第15話「急転」
魔族たちの襲撃が終わり、瓦礫と灰に包まれた里の中を回った二人は焼け落ちたバサルトの家を見つける。
そこではバサルトの父と思わしき人物の焼け焦がれた死体があり、その周りにはここに避難に訪れた里人の遺体。その中にはバサルトの婚約者と思しき指輪をはめた人物の死体もあった。
その腕には先日見かけた赤い刻印の姿はなかった。
「バサルト……」
自らの父と、そして焼け焦げた恋人の腕を握り締め続けるバサルトの背にグレスはかける言葉もなく、ただ彼の名を呼んでいた。
「……すまないが、グレス。ここにいる皆を弔うのに手伝ってくれないか」
やがて長い感傷の後、返ってきた答えは実に彼らしく正しいものであり、グレスもまた静かにそれに頷く。
ロアドゥ族は少数民族ゆえに部族内の顔は誰しも覚えており、そこに住まう以上部族内の人間達は少なからず兄弟のような感覚が存在した。
それは嫌われ者のグレスにしてもそうであり、ひとりひとりの遺体を弔う際に、彼らと交わした僅かな会話や記憶が思い出されていく。
その全員の弔いが終わり、里人達の墓を全て作り終えたとき、日はとうに沈んでおり、真っ暗な暗闇の中、静かにバサルトが宣言した。
「グレス、僕は――部族の、家族の、皆の仇を取ってやりたい」
それは誓いにも似た宣告。仮にバサルトでなくとも、自らの生まれ故郷とそこにいた家族や友、恋人を殺された人物なら誰しもが思う感情であろう。復讐という誰しもが理解する感情。
それを果たすためにバサルトは旅に出る。この里を襲った魔族。白い死神を追うと。
「そうかい。なら、まずは北の魔族についての情報から調べた方がいいだろうよ」
そのグレスの返答にバサルトは一瞬驚いた表情をするが、それは北の魔族を調べるという突拍子もない発言ではなく、彼の発言そのものにあった。
「手伝ってくれるのかい?グレス」
そう、グレスに取ってこの里は故郷であってそうではない。彼の生まれはここではないどこか。この場所もたまたま彼が行き着いた場所であり、バサルトほどの思い入れはないはずである。
「当たり前だろう、お前一人じゃ心配だし。ま、ほかに行くところもないしな。」
だが、それにも関わらずグレスはバサルトへの協力を申し出た。
友のそんな発言にバサルトは、先程までのうつむいた表情からわずかに明るい顔を見せほのかに微笑んだ。
「ああ、ありがとう。グレス」
「馬鹿、勘違いするなよ。俺はお前ほど里の連中への想い入れもないし復讐心もお前の半分もねーよ。単に暇つぶしにお前の目的に付き合ってやるだけだっての」
「それでも十分だよ。それでなぜここを襲ったのが北の魔族だと思うんだい?」
「ああ、そいつはあの白い死神が、北の魔王の片腕ジェラード=ファルーアだからだよ」
「……白き死神か」
白き死神ジェラード=ファルーア。その名は大陸を飛び越え、あらゆる大陸において恐れられた呼び名であった。
北の大陸を支配する魔王“死の王”タナトス。その彼が500年前の銀の太陽との戦いで傷を負った際、動けない自らの代わりとして生み出した分身であり側近、それがジェラード=ファルーアである。
以来、白き死神は北の魔王の代行としてあらゆる都市を襲い、死神の異名に相応しい魔王の所業をタナトスに代わり行い続けていた。
「北の魔王の片腕がわざわざこんな南の大陸まで来て、俺たちを襲ったんだ。そこには何かしらの理由があるんだろうよ」
言ってグレスは僅かな荷物を片手に親友の方へと振り返る。
「どうした行かねぇのか?お前が英雄になるチャンスだろう」
英雄。そう、英雄が生まれるためにはその障害となる敵が必要であり舞台が必要である。
バサルトとグレス。二人にとって、この状況は紛れもない不幸であり、決して望まれた状況ではない。
だがそれでも、明確な敵が存在することにより英雄という存在も生まれる。
グレスにとってはバサルトを英雄にすること。バサルトにとっては自らが英雄となること。
それこそが亡きこの里の部族たちが望んだことであり、亡き彼らに報いる手段でもあった。
それを分かっていたからこそ、グレスはバサルトへそう呼びかける。
英雄となり、彼らの無念を晴らす。それこそが、バサルトに与えられた唯一の道なのだから。
「――ああ、そうだね。行こう、グレス」
友のその言葉に頷き。バサルトもまた焼け落ちた故郷より旅立つ。それが二人の旅の始まりであった。
それから一年。北の魔族たちについての情報を調べたグレス達は彼らが大陸の国や村を襲う時、そこには一つの刻印――“死の刻印”と呼ばれる魔王の呪いが存在したことを知ることとなる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……とまあ、そんなところだ。これが俺たちのこれまでと旅を始めた理由だ」
グレスとバサルトの話を一通り聞き終え、アイシスもイフもラシュムも静かに沈黙したままである。
ロアドゥ族の全滅については風の噂として大陸中に囁かれていた。
