第7話「緑天統」
「では、まずは報告を聞こうか」
そう言って玉座に座ったまま、目の前に立つ人物に報告を促すのは憂いに満ちた雰囲気を持つ、この国の王ハウルウト一世。
その国王の言葉に真っ先に答えたのは、破壊された路地にてグレス含むアイシスを捕らえたリレム卿であった。
「は、本日、こちらのアイシス卿が務めます大聖堂にてセファナード教国からの使者、枢機卿が二人参られました。かの者たちの目的はかねてよりの教国からの申し出、こちらのアイシス卿を司教として迎え入れるためのものです」
その件についてはアルフェス王国側からも承認をしており、彼女の教国への移動には口は出す気もなかった。
むしろ、アイシスが教国へ司教として迎えられるなら、それはアルフェス王国にとって北の大勢力とも言えるセファナードとの関係を深める有効なチャンス。
それを見逃す理由など、どこにもない。
「ですが、その際に謎のウォーレム族の男が二名。こちらのアイシス卿を連れ去るのを大聖堂の周りにいた複数の人物たちが目撃。それを教国の枢機卿が追ったとのこと。その後、路地にて都市の一部を破壊する戦闘が繰り広げられた様子。その後、教国の枢機卿はアイシス卿をさらった賊の手により撤退し、あとに残った賊二名を捕らえた次第です」
リレムのその報告は嘘偽りない真実のものであった。
実際、この都市にいる第三者の目から見ればグレス達の行動は紛れもない誘拐そのものであり、それを追った枢機卿との戦闘においても被害を出したのはグレス達であると見るのが当然の見解である。
リレムの方にグレス達を嵌める意思があろうとなかろうと、先の発言は間違いない事実であるのだから。
「お待ちください」
しかし、そのリレムの報告に待ったをかけるのはさらわれた張本人であり、自らこの報告に加わったアイシスであった。
「リレム卿の報告は間違いありません。ですが視点が少々違います。それはあくまでもあの状況を何も知らなかった外から見た第三者からの報告です。
あの場にいた。そのウォーレム族の二人にさらわれた当事者である私からの報告は少々異なります」
言って先のリレムの報告の穴埋めをするように、アイシスが直接見て知った真実を語る。
「まず彼らが私をさらったのは教国に私の身柄を確保させないための致し方のない強硬手段だったためです。そして、先程の街中での戦闘およびその被害を出したのは彼らではありません。その教国からの使者・枢機卿が行った破壊活動です」
そのアイシスの発言に玉座に座る国王の口から「ほう……」とどこか驚愕するような吐息が漏れる。
しかし、そのアイシスの発言に待ったをかけるのは先程報告を行ったリレム。
「とても信じられませんね。アイシス嬢はお優しい聖女で有名ですから、捕らえた二人のために嘘をついている可能性があるのでは?少しでも罪を軽くしようと枢機卿側の被害であったと進言している可能性もあるかと」
「信じがたいことかもしれませんが、これは紛れもない事実です。どころか教団の枢機卿は私を確保するためならこの都市の住人をいくら犠牲にしても構わないと攻撃を仕掛け、あまつさえ目的であったはずの私にさえ手をかけようとしました。彼ら、私をさらったウォーレム族の二人がいなければ被害はもっと大きくなっており、私自身の身の安全も危うかったかもしれません」
しかし、そのリレムの反抗に対しても真っ向から真実を語るアイシス。
その彼女の真摯な口調にはさすがのリレムも口をつぐみ、それと変わる形で今度は国王自身が問いをかける。
「わかった。だがアイシスよ、君の発言が真実だとしてなぜ教国の枢機卿がそれほどまでの強硬手段に出た?君を連れ去れないとわかったのなら、おとなしく引き返せばいいものを、そうまで固執して君一人を連れ去ろうとする動機が未だに理解できない。
極論、ひとつの国を敵に回してまで彼らが君にこだわる理由に心当たりは?」
「もちろん、あります。と言っても私自身それは先の二人のウォーレム族から聞かされたばかりで確信はないのですが」
と言いつつもアイシスは己が知るすべての情報を明かす。
自身に宿った刻印の正体。それを教国が求める理由。そして、教国の背後には魔族が潜んでいる可能性。
「馬鹿馬鹿しい。あの教国が魔族と手を組んでいる?ありえない事態でしょう国王。
これは確実にあの二人のウォーレム族が作り上げたでまかせですぞ」
無論そんな情報をはじめから信じるほどここに集った国の上層部の者は物分りがよいはずもなく、それを代表するようにリレムが口を開く。
