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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第二章 調査
7/17

始動

 「ありがとう。すっかり忘れておった。急に思い出したことがあったものじゃから。しかし、わしの見たものが何だったのか、実のところ確かなことは言えないのじゃ。さっきも言ったように、桜ヶ池で寝泊りしている人達が何人かいたのじゃ。避難所も満杯で入りきらないし、水と木がある場所で過ごし易かったのじゃろう。配給をもらっている様子もないし、どうやって生きていたのか。今、思えば不思議じゃが、当時は、わしも自分のことで精一杯じゃった」


 「気にする余裕はなかった。その人達は、ある日を境に急にいなくなってしまったのじゃ。ちょうど戦争の末期で、空襲が連日のようにあった頃じゃから、わしはほとんど気にも留めなかった。空襲が小止みになってから、そう言えば急にいなくなったな、と気付いた。桜ヶ池はどこかの井戸水を引いているのじゃが、最後の方では空襲のせいか段々水が少なくなってきていたのじゃ。あの人達は、桜ヶ池が湧水で出来ていると思ったのか、それとも虫でも探して食べようと思ったのか、池を掘っているのもみかけた」


 岩下の声が低くなった。やや後ろに下がっていた日置が、静かに前へ寄った。


 「終戦になって、桜ヶ池の水はいつの間にか元通りになっておった。しばらくして、桜ヶ池に人魂を見た、という噂が飛び交った。わしは、その時、池を掘ったのは死体を埋めたんじゃなかろうか、と思ったんじゃ。確証がないし、わしの立場で掘り返せとも言えず、黙っておったが。終戦直後のことで何もなかったから、わしらでありあわせの物を持ち寄って、池のほとりにある祠で供養をしたのじゃ」


 「ほこら?」


 傾聴していた日置が呟く。岩下の声がやや大きくなった。


 「池の奥の方に、今でもあるじゃろう。江戸時代からあったようじゃが、実のところ何が祭られているのかよくわからんのじゃ。わしの考えでは、碰上家の屋敷の時分からあったのじゃなかろうか」


 日置と深江が竹野に目顔で問いかける。碰上大学の卒業生である竹野は、桜ヶ池に祠があるのを知らなかった。池の辺りには蚊が多くて、近付かなかったのである。


 「あの、『碰上の歴史を振り返る』という企画をされた時には、どのような資料を展示されたのでしょうか」


 側に控えたまま、深江が慎ましく尋ねると、岩下の声はますます大きくなった。顔に生気が戻ってきたようである。


 「うむ。明治時代に建てられた大学の設計図が書庫に埋もれていてな、それを中心に展示したのじゃ。あとは碰上家から寄贈されたらしい江戸の古地図もあったな。ああ、そうじゃ。碰上家所縁の人が展示を見たとかで、家紋のついた羽織や何かを寄贈したいと言ってきたんじゃ。ご寄付は博物館にお願いします、と断ったんじゃがね。そのほかにも随分色々な人から、お褒めの言葉を頂いたものじゃよ」

 「その、碰上家所縁の人というのは?」


 岩下は眉間に皺を寄せて考え込んだ。


 「うむ。何と言ったか。昔、奥女中を勤めていたとかで、品のいい婆さんじゃった」


 懸命に思い出そうとして疲れがどっと出たのか、岩下はがっくりと肩を落した。頃合を見計らったかのように、お茶を入れ替えましょうか、と岩下の妻が入ってきたので、竹野達は潮時とみて家を辞した。



 藤河に会ってから部室に顔を出さないでいると、何日か経って、風祭は電話で呼び出された。次の日は講義がびっしり詰まっていたので、全部終わってから部室へ行ってみた。二年生の主だった部員が集まっていた。人いきれで、部屋の中が少々暑く感じる。


 「おう、来たか風祭」


 椅子が足りず、大方立っている。机の上には、乱暴に書きなぐられた紙片が散らばっていた。部員達は、いくつかに分かれて互いに話をしていた。


 「何しているの」


 声を掛けてきた津守(つもり)に尋ねる。文系の学生が大半を占める新聞部の中、津守は風祭と同じ理系で入学した学生だった。建築学を専攻したいと聞いている。


 「藤河さんが言ってた例の件、俺ら二年生で調べようって話になっているんだよ」

 「記事になりそうなのか」


 津守は首を振った。りんごほっぺと呼ばれている赤い頬が、ぶるぶると震えた。


 「昨日、たまたま集まった奴らで碰上へ行ってみたら、凄いことになっていたんだって」


 風祭の家は碰上キャンパスの方に近いから、津守の話には特に驚かなかった。もともと尾婆(おばば)の学生が碰上へ行く機会はそれほど多くない。飲みに出掛けるなら、電車ですぐの雑多な商店街で十分だし、少し気取ったところでも、若者向けの店が集まる街が、碰上の手前にいくつもあった。二年生以下の学生が、碰上の様子を知らないのは、無理もなかった。風祭は適当に相槌を打った。


