1日の始まり
「きゃぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
「な、なんだ!?どうしたんだ!」
「何だこれは?!」
廊下を大勢の足音が駆けずり回るたびに振動と騒音が押し寄せてくる。
またか・・・。
日も昇りきっていない頃から空気を裂くような悲鳴。それに驚いた隣人たちが一斉に外へ飛び出した。そりゃ驚くだろう。バンッと大きな、扉を叩き開ける音が響く。それと同時に緑色の煙が飛び出す。それを浴びた者たちは奇声を発した。ああ、その様が目に浮かぶ。その隣人たちは昨夜泊まりに来た者で、ほとんどが冒険者だろう。安全とはいえど緊急事態に即座に反応できるのは鍛えた人間した無理だしね。俺やなじみの連中は、ああまたか・・・という感じで各々寝直す。宿主でさえも同様に無干渉だよ。いちいち気にしていたら身がもたないし。だって、これ毎朝なんだぞ。俺は更に枕に顔を沈めた。本当、勘弁して・・・、マダム・ニコル!!
なんでこんな宿に泊まっているのかって?そんなの、格安物件だからに決まってるじゃん!ここほど安い宿なんてそうそうないよ。ドッタンバッタン暴れる音が聞こえる。あらら、気絶したか。倒れていく人にビビってまたも悲鳴をあげるマダム。かろうじて意識のある者はみんな、マダム・ニコルの煙の毒気にのたうちまわっているのだろう。たぶん、これの迷惑料を差し引いているからこの安さなのではないだろうか。安いんだから少しの騒がしさは我慢しろってこと。もう、騒ぎって程度のものでもない。事件だよ、事件。つか、うるさい・・・。まだ奇声が聞こえる。まだ早いけど出るか。
「あら、アンちゃん。」
市場は日の出前から開催される。新鮮な味をそのまま提供するためだ。通りに沿って並ぶ店を冷やかしながらぶらぶら歩いていると、元気な声が俺の名を呼んだ。振り向くと、果物を並べている恰幅のいいおばちゃんが微笑みながらこちらに手を振っていた。
「今日も早いね。目覚ましにグレープフルーツジュースはどうだい?」
その手にはすでにジュースの入ったグラスがあった。店の手前に出しているカゴにはグレープフルーツが転がっている。どうやら今日はこのフルーツがオススメらしい。市場なのでその場で入れてくれるジュースは果汁100パーセント。しかも、搾りたて!絶対美味しい!
「あはようフィエさん。毎朝ニコルさんの悲鳴が目覚ましになってるからもう覚めてるけど。もらっとくね。」
ジュースを受け取って一気に飲み干す。プハッと吐き出す瞬間に、グレープフルーツの苦みと甘みが下を埋め尽くしてピリピリする。でもこれが最高に美味しいんだ。
「はははっ。そりゃ災難だね。ニコちゃんのあれは日課だからね。3鉄貨」
「日常化して欲しくないですよっ。サービス精神期待してます。」
「お前さんも馴染んできたね。いいよ、⒈5鉄貨にしたげるよ」
「もう3年ですからねー。ああ、俺の寝不足明けの至福は金でしか買えないのかぁ」
「ったく、その飲みっぷりに免じてサービルにしてやるよっ!」
「っし!ありがと、フィエさん。美味しかった。」
「ガッツポーズは店主のいないところでやりな」
そう言いつつ、カラカラと笑うフィエさんにつられて頬を緩ませながら、桶に溜まった水でグラスをゆすぐ。周りの人も見ていたのか、周囲から笑い声が聞こえた。コップを返して挨拶をしてからまた歩き出す。
あれは値切りじゃない。ただの遊びだ。この都市では朝にフルーツジュースをサービスする習慣があり、それを基にして果物屋の味を比べられたりするので、あとで一番気に入った味のフルーツを客が買いに来る。いわば、試飲サービスみたいなもので、別に飲んだからといって絶対選ばなければならない訳ではないし金も請求しないので、さっきの会話は交渉と称した遊び。それを知らない旅人などがそれを知った時の驚いた顔を見るのもまた楽しみの一つであるけどね。
赤字にならないのか、と疑問もあるがそこはちゃんと考えているらしい。顔なじみでない客はお猪口みたいな一口用の小さな器、何度か利用してくれる客には3口くらいの量が入るコップ、お得意さんには俺がもらったような筒の長いグラスが用意されている。だからむやみに大切な果汁を失わなくて済むらしいよ。え、俺はお得意様なのかって?いいや、違うよ、何度か利用してるだけ。そこは子供だからおまけなのだよ!だって、俺まだ13歳だしね!
