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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第二章 調査
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取材

 パイプオルガンが傷むんじゃないか、と風祭(かざまつり)は思った。


 碰上(ほうじょう)異変によるキャンパス封鎖で締め出された、上級生達の勉強場所を確保するため、今まで演奏会の時にしか使われなかった教室も、利用しているのである。

 外へ出ると、去年よりも明らかに学生の数が増えている。二時限目が終わって、ちょうどお昼時なので、余計に人が行き交うのだ。


 風祭は手帳を取り出して、次の時間が空いているのを確認すると、混雑する食堂を避けて新聞部の部屋へ向かった。

 もともと、再会した赤木圭一の兄に引っ張られるようにして入部した。従って、熱心に活動していたわけではないのだが、彼の死後、部室へ顔を出す回数を意識的に増やしていた。彼の代返をするような感覚だった。


 とは言え、尾婆(おばば)の新聞部は、碰上にいる上級生達の下請けのような存在で、風祭のように不熱心な部員は張り込み要員として活用されるほかは、さして忙しくもなかった。当てにされていないのである。


 部室の扉を開けると、薄暗い中に、何人かたむろしているのが見えた。

 風祭は適当に挨拶した後、その辺に放り出してある雑誌を手に取り、空いている椅子に腰掛けた。


 碰上異変後、当然のように上級生達は、尾婆の新聞部に本拠地を移して活動を続けている。


 幸い、部費の管理はキャンパス別に行っており、部員の中には撮影機材を自前で揃える者も何人かいる上、印刷も以前から外注していた。

 碰上キャンパスの新聞部が潰れたとして、尾婆単体でも、取材から印刷まで一通りこなすことはできる。新聞発行には差し支えない状態であった。


 「ああ、藤河(ふじかわ)さん」

 「お久しぶりです」


 未確認飛行物体目撃の記事から顔を上げると、四年生の藤河が入ってきたところだった。

 他の上級生が、記事の扱いや何やらで侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をしていても、隅で眠たげな顔をして大人しく控えているが、論説を書かせると隙のない文章を仕上げることから、()()()()()と呼ばれていた。


 経済学を専攻し、大手出版社への内定が決まったほか、国家公務員上級職の名簿にも採用され、文部省や通商産業省から声がかかったと聞いている。あとは卒業論文と、教職課程関係の単位を残すばかりであるが、教育実習などでしばらく見かけなかった。

 藤河は、部員達の挨拶にいちいち頷いてみせて、空いている椅子に腰掛けた。薄暗い中でも、白い顔が目立つ。


 「あのう、藤河さん。今、ちょうど話していたところなんですが」


 風祭と同じ二年の部員が、緊張気味に話しかけた。藤河は無表情に顔の向きを変えた。


 「碰上で異変が起こってから一年になります。うちの新聞で一度も記事にしないのは、おかしいのではないかと思うのですが」


 一同緊張して藤河の答えを待った。風祭も耳をそばだてた。

 この奇妙な事件を、一般の新聞や雑誌で取り上げないことも奇妙だが、仕方がない。抗議をするなら、自分たちの新聞で記事にすればいい。

 抗議どころか、自分達に振りかかった事件を扱いもしないようでは、新聞部の意味がない、と常々感じていたからである。


 部員達の注目を浴びても、藤河の表情は変わらなかった。

 眠たげな目が、一同を順番に巡る。風祭の上にも視線は落ちた。思わず胸を押さえた。


 聞いてはいけない事を聞いてしまったのだろうか、藤河は普通に見ただけなのに、風祭には棘が刺さったように感じられた。藤河の薄い唇が割れた。


 「記事にするとしたら、君達は、どんな風に書くのかな」


 息を呑む音が聞こえた。自分達で記事を作ろう、という考えには至らなかったのである。

 しばらく、藤河は一同の様子を眺めていた。答える者はいなかった。


 「先輩から言われたことをするだけではなくて、自分達で調べてごらん。もし、まとまったものが出来たら、僕に見せてもらおう。記事になりそうなら、新聞に掲載できるよう、他の先輩に掛け合ってあげるよ」


 部員達の目が互いを探り合った。この場で結論を出せそうになかった。藤河は時計を見て、立ちあがった。


 「食堂もそろそろ空いてくる頃だろう。お昼御飯を食べてくるよ」


 他の部員達も、それぞれ時計を見て動き出した。風祭は、再び雑誌に目を落とした。自分なら、どう書くだろう。



 竹野(たかの)日置(ひおき)深江(ふかえ)の三人が岩下(いわした)の家を訪ねたのは、十日ほど後のことだった。国立国会図書館での作業が捗らなかったのである。

 竹野も尾婆での調べ物が終わってから合流したのだが、書籍を手に取るまで小一時間かかる上に、必ずしも求めていた情報が載っているとは限らず、三人で手分けして何回も受付に足を運んだ。


 膨大な蔵書目録の中から、関係のありそうな書名を探し、用紙に記載して職員に持ってきてもらうのである。毎日図書館に通い詰めて、ひととおり資料を集め終えた頃には、職員も三人の顔を見覚えていた。



