明日に期待して
魔物と呼ばれる凶暴な生き物がいて、それがたくさんいるダンジョンという場所が世界各地にある。
ダンジョンでは周期的に魔物の数が大幅に増えることがあり、パンク状態になったダンジョンから魔物が溢れ、周囲の村や街を襲う。
これが魔物の氾濫と呼ばれる現象である、と父さん書斎にある本からわかった。
魔女と間違われて拘束された騎士様……シアさんが言うにはこの森の近くにそんなダンジョンがふたつあるらしい。
そのうちのひとつ……騎士様のいる王国のダンジョンの魔物が増殖しているそうだ。
そして、最寄りの村であるここを襲う可能性が高いため、騎士団が派遣されてきた、ということだ。
村の人に聞いた話では、十年ほど前にもうひとつのダンジョンで魔物の氾濫が起きていたらしいけど、僕はそのころのことをよく憶えていない。
けど、父さんも村の人たちもすぐに行動に移ったし、みんな慣れているんだろう。
『雰囲気が変わったようね』
プリムラのつぶやきに僕は無言で頷いた。
村の雰囲気が大きく変わっている。いつもののどかな雰囲気はどこかに消えて、みんな緊張感を出している。
村の人たちは近くの街まで避難することになった。
そのための馬車はメグ姉の家が手配してくれていて、その間の住まいもすでに準備されているそうだ。
父さんはというと騎士団の方々と会議をしたり、森の外周に柵などを建てて防衛線を築いている。
魔女が来た時よりもピリピリしているし、今回のことはそれだけ大事なんだろう。
「レンくん、こっちはもういいよ」
村の人たちの荷物を受け取って馬車の荷台に載せていると、メグ姉が「すこし休んだら」と言ってくる。
メグ姉の提案はありがたいんだけど、僕は首を振った。
「ごめん。何かしてないと落ち着かなくて」
切羽詰まっているという雰囲気のせいで休んでいようという気持ちになれない。
誰かに言われたわけでもないのに、みんなが必死なんだから僕もがんばらなきゃいけないという使命感があるんだ。
「でも休まなきゃダメだよ」
「それはそうなんだけどね」
避難の準備が始まってもう三日目。二日かけて馬車がやってきて、同じ時間をかけて避難先の街へと向かう。
魔物の氾濫が起こるのはあと三日と予想されている。
ただ、多少は前後するかもしれないし、急いだ方が良いのは確かだ。
幸いにも馬車がやってくるまでの間にみんな荷物をまとめられていたから、荷物を載せて人も乗ればそれだけで村から出発できる。
急いで手伝えばそれだけ早く出られる。休んでなんかいられない。
「んー、あっ、じゃあサイの様子見てもらってきていいかな」
「サイ兄の?」
「彼、出不精でしょ? どうせ準備も時間かかると思って」
「あー、うん。そうだね、わかったよ」
休む、とは違うけれど重労働ではない仕事をメグ姉に頼まれて、僕は移動を始める。
実際メグ姉が言っていたことは本当で、身体のあちこちが疲労を訴えている。
足を動かしながら肩を回して筋肉をほぐす。
コリコリと、音がした。
「サイ兄、大丈夫?」
サイ兄はメグ姉と同い年で、僕と一番歳の近い同性だ。
昔はよくメグ姉とあわせて三人で遊んでいて、あのツリーハウスを作る時も一緒だった。
んー。やっぱり声をかけても反応してくれないか。
扉を開けて、勝手に入り込む。
カーテンがしまっていて中は薄暗く、おまけに変な臭いが充満している。
けど、そんなのお構いなしに僕は奥へと進んでいく。
『なんなの、ここ。人が住む場所じゃないでしょ』
『あはは……』
サイ兄は薬師として働いていて、日々農作業や木々の伐採で傷ができやすい村人たちに薬をあげている青年……といえば聞こえはいい。
実際は薬の研究ばっかりやっていて、ほとんど家と薬草園で過ごしている。
カーテンがしまっているのは光に弱い薬草があるからだそうだ。
おかげで村の子供からは気味悪がられて、極力怪我をしないようにしていたり、怪我をしても薬をもらいにいかなかったりされている。
傷薬の出来はいいんだけどね……。
「サイ兄? サイ兄?」
呼びながら部屋の中を進む。薄暗くても整頓はしてあるし、暗い森の中と比べればずっと歩きやすい。
なんだか僕の背中に隠れたプリムラが震えているように見えるけど、気のせいかな。
「ん。誰かと思えばレンじゃないか。どうしたんだ」
