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90分間狂騒曲

作者: 佐野和哉

 パタン。と音を立てて、きらきらした黒色の携帯電話を折りたたんで閉じた。メールは、まだ来ない。半分だけ開いていた窓をぴしゃんと閉めてベッドに寝転ぶ。夜の空気をたっぷり含んだ部屋の中で、ぼうっと熱っぽい身体に冷たいシーツが心地いい。

 手元にある読みかけの文庫本や漫画をパラパラとめくって、すぐ投げ出す。テレビをつけて、チャンネルをコロコロと回す。

 あ、好きな番組やってる……そうか、今日は水曜日か。わかりきった独り言を口に出すと、なんだかひどく気恥ずかしくなった。とりあえず画面を見る。番組では世界中で起こった様々なニュースが紹介され、それについて司会者の男性が丁寧な解説を加えている。だけど、いま僕の中で最も関心があることは、どこの内戦でも経済でも政治でもなく。ただ、メールの相手が今何をしていて、次にどんな返事が来るのか……それだけだった。


 時計の針が低く短い音を立てて動いている。遠くでサイレンが鳴って、尾を引くように遠ざかる。真裏の家で飼われている犬がびゃおん! とひとつだけ吠えて、また時計の音だけがじりじりと耳を刺す。

 僕が最後のメールを送信してから、既に三十分以上経っている。そろそろ返事が来るだろうか、と何度も枕元に置いた携帯電話をチラチラ見て、開いて、閉じて。送ったメールも、受け取ったメールも、何度も何度も読み返した。何かマズイ事を書いただろうか……気に触るようなことを言っただろうか。気になって気になって。

 先にメールをしたのは僕のほうだった。一通の、ごく簡単な短い文章を送るのに二十分ぐらい迷って、それを書いては消しを繰り返して。漸く送ったメールの返事は、呆気なく返ってきた。やはり簡単な、だけどきっと悪意や面倒臭さは感じていなさそうな。そんな文章だった。僕は嬉しくて、すぐに返事を書いた。そしてまた、返事が来た。しばらくそんなやりとりをしていた。

 本日最初のメールを送った時刻は、十一月二十一日の午後八時三十三分。そして最後のメールを受信したのは、午後十時二分。今は午後十時三十五分を回ったところ。メールをしていれば(今もしているつもりだが)数分、数十分の間隔が開く時はあるさ。九時二十分に送ったメールの返事が九時四十九分に来てたりするじゃないか。わざとらしい独り言を頭の奥で呟きながら、僕は部屋の片隅に立てかけてあるストラトキャスターのネックを掴んで、ベッドに座って適当に音を鳴らした。

 なんとなくThe policeの「見つめていたい」をひとつ。君が何処で、何をしていても、僕はずっと君を見つめている。そんな歌詞だ。身の入らないなりに最後まで弾いて、ふう、と中途半端な溜め息をついた。

 これ以上ギターを弾く気も失せたので、元あった場所に戻そうと壁に立てかけて、手を離した。そのときバランスを失い、茶色と白の僕の相棒はくるりと半回転しながらゆっくりと倒れて、ぼうーん、と鳴いた。僕はうつ伏せに寝転んだままのストラトを呆然と見つめながら、なぜかそれが酷く苛立たしく感じて、もう起こすまいと決めてベッドに寝転がり、壁際を向いてしまった。


 午後十時四十二分。随分時間が経ったようで、実際は数分が過ぎて行っただけだった。けれど、最後のメールからはきっかり四十分が経過しているではないか。風呂にでも入ったのだろうか。他に何か電話でも掛かってきたのだろうか。僕以外にも、誰かとメールをしているのだろうか。誰と電話をしているのだろうか。誰とメールをしているのだろうか。

 再び頭の中がぐわんぐわんと回りだして、くらくらする。顔の内側から熱を帯びてきて、ひどく落ち着かない気分だ。もう一度、本日やり取りをしたメールを読み返してみる。受信したメールはどれも長くはないが、しっかりと受け答えをしてくれているし、顔文字や絵文字もふんだんに使われていて読みやすい。

 それに引き換え僕の送信メールはと言うと、文字が多くてまだるっこしい言い回しもあり、これは少々くどいような気がしてきた。随分とがっついているようにも思われているのではないだろうか。いや実際、メールが来る度に飛び跳ねるようにして電話機を引っ掴み、夢中で返事を打っているので……がっついていることに変わりは無い。ただ、それがアカラサマに文章から透けて見えるのではないかと思うと、かなり不安になってくる。ざっと読み直してから送っているとはいえ、冷静になって今一度読み返すと何だか背中が痒くなるようだ。


 再び携帯電話を手元に置いて、何か他の事を考えようとしてみる。しかし本を読んだり好きな映画のDVDを見たりしていると、不意に視界の端で携帯電話のライトが点滅しているような気がしてチラチラと見てしまう。とてもじゃないが集中できるような状態じゃない。もちろん、電話はウンともスンとも言ってない。そうしている今にも液晶画面が切り替わって、着信音が鳴り出すんじゃないかと思うのだが、そんなこともない。


 午後十時五十分。

 もう寝てしまおうか。明日も早いし。わざとそんな風に考えて、期待していないようなそぶりで携帯電話をチラッと見る。ふ、と溜め息を吐いて立ち上がり、部屋の灯りを消した。携帯電話の通知ライトの辺りをじっと見る。そのままベッドにどさっと寝転ぶ時に、バイブレーターの振動が伝わってこないかと耳と肌をじっと澄ましてみる。

