約束
「植物も呼吸をするのって知ってるかな」
植物は光合成をして酸素を生み出す。
けど、それだけじゃなくて、常に人と同じように呼吸をしている。
じゃあなんで酸素を増やすと言われてるかと言えば、それは光合成によって生み出す酸素の方が呼吸で消費する分を上回っているからだ。
リーフィさんがどうしてそんな話をしたのか。
それは、植物と同じ事が神樹様にも言えるからだそうだ。
「あの神樹様と呼ばれてるものは酸素の代わりに魔力を生み出す機能を持っているみたいでね」
魔力を生み出して、その世界に魔力を与える。これは神様が行う役割のひとつ。
ただ、神樹様の場合はそれが逆になっている。正確に言うなら植物でいう光合成の機能が動いていない。
今まで神樹様の姿を見ることはできなかったし、触れることもできなかった。
ただ、何らかの原因でそれが具現化してしまった。
具現化した神樹様の根にリーフィさんが触れたで、その力がわかったそうだ。
「はっきり言って、今は危険な状態だよ」
今は僕も危機感を肌に感じている。
枝葉が伸びてこの森は永遠の夜となってしまった。それだけならいいけど、魔力の吸収速度が上がったようなんだ。
僕が十日も目覚めなかったのもそれが原因。
父さんとの戦いで魔力を使い尽くしたところでこんな状況が重なったせい。
「吸い取った魔力で神樹は急成長しているみたいなんだ」
ミストさんが実際に森の外周で確認してきたことを告げる。
枝葉が伸びて、さらには地中でも根を広げていっているらしい。
それによって魔力を吸収する範囲もその効果も増えていっている。
神樹様が枝や根を伸ばし近くの迷宮に到達してしまえば、迷宮の魔物の魔力を吸い取り、さらに拡大してしまうだろう。
そうなったら……
「全ての世界の魔法使いはみんな魔力を吸い尽くされる……そういうことですか」
魔法使いは魔力を吸い尽くされると死んでしまう、そう教わった。
つまりこれはこの森だけじゃない、その周りの国も巻き込む大きな危機だ。
「キミはどうしたい?」
「えっ……僕ですか」
ミストさんは聞いてくる。
どうしたいって、どうして僕に。
「そう、キミだよ。キミがこの森の『狩人』なんだから。外の世界の僕らじゃない。キミがどうするかを決めるべきだ」
僕は父さんを打ち破り『狩人』の称号を引き継いだ。
この森の行く末を決める権利と義務がある。
そして、その決定の結果の責任は全て僕に降りかかることだろう。
でも、そうだ。
そんな大事なことを外の人に任せられるわけがない。
僕がやるんだ。
僕はどうしたい?
そんなの決まってる。
「僕は……」
僕はプリムラを探していた。
村の中を探しても全然見つからなくて、魔女の庵に行ってもいなくて。
どこにいるかと思ったら、森の泉のほとりで水に足をつけている姿を発見した。
僕はその隣に立つ。
「こんなところにいたんだ」
『落ち着かないの』
プリムラは僕の方を見ず、暗い空を見つめ続けている。
あれが夜の空じゃなくて、大きな樹の枝葉なんてやっぱり信じられない。
でも事実なんだ。
僕らは気づいていなかっただけで神樹様の下で守られ育ってきた。
その対価をここで払わされようとしているのかもしれない。
『どうして無謀な道を選べるの』
プリムラは僕がやろうとしていることを怒っている。
たったひとりで世界なんて救えるはずがない。
それは事実だよ。うん、わかってる。
「ごめんね。僕の身体はキミのものなのに勝手に決めて」
『そんなことじゃない! 私は、ただ……』
プリムラはその次の言葉を言おうとしない。
言えないんだ、きっと。
だって、その言葉が僕の想像通りなら。
「思えば、ここから始まったんだね」
僕は一息ついてから目の前に広がる泉を見渡す。
森の中に点在する泉のひとつ。
だけどここは、僕らが契約をしたあの泉。
あの日も夜で、星が瞬いていた。
