第6話「死神」
「さてと。おい、怪我はなかったか?あー……アイシスだったよな?」
ソーマが倒れると同時にそう振り返って声をかけるグレス。
「あ、はい、大丈夫……です。あ、あの、それより貴方の怪我の方が……!」
自らを心配してくれるのは嬉しいが、それよりもアイシスにとってグレスが受けた傷の方が大事である。
ただの傷ならばなんとでも出来る。だが、グレスが受けたそれは魔王の呪い。
それによって刻まれた呪いは現代のこの世界に伝わる三つの神秘のいずれを持ってしも解除は不可能であるのだから。
「なーに、これくらい心配すんなって。ちょっと腕が石になったくらいだろ」
「いえ、あの、それって十分まずいですよ……!」
見るとグレスの右腕に刻まれた石の侵食は今のところそれほど広がってはいない様子だが、それでも確実にグレスの右腕の一部分は石となっている。
おそらく僅かずつだが、あの石化はドンドン広がり最終的には右腕だけと言わず全身にすら広がりグレスの命はないであろう。
「気にすんなって。それにこれをなんとかする手段もないわけじゃない。
それよりも悪いがもうしばらくそのまま海鳴術続けてくれねーか?俺たちが瓦礫の下の連中を引っ張り出すからよ。というわけでおい、バサルト手伝ってくんねーか?」
「それはいいけどグレス、君その腕本当に大丈夫なのかい?
無理せず休んでてもいいんだよ」
「うるせーな、一人よりも二人のほうがはえーだろう」
にも関わらず少年はまるで大したことのないようにそれを流し、なんとなる手段もあるといいつつ、親友の手を借りながら共に瓦礫を動かし始める。
この時、アイシスはこの二人に対し信頼を寄せてもいいとそんな感情を覚え始める。
最初はいきなり誘拐され、刻印がどうの、教国と魔族との繋がりがどうのと言われ戸惑った。
無論いまでもその全てが真実であるかどうかアイシスにはわからない。だがそれでも、この二人が目的のために何かを犠牲にする人物ではないと、そう信じられる光景を先程の戦闘も含め目の前で見せてくれたのだから。
「……ふざ、けるなよ……」
だが、そうして二人が瓦礫を退かそうとした際、背後から立ち上がる声が聞こえる。
「……驚いたな。確かに直撃したはずがまだ立てるのかよ」
それは両腕は焼かれ、胸部にすら爆発の衝撃により焼け爛れた皮膚が見えているにも関わらず立ち上がったソーマの姿であった。
「大した生命力……と言いたいところだが、本来ならその傷で肉体が動かせるはずはねぇ。ってことは肉体を凌駕する精神力、と言うべきか。お前のその狂気にも似た任務達成への想いにはつくづく驚かされるぜ」
「貴様らのような捨てる覚悟も持たない輩が俺の忠義に口出しをするな……」
そう、先程までの戦闘と同じくソーマを突き動かしているのはあくまでも任務達成への感情のみ。
そのためならあらゆる犠牲を厭わない。そう、自身の命であったとしても彼は任務を遂行する。
「……捨てる覚悟ねぇ」
その言葉にグレスはどこか哀れみと共に寂しさを込める。
「――ソーマ卿。僕たちは貴方を殺す気はありませんが、ですが貴方たち教団とその背後の繋がりを調べています。貴方たち教団はなにかと組んでいる可能性がある。そして、先程の貴方の行動を見てそれは魔族である可能性が高いと僕たちは踏んでいます」
グレスのつぶやきを知ってか知らずか、ソーマへの尋問とばかり彼とグレスとの間に割ってはいるバサルト。
「教えてください。あなたがた教団は魔族と、いえ、北の魔王――“死の王”タナトスと繋がりがあるのですか?」
そのバサルトの質問には意外な形で答えが示された。
瞬間、その気配を最初に感じたのはグレスであった。
彼は何を血迷ったのか未だ海鳴術をかけ続けているアイシスを突き飛ばす。
