かなえられた希望
夢を見ていた。
いつまでも醒めることのない、長い夢を。
その夢の中で私の身体は宙に浮いていて、強い風が吹けば、簡単に飛ばされてしまう。
そこに私の意識が介入する余地はなくて、ただただ流されるままに時間は過ぎていく。
自分が何者だったかなんてわからない。
どこから飛んできたのか、もう憶えていない。
そして、これからどこへ行くのかも。
ただ。
なんとなくとだけれど。
誰かが私のことを待ってくれている人がいる気がした。
その人の姿も、名前も、声すらも思い出せないけれど。
どうしてか、繋いだその手のぬくもりだけは忘れなかった。
目が醒めると私はベッドの中にいた。
自然の温かみを感じる木造の部屋。
カーテンのかかった窓から差し込む光が、今が昼間であることを告げている。
昨日のことを思い出そうとしたけれど、なにもわからない。
頭の中に靄がかかっているみたいだ。
私はどうしてここにいるんだろう。
そんなことを考えていると部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、落ち着いた大人の印象を受ける男の人。
白い髪をしたその人は私と目を合わせると一瞬驚き、そのあとすぐに優しい顔になってベッドの傍の椅子に座った。
「目が醒めたようだな」
目の前のその人のことを私は知らない。
だけれど、なんとなく、悪い人ではないということだけはわかる。
「何か不自由はあるか」
言われて私はベッドから立ち上がり、手や足を動かしてみる。
特にこれといって問題はない。
きっといつも通り。そのいつもが思い出せないけれど。
「ここはどこですか……」
「ここは俺の家だ。君が近くで倒れているのを見つけてな。そこで寝かせていた」
この人の……家。
壁を見ると、動物の剥製や猟銃がある。
猟師でもやっている人なのかもしれない。
けれど、私が倒れているのを見つけて助けただけだということは、私が誰なのかなんて知るわけがないだろう。
「助けてくれてありがとうございました」
「いいさ。軽い罪滅ぼしのようなものだからな」
単なるお人好しかと思ったら、何か含みのあることを言い出した。
けれど、それについて聞くのは面倒くさそうだ。
私はそっとしておくことにした。
「面倒をかけてごめんなさい。すぐに出て行きます」
「どこに行くんだ」
私が部屋を出ようと扉に手をかけると、白い髪の人はそんなことを聞いてくる。
どこへ行くかなんて決まっていない。
けれど、ここにいるべきではないと思う。
なんとなく、この人といると、いつまでも甘えてしまいそうと感じてしまう。
自分の素性すらわからない身の上で、それは迷惑でしかない。
「行きたいところがあるんです」
そんなところなんてない。
けれど、この部屋を出る口実としては十分だ。
「そうか……困ったことがあればいつでも戻ってきなさい。その時は食事でも出そう」
「……気が向いたら来るかもしれないですね」
私はそう言い残し、この家を出た。
外に出て、全身に陽の光を浴びる。
少し眩しくて、光に慣れるまで手で遮った。
踏み固められた土の道を歩いてまわる。
家の多くは木でできている他、大きな樹と同化した家もいくつか見られる。
畑もあって、田舎の小さな村のような雰囲気を感じられるけれど、村と言うにはいささか広い。
そして、周囲を深い森で囲まれている街。
私と同じく道を歩いている人も多くて、どこに行っても楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「平和な街……」
自然とそんな感想が口から零れた。
人の雰囲気がよくて、道端に咲く花も綺麗に見える。
「誰か! 誰か助けてーーっ!」
なんてことを思っているのもつかの間。
そんな街にそぐわない声が聞こえてきた。
それも空の上から。
さっきから歩いていてちらちらと見えていたけれど、箒にまたいで空を飛んでいる人がちらほらいる。
あれは乗っている人が特別なのか、それとも箒が特別なのだろうか。
後者なら私も乗ってみたいと思う。歩くは疲れるからあんまり好きじゃないし。
そして、そんな声を発している人はちょうど私の真上にいるみたいだ。
叫んでいる声が段々と近づいてくるのを感じる。
ぶつかったらやだなと思ってそこを離れようとすると、どこからともなく黒い鎖が伸びてきた。
それが私の頭上で絡まって、箒から落ちてきたであろう小さい男の子をキャッチする。
「コラ。箒の練習する時はちゃんと大人の人に見てもらわないとダメでしょう」
鎖を出したであろうお姉さんが、男の子を叱りつける。
でもいまいち迫力がない。