あれからまだ数ヶ月しか経っていないっていうのに、なんだかずっと遠くまで来た気分だ。
色々なことがあった。
楽しかったことも、辛かったことも、恥ずかしかったことも……なんというかたくさん。
そして、それら全てにおいて、ずっと隣にいてくれる人がいた。
それがキミだよ、プリムラ。
「キミがいるから、だよ」
僕はその言葉の後を紡いでいく。
「キミとなら、僕はどこへだって行ける、どんなことだってできるって……そう思ったんだ」
今までだって、どんなに辛くても、すごく嫌なことでも、キミが命令したのなら僕はそうするしかなかった。
それのせいで大変な目に遭ったし、恥ずかしい思いもしたけれど、僕、気づいちゃったんだ。
僕は今まで父さんに劣等感を感じていた。
それが原因で、僕なんかって、踏み出す勇気がなかった。
でもキミはそうやって立ち止まっているのを許してくれない。
いつだって僕に命令して、僕はそれを受け入れるしかなかった。
それのおかげでできたことがいっぱいある。キミの命令は僕の背中を押してくれていたんだ。
本当は僕だって怖い。
でも、怖くても進むしかないなら、僕にできる精一杯でやってみようって思ったんだ。
『そう……』
プリムラはまだ近いようで遠い空を眺めている。
僕はそっと、その横顔を見つめていた。
父さんの見立てでは、今回の一件は間違いなくローゼさん……プリムラの母さんの仕業だそうだ。
以前、父さんはローゼさんと話をした時に協力を持ちかけられていた。
それで要求されたものは魔力の回復薬。それも大量にだ。
メグ姉の両親に頼み込んで遠くから高品質なものを仕入れてもらったらしい。
ローゼさんたち『守人』の力は植物を操るもの。それは成長を早めたり、傷を治すこともできる。それは神樹様を癒やすためのもの。
魔法を使うと魔力を消費してしまうから、回復薬を大量に使ってそれを補ったんだ。
でも、それはかなり苦しい行為。
ミストさんが言うには魔力を回復できたとしても身体や精神が保たないこともあるらしい。
どうしてそこまでするのか、それはやはりというかプリムラが関係していた。
「あいつは娘を失ってから『守人』の使命に躍起になるようになった」
十年前の魔物の氾濫。
それのすぐ後に帝国からの襲撃があったらしい。
ローゼさんはひとりでそれと戦っていた。
プリムラを父さんのところに預けて。
それで僕らは出会い、たくさん遊んだ。
ある日、僕らは夜の星が見たくてこっそりと出かけ、森の中に入った。
そして、この泉でこうやって同じ星空を眺めた。
そんな時、帝国の魔法使いに襲われたんだ。
帝国の魔法は呪いのようなもの。
プリムラは熱を出して倒れ、命の危険が迫っていた。
でも、父さんにもどうすることもできなかった。
ある日、僕らふたりが地下牢の中で倒れているのを父さんが見つけたらしい。
その時にはもう、プリムラは魂が抜けたように動かなくなっていた。
僕がそのことを憶えていないのは父さんが『狩人』の力で記憶を消したからだそうだ。
プリムラを失った悲しさと、その原因が僕にあった悔しさで、塞ぎ込んでいたから。
消した記憶は戻せないから、どうして地下牢にいたのかはわからない。
父さんはあそこの本棚にある魔法や魔術に関する本に助けを求めたんじゃないかと考えてるっぽいけど。
「ねぇ、プリムラ。僕はね、キミの身体はまだ無事なんじゃないかって思うんだ」
魔女も人間も変わらない。僕はそれを身をもって知っている。
なら、身体もなしに魂だけで生きているなんてことはありえない。
プリムラの身体はローゼさんが持って行ったそうだし、話を聞く限りじゃ、きっと大切に保管していると思う。
「だから、会いに行こう。キミの母さんに。そして、自分がまだ生きてるって伝えるんだ」
僕はプリムラに手を差し出す。
出会ったあの日は姿が見えなかったからできなかった。
でも、今は違う。
ちゃんと見えるし、触れられる。