 全部、見事に空振り。何一つ変わらない、動かない、鳴り出さない。静かな夜はじわじわ更けて、長い夢の代わりに空っぽの明日を運んでくるのだろう。

 がらんどうの心に咲いた春の兆しを、しぼませよう、しぼませようと望んできた。期待したら、きっと取り返しがつかなくなるから。そして気が付いたら……僕はまんじりとしたまま、ずっとメールを待っていた。只今の時刻、午後十一時十二分。最後にメールを受信してからだいたい一時間半が経とうとしている。いっくらナンでも、遅くないか。


 結局ちっとも眠たくならないのだが、もう一度明かりを点けるのも癪なのでそのまま寝転がって、携帯電話で好きな有名人のサイトをぼんやり見ていた。西原理恵子さんの日記はいつも刺激的で、色白の美貌と歯に衣を着せない物言いが素敵なのだ。

 が、今日はやっぱり、彼女の文章とそこに添えられた漫画を見てもちっとも頭に入ってこない。何のどんな表現を見ても、心は同じことを考え続けている。目に入る情報全てがその事ばかりに関連付けられてしまって、辛くもあり切なくもある。

 と、サイトを開いている画面の動きが一瞬鈍った。カーソルが遅れて動き、画面のスクロールもぎくしゃくしている。


 メールが来た!


 画面の上のお知らせメニューバーに、メールの受信を示すアイコンが点滅を始める。ウェブ画面を閉じて、あえて一度携帯電話を折りたたんで、着信音が鳴り出すのを待つ。何か特別な音が鳴るわけではない。初めから設定してあるピリリリリ、という無愛想で無機的な音だ。その着信音が鳴り出すより一拍早く、バイブレーターが低い唸り声を上げて振動して、微かにシーツを揺らす。その振動が手のひらから前腕の辺りまで伝わって掻き消える。それを十分に味わってから、僕は折りたたんだ電話機を片手でパカリと開いて画面を見た。そして


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 ここまで読んで無表情のまま画面を戻り、迷わずメールを消した。よりによってこんな時に……罪の無い、しかし三日もあけずに送られてくるので少々鬱陶しいこのメールが、今日は二割り増しで憎たらしかった。僕は乱暴に携帯電話を閉じ、枕元に軽く放り投げた。

 間の悪いメルマガのお陰ですっかり意気消沈した僕は、もう何も考えずに枕に顔を埋めた。うつ伏せに寝転んだベッドのシーツに段々と自分の体温が移ってゆく。そのまま身体ごと、いやいっそ心の中までドロドロに溶けて、蒸発してしまいたい。そんな不毛な思考に気を取られて、僕はいつの間にかウトウトとし始めていた。


 そして気が付くと、僕はごく短時間のあいだ意識を失うように眠っていたようだった。疲れているのだろうか。しかし、その短い眠りで思ったよりも深く意識の奥まで休めたらしく、僕は妙に冴えた目で部屋の中をぐるっと見渡すと、最後にすぐ手元にある閉じた携帯電話を見た。

 その瞬間、一段とけたたましい音を鳴らしてバイブレーターが起動し、背面にある丸い小さなライトがぴかぴかと点滅を始めた。あ、電話が鳴っている! と気付くのに数秒かかった。ほうら、やっぱり期待していない方がいいんだ。しかし、まさか、こんなタイミングで、ねえ。と一人でにそにそ笑いながら電話機を取り上げて、右手に持って電話機を軽く振って開く。

 パカリと音がして、明るく光る画面に表れていたのは、こんな夜更けに設定されたアラームだった。そうだ、今夜は好きなラジオがあるから、聴くのを忘れないようにって……ああ。

 そんな事にばかり気が回る自分の用心深さが憎たらしかった。またそれを忘れて、メールの返事が来なくてひたすら焦っていた自分が恥ずかしかった。

 結局、それでなんだか気持ちが冷めてしまい、僕は予定通りラジオのスイッチを入れてチューニングを合わせた。少しだけノイズがざりざりと混じって、すぐに軽快な音楽が聞こえてきた。それは最近このラジオ局が流行らそうと推し捲っていて、でも売れたという話をとんと聞かない歌だった。確かタイトルは「90日間ラプソディ」といったっけな。


 その曲調の明るいわりに陰気な歌詞の続く売れないポップスを聞き流しながら、そういえばさっきメールしてから一時間半経っていることに気が付いた。

 僕の場合「90分間ラプソディ」だな、と思ったが、二重の意味で笑えない洒落だと気が付いて数秒間落ち込んだ。まだ曲は終わらない。番組一発目の好きな投稿コーナーが始まる前に、トイレを済ませて夜食を持って来よう。

 僕は電話機を部屋に残して、ラジオも点けたまま部屋を出た。廊下に出てすぐ、部屋の中でバイブレーターと着信音が鳴っているような気がしたけれど、立ち止まらずに階段をとんことんことん、とリズムよく降りていった。まずはトイレ。次に台所だ。


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― 新着の感想 ―
[一言] メールを待つもどかしさが文章から強く伝わってきて圧倒されました。LINEもSkypeもない時代の焦燥感。携帯がないころはもっとだったのでしょうね。 途中、主人公が空回りするところは笑ってし…
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