第1章「覚醒」-----5
「セトア、か。あそこはまだ若い都市だから──世界でもまれだよ。大抵の都市は睡眠から五年は放っておかれる」
「実際のところ、意識の上に都市が形成されてしまうまでに数週間から数ヶ月、解析が必要となるのは数年後……でしたっけ?」
「一概には言えないけどね。セトアの場合は──ダグラスが何か言ってたっけなぁ。セトアは大事な街だとかなんとか。そう言えば、死亡率が平均より少し高いって話があったんじゃなかったかな。まあ、数字に敏感になり過ぎてる気もするけどね」
コーヒーの効果があったのだろうか。ハロルドが部屋に入ったばかりの頃と比べて、リイはずいぶん饒舌になっていた。
「中間報告は──これかな? 十二月二十八日、ウォルター・カッツ」
机上に置いた印刷ずみの一覧の上を指でたどり、リイはある一点で指を止める。その指の動きを追うようにして、ハロルドはぱちぱちと瞬いた。
「えーと……ああ、そうですね。あの頃はセンター全体が騒がしくて、僕、しばらく後になってから読んだんですよ、その報告」
言い訳半分、照れ隠し半分といった表情でハロルドはぼそぼそと言い、喉の奥で咳払いをして表情を改める。
「もともと、セトアは政府の下にあった都市ではありませんでしたからね。市長が亡くなった時には大騒ぎになったと聞きましたが」
「市長じゃないよ、セトアの元首は」
リイは靴を履いたままいすの上に片足を立て、その足を両腕で抱えて膝に顎を乗せた。
「市長じゃなくて、領主と言っていたんだそうだ。その跡を継いだ人間が何を名乗っているかは知らないけど、あの都市自体、もともとはその領主様の私有地だからね」
「そうなんですか? 変わった都市だという話は聞いていましたが、自治都市というからには他の都市とまったく同じということはないだろうと思っていた程度で」
解析者の多くは、所属する小都市の中にある各ブロックの事情に詳しい。いつ、どういった状況下でそのブロックを担当することになってもすんなり対応できるよう、普段から情報収集に努めているのだろう。ましてリイの身内には、政府高官でもある唯一の血縁者、ダグラスがいる。実の兄弟である彼らが普段どういった会話を交わしているのかをハロルドは知らないが、互いが貴重な情報源であることは当然のように思われた。
それにしても、監視者の名前は忘れてもそういう情報は忘れない、か。
そんなことを思いつつハロルドは苦笑いを殺したが、口には出さない。揶揄ととられるならまだしも、厭味ととられてはたまったものではなかった。
「うん──まあ、変わった都市には違いないよ、僕もあまり詳しくはないけどね。世界大戦の終結からこちら、すべて独力で成り立ってきた都市だから、そういう都市が政府の管理下に入るってことは他の自治都市に対する絶大なアピールだろうし、反政府組織に対してはいい厭味だろうさ」
リイはせりふの途中で腕をほどき、ことばを切った後で肩をすくめる。
「どうだろうな。セトアに何か問題が見つかったとしたら、動けるのは……」
「ユウリなら、元気ですよ。……まあ、無理をしているだけかもしれませんが……」
思案顔を作ったリイに、ハロルドは静かに言った。
「ユウリの覚醒を受けて、コリンさんがアルダンに向かわれましたが、あと半月ちょっと経てば──戻られる予定日は、二月八日だったかな。それに、セトアに病巣が見つかるとも限らない。先の報告にも、特に印象的な点はなかったような気がしましたが」
リイは無言のまま、瞬いた。ことばを選んで重ねられたハロルドのせりふに相槌を打つこともしない。
「ショックだったのかな……」
「は?」
不意にリイがつぶやいたのを聞いて、ハロルドは尋ね返した。リイは緩く首を振る。
「なんでもないよ。……休養中なら、指定がない限り解析を強制されることもないだろうな。それに、万が一の時にはボウがいる」
自分自身に仕事が回ってくることなど思いも寄らないというようにリイはつぶやいた。
その後になってリイが誰のことを考えていたのかにようやく思い当たり、ハロルドは返すことばに迷う。もしかしたらリイにとっては、都市セトアに問題が見つかるかどうかなどどうでもいい話なのかもしれない。
「案外、楽しんでいるみたいですよ」
視線を落とし、声を立てない笑みを浮かべて言うと、リイの瞳がちらりとこちらを向いたのが分かった。
「……久々の休暇だと言って、毎晩のように食事を作ってくれるんだそうで──少佐が喜んでみえましたから。やはり食事は、機械より女性の手に限る、って」
少しして目を上げると、リイは体をひねって机に頬杖をつき、静かに笑っている。
──世界最年少の解析者の手料理なんてそうそう食べられるものじゃありませんよ。楽しみに帰られてはいかがですか。
リイの反応を待ってそう続けるつもりだったのだが、何という理由もなく、ハロルドは口をつぐむことにした。リイとユウリは同じ小都市に所属する年若い解析者同士である以前に、この街でともに育った幼なじみだ。そもそもふたりの間には、他者が踏み入る隙など存在しないのかもしれなかった。