なにしろウォーレム族の中でも英雄種族として謳われた一族である。そのロアドゥ族が魔族の襲撃により全滅したという噂はまさに悪夢として広がっていた。
そのことはここにいる者達の耳にも入っており、グレス達の事情についても多少なりとも覚悟をしていたが、それでも実際にその噂が真実であったこと、彼らの生い立ちの悲惨さには同情を禁じえないと、そんな感情がこの場に漂っていた。
そんな一行の雰囲気を吹き飛ばしたのはアイシスからの一言であった。
「ねぇ、グレス君。ひとつ聞きたいんだけど、結局グレス君が食べた林檎って……毒じゃなかったの?」
「お前なぁ、今の話を聞いて真っ先に聞くことがそれかよ?」
「だって気になるじゃない。それにグレス君が旅の途中で死んじゃったら嫌だし……」
「それなら大丈夫だろう。結局あれから体調の不調はおこってないし、それにもう一年以上だぜ?さすがに今更あの時の毒が回るってことはないだろう」
「そっか、なら大丈夫だね」
そう言って明るく笑うアイシスの隣で、イフもまた先程の話で気になったことをグレスへと問いかける。
「なあ、グレス。儂からも一つ質問があるのじゃが、先ほどの話を聞くとお主……まさかとは思うがお主の天術、全て独学なのか?」
「あ、そうだけど?ってかそれ以外に修得する方法なんてねーよ」
「なっ?!」
そんなあっさりとした答えにイフはおろかラシュムですら呆気にとられたように口を開く。
「ば、馬鹿な、ではお主の術は全てお主のイメージや頭に浮かんだ閃きを元に作ったというのか?!ありえん……あり得んぞそんなことは!」
イフのその発言は知る者がいれば当然の叫びであり、事実ここにいるラシュムも目の前にいるグレスという存在がどれほど異端な所業で天術を身につけたのか信じられないと言った表情で見ていた。
「そんなにおかしなことか?じゃあ、逆に聞くがお前たちはどうやって天術を手にしたんだよ?」
「そんなもの決まっておろう!伝授されたからに決まっておる!」
それ以外はありえないとイフはハッキリと断言した。
「よいか、そもそも天術というのはあるひとりの人物が生み出し、その者の手によって世界へと広げられたのじゃ。その者の名は紫の賢者。彼こそが天術の開祖と言われておる」
その後、今に至るまでかの賢者により生み出された天術の基礎、その基盤を元に多くの天術師達が新たな天術を生み出した。
だが、それは基盤となる天術の基本構成あってこそである。
すべての天術使いはその基本構成を学ぶことによって新たな天術の修得を可能とする。
そして、その基本構成は誰かより学ばなければ決して思い至ることは不可能な技術である。
事実イフもラシュムは始まりはそうした先達からの伝授にほかならなかった。
だが、グレスが行ったそれは自ら天術そのものを生み出した行為。
彼が扱うすべての術は誰かより学んだものではなく、自らの発想を元に全て新たに生み出した彼独自の天術と言える。
それは即ち、天術の開祖である紫の賢者以来の自ら天術という神秘そのものを人の手で生み出した偉業に他ならない。
「だからグレスよ、お主一体どうやってそんな知識を手に入れたのじゃ」
「どうやって、言ってるだろう。思いつきだ。つーかそれこそ天才の発想ってことでいいんじゃねーのか」
そんなグレスの天才発言にいつもなら軽く流すイフだが、グレスの天術を修得するまでの流れを聞き、その認識を改めたのか、むしろ彼の天才発言に頷くように静かに呟く。
「確かにお主、本当に天才かもしれぬな。……少しお主に興味が沸いた」
そう言うイフの目にはフラグメントとして、そして同じ天術使いとしてグレスが持つ資質と才能がどれほどなのか見極めようという探究心が溢れていた。
一方のラシュムもイフと同じような感想を持っていたが、それ以上に彼の関心にあったのはグレス達の話の中にあった別のものであった。
(……先ほどのグレス達の話にあった遺跡の奥にある楽園のような場所。そしてそこに存在する大木と果実)
それはラシュムが知るある伝承に酷似した場所であり、彼が古くから探し求めていた場所であった。
(もし私の推測が正しければその場所こそ……私たちフラグメント発祥の地。そしてグレス、貴方が食したというその果実。それは恐らく――)
知らずラシュムはその地に実っていたという果実を食したというグレスを真剣な表情で見ていた。
やがて、その疑問について問いかけようとした瞬間――
「――大陸だ!大陸が見えたぞー!」
甲板の方よりそんな船員達の声が聞こえる。その声に反応するように部屋にこもっていた人や兵士達が次々に甲板に上がる音が聞こえ、グレス達もそれに続くように甲板の方へと向かう。
そこから見えた景色、北の大陸、グレス達が目指したセファナード教国が存在するフォブリア大陸の姿であった。
「……とうとうたどり着いたな」
「ああ、ようやく僕たちの目的地に」
言ってグレスは隣に立つバサルトに声をかけ、それにバサルトも応じる。
