第3話「石化の腕」
ソーマ=リカルド。
そう名乗ったセファナード教国の枢機卿は自らその証である枢機卿のローブを脱ぎ去り、その下から戦闘用のようためにあつらえさせた軽装の装備が現れる。
だが、驚くべきは彼の右腕。
それは本来人が持つべき肌の色でなく、まるでそこだけが石像の腕をはめ込んだかのような異質な存在感。
にもかかわらず、それのみが独立した生き物であるかのように脈動を行い、見る者の恐怖と忌避感を仰ぐ。
無論それは対峙しているグレスやバサルト、アイシスに至っても同じであり
三者共に目の前の人物に対し警戒を行うことで精一杯であり、それはさながらひとつの緊張状態を保っていた。
だが、その緊張を破ったのはやはりというか対峙するソーマであった。
「貴様達ふたり“ロアドゥ族”だな」
それは保護対象であるはずのアイシスではなく、そのアイシスをさらった二人の人物グレストとバサルトに対する問いかけであった。
「……ええ、その通りです」
問いに答えたのは先程アイシスに対して紳士な対応を行ってくれたバサルト。
彼は目の前の異形な右腕を持つソーマに対しても恐れもなく、緊張の糸は張ったままであるがハッキリと答えた。
「そうか。まさか生き残りがいたとはな」
そう呟くソーマの声色にはどこか忌々しさが乗っているように感じた。
「まあいい、そちらのアイシス嬢を引き渡せ。そうすればせめて楽には殺してやろう」
「つーかよ、どっちにしろ殺すんだろ?なら言うとおりにする義理なんてねぇだろう」
ソーマの発言に対しそう軽口を返したのは残るもう片方の少年グレス。
彼もまたバサルトと同様に警戒と緊張は怠っていないが、そこには恐怖の感情は微塵もなく、むしろ相手の動作を伺い、仕掛けるタイミングを測る狩人のような雰囲気が隠れていた。
「そうか。ならばお前たちに残された道は一つだ。この世で最も凄惨な死をその身に刻むがいい」
その宣告と同時であった。
ソーマの右腕が地面めがけ振り下ろされ、それと同時にソーマが立った場所起点として地面に亀裂が走り小規模の地震が発生する。
戸惑う三者に対し、即座に地をかけ右腕を振り抜くソーマ。狙いは先程、大聖堂にて自らの攻撃を防いだグレス。
通常のタイミングであれば、迫り来る拳を回避することは十分に可能であったが、その前に起こった地震によるバランス感覚の崩壊がそれを容易ならざる事態にしていた。
相手がどれほど巧みで速い能力を持っていようともグレスにはそれを避け対応するだけの自信と能力が備わっていた。
だが、先ほどの相手の初動はまさにそんな常套とは異なる埒外。
単純に力や腕力に自信のある者が先ほどのソーマと同じ行為を行ったとしても、彼と同じ現象を引き出すことなどまず不可能であろう。
なぜならば先ほどの行為は地砕きではなく、紛れもない地震そのもの。
この周囲一体の地面が文字通り揺れ、振動を起こしたのである。
ただの地砕きであればそれほどバランスを崩すことはまずない。だが、地震ともなれば状況はまるで異なる周囲一体全ての地が揺れ、建物や上空からの落下物さえ存在する。
それを先ほどの一瞬で想定するのはどのような戦術家であろうと不可能であろう。
ゆえにグレスは眼前に迫る拳に対し、バランスを崩した体制のままこのままでは直撃を受ける未来を幻視する。
無論、この状態でも防御することは可能であろう。だがグレスはそこになぜか言い知れぬ寒気を感じる。
相手は攻撃の直撃そのものよりも“防御による拳の接触”を狙っているのではないのか?
