優しい思い出
「お前は『狩人』の息子と番になるんだ」
父からそのことを告げられたのは、私が十歳の時だった。
村を護ってくれる存在である『狩人』と番になる……つまりはお嫁さんになること。それはこの村に生まれた者としては名誉なことだった。
何も知らない私は喜んだ。
レンくんのことは小さい頃からよく知ってる。
その頃の私は、結婚について一緒に暮らすということぐらいしかわからなかったから、いつでもレンくんと遊べることが嬉しかったんだと思う。
でも、それで喜んでいる私をよそに、父も母も悲しい顔をしていた。
どうしてかを聞いてみると「すまない」と前置きして父は語った。
「お前は長く生きられないだろう」
『狩人』と結ばれた人は、子供が産まれたあたりで亡くなっている。
レンくんの母親もそう。誰ひとり、例外なんてない。
だから、きっと私もそうなるだろうと、私の両親は泣いていた。
それでも私は、その状況を嘆いたりしなかった。
だって、私に役割を与えてくれたから。
明日はレンくんの十五歳の誕生日。
今頃村では成人の儀で盛り上がってるころだと思う。
朝から村を出たというのにもうすっかり日は落ちていて、暗い森の中は何か出てくるんじゃないかと不安になる。
でも、この日のためにサイが用意してくれた獣避けの薬があるおかげで、熊に襲われることはなかった。
彼は事情を知っていることもあって、張り切って作ってたからまた隈ができてたっけ。
彼自身は全く頼りにならないけど、彼が作る薬は信頼している。
まっすぐ歩いて、半日。
それだけ遠い場所に、私が目指すべき場所はあった。
円形状に広がる森の奥深く。森の中心地点にほど近いそこには大きな泉がある。
昼間にはどこまでも透き通った水なだけで一見、何の変哲もない。
でもここの景色は、夜になると一変する。
泉の水自体が青白く光り出し、周囲の地面から青い光がぽつぽつと沸いて出ては星空へと昇っていく。
ここは森の聖域と呼ばれる場所。
村人でも許可がないと近づいちゃいけない特別な場所。
そんな場所に私はこれから毎月通うことになる。
この聖域の泉で身体を清めること。
それが『狩人』の嫁になる私がするべき儀式。
濡れると帰り道が大変だから服を脱ぐ。
そして、泉にあと一歩というところまで近づく。
正直、この水の中に入るのは怖い。勇気がいることだと思う。
でも、これが私の役割だからと気を奮い立てる。
私は、ゆっくりと足を泉の中に入れようとした。
「そこは危ないよ、お姉さん」
背中から声がかかって、動きを止めた。
足を戻して、後ろにいるその声がした方を見つめる。
星と泉の光によって照らされたその人は、女の子だった。
緑の髪の女の子。
最近村に現れる魔法少女だと思ったけど、なんというか雰囲気が違う。
あの子はかわいらしかったけど、この子は……不思議。つかみ所がない印象を受ける。
服も地味というか普通だし、ただの魔女と呼ぶ方がいい気がする。
「あなたは魔女……でいいのかな?」
こんなところに普通の人がやってくるわけがない。
少なくとも村の人はやってこない。
だからこの子も魔女で間違いないはず。
「そうだね。あっ、水浴びしたいなら別の泉を選んだ方がいいよ」
この子は私が服を脱いでいたのを見て水浴びをしに来たと勘違いしたのかな。
別の泉だと意味はないのに。
「私はここで身体を清めないといけないの」
「清めるって……こんなところに入ったら死んじゃうよ。この水は普通の人にとって毒みたいなものなんだから」
魔女は私と泉の間に割って入って両手を広げる。
どうしても泉に入らせたくないみたいだ。
でも、この泉を毒だと言うなんて。
神樹様の神聖な泉なのに。
「それが私の役割なの」
そうすることで早く死んでしまうことは知っている。
だからその決心もずっと前からしてある。
あとはこの泉に飛び込むだけ。
なのに、この小さな魔女はそれを邪魔してくる。
「お願い。その前に事情を話してくれないかな」
魔女は私の顔をのぞき込んでくる。
かわいい……って、ダメ。
私はやらなくちゃいけないんだから。
でも……。
「じゃあ、少しだけ」
魔女が……魔女がかわいすぎるのが悪い。
レンくんもそうだけど、どうして小さい子はこんなにかわいいんだろう。
まぁ、でも。
話し終わってから泉に入ることもできる。
どっちにしても帰れるのは明日になっちゃうし、ちょっとぐらい遅れても構わないはずだから。