『きゃぁ』
後ろからよく知る声と共に小さな悲鳴が聞こえた。
なんか床で縮こまっている子はあんまり触れない方がいい気がして、僕は目的だったサイ兄と話す。
そう、僕は何も見ていないし、聞いていない。
「メグ姉が心配してたけど、準備はできたの?」
「準備?……ああ、避難のか。はは……」
「忘れてたんだね」
「まぁ、そうなるな」
サイ兄は快活に笑う。部屋の中が常に暗いせいか昼夜がわかっていないこともあるし、食事も気が向いたときしか食べないし、たぶん今回も報せが来てからもう三日目だということに気づいていない。
昔からマイペースなんだよね、この人。
「手伝うよ」
「ああ、助かる」
適当な鞄を取り出して、サイ兄の指示する薬を詰めていく。
もしも避難の間で何かあったときの傷薬や解熱剤、不安で眠れない人用の睡眠薬と、他にも栄養剤やら色々と。
村唯一の薬師としてしっかりと責任感はあるらしい。
ただ、備えが多すぎて、服とかと比べて薬の方が大半を占めてしまっているのはさすがサイ兄としか言いようがないけど。
「ねぇ、サイ兄は魔物ってどんなのか知ってる?」
僕は整理整頓してきっちりと鞄につめながら、サイ兄に聞く。
魔物というものを僕は見たことがない。森の中には出てこないからだ。
「ん-。オレもそこまでじゃないが」
そう前置きしてサイ兄は話し始める。
これでも難しい本を読んで薬を研究しているだけのことはあって、村一番の物知りでもあるんだ。
「普通の動物と比べて圧倒的に強い存在、と言うのが正しいだろうな。一般人じゃ、まず相手にならない、そういう災害的なものだ」
サイ兄もどうやら魔物と遭ったことはないらしい。メグ姉は交易で街と街の間を行き来するけど、わざわざ傭兵を雇って防衛するとか。
そうでもしないと万が一遭遇したときに命がない。
ひと目見て危険だとわかるような生き物らしい。
「ただ、今回は騎士団がいる。避難もするから家が倒されるぐらいだろう」
魔物は人を襲う習性があるそうだ。ただ、避難をしているから襲う相手もいない。ただ家は破壊されることがあるらしい。
住んでる家が壊されるのは悲しいけど、村に残って命を張ってまで守るべきものでもない。
家はまた建てればいいんだ。そのために必要な木はこの森にはいくらでもある。
「薬草園が壊されるのは嫌だな」
サイ兄にとっては家よりも薬草園の方が大事らしい。
「そうだ。レイルさんからこれを渡すよう頼まれてたんだった」
そう言ってサイ兄は僕に錠剤が入った小瓶を投げてくる。
「なにこれ」
「オレが二日かけて作った薬。お前、村に残るんだろ。疲れたら飲めよ」
サイ兄は薬の効果は言わずに、荷物を持った。
「お前はオレとメグの弟みたいなもんなんだ。ちゃんと無事でいてくれ」
そう言い残してサイ兄は出て行った。
もしかして、時間が迫っていることはわかっていたのかもしれない。
それでも父さんに頼まれて、ぎりぎりまで僕のために薬を作ってくれた。
『アレは? どっか行った?』
「うん。もう行ったよ」
復帰したプリムラがアレと呼んでいるけど、そのことについてはそこまで気にしなくていいだろう。
『そういえば、あなた、なんで知り合いを姉や兄と呼んでるの?』
ああ、そういえば言ってなかったっけ。
血は繋がってないけど、兄弟みたいに育ったからというのももちろんあるけど。
「家族みたいなものだからだよ」
心配してくれたり、手伝ってくれたり……そういうの以外にも相談することもある。
年上だからというだけでなく、母さんを憶えていない僕に対して真摯に向き合ってくれたふたりだからだ。
『家族……ね』
「そういえばプリムラの家族は?」
今は僕にしか姿が見えない彼女も、きっと家族がいたはずだ。
まだ見たことはないけど、どこかに住んでいるのかな。
『さぁね。憶えてない』
そう吐き捨てたプリムラはひどく寂しそうに見えた。
レン「騎士団ってどんなことをするんですか」
シア「王国騎士団でも田舎のものだからな。普段は訓練か警備、自警団との連携だな。今回のは特例だ」
レン「それでも副団長ってことは強いんですよね」
シア「ああ。団長になるという話も出たことがある」
レン「えっ、それってすごいことじゃないですか」
シア「だが、見た目が様にならないからと却下された」
レン「あぁ……」