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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第二章 調査
5/17

弛緩

 「ふうっ。お腹いっぱいになった。圭一くんは、あんまり食べなかったけど、足りているの?」

 「大丈夫。御馳走さまでした」


 風祭と赤木は、昼食を取った後、再びいつもの公園に来ていた。

 午後になって、公園を行き交う人々が増えたようである。白い幟を立てて演説をしている人がいたり、背広姿のまま、ベンチで昼寝をする人もいた。


 二人は広い道を避けて、木立の間にあるベンチを選び、並んで腰を下ろした。しばらく無言で木立を眺める。動かない二人の前へ、雀が降り立って地面をつつき出した。


 紅葉が地面に散り、木漏れ日が柔らかく降り注いで地面をまだらにしている。雀は、ともすると陰影に紛れて見失いがちだった。


 「風祭さんは、どうして碰上大学に入ったの?」


 赤木が聞く。目は雀を追っている。


 「ポン大で勉強したら、わかるかなあって思って。家から通えるし、学費も割安だし。ほら、親が公務員で、妹も弟もいるからね。他のところだと、学費も自分で払えない」


 雀がぱっと飛び立った。赤木が身動きしたのである。


 「それで理学部に行こうとしているんだ。そうか」


 赤木はまた地面を見て考え込む。風祭は、一緒になって木立の辺りを眺めていた。今度は、木立の間を通る小道から、鳩が歩いてきた。

 首を前後に動かしながら、二人に近付いてくる。鳩はそのまま首を振りながら遠ざかり、低い木の繁みまで行って、急に飛び立っていった。その時、赤木がまた話し出したので、風祭の注意は鳩から逸れた。


 「僕、今まで兄さんが行くから僕も碰上大学に行くのが当然だと思っていた。でも、兄さんがいなくなって、何のために勉強しているのか、わからなくなっちゃって。碰上大学もあんな風になってしまったし。父も母も兄さんがいないことを忘れようとして仕事に夢中になって家にいない。あんまり会えないのに、たまに顔を合わせても、相談する雰囲気じゃないんだ」


 風祭は、大きく息をついた赤木を見た。非常に整った顔が、愁いに沈んでいる。人目に立ちたくない、という本人の希望がなければ、すれ違う人々が全て振り返るに違いない。

 ともすれば、先ほどの女子学生のように騒ぎ立てられる。その美貌は成長期にも関わらず、同じ小学校で赤木の兄と一緒に遊んでいた頃からほとんど変わらないように見えるほど、完成されていた。


 「圭一くんのお兄さんは、もとは日本の歴史に興味があったんだけれども、外国にも行ってみたいと言ったことがあったなあ」

 「外国……」

 「家を継がなくてはならないから、一生外国にいるのは無理でも、何年か住んで、圭一くんを呼ぶんだって言っていた。本の中ではなくて、広い世界を見せてやりたいとか」

 「……」


 小道を通る人に気を取られていた風祭は、ふと赤木に目をやって慌てた。


 「あっ、ごめんね。ごめんね。これ、ハンカチ使って。うわあ。俺、悪い事言ったね」

 「いえ、初めて聞いたから、ちょっとびっくりして。ありがとう、すみません」


 差し出されたハンカチを頬に当てて、赤木が鼻声で答えた。さらにハンカチを広げて顔をごしごし擦っている。そのままハンカチをしばらく顔に当てていて、顔から離した時には、もう元通りに戻っていた。


 「僕には、本当に自分のやりたい事が見つかっていない、ということなんだね。見つかるまでの間は、今までのように学校へ行っていた方がいいのかな。もし、僕がやりたいことには、学校の勉強が必要ではないとわかったら、すぐ止めればいいよね」


 「そうだね。でも、無理をしないこと。辛くなったら、時々休んだ方がいい。俺でよければ、また呼んでくれれば、喜んで来るよ」

 「ありがとう、風祭さん」


 今日会って以来、初めて赤木は微笑んだ。



 駅の改札を出ると、すぐ目の前に尾婆(おばば)キャンパスの入口が見える。竹野が尾婆で学んでいたのはかれこれ十年近く前にもなるのだが、当時よりも学生の数が増えているように感じられた。


 日置の話では、碰上キャンパスも臨時に移転し授業を続けている。当然、学生数は増えている。これで全員が真面目に出席したら、入りきらないのではないか、と竹野はひとごとながら心配した。