それができるのは僕だけかもしれないけど、プリムラは確かにここにいるんだ。
だから、それをちゃんと伝えに行こう。
『……いいの?』
珍しくしおらしい。
と思ったけど、そうなるのもおかしくない状況なんだ。
でも。
「言ったでしょ。僕の身体はとっくにキミのものなんだ」
キミに言われれば僕はなんだってやる。なんだってできる。
そういう契約を結んだんだ。
あの夜に、この場所で。
『わかった』
プリムラは僕の手を取って、しっかりと目を合わせながら言う。
『命令よ。絶対に無事に帰ってきなさい』
「うん、わかった」
元からそのつもりだ。
でも、キミにそう言ってもらえただけで勇気が出る。
『って、どうしたのそのリボン。急に色気づいたの?』
「ああ、これは……」
プリムラが僕の髪についているリボンに気づいた。
別にオシャレのためとかじゃなくて、必要だからつけるようにしたものだ。
魔力が吸い続けられているこの状況、生活するだけでも倒れてしまうかもしれない。
これはそういう時に魔力を補給してくれる魔導具。
リーフィさんが持っていたものだから、日常的に身につけられるような見た目になっている。
ただ、魔法少女に変身しているとはいえ、あんまり似合わないと思うんだけど背に腹は代えられない。
そういうわけでつけていたんだ。
『なんて下手な付け方……』
「しょうがないでしょ。リボンなんて使ったことないんだから」
『貸して。私がやってあげる』
そう言ってプリムラは僕を泉の縁に座らせる。
僕にしか触れられないのにどうやってリボンをつけるのかと思ったら、魔法で蔓を伸ばしてやるみたいだ。
水面に映る変身した僕の姿。
その後ろに立つのは同じ見た目のプリムラ。
結局のところ、どうして僕らが同じ顔をしているのかはわかっていない。
ただ、僕の場合は緑の髪。プリムラのは薄紫。
魔法使いの場合、その魔力の特性が髪に出ることが多いそうだ。
だから『狩人』の僕や父さんは白い髪をしていて『守人』のプリムラやその母親のローゼさんは紫色の髪。
でも、変身した時のこの緑色はどこから出てきたのか。
それはまだ誰にもわからない。
この色のせいで父さんにリーフィさんと間違えられたし、僕にとって結構因縁があるものでもある。
『あなたに命令するのはこれで最後にするわ』
「えっ」
最後って、どういうこと?
プリムラの方へ振り向きたい。でもこうして髪を弄られていたら振り向けない。
しかたなく、そのまま話を聞くことになった。
『私はもうあなたなんかいらない。これからは好きにして』
命を助けてくれた対価に僕はこの身体を差し出した。
それが終わりということは、もうその対価を支払い終えたということ。
実際のところ、父さんは魔女狩りで命を奪おうとしていたわけじゃなかった。
だから僕はプリムラに助けられなくても無事だったはずだし、今までたくさん命令を聞いてきたからそれで十分見合うことになったのかもしれないけど。
まぁ、それを判断するのはプリムラだし、良いって言うのならそれでいいのかもしれない。
でも……今それを告げられて、なんだか寂しい気がしていた。
「じゃあさ、約束してもいいかな」
『約束?』
契約がなくなったら僕らはもう対等の関係だ。
プリムラから命令されるだけじゃない。僕から提案したっていいんだ。
「森を出て、一緒に旅をしようよ」
僕はまだ『狩人』の引き継ぎを正式に発表していない。
だから村のことは父さんに任せていられる。
今回のことが終わったら、その時間を利用して旅に出るんだ。
シグネさんに箒を借りたり、旅のイロハを教えてもらって。
リンネさんには観光案内とか頼むと延々語ってくれそう。
シアさんには騎士団の騎士様たちを紹介してもらいたいし。
カリンちゃんにはもっと幸せな世界を知ってもらいたい。
ミストさんには教えてもらいたいことがいっぱいあるし。
リーフィさんにはたくさん助けてもらったし、恩返しをしないといけない。
