第4話:猫の二択/数の悪魔 後編
鳳蝶夜奈の能力【絶対負極】。
鳳蝶日奈の能力【絶対正極】。
2つ併せた正式称は【絶対磁極】─────それは能力の殻に籠った超常。
学園の研究機関より名付けられたこの異能はItaf会長、有片真也のそれに続く破格の粒子移動現象、『未元の能力』と呼ばれる代物である。
その効果は電磁気に関するあらゆる現象を再現すること。
金属類の吸着もまた磁気学に代表される現象である。
◇
「────ねぇ、夜奈ねえ? こーゆーとき師匠なら何て言うんだっけ?」
「────そうね…………確か『させるかよ!』じゃないかしら?」
その瞬間、焔華を襲い亡き者にせんとする、その可能性は全て否定されていた。
既に新渡戸の手にナイフは無く、代わりとばかりに飛び入った二つの拳によって粉砕されている。
「……「嗚「呼「、「遅「か「っ」た」か」『未』元』の』────』」
諦めに満ちたその声もまた閃光を纏った拳によって途切れてしまう。
先制した日奈による殴打を頬に受けたとき新渡戸は、一瞬己の死を悟る。
自らが研究したからこそ理解している『未元の能力』の特性。
それは『触れた相手に自らの特性を加えられること』。
【絶対磁極】により磁力を付与された今、彼にその場を脱する術は残されていない。
飛び交う拳と健脚の猛威を前に、次々と重なっていく【猫の二択】は最早意味を為さず、新渡戸の視界と共に消えていく。
この距離を詰め切った状況において鳳蝶姉妹の本領は発揮されたと言えよう。
破竹の勢いをそのままに、廊下に溢れかえる分身を次々と討ち消していく日奈と夜奈。
それまでの戦闘と一線を画すその速度は宛ら乱舞の如く鮮やかに、しかして容赦の無いものである。
「ぐ「っ「……「ま「だ「だ「。「ま「だ「私「は」い」く」ら」で」も」い」る」……」!」
能力を行使しながらもあらゆる可能性を吟味する新渡戸。
どうにかしてあの未元の能力者2人を打倒出来まいか────不能。
どうにかして仲間を人質に出来まいか────不能。
どうにかしてこの窮地を脱せまいか────不能。
既に理解はしていた。
あれは人のカタチをした文字通りの超常、それ故に『絶対』の二文字を冠するのだと。
珍しく連発出来ていた二択も既に見えず、恐怖から来る焦燥はいつしか諦めへと変わっている。
そんな時、彼に最後の二択が提示された。
「増ヤシマスカ? Yes No 」
「…………私の、選択は────」
その日、新渡戸は初めてNoを選んだという。
◇
「はぁ…………最悪だわ」
全ての分身を打倒し、Ivis実働班の面々はオカルト研究クラブの部室へと無事帰還を果たしていた。
喜ばしき勝利、にも関わらず気を落としている人物が1人。
三浦焔華だった。
「焔華お嬢様、犯人逮捕お疲れ様です。それにしても、気分が優れないようですが?」
「…………別に、そういうワケじゃないわ。単純にね、悔しいだけなの」
「夜奈様曰く『2人が持ち堪えてくれたから』とのことですが?」
「謙遜ね。わたしっていつもそうじゃない? 毎回詰めが甘くて、その所為で美味しい所を持ってかれてる……。調べて分かったわ。わたしの力もここでは『平常』なんだって。
お父様も悲しむでしょうね? もっと良く出来た娘を送り込んだ積もりでしょうに」
乾いた自嘲をする様を、自らの存在に後ろめたさを感じる日々を、神田芽衣は幾度も目にしてきた。
だからこそ、こうして寄り添うことを選び、言うべきことを言おうと思える。
「僭越ながら、お嬢様は馬鹿ですか?」
「!!? は?」
「馬鹿ですか? と聞いているのです。では質問を変えましょうか? そもお嬢様は旦那様のことがお好きですか?」
「────いえ、いいえ! 誰があんな親父好きになるものですか!!」
「では別の質問です。先程までの自らの感情、その原因を客観的に見てお答えください」
「……………………鳳蝶たちに手柄を取られたから」
「イグザクトリー。そしてその悔しさを払拭するにはやはり仕事を頑張る以外に無いと進言致します」
「…………そうね。ありがとう芽衣、この所ストレスがマッハだったみたい」
「どうかご安心を。お嬢様の選んだ強さとは『負けず嫌いであること』。わたくしは貴方の在り方に惚れたのですから」
「ところで芽衣?」
「なんでしょうか? たった今わたくしの語録が更新されたばかり」
「そういえばあの状況、アンタの能力だけでどうにかなったわよね?」
「…………」
神田芽衣の能力【守護軍勢】。
かつて地球上に存在した軍勢を各種兵装と共に召喚、使役する能力。
その幅は広く武田の騎馬隊から十字軍まで多岐に渡る。
能力者でないものの、戦いのプロフェッショナル達が飽和攻撃を仕掛けてくると考えればその脅威を想像するのは容易いことだろう。
「アンタ……さてはずっとコタツに居たわね?」
「…………」
「居たのね?」
「…………お嬢様、今夜はカレーです」
「あーもう許すっ!! 許すわよ全く!!」
「それにしても……何か忘れてるような………? カレー? じゃなくて、ええと……」
◇
「ふぅん? これが『未元』の研究データなんですねー?」
銀色のUSBを日に掲げ、その少女は微笑を浮かべる。