いろんな人に挨拶をして市場を抜けても、まだ日は昇る直前なので暇つぶしに野原でも行こうかな。宿から持ってきた外套を羽織ってフードをかぶり、できるだけ下を向きながら裏路地に入る。朝とはいえどもここは裏。入り組んだ構図は土地勘がないものでは迷うし、それ以前にろくな目や思考をした者がいないから一人で入るのは危険だ。でもここを通らないと野原に出れないんだよね。最初に来た時は襲われかけた。しかし、怪しげに誘ってくる手を何とかかわしながら進んだのを覚えている。背筋が凍るような、獲物を見つけたような妖艶な目の輝きが今でも忘れられない。通りなれた現在でも、諦め悪く誘ってくる女や怪しげな老人の態度は変わらない。何も変わらないな、ここは。
この都市は少し歪な構造をしている。中心に誇るのは巨大な建造物である主要機関、通称鉄の城。その周りは城下町として栄えていて、さっきの市場などよりも騒がしく噴水や娯楽施設が設置されている。そこから少し離れると住宅街に入る。そこがさっきの市場の会場だ。そして裏路地。ここから住宅街に入ることはできない。理由は高さだ。城下町と裏路地の設置標高は大きく異なり、その差はゆうに10メートルはある。しかも磨かれた鉄で側面が覆われているため、登ることは不可能。唯一つながっている階段にも門と門番が配置されている。身分証がない限り通れない。もちろん、裏路地の者は所有できないものだ。くるくると表情を変える城下町とは違い、陰湿な空気は昼も夜も変わらず漂っている。まさに表と裏。
裏路地を出ると、風が勢いよく吹きかかってきた。拍子にフードが取れるがもう必要ない。目の前には柵越しに線路が貼ってある。列車が通る時間帯にはあと少し猶予があるから超えても大丈夫だろう。この都市は鉄を量産するため都市全面的に鉄が組み込まれている。ゆえに鉄の牧場と呼ばれる。牧場という名にふさわしく、馬や牛などの飼育も盛んに行われている。鉄の上で。果物も盛んに売られるけど、これらは専門の知識と経験がないとできないことなので、その道に人生を捧げる人にしかなれない職業らしい。だから彼らが採取するものは結構価値がある。
あれ、なんか人が多くない?いつもなら閑散としている鉄道付近には人だかりができていた。みんな柵を越えて行ったんだろうな。もう仕切る意味ないじゃん。そう思いながら自分も柵を越えてそこに混ざる。
「何かあったんですか?」
「ああ、人が列車にひかれたんだわ。もう原型もとどめてねぇ。肉片しか残ってねえよ。」
近くにいたおっちゃんに話を聞くと、不穏な答えが返ってきた。
「へぇ・・・。」
自殺か、他殺か?口元が緩む。珍しいな、列車に轢かれるなんて。
「おい、坊主。それ以上近づいたら警ら隊にしょっぴかれるぞ。」
警ら隊。事件などを解決する証拠を揃える調査隊だ。警ら隊にも何種類か所属が存在するが、それはおいおい。
というか、いつの間にか人混みの先頭に立っていたようだ。
「大丈夫大丈夫。面倒ごとはやだから遠目に見てますよ。」
あーあ。騒がしさから逃れるために出てきたのに、どこもかしこも煩いな。
現場を通り越して線路の向こう側へと足を進める。
ドーナツ状に現場を囲む人々の間を器用にすり抜けながら、それでも速度は落とさずに。
目の前には一面に咲く小花と草。まさに野原が広がっている。唯一この鉄の牧場で地がむきだ時になっているのがここ、荒野地帯である。まあ、荒野は表面からみればそうなのだが、亀裂が入ったゴツゴツした岩肌の隙間に野原が広がっていたのだ。多分、他界した母以外他には誰も知らないだろうこの谷はお気に入りに場所で、仲間にも知らせていない。教えてくれたのは母だったが、どうも他人に教える気にはなれなかった。ずるいな、と自分でも思うけどね。
寝転がって空を見上げた。あ、もう日が昇り始めてる。雲が太陽に照らされて影を生み出す様は綺麗だ。
最初、この景色を見たとき泣いたのを覚えている。裏路地にいた頃の俺にとって、これほど心揺さぶられた情景は今までなかったのだ。
懐かしいな。目を少し細めると眠気が襲ってきた。少しならいいかな。
ギルドに行くのはもう少し後でもいいか。毎日寝不足だし。
目を閉じる。意識を手放す前、ここちいい風が吹いた。
撫でられるようにオレンジがかった明るい髪が花と一緒に揺れていた。
金銭の設定
銅貨 = 10円
鉄貨 = 100円
銀貨 = 500円
金貨 = 1000円
鉄鋼貨 =10000円