 「それで、事務局が開いていたから、庶務の人に新聞部だと名乗って様子を聞いてみたんだけど、要領を得なくて。どうも、緘口令を敷かれているというよりは、本当に知らないらしい。じゃあ、何が起こっているのか、俺らで調べてみよう、と」


 「どうして藤河さん達は調べなかったのかなあ」


 「就職活動で忙しかったんじゃないか。とにかく、ポン大生は現状を知る権利と義務がある筈だ。新聞部がやらずに誰がやる」


 二年生の部員は、気合充分のようであった。津守の言い分も理解できるが、碰上異変に関しては、素人が生半可に手を出すのは危険なのではないか、と風祭は考えていた。

 学生を全員移動させるような異変が起きて、最初は報道されたのに、その後の経過が一般の新聞でもTVでも報道されない。とんでもない推測一つ、雑誌で取り上げられない、というのは、あまりにも異常だった。

 しかしながら、尾婆の新聞部の総意として異変の調査が決まったのならば、部員として協力するつもりであった。


 他の部員とも話をして、新年号に間に合うように、碰上キャンパスの現状を理解するための記事を、まとめることになった。



 会議室にうずたかく積まれた資料の山は、日を追う毎に複雑な地形を作り出している。冊子や帳簿や紙切れなどの間に生息する生物の数はいつも同じ、三人だった。

 竹野は、眉間に皺を寄せながら資料を読み漁っていた。


 一度読んだ資料の中から、必要なものを探しているのである。深江は、赤木少年の報告を受けるために呼び出されており、日置は竹野と一緒になって求める資料を探していた。


 「ふむむ。やはり出ていないな」

 「え、見つけたなら言うてや」

 「悪い悪い」


 深江が書類挟みを持って帰ってきた。竹野に書類挟みを渡すと、日置に話しかけた。


 「見つかりましたか」

 「見つけたみたいです。深江さんの方は?」

 「報告書にも書いてありますが、赤木少年が、碰上大学新聞部の学生と接触したそうです」


 少し機嫌の悪かった日置が、新たな興味で機嫌を直した。


 「新聞部、へえ。左、右?」

 「活動家としての前歴はシロです。少年の死んだ兄と小学校の同級生で、この兄も同じ大学で新聞部に入っていましたから、少年とも元からの知り合いだったのではないかと思われます。ただ……」


 控え目な深江は、言葉を濁した。


 「ただ?」


 「風祭、というのが学生の名ですが、当局の尾行に気付いたかもしれないそうです。逃げたりした訳ではなく、あくまでも尾行していた職員が受けた印象だ、ということなのですが。もしかしたら、普段から尾行されることを警戒している人間かもしれず、そうなると非合法活動に従事している可能性も否定しきれない、ということでした」


 「うん。まあそれは後でもいいよ。どうせ公安で調べてくれるのだろうから」


 書類を読み終わった竹野が、口を挟んだ。


 「深江さんも、この辺に座ってください」


 資料の山を崩さないように気を付けながら、深江は空いている椅子に腰を下ろし、筆記具を用意した。竹野は空咳をして、話を始めた。


 「これまで集めた情報をまとめてみようと思う。桜ヶ池には造られた当初から祠があった。碰上の古地図を見ると、家の守り神は別のしかるべき場所に勧請してある。つまり、この祠は桜ヶ池のために、奉られたものだと言える」


 「祠を建てる理由として考えられるのは、祠のある場所を清浄化すること、祠によって側にあるものを守ること、言いかえると桜ヶ池にあるものから周囲を守るか、桜ヶ池にあるものを周囲から守るか、のどちらかではないだろうか」


 「いずれにしても第二次大戦後、戦死者の霊を慰めるための祠として利用されたため、本来の機能を果たさなくなっていたのが、今回の原因の一つだろう。となると、その祠の性質を知りたい」


 「岩下の爺さんが見たのが死体を埋めるところやったとすれば、その時点で桜ヶ池の性質が変化した可能性もあるし、以前に起こったこととは別に今回の異変が起きるきっかけも何かある筈なんや。何にせよ、桜ヶ池にあるものがわかれば解けるかもしれん」


 「碰上家の所縁の寺に聞くか、碰上に近くて古い神社を調べれば、桜ヶ池の祠に奉ったものの記録が残っているかもしれません」


 「そういえば、目黒に何とか閣文庫とかいう碰上家の文書関係を保存している所があると聞いたな」


 日置がファイルを忙しく繰りながら付け加えた。


 「ああ、それはいいな。では手分けして調べましょう。深江さんにはお寺で話を聞いてもらって、日置には碰上近辺の神社を調べた後で目黒に回ってもらって、私は文部省経由で神社本庁に行きます」


 「神社本庁なんて官庁あったっけ」


 日置が首を傾げるので、竹野が苦笑した。


 「神道の宗教法人だよ。まあ、官庁と思われるのも無理はない」

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