救ってください
ここは……どこだろう?
夢?
草が生えた緑色の地面が広がっている。
その周りには伸びたサクラのような木の枝葉があって、見上げれば青い空がどこまでも広がっている。
草地の上を裸足で歩く。
森の中にぽっかりと空いたようなその空間の真ん中には、小さな泉があった。
泉の周りには可愛らしい薄紫の小さな花が咲いている。
私はそれに手を伸ばした。
一陣の風が吹いて、桜吹雪が舞う。
私は思わず瞳を閉じた。
そうして目を開けたら、そこには誰かが立っていた。
「あなたは……誰?」
そこにいたのは私。
もっと言えば、私と同じ顔をした、緑の髪の女の子。
その子は濃い緑色をしたリボンで髪をひとつに縛って、私と目を合わす。
泉の水面に映る、自分たちの姿。
目の前にいる私は、私に向けて手を差し出した。
「私は……ニンフェア」
「どうかした、ニンフェアちゃん?」
今だって、お姉さんの花束を作る手伝いをしているところだったのに。
「……なんでもないです」
「じゃあこれ。届けてもらえるかな」
お姉さんに頼まれて、私は花束を持って街を歩いた。
本当ならお姉さんが届けに行きたいらしいんだけれど、頼まれ事をされたらしくてたくさんお菓子や料理を作らないといけないそうだ。
普段からお茶会でお菓子をもらっているし、これぐらいなら手伝うのは苦じゃない。
届け先については紙に地図を書いてくれている。
目印とかがちゃんと書いてあって、わかりやすい。お姉さんらしいなって思った。
「綺麗な花ね」
この花束を作っている花は魔女の庵の近くの花壇で育てた花だ。
元々別の人が育てていたらしいんだけれど、その人がいなくなって。ちょうど入れ違いで同じ部屋に入ることになった私がその花壇も引き継いでいる。
私は魔法で花を育てることなんて簡単にできるし、適任だと思う。
花壇を彩る花はたくさんの色や種類があって、部屋にも先人の遺産として花の種が入った小瓶が並べられていた。
どれがどんな花かわからなかったから、魔法で一旦成長させてみて、それから私好みの花壇へと作りかえていく。
そういう作業は楽しかった。
そんな私の鼻先をくすぐるように風が吹く。
サクラのような花びらが、目の前を通り過ぎていった。
「そっか。ここに来てもうそんな月日が経ったんだ」
この街のそこかしこに植えられているサクラのような木。
この植物はサーフィスと呼ばれる全く別のものだ。
内陸部で季節という概念がほとんどないこの森。そこに季節感を出そうと錬金術で作られた人工的な植物。
春にはサクラのような小さな花を咲かせ。
夏には青々とした葉を広げて日陰を作り。
秋には果実を実らせて、根元にキノコが生えたり。
冬には雪のようなものが覆い被さる。
昨日までは真っ白だったのに、今日起きたときにはピンク色だ。
つくづく錬金術は不思議なものだと思う。
本当。なんでもできるのではと思ってしまうぐらい。
「はぁ……」
私がこの街に来てもうすぐ一年が経つ。
結局、私の記憶は戻っていない。
錬金術で作られた薬を直接飲んでも駄目だった。
その代わりなのか、変な夢を見るようになった。
時間も場所もばらばらで……でも、いつも私と同じ姿の子が一緒にいる夢。
それは現実まで巻き込んでるみたいで、たまに意識が飛んでいることがある。
だけれど、そのことを誰かに相談したりはしていない。
ただでさえ魔女の庵にお世話になっているのに、変なことを言ってこれ以上迷惑をかけられない。
それにきっと、こんな話、誰も信じてくれない。
少なくとも、誰かに私はこんなことを聞いたとしたら信じられないだろう。
たぶん、誰だってそうだ。
信じてもらえないのは怖い。
「あれ……ここって」
考え事をしながらもメモを頼りにやってきた、花束の届け先。
そこにあったのは、この街では珍しい、ツリーハウスでない一軒家。
その建物の周りをぐるっと見渡してみると、見覚えがある。
やっぱりここは、私が目覚めた家だ。
というと、あの人はお姉さんに知り合いだったんだろう。
どういう関係なのかはわからないけれど、とりあえず花束を渡さないと。
私は扉をノックした。
「なんだ……と、君は……久しいな」
扉を開けて現れたのは、あの日と同じ白い髪の男の人だった。
向こうも私をちゃんと憶えているようだ。
私がお姉さんの代わりに花束を届けに来たということを説明すると、白い髪の人は言う。
「上がってきなさい」
そういえば、あの日、私は気が向いたら行くと話していたのを思い出した。
色々あって忘れていたけれど、その口約束を果たすのも悪くない。
促されるままに、私はその家にあがりこんだ。
私はテーブルに案内され、座っていると、白い髪の人はお茶を持ってきた。
この街で飲まれる一般的なお茶で、この街で育てたものを使っているもの。
常日頃お茶会などで飲んでいる私にとって、なじみ深いものだった。
「ひとりで暮らしているんですか?」
「ああ。息子が出て行ってしまったからな。今はひとりだ」
白い髪の人は私の対面に座りながらそう話した。
あの日も今日も、他には誰もいない。
子供はいてもおかしくない年齢の人だとは思っていたけれど、もう子供も出て行っているんだ。
