不変の誓い
「……貴方は」
「お母様」
倒れているローゼの手が、寄り添うプリムラの輪郭をなぞる。
神樹様を成長させている魔法を止めることができた。そして、家族を再会させることができた。
これで目的は達成だ。
プリムラには身体を取り戻すことを優先してもらっていた。
そうすればローゼがこんな無茶なことをする理由なんてなくなるはずだから。
ただ、十年間も身体から離れていたせいで、なかなか戻ることができなかったらしい。
僕がああやってローゼと戦っている間、ずっと格闘していたそうだ。
最後に僕に手を貸してくれたのもぎりぎり間に合ったというところ。
けど、結果としてどうにかなって本当に良かった。
僕はふたりを邪魔したら悪いと思って、倒れている他の仲間たちのところへ向かう。
シグネさんはシアさんを介抱しているみたいだ。
協力して鎧を脱がして、身体の無事を確認しようとしたら、気が抜けたのかシアさんは眠ってしまった。
なんというか、騎士様っぽいことをしてくれてすごくかっこよかったのに、やっぱり見た目通りで安心した。
リンネさんとカリンちゃんは魔力が回復したようで、ゆっくりとこっちに歩いてきた。
なんとかなったことを言うと、本当に喜んでくれた。
でも、そんなゆったりした時間もつかの間。
「なっ、何!?」
立っているのも辛いぐらいの地響き。
それはまだなにも終わっていないという事実を突きつけてきた。
「神樹様が十分に回復したんだ」
ローゼがプリムラに支えられながら歩み寄ってきた。
もう戦う意志はないようだ。
その瞳は、今まで見てきた恐ろしいものではない。
「もう私の魔法など要らない。枝葉や根を伸ばし、やがて……」
それはつまり、神樹様が暴走状態に入っているということ。
ローゼが無駄だと言っていたのはこのことだったそうだ。
ローゼを止めても意味がない。
もう神樹様は止まることがないのだから。
「どうにかできないの?」
「不可能だ。私たちはあくまで神樹様の使い。その行為を止める力はない」
これは神樹様が望んでやっていること。
神樹様のための『狩人』と『守人』は、その力で異を唱えることなんてできない。
かといって、他の魔法使いたちに頼んでも神様に対抗することはできないだろう。
相手は神様で、人がどんなに抗っても無駄なほど強大な存在だ。
もう僕らに打つ手はない。
「ひとつだけ、方法があるわ」
そう言い出したのはプリムラだった。
ローゼを下ろして、僕にその方法を告げる。
「神樹の中に乗り込む。レン。力を貸して」
言っていることは理解できなかった。
でも、プリムラの瞳は訴えている。どうにかできる、と。
なら、僕にできる返事はこれだけだ。
「わかった。僕は何をすればいい」
僕の標。
それが道を示してくれたんだ。なら、それに従う以外の選択肢はない。
僕はプリムラの後をつけていく。
そこにあるのは神樹様の御神体だった。
光を放つそれは、確かに神聖な感じがする。
「さっきと同じように、これに触れて」
ふたりで杖を握りながら、空いている手で御神体に触れる。
すると、手はそれを突き抜けて中に入り込んだ。
「このまま中に入るわ」
そうして一歩前に進む。
入り込んだその場所は真っ暗だった。
明かりがひとつもない。完全な暗闇。
自分がどこを向いているのかわからないし、上も下もわからなくなってきた。
僕は今、立っているんだろうか。それとも座ってる?
不安になる。
でも、繋いだその手のぬくもりが、僕の意識を現実に戻した。
僕らは不思議な場所に立っていた。
触れた質感的に神樹様の中だというのはわかる。
けれど、ただの樹ではなく、人が生活できるような部屋になっているんだ。
それはまるで僕らが過ごした魔女の庵のようで。
でも、窓がなくて外の光は入らない。
その代わりなのか、神樹様の果実が天井にぶらさがっていて、それなりに明るい。
「神樹様の中ってこうなってるんだね」
プリムラも僕と同じように目をぱちくりさせていた。
やっぱりこの光景は予想外だったんだろう。
「時間がない。先に進まないと」
プリムラは僕の手を離し、どこまで続いているかわからない階段を登り始める。
僕も置いて行かれないように後を追う。
「母さんとはちゃんと話せた」
「それなりに」
せっかくの再会だからきっと話したいことなんてたくさんあったはずなのに、あまり長い時間も話せずにこんなことをしている。
でも、これをどうにかできるのなら、その後でたっぷりと話すことができる。
だから今はやるべきことを優先したんだろう。
ただ、少し足早に動いているように感じるのは僕の気のせいなのかな。
「ここで行き止まりみたいね」
僕らがたどり着いた場所には空から光が差し込んでいた。
もしかして、ここは神樹様の上?