そして、そのリレムの言葉に口には出さなくともこの場の国王を含むほとんどの人物が同意しているのが見て取れる。
それもそうであろう。セファナード教国と言えばこのエル=ユーナにおける数少ない希望の大国。
特に北の魔族の侵攻や侵略を幾度も阻んできた歴戦の教国だ。
今現在の魔族と人間との戦いにおいて最も最前線でその成果を上げている歴史ある国なのだから。
「……私も最初はそう思いました。ですが、それは事実だと先程理解しました。なぜなら、先程申しました路地での戦い、その決着の際、枢機卿を連れ戻すべく現れた人物。あれは紛れもない魔族――白き死神でした」
その名を聞いた瞬間、初めてこの王の間に動揺が走る。
それまで周囲でただ黙ったまま話を聞き、その様を記録していたはずの記録係すら動揺に国王付きの神官達すら慌てふためく様子。
なぜならそれほどまでに先程のアイシスが放った“白き死神”というワードは忌まわしくも強烈であり、このアルフェス王国においてもその名は恐怖と危機の象徴であったのだから。
「それは紛れもないあの死神本人であったと申すのだな、アイシスよ」
国王の念を押すような問いかけにアイシスは迷いなく答える。
「はい、間違いありません。数年前、このアルフェスに襲撃を行った白き死神。そのものでした」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あーあ、それにしても退屈だなぁ」
そう言って、牢のベッドの上であくびをしながら足を伸ばしくつろいでいるのは褐色の少年グレス。
とてもそこが牢獄であり、囚われた身であるとは思えないほどに傲岸不遜な態度であり、いつもと全く変わらない態度に隣に座るバサルトも思わず苦笑をする。
「まあ、そう言わずもう少し待ってみようよ。彼女、アイシスさんが自ら僕たちの弁明をしてくれるって言うんだから、ここは信じて待ってみようよ」
そう、あの時、アルフェスの兵士達に囲まれながらも実はグレス・バサルト達なら余裕でその網を突破できる自信があった。
だが、そうしなかった理由は不必要な犠牲を恐れたため、強行突破ともなればアルフェス側にも被害は出て、後のアルフェスからの追っ手や関係性の悪化を恐れたため。
なによりも、あの場で自分たちが捕らわれるとわかった瞬間アイシスがそれまでと異なる雰囲気で自分たちに断言したからである。
「必ず私が貴方たちの無罪を証明します!ですから、ほんの少し私に時間をください!」
それは先程まで自分を救うために、また瓦礫の下敷きとなった街の人々の戦ってくれたグレスやバサルトに対する恩返しだったのだろう。
なによりも――
「……グレス、右腕の調子はどうだい?」
「ああ、まあ今のところはなんとか動いてるな。けど、この様子じゃ一週間で右腕は完全に石に変わるかもな」
そう、あの時、アイシスを庇うためにつきだしたグレスの右腕。
そこには魔王の呪いの一つ“石化の腕”の呪いが刻まれており、グレスの右腕の一部は石化したままなのだ。
もしあの場でグレスが庇わなければ、そうなっていたのはアイシスであり、ヘタをすれば彼女の命そのものが消えていた可能性もある。
ゆえに彼女は全霊を持って、今も国王含む国の上層部に対して全霊を持って弁舌を繰り広げているのだ。
そこにはグレスに対する信頼と感謝があったのだから。
だが、グレスがそうなったことに対し負い目を感じているのはアイシスひとりだけではなかった。
「……すまない、グレス」
「あ?なんでお前が謝ってんだよ、バサルト」
「元はと言えば僕が、魔族を打倒しようなんて言ったからだ。これは僕ひとりの復讐に過ぎなかったのに親友の君を巻き込んでしまった。君が僕と行動を共にしなければ、そんな目にあわなかったはずなんだ。本当にすまない」
そう、グレスがこうなったもともとの原因。ここへ来るために共に旅をしたバサルトの方にこそ、親友をそのような目に負わせたというアイシス以上の責任感を感じていた。
だが、そんな親友の謝罪に対してグレスはまるでつまらないこととばかりに吹き飛ばす。
「なに言ってんだ、お前に勝手についてきたのは俺の方だろうが。なんでお前が責任感じてんだよ。アホか。
むしろ、勝手についてきた俺の自己責任だろうし、あの時の詰めが甘かった俺の分析ミスだっつーの」
「けど、それでも君をそんな目に合わせたのは……」
「それに、なにもこれをなんとか出来る手段がないわけじゃねーんだぜ」
「え?」
その言葉を聞き、バサルトは親友の方を振り向く。