根拠など全くない空想に等しい考えであったが、先ほどの挙動を含め、相手の右腕が起こせる現象は明らかに常軌を逸している。
“あの右腕に触れてはまずい”
そう確信したグレストはとっさに自らの右手に意識を集中させる。
「――ラファ――シレティション――ラーカム」
それは古き神々が使っていたとされる言語。
この世すべての理を生み出した創造神、始祖の神が口にした言葉であり、それはそのまま世の理全てに与えられた名前でもある。
そして同時にその言語、始祖神語によってその名を呼ばれた世界の理、その粒子がグレスの右手に瞬時に集まり出す。
グレスが囁いた始祖神語の意味とはラファ――すなわち“風”
シレティション、それは“旋風”であり、残るラーカムが示す意味とは“鳥”
すなわちそれによって起こせる現象とは風に起因する能力。
「風の旋風鳥」
その名を紡ぐことでグレスの右手に突如として風が発生し、それを自らの胸に当てると同時にグレスはまるで旋風を舞う鳥のように即座に後方へと飛び、ソーマの拳が届くより遥かにその後ろへと上昇回避を行い、地面に降り立つ。
「……なるほど。最初に俺のナイフを防いだのもその応用か。貴様、天術使い(アルカナクラフト)か」
天術使い(アルカナクラフト)。
それはこの世界に伝わる三つの神秘の一つ天術を自在に使いこなす者たちを指す名称であった。
この世界には人が扱える中で神秘と呼ばれるに等しい三つの力が存在した。
それが“天術”、“海鳴”、そして”地脈”である。
天術とはその名の通り天を司る六つの属性により構成されたこの世界の魔術である。
太陽を司る上級属性「陽」
大気を駆け抜ける上級属性「風」
荒ぶる一撃を誇る下級属性「雷」
恵と癒しの力を持つ下級属性「水」
事象の凍結を可能とする下級属性「雪」
そして、これら五つの属性全てを備えた「空」
通常、天術使いとはこのうちのひとつの属性のみを備えて生まれる。
これは先天的に決まることであり、後天的になんらかの属性を備えることはありえないまさに天賦の才能と言っていい。
このため天術使いとはなろうと思ってなれる者ではなく、本人の生まれながらの素質により決定が許される能力者である。
「見たところ風の上級属性か。上級属性を持つ人間は珍しいと聞いたがそれがウォーレム族とはさらに珍しいな」
「お褒めの言葉どーも。けど、俺よりもアンタの方がよっぽど珍しいだろう。なんなんだよ、その右腕」
グレスの指摘はこの場にいる全員が感じた疑問でもある。だが、先ほどの一連の流れを見て内心グレスはソーマが宿した右腕の正体に対し予想を立てていた。
そしてそれは続くソーマの発言で確信へと変わる。
「すでに内心予測はついてるのだろう?俺のこの右腕に宿った力は、これは“石化の腕”。
この世界に伝わる魔王の呪い(サクセサーオブサタン)の一つだ」
魔王の呪い(サクセサーオブサタン)。
それは先程アイシスが聞いた言葉であり、自分の体に宿った呪いと同じ種類のものであると目の前の人物が語った。
「魔王の……呪い……?ソーマ枢機卿、なぜ教国に属する貴方がそのようなものを宿して……?」
アイシスの疑問も最もである。
なぜならソーマが属するセファナード教国とはこの世界を統治した神王クレイムディアを崇める総本山。その拠点。
そして神王クレイムディアとは魔王アルトサウディウスと対をなす存在とも呼ばれ、神王を信仰するセファナード教国の信者からすれば魔王とその眷属である魔族、そしてその魔王が残した魔王の呪いなどは不倶戴天の敵。
決して相いれることはなく、それを捕捉すれば即座に撃滅の対象とまでされている禁忌の存在である。
にもかかわらずその教国の重鎮であるはずの枢機卿が魔王の呪いを宿しているという矛盾。
それは自分と同じようにソーマ枢機卿も期せずして魔王の呪いを宿してしまったということなのか、それとも――。
「そんなもの、答えは目の前の通りだろう」
そんなアイシスの思考に水をかけるかのように自分とソーマとのあいだに立ちはだかるようにグレスが現れる。
「教国の枢機卿が魔王の呪いを宿し、それを何の遺憾なくこうして披露してんだ。てめえら魔族と組んでるんだろう?」
「え……?」
それはアイシスにとってありえてはいけない事態であり、あえてその答えに行き着くのを避けていた真実でもあった。
自分が信仰する教団の総本山。この世界において唯一の希望であり、魔族による争いによって各地が被害に遭っている中、唯一難攻不落、魔の襲撃を受け付けない神聖なる教国。
その中心が世界の敵である魔族と組んでいる。
それはアイシスがこれまで捧げてきた信仰そのものへの否定にする繋がる事実でもあった。
「お前たちが贄の刻印を宿した人物たちを世界各地で保護しているのも考えてみればそういうことだろう?
