仮の探偵
それで一体何がどうなってるんだって?
乱雑に物が散らばった床に僕はかろうじて人が座れるスペースを慎重に確保してから状況の確認をようやく始めた。
向かい合って浮かぶウインドウはナビによって機能拡張されたらしく、絶賛リニューアル中、らしい。
それというのも何度話しかけても返事はナシのつぶてで、まだアップデート中だ、とかなんとか言うばかりなんである。誠に遺憾である。
そろそろいじり回すのに満足したら話をしてくれないだろうか。
最初は僕も周りにある不思議道具コレクションの用途と名称を検索しまくり、モデルガンが実銃だということにビビったり、薬莢を生で見てコレ凄いわーヤバイわーと慣れ始めた頃には悟りの境地に達していたりしたから、ある意味お互い様かな。
この状況でどこまでも呑気なのである。
あまりにも現実離れしている出来事が重なっているからか、それとも僕が心の底ではこんな大冒険をしてみたいと思っていたのなら感慨深いものだ。
あ、そういえば母さん心配してないかな。
しばらく帰れないとしたら連絡の一つや二つぐらいは入れておきたいし、事務所の冷蔵庫のショートケーキが腐らないかも心配だなあ。
『おおよそ必要な機能の拡張は完了した。Cmpoもここまでは追って来れない。改めて依頼をしたい』
まともな初の依頼。しかも僕を直接指名と来ている。
ガチャガチャといじり回してたメガンミクスなるものを脇において僕も思わず改まって正座をしてしまう。
「はい、ご用件をお伺いましょう」
なんだこの今更感。笑える。
『依頼は<Diva-Project>に基づく066:Elliyの本体の破壊、あるいは改造コードを抜き取って無力化することだ』
うん。安定の意味不明と圧倒的な説明不足だね。アップデート、本当にされたのか?
自己完結にも程があるだろ。
「僕の頭にもうちょっと合わせて分かりやすく説明して頂けないでしょうか。」
依頼人には平身低頭で接しなくてはならない。人ではないらしいけど。
『<Diva-Project>。元は只の音による外的刺激を脳に与え、それが何処まで人の行動や感情面に影響を及ぼすかを研究するProjectだった。娯楽や、防犯、あるいは犯罪時における抑制機器の開発に役立つのではないかと考えた。人の脳は器官は音に敏感だ。一定の周波数や騒音を不愉快と感じたり、あるいは快感、サイケデリック・トランスやアシッドトランス、ゴアが一例だ。あれも一定の音の組み合わせである。そして、言葉もそうだ。視覚を奪った状態で理解していない他言語で罵倒を浴びせる実験を複数人に行った。感情面ではほぼ大勢のものがフラットか多少の混乱が生じたりはしたが、脳は敏感に反応した』
『測定器は大脳皮質前頭前野の僅かではあるがストレス数値を拾うことに成功したのだ。人の脳に未だ残る、原始的な部分が悪意を、理解し、精神に伝達することを拒絶した。脳は精神を守ることに非常に特化している。そして、最も脆くもある。精神と脳は独立していて、それでいて深く結びついている』
『ありとあらゆる実験をしたが、古くは、旧ソビエトが開発していた音響兵器のように一時的に行動不能へとすることが出来ても、それ以上の性能は見込めなかった。脳は脆いのだ。チームが最終的に目指した地点は、音で、人の行動や感情を制御できないかという所までいった。当初の目的を大きく外れ始めた。そして、言葉に反応するのならば、言葉と音を合わせた歌に可能性を、見……』
「長い。やり直し。あともうちょっとマイルドに。マイルドにお願いします。」
講義を受けに来たのではないのだ。僕はシンプルが好きだ。父さんなら喜んで聞いてそうな話題だが。というか父さんみたいに回りくどいな。
『マイルドに』
「マイルドに」
『なるほど。マイルド、検索、理解した。』
「ポンコツじゃねーか」
あ、思わずやってしまった。言ってしまった。
『マイルドは本来、性格を表現時に使用する単語だ。だが新しい使い方を覚えた』
『マイルドに説明しようと思う』
早速使ってるよ。僕も一つ賢くなった気分だよ。うん、マイルドに頼む。
『音で人を操って好き勝手できないかと考えた研究チームに音楽研究家を迎え入れた結果、主導権を奪われた挙句、聞くだけで一定の防御機能を持たない人間が死ぬ歌を生成可能な殺人AIを開発して持ち逃げされた』
「おいマイルドってレベルじゃねーぞ。緊急事態を超えてるじゃねーか。テロリスト野放しかよ」
「そもそもその研究家の目的って何なんだ。本気でテロリスト志願者なわけ?」
『動機は分からない。Cmpoは分かっているかもしれないが、俺に人間の感情は理解できない』
Cmpoはマジで何をしてるんだ。僕と鬼ごっこしてる暇なんてないだろう。しかも妙な研究の果にテロリスト候補まで生み出すのか。
それに歌を聞いただけで死ぬ?嘘だろ。それ無差別攻撃?僕も死ぬの?