正直、そこまで年老いては見えない。
今でも現役で仕事をしているんじゃないかと思って、壁に掛けられている猟銃を見つめる。
「世界を知りたいと言って飛び出して、それからはほとんど連絡をよこさない。それなりの歳だから自分のことは自分でできるんだろうが……」
白い髪の人は話を続ける。
この街から外に出て行く。そういう人は少なくないと聞いている。
発展してきて交易もしっかりしているとは言っても、この森の中では手に入らないものは多い。それに、この狭い世界では学べないことも多いだろう。
だから領主は十五歳あたりになった子供に選択肢を与えている。
皇国に留学し、学園に通ってみるというものだ。
外の世界のことを知ることもできるし、自分の適正を伸ばすこともできる。
この街に戻ってくることも、そのまま皇国で暮らすことも自由だ。
きっと、この人の子供もそういう道を選んだんだろう。
「ただ、そんな息子もひょっこり帰ってきたことがあった」
「そうなんですか」
「ちょうど、君を拾った前日のことだ」
「えっ」
子供が戻ってきたことが嬉しい。そんな単純な親心だろうと話を聞き流していたら、気になることを言われて驚く。
初めて会った日、この人がどうして私に優しくしてくれたのか理由がわからなかったけれど、今になって理解した。
もしかしたらこの人は……。
「息子は事情を説明しないまま俺や周りの者に頼み事をしてきた。そして、それが終わったらいなくなった。代わりに現れたのが、君だ。君ならなにか知っているだろうと思っていたが……どうだ」
どうだと言われても、私はその人のことを知らない。
自分の記憶さえ思い出せないのに、他のことを憶えているわけがない。
だからそのことを正直に告げると、白い髪の人は「そうか」と小さく言葉を零した。
私はそれを落胆の声だと思ったけれど、目の前にいる人の顔を見ると、むしろすっきりした顔をしていた。
まるで「あいつらしい」とでも言っているようだ。
「あの……ニンフェアという人を知っていますか?」
この人なら知っているんじゃないかと思った。
ただ、なんとなく……私の直感がそう言っている。
もしかしたら、この人とは以前、会ったことがあるのかもしれない。
「俺は知らないことの方が多いだろう。そういうのはあいつに聞いた方がわかるはずなんだが……」
そう言って、白い髪の人は言葉を濁した。
息子さんがいなくなって一年。またどこかへ行ったきり、帰ってきていないんだろう。
白い髪の人の視線の先には写真が飾ってあった。
そこにはそっくりの男の子。
写真の隅には、その子の名前だと思われるものが書かれていた。
「そういえば、君が倒れていた所にこれも落ちていた。君に渡しておこう」
渡された布の小袋。
それの中には小さな瓶がひとつだけ。
「花の……種?」
ラベルもなにも貼っていない透明な瓶の中には何かの種がたくさん入っていた。
「ありがとうございました」
「いいさ。もし息子に会ったら、たまには顔を見せるよう言ってくれ」
私は渡された瓶を持って、その家を出た。
そういえば、ただ花束を届けに来たはずだった。
それなのにけっこう長い時間いた気がする。
その時間の中で得たものは、ただこれだけ。
でも、なんとなく。
これが手がかりになるような気がしていた。
魔女の庵に戻る。窓からはおいしそうな料理の香りが漂ってくる。
気づけばもう夕暮れ時。
薄暗くなり始めている中、私は花壇に向かう。
瓶を開けて、中に入っている種を手に平にのせる。
見た目は何の変哲もない普通の種だ。
この街のことだし、もしかしたら錬金術で作られたものかもしれないけれど、どちらでもいい。
私は花壇にその種を幾つか蒔いた。
そして、盛り上がった土に手をつきながら、目をつむり、心の中で唱える。
私の魔法。
花を育てる。ただそんなささやかなことしかできないもの。
もしも。
もしもあの人が話していた人が私のことを……ニンフェアのことを知っているのなら、この種には何か意味があるはずだ。
きっとこの魔法は、そのためのものだから。
目を開いて、広がる光景を見つめる。
そこにあるのは小さな花だ。私の髪のような薄紫の小さな花。
ひとつひとつは目立たないちっぽけな花だけれど、絡まり、繋がり、重なり合うことで、他の大きな花と比べても遜色ないかわいらしい花になる。
「……プリムラ」
その花を見た時、自然と口からその言葉が漏れ出た。
初めて見る花。初めて言った言葉。
そのはずなのに。
どうしてか、それがこの花の名前だとわかった。わかっていた。
ああ……なんだ。そういうことだったんだ。
私は立ち上がる。
少しずつ、夢で見たものが繋がっていく。
夢じゃない、私の記憶。
それがどうして繋がらなかったのか。
それは、私がずっと思い違いをしていたから。
「私はニンフェア。だけれど、それは違う名前」
私は振り返る。
ずっと私を追いかけ続けていた影に向かって話す。
「私はプリムラ。そうなんでしょう、レン」
そこには、あの家に置いてあった写真の男の子がいた。
『おかえり……いや、ただいまかな』
久しぶりに会ったその子は、嬉しいような、困ったような顔をして笑った。