保護を名目に捕らえた贄の刻印の持ち主たちを魔族の王である魔王様に捧げている。その見返りとしてお前たちの国だけは魔族の侵攻から守られるとか、そんなところだろう?」
そのグレスの発言に対し、しかし心のどこかでアイシスは得心していた。
いくら一王国の聖女とは言え、まだ経験の浅い自分が教国へと引き抜かれるのは理屈としておかしい。
しかも、それがこの贄の刻印とやらを宿した直後ともなれば、もはや原因はそれしかありえない。
そして、目の前の人物が同じ魔王の呪いを宿し、自分を保護しに来たというのなら、やはりその答えは――。
「貴様らに何を言ったところで変わりはしない。俺はただ与えられた任務をこなすだけだ。そこの少女を我が国へと持ち帰る」
「ならば僕たちも僕たちの目的を遂行させてもらいます」
言って両者の問答を打ち破ったのはバサルトであった。
見ると彼が構えた剣から炎が吹き荒れ、それは刀身全てを覆い生き物のように脈動するそれがバサルトの一閃に応じるように目の前のソーマめがけまるで蛇のように飛びかかる。
「地脈――紅蓮!」
それは先程グレスが使用した天術とは異なるこの世界に伝わる三つの神秘の一つ地脈
先程の天術が空を現す能力ならば、この地脈とは大地に眠る力を具現化する能力である。
すなわち、地に眠る熱量――火でありマグマ、大地を芽吹かせる草木や花、あるいは砂であり、時として生き物の死骸そのものを飲み込む死であり、揺り篭を現す眠り。
そうしたこの世に起きるあらゆる現象を力として引き出せる三つの神秘の中で最も戦闘に特化した能力と呼べる。
それを現すようにバサルトが放った炎は瞬時にソーマを覆いその皮膚や体を火傷を与える。
通常の相手であれば、それだけで重傷を負わせることは可能であったろう。
だが、相手は何度も言うようにそのような常識の外にある能力を持つ者。
大気を震わせる咆哮と同時に自らにまとわりついていた炎の全てをかき消す。
同時にその反撃と言わんばかりに獣のごとく地を蹴り、自らに炎を放ったバサルト目掛け接近すると同時に殴打による応酬を与える。
拳打・手刀・掌底・回し蹴り。わずか秒数に満たない刹那にその攻防は数十を越え、バサルトもまたあるときは受け、流し、避け、そして組み手による防御を行っていた。
だが、これらすべての応酬が本命に対する布石に過ぎないことをバサルトは理解していた。
なぜなら相手の狙いはただ一点。右手による攻撃のみ。そこに集中していた。
このため、その攻撃を当てるためだけにわざと隙の大きい足技を行い、自らに踏み込んだ瞬間右拳によるカウンターを常に潜ませていた。
無論それはバサルトも気づいていた。相手の不自然な誘い、本命と思われる右拳による攻撃のみは必ず回避の一点のみに集中していた。
だが、接近での肉弾戦においてすべての攻撃を回避することなど不可能であり、やがて意図せず右拳による攻撃への回避の隙間を失ったバサルトはとっさに腰に掲げた鞘を手に取りそれを盾として防御を行う。
瞬間、それまで蓄積されていたグレスとバサルトの予感は的中した。
ソーマの右拳を受け止めた鞘がその場所を起点として突如として石へと変わっていく。
それは文字通り石化と呼ばれる現象そのものであり、バサルトは瞬時に石化の始まった鞘を眼前のソーマ目掛け投げ放ち、それをソーマが砕くと同時に散ったイシツブテを目潰し代わりに、バサルトは瞬時に後方へと下がる。
