汚れのない無垢な心
夕暮れ時。
あまり広くはないこの街を見渡せる小高い丘の上。
木が作った自然の影、私は芝草の上で寝転がっていた。
空を見ていると綿毛が飛んでいる。
春。温かい風が花をくすぐるこの季節は、色々な植物が花を咲かせる。
そのうちの一部の花が、ああやって風にのって、世界中にその種を運んでいく。
きっと、私の知らないところまで飛んでいくのだろう。
ずっと、遠くまで、どこまでも。
「プリムラ~」
芝を踏む足音が近づいてきて、私の名前を呼ぶ。
私としてはもうちょっと寝ていたかったけど、呼ばれてしまったなら仕方が無い。
私は空に向けて手を伸ばして、その後にぱっと起き上がった。
「相変わらずお寝坊さんだね~。身体は全然色っぽくならないのに」
「なに? ひょっとしてケンカ売ってる?」
挑発してきたその人を私はにらみつける。
大丈夫。今日はたっぷり眠っていたから魔力に余裕はあるし、魔法はいくらでも使える。
この人をこの木に縛り付けて花のオブジェにするぐらい余裕。
「やめてよ、もうっ。冗談通じないなぁ」
冗談でも言っていいことと悪いことがあることを知らないの、この人は。
少なくとも人が気にしていることは言ったら悪いって誰かに教わらなかった?
私だって、成長は悪いとはいっても、少しずつ伸びてるんだから。
「帰ったらお菓子あげるから、ね?」
怒りにまかせてその無駄に成長している胸の部分を縛り付けてやろうかと思ったけどやめにした。
この人の店で居候になってしまっている手前、嫌われるようなことはできない。
別にお菓子につられたわけじゃない。
「ほら。行こう」
そう言って歩いて行くその人の後をつける。
私よりも頭ふたつ分は大きいその背丈。
それに大人っぽい雰囲気を感じる。
いつか、私もあんな風になってやるんだから。
そして、あの店の看板娘じゃなくて、看板お姉さんになる。
これは絶対の目標。
木漏れ日に当たりながら、長く続く並木道を歩いて行く。
舞うように降り注ぐ、サクラの花びら。
この季節、この道をゆっくり歩くのが好き。
『……けて』
何か聞こえた気がして足を止めた。
空耳? でも、それにしては何か。
『誰か、助けて!』
今度ははっきりと聞こえた声。
それが聞こえた瞬間、私の周りの景色は一変した。
高い樹木によって光を遮られた暗い森。
その一角がカンテラで照らされている。
そこにはふたりいて。
ひとりはお姫様のような格好をした女の子。
もうひとりは、その子に向かって銃を構えた、いかにも悪そうな大人。
『わかった。助けてあげる』
その日の出来事で私の日常は一変することになった。
レンと契約を結び、色々な魔女たちと出会った。
そして。
「なるほど~。それがふたりの出会いだったんだ」
私を見て話すことができる人とまた出会うことになった。
別に驚くことじゃない。
あの街にだって、ひとりはいたわけだし。
ただ、他にはいなかったし、こんなところでふたりもいるなんて思わなかったけど。
リーフィが言うには私を見るには特殊な才能のようなものがいるらしい。逆に言えばそれがなければ認識できない。
生まれつきそういう種族もいるらしいけど、リーフィの見立てでは私はそうじゃないっぽい。
ただ、そんな体質になった原因なんて言われても、気づいたときにはそうなっていたから答えられない。
そういうわけもあって、今まであったことで憶えていることをこうして話している。
レンもミストとかいう人のところで勉強してばっかりでヒマだし、ちょうどいい。
ちなみに、リーフィが私のことを認識していることはまだレンに話していない。
その方が面白そうだし。
「今のところ気になるところはそんなにないかな~」
「そう? 私はどうしてここに飛ばされたのか気になるけど」
「よくあることだと思うよ。私もあったもん」
いつの間にかこんな辺鄙な森の中にいて、女の子を助けて、そしたらその子は男の子が変身した姿で、しかもなぜか自分に瓜二つ。
私からしたら気になるところだらけだけど、これをよくあることで済ませられるって、相当なことだと思う。
はっきり言って、私はそうはなりたくない。
「ここでの生活は気に入ってるんでしょ?」
「別に」
ここに来たばかりの頃はすぐにでもあの街に戻ってやりたいと思っていた。
けど、戻る手段がないこと気づいてからは仕方なくここでの日常を謳歌していた。
レンをいじるといちいち反応が面白いし。
でも、別にそれはここがいいってわけじゃない。
私はもっと花がいっぱいある場所に住んでみたいし、もっと広い世界をまわりたい。
「そっか。それで、まぁそれはひとそれぞれだね」
私のこれまでを話す代わりとして、リーフィもまた昔のことを教えてきた。
森に住んでいて、今の私とレンのようなことをあのミストという人とやっていたらしい。
通りでレンと雰囲気が似ている気がすると思った。
頭が軽そうで変にお人好しっぽいところがそっくり。絶対損するタイプ。
「それでね、プリムラちゃんのために、こんなものを作ってきたんだ!」
そう前置きをしたリーフィはテーブルの上に薬瓶を置く。
中の液体はサクラのようなピンク色をしていた。
「なにこれ」
私はそれをつついてみる。
もちろん指は透けてつかめない。
「記憶を戻す薬。たぶん、ニンフェアちゃんの身体に入った状態で飲めば効くはずだから」
たぶんとか、はずとか怪しい言葉が並んでいるんだけど、大丈夫なの?
