第2話「聖痕」
それは何度となくアイシスが見てきた物語の導入。
退屈な姫を突如として現れた騎士が有無を言わさず連れ去るように
いま自身がそうした場面に出くわし、少女は困惑を隠せずにいた。
「おい、なにさっきから惚けてんだよ。お前、アルフェスの聖女アイシスで間違いないんだな?」
「あっ、は、はい!そ、そうです」
目の前で自分をお姫様だっこしている少年にそう問われ、いまだ状況が分からぬまま反射的に答えてしまう。
だが冷静になって考えてみれば、いまこの少年は大聖堂のステンドグラスを叩き割りそこから自分を抱え上げ、あまつさえ連れ去らう発言までしてきた人物だ。
あまりの唐突な展開に思わず頭がショートしていたアイシスだが、だんだんと冷静さを取り戻しつつあった。
そんな矢先、彼女の不安をつくように少年と対峙する初老の枢機卿グリムが口を開く。
「ふむ。卿、そちらの少女をさらいに来たと言っていたが。もしや“マクスウェル”の手先かね?」
マクスウェル。枢機卿グリムが口にしたその単語はアイシスにとっては初耳のものであったが、それはどうやら少年にとってもそうであったようだ。
「はあ?マクスウェルだ?知るかよ、そんなもの。俺はそんなのとは関係ねーよ」
「ふむ。では何故そちらの少女を奪う。知っての通り、その少女はアルフェスの聖女であり、我らセファナード教国が彼女を迎えに来た。それを奪うということはアルフェスならびにセファナードに対する背信行為にあたるぞ」
「んなもの決まってるだろうが。お前らみたいな教会連中にはこいつは扱いきれねーよ」
初対面のはずの少年にまるで御しきれない暴れ馬のような言い方をされ、ちょっと心外なアイシスであったが、彼女が口を挟むよりも先に残るもうひとりの枢機卿ソーマが先に行動を起こす。
「議論の余地などはないでしょう、グリム卿。彼がマクスウェルの手先であろうとそうでなかろうと、こうした事態を想定してわれらが警護に来たのです。であれば、やることは一つでしょう。我ら教国の意に逆らう者には死を与えるまでです」
そう言うや否やソーマはローブの下に隠していた長剣を手に、アイシスを抱えた状態の少年へと即座に斬りかかる。
即断即決。戦場において腕の立つものは多くいる、がこうした決断を即座に行える者は実のところそうはいない。
敵が迫っていても周りの味方が硬直していた際、それにも思わず釣られ判断が鈍る者や、敵味方の判別ができず攻撃を受けてからでないと行動できない者が実のところ腕の良し悪しにかかわらず多く存在した。
ゆえにこうした決断を即座に下せる人物こそが、戦場において生き残る秘訣を身につけた者であり、このソーマもまたそうした戦士の側の人間であった。
だが、驚くべきはその攻撃を受け止める側であった。
両手はすでに少女を抱え塞がれているにもかかわらずソーマが降す一撃一撃が急所狙いのその攻撃を全て事前に見抜いていたかのように避け続けている。
が、やはり両手が塞がれ荷物を抱えた状態では反撃すら出来ない状態。
次第に壁際へと追い詰められ、それを計算に入れていたソーマが決着をつけようとしたその瞬間。
「だから言っただろうグレス。君はいつも先走りすぎだって」
少年の喉元に突き刺さるはずの一刺し。しかし、それを少年を避けようとせず、そうなることが分かっていたのか、目の前に現れた青年がソーマからの一刺しを受け止めていた。
「なに言ってんだよ。お前がいるから俺はいつだって無茶をするんだろ、バサルト」
「そうやっていつも宛にされても困るんだけどね。僕がいなかったらどうするつもりなんだい?」
「その時はその時で臨機応変にいくさ」
そう言って少年――グレスと呼ばれた人物が呼んだバサルトという人物。
金の髪のグレスという少年と同じ褐色の肌。だが、その立ち振る舞い、彼という人間から漂う気品ある佇まいは、まるでどこかの貴族か物語の英雄そのものであり、人を惹きつける不思議なカリスマ性を持っていた。
だが、そうした新たに現れた人物の判断を行う暇もなく、バサルトと呼ばれた人物がソーマから一刺しを払った直後、地面に剣を突き刺すと同時にその場所から突如としてあるはずのない花吹雪が吹き荒れる。