その衝動で披露と集中で限界状態にあったアイシスの海鳴術が途切れる。
なにが起こったのか。
それを理解するよりも早く、アイシスが先程までいた場所に白い風が吹き通る。
瞬間、彼らの前にあった瓦礫の山、それが瞬時に吹き飛び粉々となる。
それはゆうに数メートルを越すほどの瓦礫の山であり、いくつもの建物が崩れ出来た巨大な岩とも呼べる代物。
だがそれが瞬時に跡形もなく消し飛ぶ。
吹き飛ばしたのではない。文字通り瓦礫の岩や石、それら全てが目に見えない欠片となって砕け消滅したのだ。
そのような現象。この世界に伝わる三つの神秘、いずれを駆使しても行うことは不可能な現象。
グレスにしろバサルトにしろ、彼らの能力で瓦礫を砕き粉砕することは可能であろう。
だが、あれだけの大質量のものを瞬時に消滅させる術など存在しない。
それをわずか瞬きの間に行った人物。
最初に目に入ったのは銀色の髪。
腰ほどの長さまで伸びたその髪は先程の瓦礫の消失によって流れる風によって美しくしろがね色に輝いていた。
その服も髪と同様にまるで雪のように純白のコートであり、汚れ一つないそのさまは、まさにこの世ならざす天の御使いをも思わせる。
だが、その表情、髪やコートと同じ真っ白い肌にありながら瞳だけは異形の金色に輝いていた。
穢れない天使を思わせるその姿と相反した、どこか真冬の氷にも似た瞳と、そこから溢れる凍りつくような雰囲気。
そしてその手に持った命を刈り取るような形を持つ武器――すなわち大鎌。
これは天よりの御使いなどでは断じてない。同じこの世ならざる異形であったとしても、これは生とは正反対の死を司る御使いそのもの。
「白い――死神――」
ぽつりと、アイシスが呟いた。
先程、目の前の人物消し去った瓦礫のわずかに残った粒子がまるで雪のようにこの場にパラパラと振り落ち。
それはまさに雪原に佇む死神そのものの姿であった。
「……ジェラード=ファルーア……っ」
その死神――ジェラード――の名前をソーマは静かに、だがどこか忌々しげに吐き捨てる。
「……潮時だ、ソーマ。これ以上の被害を出す必要はない。任務は撤回だ」
名を呼ばれた死神は静かに目の前の激情の炎を宿す男と対照的に、まるで機械的な口調で告げる。
「ふざけるな……俺はまだ任務を遂行出来る。あの方の命に従い、その聖女を……」
「あの方の命令だ。あまりにも被害を出すようであれば任務を撤回すると。グリムからの連絡を受けあの方もこうなるのではと、私を派遣した次第だ」
そのジェラードのセリフにソーマはわずかに舌打ちをし、だがしかし、次の瞬間には先程までの激情はまるで霜露のように消えていた。
「……了解した」
そうしてソーマと共にジェラードが移動を開始しようとした矢先
何を思ってか、それまで静かだったバサルトが瞬時に動く。
これまでソーマとの戦いを踏まえて、相手に斬りかかる際は必ず横にいたグレスとの連携や相槌、そうした動作のやり取りがあった。
つまりは計算され無駄のない戦術に則った攻撃であった。
だが、いま目の前に現れた死神に向け放った攻撃とはそれとはまるで異なる。
言うなれば感情や激情に任せた、なんの策もない、いわば考えなしの反射的攻撃と言っても良かった。
その証拠に先程破壊された剣の代わりに地面に落ちていた鉄棒を拾い、それをそのまま武器として放った。
まともな武器や状況、自身の身体いずれも考慮しないその愚策とも言える特攻は当然、ジェラードが手に持った鎌によって防がれる。
「…………」
自らに特攻を仕掛けた相手に対し、しかしジェラードは殺意もなく、ただ静かに観察するようにその人物の姿、動作を眺める。
「……ようやく見せつけたぞ、白い死神」
そうしてそこに見せたバサルトの表情は背後のアイシスが見れば別人かと疑うほどの凄惨な表情であった。
