赤木少年が風祭君に話しとらんのかな」
「なんだ、まだ会っていないのかね」
「今日明日ぐらいに会う予定です。桜ヶ池の背景を調べる作業に、時間を取られてしまいまして」
竹野が答えた。千田は、他にも何か言いたそうな顔をしていたものの、結局竹野達が「入る」時には連絡するようにだけ言い置いて帰っていった。
「教授は碰上へ入りたいのやないか」
「入らなければならない、と思っているのではないでしょうか」
「残るのも仕事だよ。考えようによっては、一番大変かもしれない」
竹野は、自分の千田に対する印象が、学生の頃から変化していることに気付いた。竹野の立場が変わった所為なのだろう、ということにも気付いていた。
内線電話が鳴った。深江がさっと席を立って受話器を取った。
「はい、そうです」
話しているうちに、難しい顔付きになっていく。
「わかりました。今行きます」
そう言って受話器を置くと、竹野と日置に向き直った。
「碰上大学新聞部の学生が来ているそうです。適当に言って帰すつもりだそうですが、マジックミラー付きの部屋に通してありますので、よろしかったら御覧になりますか、とのことです」
竹野と日置は急いで立ち上がった。山積みの資料が少し崩れたが、構わず深江の後について足早に部屋を出た。