第1章「覚醒」-----2
「監視者」
青年は短く、単語だけを答えた。続けて多少の説明を加えることにする。
「夢の世界へのあらゆる干渉を許可され、最終的な判断を下す権限を持った人間を我々は解析者と呼びます。それに対して、解析者ではないが、解析者を目指す者の中でこの世界への出入りを許可された者のことをまとめて監視者と呼ぶ。訓練の一部として登用された制度です」
「そう」
少女は立ち上がり、音もなく壁際まで歩み寄った。左隣に立ち止まった小柄な少女を青年は横目で見下ろし、彼女の長い睫毛の色が髪より少しだけ濃いことを発見する。
「それでは、以前あなたが教えてくれた人──名前はなんて言ったかしら。彼女はなんて呼ばれているの、監視者、それとも解析者」
青年は身じろぎ、視線を落とすと、薄く笑った。腰まで届く長い白髪と赤い瞳の少女の姿を脳裏に浮かべる。
「ユウリは解析者です。フルネームはユウリ・B・フォルズ、十七歳」
少女は薄青の瞳でじっと青年を見つめていた。視界に収めて確認せずとも、頬のあたりに視線がちくちくと突き刺さるようだ。
「それから、念のために忠告しておきますよ……」
青年は何を見るともなく高い天井を見上げ、瞼を伏せた。今日の天気は快晴、明日の天気も快晴。都市セトアの夢はドーム型の都市を形作っていて、川辺館をとり巻く気候のすべては、現実世界の小都市ハバロフと同じく人の意思によって調整されている。
「あなたは外の世界についてあまり多くを知らない方がいい。この世界で隠しごとをするのはひどく難しい」
「彼女の《B》は何?」
青年の話を聞いているのかいないのか。少女はこともなげに尋ね、ひらりと身をひるがえして扉に向かった。少女に一瞬遅れて、青年は扉の外に人の気配があることを察する。
「──ブランカ。白」
青年が答えるのと同時に、二回のノックが部屋の空気を振動させた。さらにしばらくの間を置いてもう二回、来訪者の拳が扉を叩く。
「僕はそろそろ戻らなくてはなりません。特別な理由もなく期限を超過すればペナルティを課されるしがない監視者の身ですしね」
壁にもたれたまま肩をすくめた青年をちらりと見やっただけで返事はせず、少女は扉を内側に引いた。誰何の声は上げない。青年は扉に目を向けはしなかったが、扉を叩いた相手が誰であるかは、その特徴的なノックの方法から判断することができた。
片足を引き、体の前に手を持ってきて、青年はおどけた挨拶を少女に送る。青年が頭を下げたちょうどその時、少女はちらりと青年を振り返ったが、挨拶を返そうとはしなかった。それどころか、青年の存在そのものを無視するように表情を消し、完全には開ききらない扉の隙間からするりと部屋を抜け出してしまう。
ぱたん、と小さな音を立てて扉が閉じた。
瞼を伏せ、青年は体の力を抜く。今の音が、この美しい夢の世界で聞く最後の音か。透明な壁にもたれかかって、青年は胸の内側につぶやいた。無意識のうちに頬に笑みが乗る。
青年は瞼を伏せ、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。五感を放置し、自律神経の働きさえ止めてしまった自身の肢体を想像する。水の中をたゆたうように──その水中は人の生命活動に不都合をもたらす場所ではない──例えるならば、そう、眠りに入る時のように意識のすべてを手放してしまう。それでいい。青年のすべてはカプセル式の狭いベッドの中にある。
しばらくして意識の中に瞼を開くと、そこにはただ闇が広がっていた。美しい少女と声を交わした広い部屋、背後にあった冷たい透明な壁、緑の生い茂る庭と公園、そのすべてが消失している。瞬きをしたところでなんの変化もない闇色のその空間に、青年はあっさりと別れを告げることにした。再び瞼を伏せる。瞼筋がわずかに動いたこと、意識がここではない闇へと沈んでいくことを、自覚できたような気がした。