「やっぱ、予想通りだったな」
「ああ、そのようだね」
目の前で起きた現象を確認しつつ、グレスとバサルトは互いに頷き合う。
そう、先程の小規模の地震を引き起こした能力なぞ、ソーマが持つ右腕の能力にしてみれば小手先に過ぎない。
いま、目の前で起きたあの現象こそがソーマが宿す魔王の呪い“石化の腕”の真の能力。すなわち――
「石化。触れたものを石にする能力。それがお前の魔王の呪いの力だな」
今度こそグレスは確信を持ってそう断言する。
「その通りだ。俺が持つこの右腕は触れたものを石へと変える。そしてそれはお前たちが予想している通り、無機物だけに限らない。この手に触れたものは“生き物”であろうとも石へと変質させる」
「おいおい、いいのかよ、そんなあっさり自分の能力話して。対策でも建てられたらどーすんだ?」
だが指摘されたソーマはそれに動じることなく、むしろ自ら種明かしとばかり話し出す。
通常、自らが持つ能力や手札を明かすことなど戦術においては不利を招く以外メリットはない。
だが話すソーマ、そしてそれを聞くグレス達にとってそれが何ら状況が変わらないことを理解していた。なぜなら
「問題ない。なぜなら知ったところで対策など存在するのか?」
それが答えであった。
ソーマが持つ能力とは言ってしまえば触れれば終わりの一撃必殺の類。
そのような荒唐無稽な攻撃手段に対して対策もクソもあるはずがない。
唯一の対策は最初から最後までただひとつ“避けること”のみなのだから。
無論、それをグレスとバサルトも理解しているからこそ、ソーマのその返答に対し、ただ黙り込むほか術をなかった。
「理解したか?お前たちにはもはや俺のこの腕に掴まれ凄惨の死を迎えるよりほかはない。おそらく総合的な身体能力で言えばお前たち二人の方が俺よりは優れているだろう。
だが、一撃でも喰らえば終わりのお前たちは常に避け続けることしか出来ない。それでは攻撃に集中などできはしないし、仮に攻撃に転化すれば今度は回避がおろそかになりそうなれば文字通りいっかんの終わりだ」
そう、目の前のソーマの条件に対し、グレス達が負うリスクはあまりに重すぎる。
それはもはや戦闘における土台そのものが違うと言ってもいいほどであった。
戦術で覆せる能力を遥かに上回っていた。
と、普通ならそう思うはずである。だが
「どうだいグレス、勝率はどのくらいだい?」
「まあ、パターンにもよるかな。多少の犠牲付きでいいならハイリスクなら80%。
地道なローリスクタイプなら20%ってところか」
「なら、ローリスクの方で行こう。ここでお互いに大きな犠牲を出すのは後の痛手になるだろう」
「だな」
不敵に微笑み、その顔には僅かな絶望も敗北への恐怖も微塵もなかった。
あるのは双方への信頼。そして、それがもたらす勝利へのイメージ。
アイシスは二人のそんな関係を見つめながら、目の前の強大な人物に対する恐怖よりも、不思議とその雰囲気に魅せられた希望を感じ、一方のソーマもそのようなこの状況でありえないはずの希望を持つ二人に不快感を現す。
「この状況でよくもそれだけの自信を持てるな。それだけは褒めておこう」
「自信じゃねぇよ」
ソーマのその発言にしかしグレスは確信に満ちた笑みを浮かべ答える。
「確信だよ」