口元は三日月に笑い、だがその目は怒りとも狂気とも取れるような光を宿し、表情の全ては目の前の人物を殺すことのみに集中した顔であった。
今までの一連のやりとりから、彼を知る者がその表情を見れば疑ったであろう。
いや、“彼を知る人物であればあるほど”今目の前にいる人物が本当にバサルトであるのかすら疑ったであろう。
先程までの高潔かつ真摯、まさに英雄という言葉を体現するにふさわしかった雰囲気はどこにもない。
それに気づいてか、気づかずか、バサルトを止めるべく背後でグレスの叫びが聞こえる。
だが、そんな親友の叫びにすらバサルトは気づいていないのか、先程のセリフの続きを吐く。
「二年前のロアドゥ族の壊滅を覚えているか?お前たち魔族によって滅ぼされた一族だ。
その魔族を率いていたのは白い死神の魔族だった……お前だな?」
バサルトのそんな血を吐くようなセリフに、ジェラードは答えない。
ただどこまで雪のような冷たい視線でバサルトを見て、やがて背後から加勢に現れたグレスの姿を見て
鍔競り合うバサルトを押し返し、グレスの方へと吹き飛ばす。
「……ぐっ」
先程までの戦いの披露と、武器の消失によって為すがままグレスの方へと吹き飛ばされ、受け止められるバサルト。
しかし、その視線は目の前の死神から外しておらず、だからこそ気づいた。
目の前の死神が自分ではなく、ましてグレスでもなく、別の誰か――残るアイシスを見ていたことに。
「アルフェスの聖女アイシスだな」
「え?あ、は、はい……!」
そうしてジェラードはアイシスの方へと突如話しかけられる。
話しかけられたアイシスも咄嗟に返事をするが、なぜ自分に話しかけるのか、その原因を探り気がつく。
そう、最初グレスに突き飛ばされる寸前に、自分のいた場所を通り過ぎた白い風。
今にして思えば、あれは紛れもないこの人物。で、あるなら彼の狙いは最初から自分。
おそらく瓦礫の破壊など目の前の視界を広げるためのおまけであり、彼の狙いは最初から自分を連れ去ること。
つまりは、セファナード教国と同じ狙いは自分。
グレス達が言ったとおりこの刻印こそが彼らが狙うその証でもあると。
ならば、彼の次の行動はやはり自分をさらうことなのかと、咄嗟に構え、しかしそれが無駄な抵抗に終わるだろうと覚悟し自分の足の震えを必死に抑えようとするアイシスであったが。
次にジェラードから飛び出したセリフは、そんな彼女の思考の全くの埒外であった。
「君の姉のこと――すまない」
「……え?」
それは謝罪。
唐突な、そしてこの場に最も適していないはずの言葉。
謝罪そのものもそうであるが、なぜ彼が自分の姉のことを知っているのか。
そしてなぜ、それについて詫びるのか。
その思考に行き着いた時、アイシスはあるひとつの情景を思い出す。
そう、かつてこれと全く同じような状況があったこと。
かつて、一度だけ味わったこの世の地獄。
燃える火の海。
生きながら焼かれる人々。
建物の下敷きとなり動けない人。
そして、自らもまた瓦礫に埋もれ助けを呼ぶ中、目の前でそんな自分を救おうと手を伸ばしたひとりの聖女。
それは彼女の憧れであり、彼女の原点。彼女が尊敬する肉親。
そして、そんな彼女が目の前で切り裂かれる姿。
白い――紅蓮に燃える景色の中で――唯一真っ白な――雪ような姿をした死神。
その彼に殺される姉の姿――。
雪のように冷たく、凍えるような瞳で、けれど、どこか寂しそうな瞳を持った死神。
死を覚悟した地獄の中で見たアイシスが見た最後の光景。
「あな……たは……あの、時の……?」
震える声で、その真相を問おうとしたアイシスだが、それに答えが帰ってくることはなかった。