その顔には命の刻限に対して怯える表情はなく、命日を受け入れた諦観した表情もなかった。
「あいつがあの時、言っていただろう。対処の手段はあるって。それはつまり仮に対象が石化したとしても、それを元に戻す手段もちゃんと有してるってことだ」
それはあの時、ソーマの腕がアイシスに伸びた瞬間。それがもしも対象にそのまま命中した際、どうするつもりであったのか。
いかにソーマが目的達成のために他のあらゆる犠牲を厭わないとしても、目的そのものを破壊してはどうしようもない。
だが、言ったように目的がどのような状態であってもそれが達成の条件になるというのなら、それはすなわちグレスが言ったように教国側には魔王の呪いを解除する手段があるということ。
もともと交渉において、毒が効果を発揮するのは解毒を有している場合のみであり、解毒剤のない毒は交渉の材料となりえない。
それと同様にあれほど危険な能力を有したソーマが任務に派遣された理由も突き詰めればそうした背景が存在したからであろう。
それをグレスも薄々感じ取っていたからこそ迷いなくアイシスを庇うことができ、あの時のソーマへの問いかけもその背景を確信へと導くためのものであったのだ。
「つまり俺達の目的ははっきりしてるってわけだ」
バサルトの言う仇である“白き死神”と呼ばれる魔族。
その魔族が所属していると思わしきセファナード教国。
そして、グレスの石化の呪いを解くための手段もまたそこに。
ならばグレスの言うとおり、彼とバサルトの目的はここに決定した。
「セファナード教国。そこが俺たちが目指すべき場所ってことだ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方で、二人が自分たちの目的地を定めると同時に、このアルフェス王国の王城の中心、王座の間でもひとつの方向性が定まろうとしていた。
「なるほど。アイシス、君の言うことが真実だとするならば、確かに教国が白であるとは断言しにくい。
かと言ってかの教国は今やこの世界の中枢と言っていいほどの強大な存在だ。
あの教国を敵に回すともなれば、それは全世界から国のつながりから我が国だけ外れるようなもの。
よってかの教国にそのまま侵攻を行うというわけにはいかない」
国王ハウルウト一世の言うとおり、いかに相手が魔族と組んでいる可能性があるとは言っても教国が持つ影響力は凄まじく、それが発覚しないうちに枢機卿の襲撃を口実に戦争に踏み切るのはアルフェス王国にとってもあまりにリスクが高い。
「よって、我々が討伐するべきは“あくまでも北の魔族”。
白き死神を擁する死の王とする」
ハウルウト一世の言葉の意味をすぐさま理解するアイシス。
「我らはこれより軍をまとめ、我が領土を攻撃した白き死神が所属する死の王の居城へと進軍を開始する。その際、“道中”にはセファナード教国があるはず。
我らは教国へと立ち寄り共に北の魔王討伐への進言を行う。その際に先のアルフェスでの被害が教国側の非であったのなら、その責任と所在を求める次第であり、それを持って魔王討伐に協力してくれるならば、それで構わない。
もとより我ら人類共通の敵は魔族であるはずなのだから」
それは落としどころとしては極めて合理的な部分であろう。
教国が魔族と組んでいたとしても、その証拠がない以上、アルフェス側からセファナードへの侵攻はリスクが高い。
だが、北の魔王討伐を目的としたセファナード訪問であれば、どうであろう。
もしも、アイシスやかのウォーレム族の少年たちの言うことが真実であれば、セファナード側の対応に不審な部分が見られるであろう。
そのまま魔族との繋がりが教国側において発覚すれば、それを改めて公表した後、セファナードを侵攻する理由とすれば、正当性はアルフェス王国にあり、セファナードのこの世界における立場を恐る必要はなくなる。
仮にセファナードが共に魔族討伐に協力するのであれば、それは元凶とも言える北の魔王討伐をそのまま行えて、アイシスが宿ったとされる贄の刻印の解除も行われる。
つまりはどちらに転んだとしても、アルフェスにとって不利にはならない目的と言える。
「もとより我らアルフェスも数年前、北の魔族の侵略により多大な被害を出した。
その際に失った命に対しても北の魔族への報復は遠からず行うべきであったからな」
そう重い口調で語るハウルウト一世の言葉にアイシスもまたどこか悲しみに満ちた表情でうつむく。
数年前、突如として侵攻を行った北の魔族たちによる侵略。