 岩下の家は、碰上の近くにあった。竹野たちは家を訪ねる途中で、大学の側を通りかかった。

 碰上大学の敷地は、相変わらず樹木で覆われており、塀沿いに警察官が立っているのも相変わらずであった。

 辺りは人通りも少なく、道に迷ったらしい着物姿の婦人が、うろうろしているぐらいであった。


 「焦る必要はなさそうやね」


 目を細めて碰上大学の様子を眺め、日置が呟いた。


 「一応、来年度には授業を再開できるようにするつもりでいる」


 自分に言い聞かせるように、竹野が言った。


 「雪が降る前に目処が立つといいのですが。今年の冬は大雪になるそうです」


 竹野の言葉に、深江が控え目に応えた。


 昔ながらの家並みが続く路地裏の、小さな木造建てが岩下の家であった。

 竹野が呼び鈴を押すと、中から年配の婦人が出てきた。岩下の妻であろう。あらかじめ、約束をとりつけてあったので、すぐに座敷へ通された。


 当人は、すでに座敷で椅子に座って待っていた。岩下は退職後、脳卒中で入院生活を送り、今も左半身に麻痺が残っている、という妻の話であった。

 竹野たちは、卓子を挟んで座布団に並んで座り、挨拶を交わした。


 「碰上大学の歴史について、話を聞きたいということじゃが、大分忘れてしまって、お役に立てないかもしれないのう」


 発音も、やや不明瞭であった。竹野たちは録音機材を用意してきたので、岩下の了解を得てスイッチを入れた。


 「碰上大学のことを在校生がポン大と呼ぶ、その語源は知っているかね。中国語読みで、ポンシャンというから、略してポン大というのじゃ。麻雀のポンも同じ字を書く。碰上というのは、江戸時代、いま大学のある敷地に江戸屋敷を構えていた大名の苗字で、碰上家は大政奉還の際に天皇陛下に土地を献上したのじゃ。その後明治になって、明治十九年の『帝国大学令』により、今の敷地に碰上大学ができたのじゃ」


 岩下はここまで語って、大きく息をついた。深江が気付いて、卓子の上にある大振りの湯呑を取り上げ、岩下に飲ませた。


 「ありがとう。入院してから、身体が思うように動かなくての」


 日置も茶を啜った。その間に、深江が席へ戻る。


 「そうすると、正門の脇にある大門や、桜ヶ池などは、江戸屋敷の名残と考えてよいのでしょうか」


 湯呑を置いて、竹野が質問した。


 「そうじゃ。わしが図書館に勤めておった時分に、『碰上の歴史を振り返る』と銘打って古い資料を展示したことがあったが、大学の設計図の中に、池や門も書いてあったぞ。史料編纂所からも史料を借りたりしてやりとりが大変じゃったが、お蔭様で専門家にも好評じゃった。あの異変で、みんな埋もれてしまったのじゃろうな」


 「岩下さんは、いつごろから図書館にお勤めしてはったんですか」


 急に出てきた日置の関西弁に、岩下はやや驚いたように目をしばたいた。左瞼が痙攣したようにびくびくと動いた。


 「わしは戦前から碰上に勤めておったぞ。最初は事務局の方にいたんじゃが。昭和になるかならんぐらいか。それ以来、ずっと図書館におった」


 「兵役には就かれなかったのですか」


 と、竹野。岩下は左腕を持ち上げた。そう言えば肉色の手袋を嵌めている。義手だった。竹野がしまった、という顔をして謝る。


 「何、気にするほどでもない。今はわしでも買えるような手も売っているが、昔はとても手が出なかった」


 自分の言葉が可笑しかったのか、岩下はふぉふぉと笑った。それから急に真面目な顔になって、遠い目をした。


 「戦争か。あれもひどかったのう。図書館も避難所になっていた時期があったんじゃ。最初は一般人を立入禁止にしておったらしいんじゃが、空襲が度重なるうちに、避難して来る人を押さえきれなくなったのじゃろう。もっとも、入ってきたところで、何も役に立つような物はなかったのじゃが」


 「桜ヶ池の桜も大分やられとった。あの辺りで寝起きしていた人達もおったからのう。薪に使ったか食ったのか、生木じゃ付け木にはならんからな。あの人達はどうしたのじゃったかのう。確か……」


 不意に、岩下は言葉を切った。右手が持ち上がり、襟を鷲掴みにする。呼吸が荒くなった。


 「大丈夫ですか」


 近付こうとする深江を、竹野は手で抑えた。じっと岩下の様子を窺っている。岩下は、荒い呼吸のまま、竹野達をちらりと見た。


 「お話しください」


 岩下の額が、光沢を帯びた。そのまま竹野から目を逸らせないでいる。みるみる顔色が悪くなる。岩下の額から、汗が一筋、流れ落ちた。竹野が、ふっと力を抜いて微笑んでみせた。


 「お話しください、岩下さん」


 老人の身体からも力が抜けた。深江が席を立って身体を支えるようにし、少し躊躇ってから、お絞りを取って額を拭いた。

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