そこは土すらない聖堂の床であるにもかかわらず突き刺された地面からは確かに無数の花びら、しかも時期を無視した四季色取り時の花が咲き乱れ、その花吹雪を振り払ったあとにはすでにバサルトとグレスと呼ばれた二人と、それに抱えられたアイシスの姿はなかった。
「……教皇様にご連絡だ、グリム。“贄”が奪われたとな」
その状況に対し、しかしソーマは慌てる素振りも見せず落ち着いた様子でそう伝える。
「それは構わんが卿はどうするのかね?彼らを追おうにもなかなかの手練れであろう。あれはおそらく……“ロアドゥ族”の生き残りであろう」
その言葉に対しそれまで落ち着いた様子であったソーマがぴくりと反応を示し、まるで何か忌避するかのように激しい憎悪の光を宿し、舌打ちを行う。
「あの穢らわしい部族か。生き残りがいたとはな、これでは教皇様の救済に汚点が残ろう。ならばこそ、俺ひとりで片をつける。グリム、貴様の出る幕はない。“死神”にも伝えておけ、今回の任務、俺が教皇様より授かったもの。俺ひとりで完遂する、余計な邪魔は一切入れるな」
そういって先程までの聖職者としての顔はすでになく、そこにあったのはある種の狂気に染まった狂信者のごとき双眸。
神に仕える信者が、今のこの枢機卿の顔を目にすれば恐怖にすくみ上がるであろう。
だが彼を知るグリムはなんらの反応も示すことなく、ただ静かに頷き、その背に最後の忠言を行う。
「構いませんが、あまり激情に駆られこの都市ごと滅ぼし尽くさぬよう。ソーマ卿」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なんなのだろうか、この状況は。
いきなり現れた褐色の少年、グレスと名乗った人物にさらわれたアイシスだったが、その後現れたバサルトと名乗る青年より謝罪され、この状況に対し怒るべきなのか、不安がるべきなのか、私の体が目当てなの?!と叫ぶべきなのか、とりあえずのリアクションに迷っていた。
「先程はすみませんでした。アルフェスの聖女アイシス様、でよろしいのですよね?」
「は、はい、そうです」
と先程やったやり取りを目の前で申し訳なさそうに謝罪している青年バサルトに対しても行うアイシス。
その確認が取れたのかほっとしたように目の前の人物が微笑み、再び頭を下げて謝罪を行う。
「急に申し訳ありませんでした。ですが、僕たちにも事情があり、貴方を保護させて頂きました。あのまま教国へ渡すわけにはいきませんでしたから」
「保護って……それってどういう?」
それは先程セファナードの枢機卿より聞かされ、むしろ彼らがその保護を行おうとしており、冷静に考えれば、それはあなたたちからでは?とツッコミを入れたくなったが、目の前の青年の真摯な訴えになぜかそれが邪なものではないとアイシスは感じた。
その疑問に答えるかのように隣に立っていた少年グレスが、アイシスに問いかける。
「お前、最近体のどこかに妙な痣が出来てないか?聖痕みたいなやつだ。連中はそう言ってなかったか?」
「聖痕……はい、確かにありますが」
その言葉にアイシスは頷く。
「体のどこにあるか見せられるか?」
「え……へっ?!」
グレスのそんな唐突な発言に対して、アイシスは思わず顔を赤く染め一歩下がる。
や、やっぱりこれは私の体が目当てなの?!と叫ぶべきなのか。
「ちょ、グレス。女性に対してそんな急に肌を見せろだなんて失礼だよ。
す、すみません。ですが、これは大事なことなので差し障りなければ確認できないでしょうか?」
そういって先ほどのグレスの発言をフォローするようにバサルトが真摯にお願いをする。
見るとグレスという少年の方も先ほどの発言は冗談ではなく、むしろ真剣に邪な感情など入る余地がない表情をしていた。
それを見てアイシスも少なくともこの二人が邪な感情を持ってそんなことを言っているわけではないことを感じ取る。
「わ、わかりました。けれど、ちょっと後ろを向いていてください」
そう言って二人を後ろに向かせ、そのまま背を向けたアイシスはゆっくりと肩の服を脱ぎ、背中の一部分を露出していく。
なぜ自身が狙われたのか、その理由がその痣にあるようであり、それを確かめるためにも気恥かしさを飲み込みながら、アイシスは静かに背中越しに声をかける。
「も、もういいですよ。どうぞ、確認してください……」
そのアイシスの言葉に頷くように背後で振り返る音が聞こえる。
