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ACT.0 地上の遭難者

 

 目標となるものが近づくほどヒカルの表情は絶望に塗り替えられていった。

 丘の上から見えた灰色の群像は、巨大な朽ちたビル群だった。距離はそう離れておらず、1時間程度早足で歩いた今、その死んだ街の入口にヒカルは茫然と立っている。

 街が捨てれたのはおそらく50年前の人類移住計画の初めの頃だろう。当然ヒカルはその当時に生まれているはずもなく、この街でまだ人が生活を営んでいた風景を見たことはない。

 それでも今見る風景の隅々に人が息づいていた残り香が、人が関与することのできない環境によって浸食されて消えつつあることをまざまざと見せつけられ、一種の放心状態になってしまったのだ。

「アンナ?」

 ぴくりと肩の向こうから垂れる腕が動いて、ヒカルは我を取り戻す。名前を呼んでも反応はないが、苦しそうな息がかすかに首に触れている。

 慌ててヒカルは周りを見渡す。

 どこか高いところ。それも適度な広さがあるところを探し、すぐに見つけた。

 この街のランドマークだったのだろうか、周りのビル群よりも頭ひとつ抜けている巨大なビルを見てヒカルは静かに歯を食いしばった。


 ビルの中は外装と同じように朽ち果て風化と植物の浸食に蝕まれている。

 エントランスは広くさぞかし多くの人が行き来していたであろうが、今は面影はほとんど見受けられえず窓ガラスはすべて破け、上階から床が落ち薄暗い屋内にスポットライトのように所々陽だまりがぽっかり浮かんでいた。

 なるべく暗く陽のあたらない場所を選んで、アンナをそっと横にする。

 相変わらず意識もなく、顔も青白いが額にはうっすらと汗が浮かんでいる。それが今ヒカルのものと同じかどうかは察しがつかないが、少なくとも彼女が生きているという証しにはなるだろう。

 アンナの汗を拭ってやり、心配そうに彼女の顔を見つめた後ヒカルは立ち上がって周りを見渡す。

「何か燃える物を探さないと」

 呟いてヒカルは立ち上がる。タイムリミットはあと1時間45分。その間に少しでも生き残る確率を上げなければならない。

 ヒカルは固く握りしめられた手のひらの中には、緑色のライターが鈍く光を反射していた。


 ライターを使う機会は幸いにもすぐに訪れた。

 崩れていない階段を見つけ出しなるべく高い階まで行ったあとそのフロアを探索していると丁度外に突き出しているテラスを見つけたのだ。

 ガラスは粉々に砕けていて、無数の破片が外側に転がっている。長年風雨にさらされたせいなのか太陽の光は反射せずヒカルにとっては外に出るための軽い障害でしかない。

 大きな破片を踏まないよう気をつけながら、ヒカルはテラスに出た。そこから見える景色に思わずヒカルは息を飲み込む。

 地上からは見えなかったこの街の全景が、テラスからは眺めることができた。

 緑にのみ込まれつつある錆びた街と、向こうに広がる背の高い草が広がる草原。草をかき分けて進む鹿の群れも見える。また彼らの頭上には青く広がる空もある。人が生きることを止めた大地はたった50年余りでかつて人が生きていた痕跡をかき消そうとしているかの様に、数多くの生物が生命を謳歌しようとしている。

 ぼんやりと街を見つめていたヒカルだが我に返り、パンッと頬を軽くたたいて気合を入れすぐさま両手に抱えた植物の枝などをテラスの真ん中に置いてライターで火を付けた。

 青い空に立ち上る黒い煙を眺め、ヒカルは踵を返し崩れたビル内に戻って行った。かなりの火の勢いになり、想定通りになればおそらくテラス内にある燃えるものをすべて燃やしつくすだろう。

 あとはあの煙を誰かが見つけてくれればいいだけ。

 我ながら希望がないな。とヒカルは小さく自嘲した。



 エントランスに戻りアンナのいる影の一番濃いところに戻る。

「アンナ」

 隣の床に座りながら遠慮がちに声をかけるが、反応する気配はない。息は少し荒くなっていて額にはじんわりと汗がにじんでいる。

 アンナの腕に巻かれた時計を見ると、もう5時になろうとしていた。なんだかんだでもう1時間もこの世にいることはできない。そう考えるだけでヒカルは自分の首を掻きむしりたくなるような衝動に駆られた。

 救難信号を出そうにも船は大破し、もし装置が生きていたとしても時すでに遅し。押すのが早いかパルスに晒されて全身が壊死するのが早いかの無意味な競争になるだろう。頼れるのは自分が上げた細い黒煙のみ。


 10分。15分。20分が経ったとき、膝を抱えたままヒカルはポツリと呟いた。

「なあアンナ。僕たちはあそこに残っていた方がよかったのかな」

 返事がないと知りながらもヒカルは隣に横たわる少女に声をかける。

「いつもこうだ。自分の選んだ選択肢に自信が持てない。正しかったのか、間違っていたのかわからない。このビルの中なら事故現場にいるより多少は影があるから長く生きられる。でももし船に救難信号を発信する装置が生きてたら? ポリスから救助隊が来ていたらどうする? 僕は明らかに間違った選択をしたことになる」