「言っておきますがまずはセファナードへの協力要請からです。その後に彼らの対応を見極め、魔族との繋がりを証明した後に、北の魔王打倒へと移ります。良いですね、お二人さん」
そんな二人の背後から念を押すように今回の指揮を任されたラシュムもまた眼鏡を上げながら声をかける。
「わかってるつーの、そんな念を押す必要はねぇよ」
そんな軽口を叩くグレスの隣にはアルフェスの聖女アイシスも並び、先ほどの彼らの話を聞き、一つの決意を伝える。
「グレス君、バサルトさん。さっきの話を聞いて私も決心したよ。私も二人の力になる。王国で助けてもらったお礼もあるけど、二人がどんな想いで旅をして仇である魔族を追っていたのか、少しだけどわかった気がするから」
その瞳には彼らと同じ悲劇を受けた者としての言葉に表せない深い悲しみが存在していた。
「だから、二人が目的を果たすまでに私が二人を守るから。安心していいよ」
「まっ、それなりには期待しておいてやるよ」
そんなアイシスの決意に対しいつもの皮肉もなりを潜めたのか素直に受け止めるグレスに、親友バサルトは少し驚きだが、安堵したように微笑む。
「さて、それじゃあ上陸の準備に上がるとするか」
その宣言通り、彼らアルフェスの精鋭を乗せた船は、セファナード教国が存在するフォブリア大陸へと上陸を果たす。
――ただひとり船酔いが激しかったイフは上陸した後もその酔が覚めるまでグレスにおんぶされたまま皮肉を言われ続け、後にイフはこのことを抹消したい黒歴史と断言をすることとなる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
予想外の展開というのはいつも唐突に起こるものである。
軍備を整え、戦力を補給し、戦に対する準備を万全にしていたとしてもつまらぬ部分でつまずき、あらぬ結末を迎えるように。
それと同じく大戦を予想し兵力の全てを投入した先においてすでに戦うべき相手がいなくなっていたという事態。
今、グレスト達の目の前に広がる光景とはまさにそれであった。
「どういう……ことだ……?」
焼け落ちる建物。それは数百年の間、難攻不落を掲げた城壁が崩れ落ちる姿であり、そのうちで光と聖歌にのみ溢れていたであろう聖堂、教会。その全てが無慈悲に崩壊していく姿。
人類の希望として今まで一度として侵攻も侵略も、ましてその神の城壁の先に戦火が及ぶことなどあり得なかった教国セファナード。
その国が今、目の前で火の海に包まれ、崩壊していく様があった。
それは奇しくも船内でグレスとバサルトが語ったかつての故郷のように全てが無慈悲に無差別に蹂躙され破壊されていく姿。
そして、それを行っているのはかつてグレスとバサルトが見た景色とまるで同じ。
聖なる都市の上空に舞う黒い雲の塊――否、何千、何万、何億という翼もつ魔族たちの集団であった。
「セファナードが、魔族の襲撃を……いや、ですが、なぜセファナードが魔族の襲撃を受けているのです」
その事態に軍勢を率いていたラシュムは彼らしからぬ困惑した表情のまま、心で思ったことをそのまま口にしていた。
なぜならそれもそうである。グレス達からの情報、そしてこれまでの経緯から推察するに、セファナードが魔族の襲撃を受けるなど“二重の意味でありえない”のだから。
だが事態は彼らに混乱に対し状況を整理する暇さえ与えなかった。
「やはり来たか、アルフェスからの使者達よ」
その声に振り向いたグレス達の前に現れた人物はグレス達にとってある種因縁とも呼べる相手であった。
「枢機卿……ソーマ卿」
アイシスが呟いたその名。それは紛れもないあの時、アルフェス王国内にてグレス達と対峙した枢機卿ソーマの姿であった。
「よお、久しぶりじゃねぇか。で、早速聞きたいんだが、こいつはどういうことだ?これもてめぇらの仕業か?」
目の前で立つあの時も全く変わらない冷徹な瞳と無感情なその表情にグレスがいつ目の前の敵が動いても対処できるように全神経を張り巡らせて問いかける。
そして、それは隣に立つバサルトも同じであり、事情を聞いたラシュム、イフ達も同様に静かに構えていた。
だが、そんな一向に対しソーマが行った行動はまさに予想の範疇外であった。
「――頼む」
それは膝を折り、自ら頭を下げ、目の前のかつて戦った敵に対する懇願の姿勢であった。
「我らが教皇様をお救いするためにお前たちの――力を貸してくれ」
それは彼らの中でここへ訪れる際、建前であったはずのセファナード教国への協力要請。
だが、それを目の前の、セファナードの代表とも言える枢機卿自ら膝を折り、協力の申し出を行う姿。
そして、そこに込められた万感の感情。
グレスもバサルトもラシュムもイフも、そしてアイシスですら、その行動と言葉の意味を一瞬理解できずにいた。
セファナード教国教皇。その人物を救出するための戦い。
それを始まりとし、この先の彼らの未来が更なる混迷を迎えることを一行はまだ知らずにいた――。