二人の男子がアイシスの背中。その左肩に刻まれた血のような赤い刻印を確認するや否や、バサルトの方から謝罪と共にお礼の言葉が飛び出す。
「ありがとうございます、アイシス様。もう肌をお隠しになられて大丈夫です」
その言葉を聞き、やや気恥かしさを感じつつもなるべく平静を装いつつ服を着直し、二人の方へ振り返るアイシス。
「貴方の背に宿った刻印。それは紛れもない『死の刻印』と呼ばれるものです」
「『死の刻印』?」
初めて聞くその言葉にアイシスは思わずオウム返しをする。
「まあ、わかりやすい言葉で言えば『魔王の呪い(サクセサーオブサタン)』のひとつだ」
グレスのその単語にはさすがのアイシスも聞き覚えがあった。
『魔王の呪い(サクセサーオブサタン)』
それはかつてこの世界をたった一人で滅ぼしかけた太古の魔王アルトサウディウスがこの世界に残した呪いのようなもの。
かつて、その魔王が宿していた世界を滅ぼすための能力。それらが呪いという形で世界やそこに住む人間達の中に刻まれた。
歴史上、この呪いを宿して生まれた人間はほとんどの例外の除き、世界に対し天災のごとき災厄を招き、その時代における戦乱や破壊を引き起こしていた。
それは文字通りの呪いであり、魔王の力を継承した証そのものである。
「まあ、正確には“贄の刻印”と呼ばれているものだがな」
「贄……?」
「その名の通り、君はある人物の生贄として選抜されたんだよ。それも魔王への生贄としてね」
その言葉を聞き、アイシスは思わず背筋が凍るのを感じる。
二人が冗談を言っているような雰囲気ではなく、それが真実であるとなぜか確信できたためであった。
「贄の刻印っていうのは『死の刻印』の核を持つ人物に捧げられる宿命を持っている。贄の刻印を宿した人物が死ねば、その瞬間そいつが宿したいた能力やそれまでの経験や知識、ありとあらゆる一切合切が文字通り神への供物のように捧げられ、核の持ち主に吸収される」
「だからこそ僕たちは君を保護した。それを宿した君が死ぬということは核の持ち主、すなわちこの時代における『死の刻印』の持ち主が完全になるということだから」
「あ、あの、ちょっと待ってください……!」
あまりにも突拍子もない事実の突きつけにさすがのアイシスも混乱し、頭の整理をつけたく思わず待ったをかける。
二人の言うことが事実だとするなら、自分をさらった理由としてはわかる。
だが、それならばなぜ教国の手からさらう必要があるのか。
聞けば自分を狙っているのはその『死の刻印』と呼ばれる『魔王の呪い』を宿した人物、すなわち魔王だ。
ならばこそ教国にいたほうが自分は安全ではないのか?事実、そのために教国は自分を保護し迎えに来たはずなのだから。
その疑問を口にするよりも先に答えが彼らの前に現れる。
まず先に動いたのはグレスであった。その時点では感知すら不可能だった地面からの衝撃を避け、一目散に自分を抱え路地の向こうへと跳躍する。
それとほぼ同時にバサルトもまったく同じ動作をしその場から離脱を行っていた。
見ると先程まで自分たちが立っていた場所がまるで巨人の鉄槌を受けたかのように崩れ、狭い路地の通路が瓦礫の跡地のようになっていた。
そんな中、土煙が上がるその場所で場違いとも言える汚れ一つない礼装を身に纏った人物が現れる。
それは先程、アイシスを迎えに現れた枢機卿ソーマであったが、アイシスは一瞬その人物が誰か分からないほどにソーマは数刻前とはまるで別人のごとき表情と威圧を携えていた。
「見つけたぞ、薄汚いドブネズミ共」
だが、それよりもなによりもコートの裾を破り捨て露出した彼の異形なる右腕。
それはまるでひとつの生き物のように不気味に鳴動し、同時に生物的な鼓動を全く感じさせないまるで石のような外見を佇ませていた。
それは戦場を知らぬ人間であろうとも一目見て理解できるほど、常識ではありえない非常識の塊。
それは存在するだけで空気を蝕み、見る者の心を侵食し、あまりの禍々しさに気が狂うほどの歪を携えた姿。
この世界に住む人間であれば、子供であれ、どのような愚昧、無知蒙昧であろうとも即座に理解できる。
あれは“呪い”だ。
世界を呪い殺すために魔王が残した呪いそのもの。
「セファナード教国教皇様に仕える“四柱”のひとりソーマ=リカルド。
我が神の命により、その遂行を邪魔する貴様たち二人を――殺す」