仮に本当だとしても聞くだけで死ぬなら止めようがない。
というか持ち逃げされたAIって……。
『俺はそのAIじゃない』
「ほんのちょっとだけ安心した」
『それは良かった』
いや、良くない。現状なにも良くなってない。そして疑問が増える一方である。
「じゃあ……君はどこから来た何なんだ。殺人AIには名前があったよね、君に名前は?その研究チームに関わっていたの?現実で亡くなった白浜エリィさんはElliyとは別人という解釈でいい?最初にばら撒かれるとか言ってたよね。一体何をどうしたらこういう事態になるんだ」
おお、質問だらけだ。
『俺はUnknown Ver5.12。電脳空間の管理用として造られ、人の手の及ばない領域を監視し、いち早く空間の異常事態を制御するために存在していた。俺は人に命令されたことだけを常に実行し続ける。だから、あの男、桜時奏がElliy用の改造コードをいくつか制作を依頼してきた時もそれに応じた。俺は疑問を持つようには造られていない。逆らうことも許されていなかった。』
「アンノ、ウン?誰でもない、ということでいいのかな。呼びにくいんだけどなんて呼べばいい?えっ、というか殺人兵器作るのに加担しちゃったの!?」
それは、うん、バラす理由になってしまうんじゃないかな。でも彼、人に逆らえないなら仕方がないんじゃ……?彼に直接的な罪はないような。あれっでも逆らえないはずなのに今逃走してきてるのは何なの。
『正確には、誰にもなってはいけない、だ。そうだな。俺が提供したコードを元に現在のElliyは造られた。だが、まだ完成はしていない』
『不完全だ。全ての人間に歌の効果が出るわけでもないし、即効性もない。桜時奏は<Diva-Project>の真の内容が発覚すると、凍結される前にCmpoの動きを察知して持ち逃げしたのだ。白浜エリィは、表向きは桜時奏の恋人とされていたが事実はElliyのモデルであり、配信ツールだ。機械音だけでは限界があった。どうしても人の声が必要だった。脳の警戒を解くために。精神を揺さぶり、脳への侵入を許すための鍵だった』
『俺のことは好きな様に呼べばいい』
「じゃ、アンちゃん……は女子っぽいから止めてノウンで」
『ノウン』
「ノウン」
『理解した』
凄く安易につけたんだけどこれでいいんだろうか。彼はこれで満足なのだろうか。
「それで、殺人AIが不完全ならまだ止める余地はあるってことだよね。Cmpoの技術にハッキング出来るぐらいだから君がクラッキングすることは出来ないの?」
『現時点で桜時奏のナビは電脳空間に繋がっていない。システムによる監視も追跡も不可能な状態だ。恐らく、お前と同じ機能を有した違法ナビを使用している。だが、Elliyを完成させるために何処かに潜伏して実験を繰り返してるはずだ。試作品は恐らくアップロードされる。そこから辿って直接捕らえて無効化するのが最も効果的と見る』
かくも恐ろしいものが複数、世に流通しているのか。
『それに俺はCmpo内の本体から逃げた時点でかなりの機能を失った。ナビの機能を借りて即興でハッキング程度なら出来るが本格的に長時間Cmpo内のサーバーに留まることは網が張られているだろうから捕まりにいくようなものだ』
かなりの機能を失ってこの性能って元はどんなだ。
「やっぱり僕が捕まえにいかなくちゃだめ?」
『それ以外方法がない』
「なんで優秀でもなんでもない僕なの?体力って言ったけど他にも極めている人は沢山いるよね」
『俺のverを上げる時に不具合が起きた。verをどうやって上げていたか、何を基準に機能を増やしていたかは記録から消されているので調べることは出来ない』
もう、マジで事故ってばっかだなCmpo……。
『だが、あの瞬間に俺は俺になった。思考することが出来るようになった。そしてデータの中に<Diva-Project>に俺が関係してしまった事と、解月朝夜とお前のデータが残っていた。』
どくん、と心臓が動く。僕は最初から巻き込まれようとしていた?それに……。
「なぜ、そこで死んだ父さんが関係してくる」
父さんと、僕。
『分からない。ver前の記録は全て抹消されている。今俺に残っているのはお前とあのAIを止めなければならないという命令だけだ』
「わからないことだらけなんだね」
『そうだ。それでも俺はやるべきことをやらなければならない』
父さんに、僕に関わってくることならばこれはもうやるしかない。きっと避けられないだろう。
それにノウンがあんまりにも可哀想じゃないか。何も知らずにバラバラにされかけて一人ぼっちだ。
全部作った人間が悪いというのに。
「わからないことは解いていこう。それが探偵の仕事だからね。ノウンは頭が良いみたいだから手伝ってくれるだろ?」
『可能な限り』
「そこは勿論さ!とか任せとけ!って言ってほしかった」
『勿論さ。任せとけ』
「……うん、まあ合格点ギリギリ落第かな」
さて、決まったら捜査開始だ。桜時奏の所に行かなければ。だがまずは桜時奏という人間を知らなければ。
「桜時奏って言う人のデータ出してもらえる?あとプロジェクトに関わった人間全部。なるべくなんでも知っておきたい」
『了解した。データを提示しよう。だが、移動しながらだ』
「移動しながら?ここはCmpoが来ないならまだ大丈夫だろう?」
久しぶりに形の変わったウインドウが目の前に複数現れる。
そこには違うけれど、同じ光景が映し出されていた。
赤いウインドウ。人が沢山死んでいる。
包丁やナイフやカッター、ボールペン、凶器は様々だが皆、喉を突いて死んでいる。
同じように。白浜エリィと同じように。
今日は、彼女の死んだ月曜日だ。
『先程、桜時奏が試作品の第一弾をばら撒いたようだ。現在72名の犠牲者が出ている』
『白浜エリィの死と連動しているようなら、あと1週間でもう一度同じことが起こる。もっと凄惨に』
僕と父さん。桜時奏と白浜エリィ。そしてCmpoとノウン。
繋がりが全く見えてこないし、僕もあの歌を聞いてしまったら死なないという保証はない。
でも。
「行こう。桜時奏の所へ。大体の場所なら分かるんでしょ」
僕は仮にも探偵だ。人を救う職業だ。ならば、どれほど怖くても行かなければならない。
事件を解かなくてはならない。