それまで他の大陸に興味を持たなかった北の魔族たちが、まるで何かを探し求めるかのように海を越え、はるか遠いこの東の大陸のアルフェスを襲った事件。
その際、多くの人命が失われたが、中でもアルフェスにとって最も大きな損失とはアイシスの姉、当時のアルフェスの聖女を北の魔族の手によって殺されたことであろう。
そんな痛ましい過去を振り返りつつあるアイシスに再び国王ハウルウト一世が声をかける。
「時にアイシスよ、北の魔族討伐には君も参加をするかね?」
それは先の魔族襲撃の際、姉を失ったアイシスに対しての問いであった。
肉親の仇を打てるチャンス。それを国王はアイシスに問いかけたのだ。
「……もちろん参加いたします。まだ私は若輩の神官のひとりに過ぎませんが、それでも戦場で誰かが怪我をするのなら、それを癒すのは私の仕事です」
そう言ってアイシスは国王からの参加希望へ名乗りを上げる。
ただし、それは先の仇に対するものではなく、あくまでも戦場で倒れる人を癒すためと目的をおいてのものであった。
「いいだろう。では君の参加を許可する」
その国王の許可に頭を下げるアイシス。続いて軍の編成や指揮など、この場に集った者へと命を下していく国王。
しかし、その国王の命に対し、隣に控えた白衣に身を包んだひとりの男が進言をする。
「陛下。恐れながら申し上げます。今回の北の魔族討伐に関してアルフェス正規軍だけでなく、傭兵や探求者、この国に存在する腕に覚えのある者たちを雇ってはどうでしょうか?」
「ふむ。理由は?」
「無論、自国の防衛をおろそかにしてはならないのは第一ですが、あくまでも我らのセファナード訪問は“協力要請”。自国の正規兵で固めてはいらぬ警戒を抱かれます。ならば自国の正規兵はあくまでも少数精鋭で固めるのがよろしいかと」
そして、その足りない戦力の部分を傭兵などでカバーするとの進言であった。
この世界において、傭兵や探求者の実力は王国の正規兵にも匹敵し、英雄と呼ばれる多くその存在はそうした名も無き探求者の中に存在することを歴史の多くが証明している。
それを鑑みても、傭兵や探求者を雇うという考え方自体もメリットの一つとなる。
「よかろう。では卿の進言を採用する。細かい募集の内容や条件は後ほど相談にて決めよう……っ」
だが、不意にその際、国王が突如として咳き込み、わずかに周りにいた兵士が駆け寄るような素振りを見せるが、それはよくあることなのか、しばしの咳が終わると同時に先程と変わらぬカリスマ溢れた態度を見せる。
「……では、あとのことは任せる。軍の編成は今申したとおり、各々の将軍が取り仕切ること。それと卿には先の傭兵募集と囚われた二名の判断を任せる」
「お任せ下さい、陛下」
そう言って国王は先程進言をした白衣の男にあとを任せるように、わずかに曇った表情を隠すようにこの場より退出する。
それと入れ違うように残った白衣の男がアイシスの前まで歩き、静かに頭を垂れ挨拶を行う。
「はじめましてアイシスさん。貴方のお噂は聞き及んでおりました。こうした顔見せとなりますが、共に今回の魔族討伐にぜひご協力をお願いします」
「あ、いえ、私のほうこそお願い致します」
思わず反射で同じく頭を下げるアイシスに男はどこか微笑ましく笑みを漏らす。
「ふふ、噂通り真面目な方なのですね。本来なら雑談など楽しみたいのですが、そうもいきませんね。
では、まずは貴方を救ったという二名の事情聴取を改めて行うとしましょう」
「え、あの、貴方が行うのですか?」
「ええ、国王よりそう任されましたので。ですが安心してください。貴方の先程の言葉が真実なら、彼らは釈放されるでしょう。と言ってもただでというわけにはいかないでしょうが」
そう言って含みを持たせるようにメガネを上にあげるその人物。
普通ならそのような仕草にどこか腹黒さを感じるものだが、この人物に関して言えば、なぜかそのような後ろめたい感情を感じられなかった。
「では急ぎましょう。いい加減、牢屋の床でその二人も居心地悪いでしょうからね」
「あの、その前に一つ、お名前を伺ってもいいでしょうか?」
早速足早に動こうとする白衣の男性に後ろから名を聞くアイシス。
それに対して男は「おっと、いけない」とつぶやき、すぐさま振り返り改めて自己紹介を行う。
「これは失礼をしました。私は国王専属の医師にして王国天術師“緑天統”ラシュム=ジラックスです」
それは王国において最高位の天術師に与えられる称号“緑”――すなわち風という天術を統治する者。
王国最高の風の天統師ラシュムであった。