 ヒカルの口調は次第に激しくなる。

「でもどうすればいいんだ。僕はまだ16歳だ、16で地上に放り出されたらきっと誰だってこうなるに決まってるだろ。穢れて人が住めなくなってここじゃ、清掃者みたいなみんなから蔑まれる奴らしかここじゃ生きていけないんだ! 僕が何をした! 何の罪を犯したって言うんだ」

 頭を抱えてヒカルは叫ぶ。一人の小さな人間の行き場のない感情は、がらんとしたエントランスの壁をふわふわと漂い、やがて消える。

 虚ろな目をアンナに向け、ヒカルは感情を含まないひどく無機質な言葉を吐き捨てた。

「だからアンナ。僕を恨まないでくれよ」

 そう言ってヒカルは歪んだ笑みを浮かべ、そのまま目を閉じた。


 希望の音が聞こえたのは残り20分程度の時間になった時だった。外にけたたましい爆音が聞こえてきたのだ。

 ヒカルは飛び起きて、ビルの中から飛び出した。外には染色していない部品の色がむき出しの小型の船が、地面から十センチほど浮いたところで停車している。

 ヒカルの顔は目の前の希望にパッと輝いて、我を忘れて大きく手を振った。

「おおい! 助けてくれ!」

 側面についたハッチが開き、二人の地上用の全身を覆う白いスーツを装備した人間が出てきた。

「情報通りだ。ただ彼女の姿が見えない、いるのは男一人だけだ」

「君、同行者はいないかい?」

「調子が悪くていま中で横になっています」

 隣で無線をする男の声が気になりながらも、ヒカルはビルの中を指さす。すると男達はヘルメット越しにアイコンタクトを取ると、さっきまで無線をしていた男がビル内に入っていく。

 助かった。と膝が崩れ落ちそうになるのをこらえながら、ヒカルはかろうじて立ったまま男に尋ねた。

「どうしてここがわかったんですか? 煙、見えたんですか」

「煙? さてね。ところで君の名前を聞いてもいいかい」

「藤堂ヒカルです」

 ありがとう。と男が言うと同時にビルの中からアンナを背負ってもう一人の男が現れる。アンナはまだ大丈夫そうだ。横切って船の中に入っていく背中を見ながら、ヒカルはほっと息を吐く。

「よし目標は回収した。これから帰還します」

 そう連絡を入れて踵を返す男の姿を見て、ヒカルは再び全身の力が抜ける。安堵した先ほどとは違う、とてつもなく嫌な予感からくるそれはヒカルをパニックに陥れるには十分すぎるものだった。


「ま、待って下さい。僕は、もちろん救助してもらえますよね」

「……我々の任務はアンナ・ファリスの身柄を確保するだけでね。キミを救助するように言われてないんだ。だからまあ連れていけん」

 無情にもそう言って歩を進めていく男の背中を見ながら、ヒカルは絶望のあまり地面に膝をつき、目を大きく見開いた。

「ありえないだろ、あんたら僕らを救助しにきたんじゃないのかよ!」

「我々が救助するのはあの女性だけだ」

「……なんで僕ばかりがこんなめに。僕が何をした、何を、ナニを、なにを」」

 壊れた機械のように同じ言葉を繰り返し吐き出し続けるヒカルを男が一瞥し、船に乗り込もうとしたときヒカルの絶望は凶悪な怒りへと変貌し、手短にあったブロック塀の一片を握りしめ男へと襲いかかった。

「な、なにをする! 離せ」

「ふざけるな。僕は生きるぞ、こんな穢れたとこで死んでたまるか! 僕だけが死んでたまるかよ!」

 男にのしかかって幾度も幾度もヘルメットにブロック塀を打ちつける。

「お前が死ね。僕を見捨てるなら、お前が死んでしまえ!」

 すべての力を込め頭全体を覆うヘルメットをついに砕いたその時、耳をつんざく強烈な音と服が焦げる音がして、ヒカルの体はうつ伏せに地面に倒れ込んだ。

 

 ヒカルの後ろにはケイトを運びこんだ男が立っていて、殴りかかられた方の男に手を差し伸べる。彼の手にはスタンガンのようなものが火花を散らして待機している。

「立てるか?」

「すまない。顔を見られたかもしれん」

「構わんさ。どうせあと10分程度でこいつは死ぬさ」

 そうか。僕は死ぬのか。

 ヒカルは薄れゆく意識の中で自分の悪あがきの残痕を思い出し、自嘲する。

 これだけ足掻いて結局死ぬのか。あんなに嫌悪して蔑んでいたこの地で、やってきて数時間しかないこの地で自分は死ぬのか。

――ああこれが現実、なんて悪い冗談だ。

 船が去っていく姿を薄目で確認したのち、ヒカルは力尽きて意識を手放す。

 あたりは次第に、明るく白い光に包まれていった。







 


 


 

 

 

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