記念。
模試が終わってから数日が経った。
模試の結果は上々だったと言えると思う。
しかしこの数日、それとは別に気にかかっていることがある。
美咲の様子が、おかしい気がするのだ。
具体的にと言われると結構難しい。
何となくうわの空であるように見える。
気落ちしているように見える。
いつもより素っ気ない気がする。
そんな程度だ。
しかし明らかに何かがおかしいと、そう思うのだった。
やはり、模試があってあまり一緒にいられなかったからだろうか?
そんなことを考えながら、俺は喫茶『さざなみ』のバイトに勤しんでいた。
模試のため他の人に変えてもらった分のシフトだ。そのため、美咲は今日のシフトに入っていない。
「ちょいちょい」
仕事の区切りに一息ついていると、店長の和泉環奈さんが後ろから俺の背中をつついた。
「店長? なんですか?」
「少しいいかい? 話があるんだ」
店長は休憩室の方へと俺を誘う。
「仕事はいいんですか? まあ、例のごとくお客はあんま入ってないですけど」
「今日のバイトはベテランだからね。少しくらい大丈夫さ」
そう言う店長に付いて、俺は休憩室に向かった。
「コーヒー飲むかい?」
「あーはい。じゃあいただきます」
店長は店で出しているものと同じようにコーヒーを入れて、手渡してくれた。
それからお互いにコーヒーをひと啜りして、落ち着いたところで店長は話を切り出した。
「それで? 喧嘩でもしたかい?」
「へ?」
「君と結愛くんのことさ」
「何でそう思うんです?」
「週末のバイトで結愛くんの様子が少し……ね。久しぶりにまたお皿を割ってくれたよ」
「はは……そっすか」
「それに君も、今日は集中できてないね。やっぱり、何かあったんだろう? お姉さんに話してみなさい」
店長は得意そうに足を組んで座り、コーヒーカップを片手に揺らしながら言う。その姿はやけに様になっていた。
でもお姉さんと言えるような年の差ではないのでは……と少し思った。もうおばさ……いやなんでもない。
「……喧嘩ってわけではないと思います。ちょっとしたすれ違いというか」
「ほう?」
俺は店長に簡単に話した。
模試があったこと。
美咲との時間をあまり取れなかったこと。
メッセージのやり取りでは、いつもより少しテンションが高いくらいに、俺を応援してくれたこと。
しかしそれから、美咲の様子がおかしいこと。
「やっぱり、模試で会える時間が少なくなったからですかね?」
それなら、今週は少し美咲との時間を増やしていけばいいのだろうか。デートに誘ったりなんかして。それで美咲はいつも通りに戻ってくれるのだろうか。
「ふーむ、まあそれもあるだろうねぇ」
「それも?」
「ああ。ときに、君たちは付き合い始めてから今どれくらいだい?」
「は? 何ですか突然」
「いいから、どれくらいだい?」
「えーと、1ヶ月経った……くらいですかね」
「そうだね。付き合い始めて一番幸せな時期だ」
「そう、……ですね?」
「私から見ても、結愛くんの心が君から離れたようには見えない」
それを聞いて、俺は少しだけ安心した。
そんな俺を見て、店長はまた話を転がすようにして続ける。
「……1ヶ月といえば、君たちがアルバイトを始めて1ヶ月経った頃のことを覚えているかい? 初めてのお給料を貰った日でもある」
「え? あ、はい。もちろん覚えてますよ」
あの日は閉店まで働いた俺と美咲に、店長が記念だといって店のケーキをひとつずつ取っておいてくれて。
それを食べながら、3人でささやかなパーティーをした。
「あのパーティーはね、結愛くんの提案だったんだよ」
「そ、そうだったんですか?」
「ああ。君のケーキも、結愛くんが初めてのお給料で買ったものだ」
「そんな……」
まったく知らなかった。優しい店長が考えてくれたものだと思っていた。
動揺を隠せない俺に、店長は穏やかに微笑んで「結愛くんの分は、私が払ってあげたけどね」と付け足した。
「あの子は、結愛くんはね。きっと何かの記念というのを大事にしたいんだと思うよ。君との記念を、大事にしたいんだよ」
「記念……」
「だから先週末、君と恋人になって1ヶ月の記念日を祝えなかったのが寂しかったんじゃないかな。私は、そう思うよ」
言われて俺は交際初日の、初デートのことを思い出した。
俺はその記念として、美咲にプレゼントをした。
美咲はそれをとても喜んでくれて。きっとその勢いのままに、俺の頬にキスまでしてくれた。
だからきっと、美咲は当然1ヶ月の記念もあるものだと思っていたのかもしれない。
浅慮で、恋愛経験なんてなくて、模試に追われていた俺はそんなことをすっかり忘れてしまっていたというのに。
先週、模試があるからと話した時の美咲の悲しそうな顔を思い出す。
あのとき、美咲は1ヶ月記念の話をしようとしていたんだ。
先週末、模試があった日は、俺たちが付き合って付き合って1ヶ月の記念日だったんだ。
俺は美咲をしっかり見ているはずだったのに。俺だけは見ていると決めたはずだったのに。
少し自分に余裕がなかっただけでこのザマだ。
俺はまだまだ、変われていない。
俺には何もかもが足りていない。
そんな自己嫌悪に囚われそうになっていた俺に、店長は語りかける。
「めんどうくさいと思うかい?」
「女の子っていうのはこんなものだよ」と店長は笑う。
しかし俺はこぶしを握りしめて言う。
「……俺は、気づけなかった自分が情けなくて、悔しいです」
「そうかい。それなら、君はいい彼氏になれる」
「そう……ですかね」
「ああ。きっとね」
そこで店長はまたコーヒーをひと啜りして、足を組み換えた。
そして俺に問いかける。
「やることは決まったかい?」
やること?
そんなのは決まっている。
俺は美咲を笑わせることをすればいい。
あの花が咲くような笑顔を、俺は美咲結愛から引き出すことが出来るのだから。
「はい。店長、明日のバイトなんですけど————」