彼女の背丈があまり大きくないからだろうか。
それとも……。
「ひゃうっ!?」
お姉さんのお尻のあたりでゆらゆら揺れて存在を主張しているもふもふを掴む。
こんなものをつけている人にあれこれ言われても説得力に欠けると思う。
見た目の印象通り通り柔らかいみたいだ。
引っ張ってみても抜けないみたいだし、どうなってるんだろう。
「なにするんですか」
お姉さんが地面を踏みつけると、足下からさっきの鎖が飛び出した。
それは私の身体に巻き付いて宙づりにされる。
魔法……なのだろうか。
「お姉さんがどうして尻尾なんてつけているのか気になったから……」
「これは自前です!」
よく見ると尻尾だけじゃなくて耳もついていた。
犬みたいな尖った耳だ。
後で知ったことだけど、獣人族と言うそうで、この街にはけっこういるらしい。
ちなみに、さっき降ってきた男の子も同じような耳と尻尾が生えていた。
「どうした、騒がしいな」
「あっ、騎士団長! 聞いて下さい」
こんな平和そうな街にも騎士団なんているんだと思って目を向けてみると、鎧を着込んだ私と同じぐらいの身長の人が立っていた。
そんなちんちくりんみたいな人に、さっきのお姉さんが直談判している。
私に尻尾を触られたことによほど驚いたようだ。
明らかに幼い方が上司という、異様な光景に思えてしまって目を覆いたくなった。
でも、私の両手は鎖で縛られていたせいで、それを間近で見させられ続ける羽目になった。
「見かけない顔だな。何者だ」
騎士団長が鬱陶しそうにお姉さんを遠ざけて、宙づりのままの私に問いかけてきた。
「わかりません。何も思い出せないんです」
私は正直に告げた。
外に出て歩いてみることで何か思い出すんじゃないかと思っていたけど、結果は何もわからず終い。
こんな街を私は知らないし、歩いた憶えもない。
せめて名前ぐらい思い出せればよかったんだけど。
『魔法少女ニンフェア』
ふと。何かの情景が頭の中に思い浮かんだ。
記憶?
私は過去にこうやって拘束されたことがあったの?
そして、私は過去にそう名乗ってた?
「ニンフェア」
「ん?」
「たぶん、私の名前だと思います」
他は何も思い出せないから、これが唯一の手がかり。
それに名前がないなんて面倒だからなんでもよかった。
「そうか。ではニンフェア殿。わたくしと共に来てもらえるか」
「なんでですか」
「記憶がないなら住む場所もないだろう。いい場所を知っている」
この街にはお人好ししかいないのだろうか。
それとも、この人も何か理由があってそうしているのか。
どっちだかは聞いてみないとわからないだろうけど。
「わかりました。着いていきます」
なんとなく、この街にいたら何度も同じようなことを言われそうだと察した。
下手に可哀想な目で見てこない分だけ、この騎士団長とやらはマシな部類だと信じよう。
変な人だとは思うけど。
騎士団長がお姉さんに指示して、私の拘束は解除される。
鎖がからまった腕の部分が少し赤くなっている。
かぶれないといいんだけど。
「後で塗り薬を用意させよう。いい腕の薬師を知っている」
人脈と権力はそれなりにあるらしい。さすが騎士団長。
身長がないのだけが唯一の欠点なんだろうか。
まぁ、そんなことを置いておいて、私はお姉さんと男の子と別れ、騎士団長に着いていく。
その間も暇だから、ちょっと疑問を消化してみた。
「魔法少女って知っていますか?」
唯一思い出せた記憶らしきもの。
その中にあった不思議なフレーズ。
私がそれを聞くと、騎士団長は遠くにいる、少女たちを指さした。
「あれが魔法少女だ」
少女たちはヒラヒラとしたものがついたドレスのような格好をしている。
可愛らしいし、何より目立つ。
子供だったら憧れそうだ。
「ニンフェア殿もそうだろう」
「えっ?」
そう言えば、疑問に思ってなかったけど、私の服装も似たようなものだった。
もしかしなくても、私は魔法少女だったらしい。
それがどんなことをするのかはわからないけれど。
「さあ、ここだ」
そうしてたどり着いたのは大きなツリーハウスだった。
周囲には花壇があって、色とりどりの花が咲いている。
近くの木には薄紫の花が咲いて、その花びらが舞い降りてきていた。
サクラのような、でも少し違う木。
初めて見るはずなのに、どこか憶えがあるような気がした。
ツリーハウスの入り口の看板には大きく『魔女の庵』と書かれている。
梯子を上って、私はその扉を開けた。
お姉さん「私たちにとって、尻尾や耳を触られるのは大変くすぐったいものなんです」
騎士団長「だそうだ。わたくしにはないからわからないが」
ニンフェア(騎士団長の方が獣耳似合う気がする)