汐ノ目を一望できる屋上に瑠璃色の四面体に彩られた肢体を広げて、時折傍らに在る新渡戸の死体に視線を移す。
「貞仁さんも残念でしたねー? 前にちょっと助けてあげただけなのに【猫の二択】だなんて大層な名前つけちゃって。貴方もそう思いませんか、西川燐那さん? あ、それともこう呼んだ方が良いですかねー? 【絶対数値】さん?」
上体を起こした少女と眼の合う女性、西川燐那。
彼女の姿もまた形容するならば『少女』だがその様子は気高さに富むものである。
ビル風に蒼のコートを、澄んだ茶髪をなびかせながらもその双眸は揺るぎない。
と思いきや、数秒後には頭を掻きながらも気怠そうに口を開き、
「……あー、うん。どっちでもいいんじゃない? それよりさっさと本題──────君さ? この世界に何しに来たの?」
尋ねられた少女は脚の汚れを払いながら勿体ぶるように言葉を返す。
「えー、そんな急に核心行っちゃいます? もしかしてぇ? 何かでも用事ありましたかー?」
「ええ、こちとら小雪の保護者会すっぽかして来てるの。で? 早く、要件」
「焦らせないでくださいよー? そうですねー? 要点だけなら『我が主をこの次元に引っ越させてください』ですね」
少女の返答に対し燐那は尚更面倒くさいといった表情を浮かべる。
その最中にも彼女の周囲を覆うように文字に似た何かが多数浮上していく。
0と1、二進の配列をくゆらせて、彼女はその眼差しを再び少女に突き付けた。
「それ、『元の家主を葬る』って解釈でいいのかしら?」
「まぁそうなりますねー?」
「それをよりにもよって確率に話す理由は?」
「んー? 『いい加減邪魔をしないでほしいから』ですかねー?」
「もし、『それが私の存在意義』とでも言ったら?」
「……ところで燐那さん? もしかしたら『このビルあと5秒位で自重に耐えきれずに崩壊する』かもしれませんよー?」
「………………」
「……………………? あらら?」
「無駄よ。私の前で世界線の追加は出来ないもの」
「…………それですよ。貴方や貴方のお仲間がいる所為で我が主は今苦しんでおられるんですよー? その能力、すっごく邪魔です」
途端に声色を下げ敵意をさらけ出す少女。
一方の燐那は呆れた様子で構わず会話を続けた。
「そりゃどーも。で? だから弱点を知りたくてその研究データ取りに行かせたわけ? 私だったら相手に感づかれないようにするし、例えバラしてもフェイクの1つや2つは混ぜるけど。君の、その主とやらは流石に詰めが甘過ぎるんじゃないかしら?」
「別にー? これは宣戦布告ですよー? それに、我が主は心配症なんですよ。たかが10数個の防衛機構程度、それも半数以上が我々の侵入すら感知出来ないというのに!」
「……君さ、言ってて悲しくない? それと、■■達は出るまでも無いだけよ?」
燐那の辛辣な一言を前に、少女は真顔となる。
しかしすぐさま返事を返そうとする。入り混じるその感情に名前も付けられないまま。
「ハ───────あははっ、言ってくれますねー!? この先貴方の浮かべる顔を想像したら、その程度の煽り何とも思いまセーン! そ、れ、にぃ? こっちには貴方含め5人の情報がありますからねー? もう知ってるんですよー? 我が主を拒絶する機能が燐那さん1人だけの力じゃないってこと」
「…………あの子達に勝つ気?」
「はい。特に【絶対刹那】の有片さんでしたっけ? 彼の強制力は貴方の支配域に直結するものでしょうから、彼が消えれば燐那さんも楽に消せちゃいますねー?」
「無理よ。彼も私も、強いから」
次の瞬間、自らが発した声に追いつく程の速度を以て、燐那は少女との距離を一息で詰め切っていた。
少女の形を有する未知に向け確殺の一握を狙う。
しかし燐那の攻撃は不発に終わる。
彼女の手が到達する寸前、少女が自ら重力にその身を任せ屋上から落ちた為だ。
ビルの谷間へと降下しながら、光の残渣を描き出す少女の声が響く。
「私こそ■■■■───『電子の鳥』の忠実にして最高の下僕なりや! また会いましょう燐那さん!! もしかしたら『私は2秒後に元の世界に帰還する』かもしれない!!」
少女が叫んだ丁度2秒後、空中に在ったその身体は地面にぶつかる寸前で消失してしまう。
別の場所へと退去した、とでも言うべきか。
そんな一部始終を、下界を見下ろしながらも燐那の表情が変わることは無かったという。
◇
「■■■■、昔会ったことあるのよ、君みたいな輩に」
かつて自分が目覚めた日、高校時代に戦った仇敵を思い返しながら呟く燐那。
脳裏に描かれる激闘────世界を天秤に掛けたあの日々と比べて、これから起こるであろう混乱が些事と言えることを祈る。
少女の去った屋上にいるのは自分と1つの死体のみ。
夕焼けの空を目にすると余計に今の状況が哀しく思えてくる。
これからあんな早口の輩と戦わねばならないのか、娘の担任にはどう言い訳しようか、今夜のメニューは何にしようか。
面倒で面倒で、堪らず欠伸が出てしまう。
「一応有片君に連絡しとくとして────よし、今夜はカレーね。楽だし」
屋上に新渡戸だった死体だけが残され、物語の序章は幕を閉じる。