 図書館も、混雑していた。受付の奥にいる職員も、忙しそうである。

 勝手がわかっているので、竹野は案内を請わずに館内を歩き回った。


 もともと、碰上の歴史資料があるとは期待していなかった。一般的な資料はともかく、あるとすれば、それは碰上キャンパスの方の図書館に所蔵されていた筈である。


 それでも一応、歴史書の棚を覗いてみたが、やはりなかった。次に、大学の記念誌を探してみた。五十年誌ぐらいはあるだろうと踏んでいたら、隅の方で埃を被っていた。貸し出し禁止マークが貼ってある。埃を吹き飛ばし、小脇に抱え込んだ。

 それから、学内広報誌と大学新聞の綴りを探したが、書庫にあるのか、棚には見つからなかった。


 竹野は五十年誌を抱えて空席を探した。学生たちは、一つおきに座っていた。

 間に荷物を置いたりして、自分の空間を確保する体であったが、竹野は構わず開いた椅子に座った。


 周りをそれとなく見ると、課題をこなすために調べものをする者、調べながら直接課題を仕上げる者、貸し出し禁止の本を読み耽っている者、とそれぞれだった。

 感心にも、暇つぶしで過ごす者はいないようだった。


 五十年誌を広げると、うっすらと塵が立ちのぼった。目次を開き、構成を頭に入れて関連箇所から読み進め、複写が必要と判断したところには紙片を挟む。竹野は速読派だった。しばらくして、受付の仕事が一段落した気配を感じ、竹野は記念誌を席において、受付へ行った。


 図書館の職員には、全員見覚えがあったが、職員の方は一学制に過ぎなかった竹野を覚えていないだろう。

 中でも古株と思われる、でっぷりした女性に声をかけて、千田教授の紹介状を見せた。


 「ああ、学内広報と大学新聞のバックナンバーね。書庫にあるわよ。全部? 結構沢山あるから、今日中に全部見るのは難しいと思うわ。とりあえず、学内広報だけ出してみる? ちょっと待っててね」


 女性司書は手馴れた様子で紹介状を複写し、他の職員に手伝わせてふうふう言いながら古そうな綴りを幾つか持ってきた。


 「碰上が使えなくなったから、教室も食堂も大混雑よ。農学部や工学部の一部は大丈夫だったみたいだけれど、教室が足りなくて、都内私立大学の施設を間借りしたり、一般公開されていた歴史的建築物を閉鎖して充てているんですって。この先、碰上が使えるようになるといいのだけれどねえ」


 「お手数をおかけします」

 「あら、いいのよ。仕事があった方が、目が覚めるでしょ」


 司書は片目を小さくした。竹野は笑顔を返し、綴りを持って受付と閲覧席を往復した。幸い、竹野が座っていた前の席が空いたので、そこへ綴りを煉瓦のように積み上げた。受付が見えなくなった。

 竹野はまず五十年誌を片付けて、また受付に複写を依頼してから、在学中はほぼ読んだ記憶のない学内広報を読み始めた。


 途中で複写された書類を取りに行ったり、学内広報に掲載された桜ヶ池関連の話題などのメモを取ったりして、綴りを読み終わったのは、夕方近かった。


 辺りを見まわすと、学生はあらかた引き揚げていて、昔竹野が通った頃の図書館の風景に戻っていた。司書たちも、受付に一人いる以外は奥の方でのんびりと仕事をしている。竹野は、学内広報の綴りを返すために、閲覧席と受付を往復した。


 「ありがとうございました。大学新聞は、明日見にきます。ところで、碰上の図書館にいた職員も、今はこちらで働かれているのでしょうか」


 でっぷりとした女性司書の表情が曇った。辺りをはばかるように、声をひそめて前へ顔を寄せる。竹野もつられて司書に顔を近付けた。


 「行方不明になっている人たちを除いて、ね。でも同僚は急にいなくなるし、職場も変わるしで、結構痛手を受けているみたい。どうしてそんな事を聞くの?」


 「何年か前の学内広報に、図書館で碰上の歴史をまとめて展示会を開いたという記事が載っていたので、どなたか詳しい方がいらしたら、お話を伺いたいと思いまして」


 「それ、何年前のこと?」


 竹野がメモに書いた日付を言うと、司書は眉根を寄せて考え込んだ。そして席を立って奥へ行き、他の司書たちに何やら聞いていたが、やがて首を振り振り戻ってきた。


 「多分ね、岩下さんのことだと思うのだけど、もう五年前に退職したのよね。事務局に聞かないと、住所はわからないわよ」


 竹野は岩下の氏名をメモにとり、司書に礼を言って図書館を引き揚げた。

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