それに作ったって……そういえば錬金術師とか話してたっけ。
前の街で噂には聞いたことがあった、魔術で薬や魔導具を作る職業。
通常の調薬と比べて品質が良くできて、かつ手間がかかりにくいらしい。
そして学ぶための初期投資が大きいけど、一度なってしまえば安定して生活できるというエリート職。
すごく才能も努力もいるって聞いていたけど……この子が、ね。
それに、よくこんなピンポイントな薬を。
そんなに私の記憶が知りたいのか、それとも言葉通り本当に私の力になりたいのか。
「あとでこっそりニンフェアちゃんの鞄に入れておくね」
やっぱりお人好しだと思う。
だって、人に何かをした時に、こんなに笑ってる人なんてそうそういない。
普通はもっと損をしたって顔になってもおかしくない。
「薬は苦手なんだけど」
レンが持ってる疲労回復の薬を試しに飲んだことがある。
すっごく苦かったけど、あれは錠剤だからまだマシな部類で、粉だったり、薬草をそのまま飲んだりするともっとひどいらしい。
それ以来、私はもう二度と飲まないと決めた。
「大丈夫。おいしくて何度も飲みたくなる味にしてるから」
それはありがたいんだけど、記憶を戻すなんていう効能、そう何度も飲みたがる?
仮にやみつきになるような味だとしたらかなり危ない気がするけど。
「わかった。そんなに言うなら飲むから」
「やったー!」
この人……私で人体実験しようとしてるんじゃないかと思いそうになる。
違うと信じたい。
それで、その日の夜。
レンが寝静まったのを確認して、私はその身体を操る。
意識がない状態の方が抵抗されないから動かしやすい。
こうやって身体を操ってればお菓子とかも楽しめるから、私はちょくちょくやっていた。
レンは朝起きた時にちょっと違和感を感じている時があるけど、それが私のせいだとは気づいていない。
で、件の薬を取り出して見る。
おいしいって言っていたけど、本当でしょうね。
まぁ、飲むしかないのはわかってる。私だって、自分のことを知りたい。
「もうひと思いに」
私はそれを一気に飲み干す。
口の中に甘い果物のような味が広がる。ああ、これ薬じゃなくてジュースだと思った。
でも急に眠気が襲ってきて、起きたばかりのベッドに倒れ込む。
やっぱり薬だったっぽい。
瞼が重くなって意識していないのに自然に目をつむる。
でも、すぐにそれは無くなって、私は目を開いた。
明るい。昼の森に私は立っていた。
今よりも視点が低いし、ずっと子供の頃の記憶なんだろう。
記憶だからか身体は私の言うことを聞かず、勝手に動く。
あちこち歩いてきょろきょろと見回しているっていうことは誰かを探している?
そうして視界に入ってきたのは同じぐらいの背丈の男の子。
白い髪が特徴的で、男の子だっていうのにかわいらしく笑う。
その子のことを呼ぶために私の唇は動いた。
「レン!」
レイル「レン。昨日の夜、地震でもあったか?」
レン「どうしたの、父さん。そんなのなかったような気がするけど」
レイル「食器がいくつか割れててな。それに棚のものも外に出ている」
レン『キミは何か知らない?』
プリムラ『知らない。寝ぼけて割ったんじゃないの』