「それとね、キミが育った街にも行くんだ」
プリムラが育ったという街。
ここら辺の地図には載ってないぐらい遠い街だそうだけど、行ってみたい。
『壮大な計画ね。何年かかるのやら』
プリムラの言うとおり何年もかかると思う。
でも、きっと楽しい旅になると思うんだ。
だから、僕は旅をしたい。
「ねぇ、行こうよ」
『……わかった。まったく、あなたがこんなにしつこいなんて思わなかった』
「やった!」
これで決まりだ。じゃあ、なにがなんでも世界を救おう。
そうじゃないと、安心して旅なんてできないからね。
契約から始まった僕らの関係。
なんとなく、だけど。
それがなくなってしまうとプリムラはどこかに行ってしまうような気がしていた。
だから、こうやって新しく約束をとりつけた。
そうすれば、もっとキミが傍にいてくれるはずだから。
『はい、完成』
プリムラがそう言うと僕の周りでうねうねしていた蔓はなくなった。
リーフィさんからもらったリボンは後頭部できっちり僕の髪を結い上げている。
「これ……動きやすいかも」
左右に頭を振ってみる。
今までは長い髪が自由に垂れ下がっていて邪魔になることがあったけど、ひとつにまとめ上げられたことで視界が広くなった感じがする。
「ありがとう」
『別に。見てられなかっただけ』
正直ここまで綺麗にできるなんて思ってなかった。。
もしかしたら、僕が憶えていないだけで、昔こうしてやってもらったこともあったのかな。
いつか僕も思い出せたら、そういう話もしてみたい。
「さて。これからがんばらないと」
未来にやりたいことがいっぱいある。
果たさなければならない約束だってできた。
だから後は、それができるようがんばることだけ。
小さな泉で結んだ契約から始まった僕らの物語。
それがこんな大きなことに繋がるなんて思わなかった。
でも、それを後悔なんてしていない。
今はこうやってみんなと出会わせてくれたその運命に感謝してる。
そして、僕を成長させてくれたこの日々を、とても愛しく思う。
僕は絶対に、それを終わらせない。
レンと別れた後、私はひとりで魔女の庵に向かった。
そこにいる、ある人と話をするために。
まさか、レンがあんなことを言い出すなんて思ってなかった。
最初はあんなに魔女を嫌がっていたのに。
でも、そんな日々が来るのもきっと悪くない……そう思ってる自分がいる。
ただ、そうなるにはきっと、今のままじゃ足りない。
『絶対に無事に帰ってきなさい』
そんなこと、できるわけがない。
どんなに考えても、全員が幸せに終われるわけがない。
話していて思った。
私はレンと違う。
あそこまで楽観的ではいられない。
でも……せっかくできたレンの希望を、夢を叶えてあげたい。
『話したいことがあるの』
私は部屋の中にいる翡翠色の髪の女の子に話しかける。
レン以外で今の私と会話できる唯一の人。
最初に見たときから変だと思ってた。
何もかもを知りすぎている。そしてタイミングも偶然というには出来過ぎている。
まるで、最初からそうなることを知っていたかのように。
それは多くの人と会話して得た情報なのかもしれない。
でも、意図して集めなければここまでにはならない。
じゃあ、それはなんのため?
理由はわからない。
でも、確かなのは、この人は解決策を持っているということ。
それこそ、犠牲となるものが少ない方法も。
この人はそのためにこの森にやってきた。
そして、きっと私はそれを知るためにレンの前に現れた。
ニンフェア「そうだ。これ食べようよ」
プリムラ『なんなのそれ』
ニンフェア「神樹様の木の実。この間キミに当たってたし、そのままでも食べられるんじゃないかと思って」
プリムラ『なんで私にも触れられるの』
ニンフェア「さあ? 神樹様のものだからなのかな。もしも食べられなくても僕もの体に入ればいいだけだし」
プリムラ『それもそうね』