私の家は商人だ。村で加工している木を近くの街へ運んで売り、それで得たお金で森で手に入らないものを持ち帰る。
村にとってとても大事な仕事だ。
私には兄がいて、商売に関してはその兄が学んでいる。
でも、跡取りはひとりで十分。私には兄のような家を継ぐという役割がなくて、それが不安だった。
レンくんと遊んでいたのはそのせいもあると思う。
親がいない彼と、歳が近い私やサイが遊ぶことで私も役に立っているという気にさせてくれていた。
もちろん、私も楽しんでいなかったわけじゃない。
でもやっぱり、心のどこかでそう思っていたのは否定することができない。
そんな私が村から役割を与えてもらえた。これほど嬉しいことはない。。
たとえそれで、早死にすることになっても、これは正しいことなんだ。
「なるほどね……」
私がかいつまんで事情を話すと魔女はうんうん頷いていた。
話……ちゃんと理解できたのかな。魔女は長生きで見た目よりも歳とってるって聞いたことがあるけど、やっぱりこの子は子供にしか見えない。
「やっぱり止めた方がいいと思うよ」
魔女は再度私に忠告した。
でも、私がちゃんと話したからか通せんぼはしていない。
今なら泉に入ることができる。
「お姉さんはその子のことが好きなの?」
私が結ばれる相手であるレンくん。
あの子のことはずっと昔から知っている。
私をメグ姉と呼び慕ってくれていて、弟みたいなものだ。
私が彼と結ばれることを受け入れた後、両親は私のわがままを聞いてくれるようになった。
たぶん、長く生きられない私に向けた、優しさだったんだと思う。
私は村の外に出ることにした。
森の外の、もっと広い世界。それは本の中に書かれているものではあるけど、想像じゃなく、自分で見て回ってみたかった。
そこで見つけた物を、お土産としてレンくんにあげた。
いつか、私はこの子と結ばれる。そして、いなくなる。
その時に並んでいるお土産を見て、少しでも寂しさが紛れることを祈って。
「わからない」
あの子は一生懸命だ。
身体が小さくて才能もないって言われているのに、頑張っている。
そんな姿を見ているからか、支えてあげたいと思うようになった。
それが好きと呼ばれる気持ちなのなら、そうなんだと思う。
でも、それが正解かどうかはわからない。
今日のために村に戻ってきてから時間はあったはずなのに、この胸の内を伝えることはできなかった。
魔女は「そっか」と言うと、光る泉の上に踏み出す。
私は「危ない」って声をかける。
でも、水しぶきがあがることはなくて、魔女は水面に両足で立って、そこでくるっと回ってみせた。
「大丈夫だよ。私は魔女だもん」
ニコリと笑う魔女を見て、やっぱり私たちと違うんだということを再認識させられる。
でも、好きという気持ちを聞いてきたってことは、この子もそういうことに興味を持つ普通の子なんじゃないかと思ってしまう。
「ね、お姉さん。役割だから犠牲になるなんて、やっぱり悲しいよ。その子も、きっとそう思うんじゃないかな」
「あの子が悲しむ……」
私が嫁に選ばれたことをレンくんに話さなかった。
それは、魔女の言った通り、彼の悲しむ顔を見たくなかったから。
できれば、ずっと笑っていて欲しい。
でも、私は早く逝ってしまう。それはわかってる。
わかってるの。そんなことは、ずっと前から。
でも、だって、そうでもしないと私は、彼の傍にはいられない。
あの子は『狩人』の息子だから、なんの役割もない私じゃ釣り合わない。
「きっと別の方法があるはずだよ。例えば……」
「メグ姉っ!」
魔女の言葉を遮るように声が聞こえた。
それは私を呼ぶ声。私のことをそう呼ぶのはたったひとりだけ。
でも、なぜだろう。
その声色を私は知らなかった。
もっと正確に言うなら、その声を聞いたことはあって、でも名前を呼ばれたのは初めてだった。
知らない声。
知っている呼び声。
ちぐはぐなことで混乱する私の思考に割って入るように響く銃弾の音。
そんな私の目の前に現れたのは、よく見知った猟銃を構えた魔法少女だった。
リンネ「あ~あ。センパイ今日は来ないんだ~。つまんないな~」
カリン「お姉さまはきっとあなたの世話に疲れてしまったんですよ」
リンネ「なにをぅ! あれぐらい普通のスキンシップなの。スキンシップ!」
シグネ「今日も平常運転のようね。何か面白い話題がないかしら」
シア「そこで熊を見つけたから狩ってきたが。食べるか?」
シグネ「あら。それはよさそうね。夕食にしましょう」