みっ君はただ威張りたかっただけだった
みっ君のお父さんは、どこかの会社の役員で、とてもえらい人だった。家もお金持ちだったし、だから町内のみんなからも特別扱いされていて、何か問題が起こった時なんかには頼られたりもした。みっ君のお父さんの言う事ならば、みんな素直に聞くからだ。当然、感謝もされた。
そんなだから、その子供のみっ君もみんなから特別に扱われていた。何か失礼があってはいけない。それでもしも、みっ君のお父さんに嫌われたりしてしまったら、町内での立場が悪くなってしまう。
だから、町内の大人達は、自分達はもちろん、自分達の子供にもみっ君には慎重に接するように言い聞かせた。
まだ小さかったみっ君には、その意味と理由が分かるはずがない。ただ、みんながこんなに自分を大切に扱うからには、自分はえらいのだろうとそんな風には思っていた。それはとても気持ちが良いものだったし、周りの誰もそれを否定しない。だから、みっ君はそれを信じ込んでいた。
だけど大きくなるにつれ、みっ君は少しずつ気が付いていった。
自分は特別に優秀な子供ではない。えらいのは自分のお父さんで、だから自分は特別扱いをされるんだ。
ところが、それに気が付いても、みっ君は自分はえらくないとは思わなかった。それはその方が気持ちが良いからという半ば現実逃避のようなものでもあったし、お父さんと自分は違うという意識がまだあまり育っていなかったからでもあった。
みっ君がまだ小学校の頃は、それでも特に問題はなかった。小学校に通っている子供達は家から近い場合が多くて、みっ君のお父さんがえらいというのを教えられて育った子供達がたくさんいたから。
ところが、中学生になると事情が変わってしまった。
みっ君のことも、みっ君のお父さんのことも知らない子供達がたくさんいたのだ。だからみっ君が今まで通りに威張ろうとしても上手くいかない事が多くなった。
なんで、あいつあんなに威張っているの?
運動も学校の成績も並み程度。喧嘩だって強くない。威張る理由が分からない。
それでみっ君は、自分の父親がどんなにえらいかを吹聴するようになった。「だから自分もえらいのだぞ」と、そうアピールしたつもりだった。
だけれども、それは却ってみっ君の立場を悪くしてしまった。「自分は何にもできないくせに、親の力に頼って威張ろうとする嫌な奴だ」と思われてしまったのだ。
そして、自分の思い通りにならない事に、みっ君は混乱してイライラするようになってしまったのだった。どうして皆が自分を軽蔑するのかが分からない。そして、小学校の頃とはまるで違うその扱いに、こんなはずじゃないんだと、彼は次第に暴力的になっていってしまった。
しかし、そうなれば、ますます周囲から嫌われる。孤立する。そればかりか、一部の暴力的な子供達から彼は粛清の対象になってしまった。教師達からも問題児扱いされる。こうなると、みっ君のお父さんも庇い切れない。
プライドを維持できるだけの力を身に付ける為に、何か努力をすれば良かったのかもしれなかったけれど、自分の実力とは別のところでプライドを得ていた彼には、それだけの精神力もなかった。
それに、努力する事自体が、何か負けを認めるような気にも、何故か彼はなってしまっていたのだった。
更にいけない事があった。
自分のお父さんと自分は違うのだ。
自我の境界線が引かれることで、それを彼自身が自覚するようになってしまったのだ。それは子供から大人に成長する上で、自然に起こる正常な心の発達の一つなのだけど、自分のプライドの拠り所をお父さんの威光に求めていた彼にはそれは受け入れられなかった。
つまり、みっ君は心の発達を拒絶してしまっていたのだった。
だけど、それはとても無理のあることだった。威張る為に子供でいようとする自分が威張れるはずなんかない。それを彼自身が分かっていたからだ。
そして、そのアンビバレンスな自我は、不協和感を起こして、それまであった彼の暴力性に狂った何かが混ざるようになってしまった。
もちろん、世間がそんな彼を迎え入れてくれるはずがなかった。みっ君は、そんな世間を拒絶して、家に閉じこもるようになった。そして、お母さんやお父さんに暴力を振るうようになってしまったのだった。
家庭内暴力で、みっ君はプライドを保とうとしていたのだ。
みっ君が本来なら高校に通っているくらいの歳になると、みっ君の家にはケースワーカーが頻繁に訪ねて来るようになっていた。みっ君はそれを恥ずかしい事だと思っていた。
「あんな立派なお父さんの子供なのに」
その頃になると、世間からは、そのような事を言われるようになっていた。
みっ君のプライドの拠り所だったお父さんの立場が、却ってみっ君を傷つけていた。みっ君はもう何をどうすれば良いのか分からなくなっていた。
威張るのを諦めれば良いだけの話なのだけど、深い嫉妬と憎悪とその他の様々な気持ちに縛られた彼の精神はその発想から彼を遠ざけていた。
そんな中で、みっ君は誰かを殺してやろうと思うようになっていった。殺人者は、皆から怖がられる。つまり、威張っていられる。自分を舐めている連中に思い知らせてやろう。自分は危険な存在なんだ。
自分は無価値なのじゃない。
ただ単に世間の価値観とは別の価値観を持っているだけなんだ。
そう思い込もうとし、実際に、そう思い込んでいた。
みっ君はある夜の日、ナイフを手に外に出た。
もちろん、誰かを殺す為に。
できれば女がいい。
みっ君はそう思っていた。
或いは、それは動物的な本能が彼の心の状態と結びついた結果生まれた感情なのかもしれなかった。
高いプライドを保とうとするのは、メスを獲得しようとするオスの種族維持の本能で、それはつまりは女性を手に入れようとする心理と結びついていたから。
人気のない場所で、綺麗で力の弱そうな女性を見つけると、みっ君は後を付けた。もちろん、ナイフで刺して殺す為に。
今までの彼の人生に、何の関係もない罪のない女性。
きっと、それも理由の一つになって、彼は世間から酷く悪く言われるだろう。危ないヤツだと思われるだろう。
だけど、彼はそれこそを求めていた。
それこそが彼のプライドを満足させられる手段だったから。
いや、それは錯覚だったのかもしれない。そんな事では、彼のプライドは満たされないのかもしれない。
ナイフを握りながら、彼は心の何処かではこう思っていた。
自分は何処で間違えたのだろう? 本当に自分が全て悪かったのだろうか?
みっ君はただ、お父さんがえらい事が自分の事のように嬉しかっただけなのに。