広々としたこの空間。端には青々とした枝葉が見え、中央にはぽつりと泉がある。
「レン。それを使うことはできる?」
「使うって言ったって……」
僕は泉水面に手を触れてみる。
すると見たことのない文字のようなものが水面に映って現れた。
なんだろう、と思いつつもそれをよく見ると、なぜか意味を理解することができた。
読むことはできない。ただ、なんとなく理解はできる。
『管理者不在により自立稼働状態。魔力不足の為吸収力上昇中』
自然に手が動いて、その文字に触れる。
すると、表示されていた文字は消えた。
よくわからないけど、これでなんとか、終わったのかな。
「ねぇ、僕はいったい何をしたの?」
神樹様の中に入り込むことを言い出したのはプリムラだ。
つまり、ここに来られることと、ここで何かをすれば解決できるということを知っていたということ。
プリムラは『守人』の娘だから、そういう方法を知っていてもおかしくない。
あれ? でも、それならなんでローゼはあんなことを言ったんだろう。
「ここは神の座。神様がこの世界を管理するための場所」
プリムラは泉の中を見つめながらそう語り出した。
その言葉に少し違和感を感じた僕は言い返してしまう。
「この森の神様は神樹様なんじゃないの?」
神様は人の形をしているとは限らない。
動物の姿の場合もあれば、無機物だったり、もっと概念的なものだったりすることもあるとミストさんの授業で学んだ。
だから僕らの村に伝えられているように神樹という植物が神様だってことも十分あり得ることのはずだ。
けれどプリムラはそれを否定する。
「この森の神様はもうとっくの昔に消えていたの。そして、管理する者がいなくなった神樹は暴走を始めて、結界を張った」
結界が暴走のせい?
結界が張られたのは神樹様が眠りについた時のことで。
ということは、過去にあった戦争の時に既に……。
「でもそれなら次の神様は?」
帝国の神様は数十年前には転生している。
この森の神様も同時期に消えたのだとしたら、もう復活していてもおかしくないはずだ。
「戦争で傷を負った神樹は、神の座としての力の一部を失ったんだと思う。新たな神を産まれさせる力とかね」
よく見ると泉の底に何かが沈んでいた。
あれは赤ん坊が眠るような……揺り籠?
その中身は空っぽで、使えそうにないぐらいボロボロだった。
「だから神樹は新たな神になれる器を求めた。結界はそれを逃さないための手段。そして……」
プリムラは僕が持っていた杖を目の前に突き立てた。
先端部分の星を模ったもの……それが眩い光を放つ。
「今日、ようやくその器がここにやってきた」
プリムラが杖を使って何かをした。
一瞬、それがなんなのかわからなかった。
けれど、目の前に見えるものがさっきと少しだけ違っていることに気づいたんだ。
僕の瞳に映っているのが、緑の髪をしたプリムラだったから。
瞬間、僕の身体が蔓で縛られて前に倒れ込む。
よく見ると自分の髪の色がプリムラがもつ薄紫になっていた。
「これは、どういうことなの!?」
泉の中に入り込んでいくプリムラの背中に声をかけた。
彼女は振り返らずに言う。
「約束、守れなくてごめん」
「プリムラっ。プリムラ!」
僕は何度も叫んだけど、彼女は振り向いてくれなかった。
そして、身体は神樹様の中に吸い込まれていった。
気づくと、僕は茨の城の中……ローゼたちと戦ったそこに立っていた。
みんなの姿はさっきまでのままだ。
けれど、その空間に空から光が差し込んでくる。
神樹様の枝葉が消えていく。
また概念のような存在になって、しばらくすればいつもの森に戻るんだろう。
それは嬉しいことかもしれない。
けど、僕の瞳からは涙が流れていた。
それは冷たい……悲しい涙。
光と共に消えていく枝葉を眺めながら、すぐ傍にある御神体に触れる。
その手は突き抜けることなく、ただ冷たくざらつく樹皮の感触がそこにはあった。
「約束……したのに」
どんなに怖いことでも、キミとなら怖くなかった。
どんなに大変なことでも、キミがとならできる気がしていた。
そんなキミと傍にいられるように約束を取り付けたのに。
周囲が明るくなっても、プリムラの姿はどこにもなかった。
声も聞こえない。
触れることはもうできない。
僕は声に出して泣いた。
それはきっと、たったひとりの大切な人を失ってしまったから。
また、守ることができなかったから。
レン「プリムラ……」