死神は手に持った鎌を目の前の空間目掛け振り下ろしたかと思うと、その空間の次元が歪み、それに巻き込まれるようにジェラードも、彼と共にいたソーマもまた姿を消した。
あとには呆然とするアイシスと、それと相反し、彼らの姿が消えると同時に地面に拳を叩きつけ激情を灯すバサルトの姿があった。
「……おい、バサルト」
そんな親友の姿を彼もまた初めて見たのかもしれない。いつもとは全く異なる激情に任せた行動に声をかけるグレスであるが、返ってきたのはある種グレスの想像とは異なるものであった。
「……よかったよ、グレス」
それは憤りを超える歓喜。
「ああ、ここまで来たことはやっぱり無駄じゃなかった。はは、やっと、やっと会えたんだ僕達の仇に。故郷の、家族の、恋人の仇に、やっと、やっと会えたんだ。無駄じゃなかった。僕の、僕たちの二年間は無駄じゃなかったんだよ、グレス」
その顔は地面にこすりつけるように深くうだっており見ることはできない。
それでもその表情は怒りか、それとも今の言葉を鑑みて歓喜か。いずれにしろグレスが知る親友の表情ではないことをどこかで知りつつ、彼は親友の言葉に素直に頷く。
「……ああ、そうだな。共に家族の仇を、一族の仇を取って旗あげてやろうぜ。それが俺たちに出来る唯一の供養だろうよ」
そのグレスの言葉を静かに聞き、うなだれたままのバサルトであったが、やばてしばしの時間の後ゆっくりと立ち上がり親友の方を向く。
その表情はいつもの穏やかな、グレスの知る英雄然とした友の顔であった。
それを見てどこか安心するように笑ったグレスはいまだ呆然としているアイシスの方に近づき、頬を軽くペチペチと戦う。
「おーい、そっちのお前はどうだー?ちゃんと意識あるのかー?」
「わっ!び、びっくりするな!い、いきなりなにするの!」
さすがに突然頬を触られるとは思っていなかったのでそのショックで咄嗟に現実に意識が戻るアイシス。
それを見て目の前の少年はどこかいたずらっぽく笑う。
「いやなーに、せっかく聖女様の呆然とした無防備な姿だったんでな、つい意地悪したくなってな」
その少年のしたり顔に、どこか気恥かしさを覚え頬を赤く染めるアイシス。
「もぉー、君ってわりと意地悪なんだね」
「そいつはよく言われるな」
言いながらも、どこかまんざらでもないグレスの返しに、アイシスはひょっとしてこの少年は自分を元気づけようとしたのかな?と思い、しかし、今の現状を思い出したアイシスは先程吹き飛ばされた瓦礫の下にいた住民たちに気づき、彼らに近づこうと足を動かそうとした直前。
「そこまでです。誘拐犯」
見るとこの路地を取り囲むように出口、建物の屋根の上空、あらゆる場所から複数の兵士たちが弓や剣、各々武器を手に取り囲んでいた。
そして、その兵士たちを指揮する人物。貴族の服を身にまとい、醜く膨れ上がった腹と脂肪のついた顔で不遜な態度を隠しもせず、兵たちの列の中から現れる人物がいた。
「なんだー、この醜いスライムおっさんは」
そんな誰が見ても同じような感想を抱く言葉を惜しげもなく言い放つグレスに対し、目の前のその貴族はわずかにシワを寄せるだけであり、まるで虫けらの戯言とばかりにグレスのセリフを流す。
そんなグレスの反応と異なり、どこか緊張するように、そしてアイシスは、彼女にしては珍しくわずかばかりの嫌悪感を抱き目の前の人物の名を呟いた。
「……リレム、卿……」
「これはこれは、見目麗しい聖女アイシス様に私のことを覚えていただき光栄です。久しぶりに会えたのですから積もる話もありますが、いまはそれよりも……」
言ってどこか舐めるようにアイシスの全身を眺めた後、リレムと呼ばれた貴族は周りに控えた兵たちに一言、命令を降す。
「――捕えろ」
そのリレムの命令と共に、アイシス奪還に来たグレス・バサルトの二人はアルフェス王国へと捕らわれることとなる。