第12話「ロアドゥ族」
「こ、これがうどんか……!確かに食べやすくてしかも旨い!なんじゃこのするりとして、しかしコシのある麺とやらは……これが東洋の神秘というやつか……!」
初めて出されたうどんを食べ、何やら感激に目を輝かせるイフ。
一方のグレスとバサルトも同じく食べるのは初めてであったのか、共に感心したように頷き合っている。
「へぇ、確かにこいつはうまいな。しかもお前の言うとおり、梅干とも案外合うんだな」
「へへ~ん、そうでしょう。これ本来はグレイスラ帝国から直伝の料理なんだけど、近年うちのアルフェス王国にも調理法とかが流れてきて、それで勉強して覚えたんだよ」
「なるほど、東のグレイスラですか。彼らはヤマトと呼ばれる独自の文化を持っていると聞きますが食に関してもまた独自の文化を持っているのですね」
そう言って三者三様に感心しながら食べ、やがて一通り満足したのか、グレスの方から先程の会話の続きをラシュムへと話し始める。
「さてと、それじゃあ、待たせたな。ラシュム。さっきは余計な邪魔が入ったけど、結果的にこの話にはバサルトのやつもいたほうが話が早いからな」
そのグレスの言葉に隣りにいるバサルトも静かに頷き。
一方のアイシスとうどんをすすっているイフは疑問を頭の上に浮かべている。
「話ってなにグレス君?そういえば、さっきもどうしてラシュムさんの部屋に?」
「まあ、話せば少し長くなるのですが、彼から二人が北の魔族討伐を目指すことになった理由を訪ねていたのです」
「別に大した理由でもないけどな、知ってる奴はもう知ってると思うけどな」
そのグレスの言葉を肯定するようにこの場にいるラシュム、そしてイフもまた黙り込み、グレスとバサルトの二人を伺うように見る。
「とは言え、詳しい事情を知ってるわけでもないだろうしな。まあ、話すとするか」
「ええ、ですが、まずは僕とグレス。二人の始まりから話したほうが話もスムーズでしょう」
そう言って要点のみを話そうとしていたグレスの言葉を遮りバサルトの口からここに至るまでのロアドゥ族の生き残り二人のグレスとバサルトの物語が語られる。
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少年の名はバサルト。生まれながらに英雄となるべく定められた人物と言っても過言ではなかった。
英雄種族として謳われるロアドゥ族。その族長の息子として彼は生まれた。
バサルトは生まれながらに天賦の才能を有していた。
歴代の族長が持って生まれた能力。その全てを凌駕するほどの才能と才覚。
彼はまたたく間に部族の中でもその頭角を現し、部族の次なる長として、そして時代に名を残す英雄として渇望されていた。
そんなある時、部族の中にひとりの少年が紛れていた。
いつからそこにいたのか、どこから迷い込んだのか、その出生も一切が謎に包まれていた。
ただ一つ確かなことは、その人物は彼らと同じロアドゥ族の一人であるということ。
本来、ロアドゥ族とは少数民族であると同時に自分たちの血筋を何よりも尊ぶ種族。
それは彼らと同じウォーレム族であっても、自分たちと同じ種族とは認めていなかった。
彼らロアドゥ族は自らの血統こそを尊び、ゆえにその血統を他の種族と交わらせることを固く禁じていた。
それゆえ、彼らは自らの領土に他種族を迎え入れることを拒んでいた。
だからこそ、もし少年がロアドゥ族でなければ、たとえ孤児であろうと受け入れることはなかったであろう。
だが、少年は紛れもない純血のロアドゥ族。その出生が不明であってもその事実さえあればロアドゥ族は彼を受け入れる。優秀であるがゆえにロアドゥ族の血統は少ない、ゆえにその血を絶やさぬためにも受け入れる。ロアドゥ族とはそういう種族である。
その子を受け入れる際、どの家がその少年を受け入れるか話し合いが設けられた。
そこでその少年を受け入れると発言をしたのは、彼とおなじ十になったばかりの少年バサルトであった。
彼は幼き頃より部族長である父より英雄のなんたるかを教え込まれていた。
それは誠実であり、公平であり、謙虚であり、そして誰よりも徳と義を重んじること。
ゆえにバサルトがその少年を受け入れたいと願ったのは至極自然な行為。
そして、父である部族長もまた息子バサルトの行動が己の教えに則ったものであると理解しているからこそ彼を受け入れた。
こうしてその少年はバサルトと同じ家で共に過ごし、共に成長することとなる。
少年の名はグレスト=F=レヴァントス。
自らの名前以外、自分がどこから来たかもわからずにいた。
だがそれでも彼にもひとつだけ分かることがあった。それは自分を受け入れてくれたバサルトという友に返しきれない恩義を受けたということ。
幼きグレストが最初に覚えた感情こそ、自分に手を差し伸べてくれた友への友情であった。
それからグレストとバサルト。ふたりの友人関係が始まった。
バサルトと共にロアドゥ族の戦闘訓練を行うが、そこでバサルトを含むこのロアドゥ族の里の者が理解することとなる。このグレストという少年が持つ異常なまでの才能を。
彼らはあらゆる技術、能力、知識をその一瞬で獲得していった。
同世代の者達が何ヶ月と学びようやく修得できるはずの技術をグレストは一目見るだけでそれを完璧に修得した。
それはまさにこの世に生まれた真の天才であった。
だが、彼のその高すぎる才能は羨望を通り越し、嫉妬と憎悪の対象となった。
里の生まれならばまだしも、どこから来たかも知らぬロアドゥ族の少年に自分たちが築き上げた技術と伝統をまたたく間に吸収され、あまつさえそれを凌駕された。
それを賞賛するほど里の者達の度量は大きくもなく、またグレスト自身の発言も彼らロアドゥ族の里人達の矜持を煽った。
「俺はお前らと違って天才なんだよ」
才ある者が自らの才能を誇ることは決して恥ではないし、むしろ罪ですらない。
だが、この大多数が存在する人間社会においてそれは致命的であり、むしろ自ら攻撃の的となるようなものであった。
グレストもそれと同じく、彼自身の才能は多くの者が認めたが、彼自身がそれと同じく認められることはなかった。むしろ、傲岸不遜とも言えるその態度は多くの里人達から批判的感情を覚え、自分たちとは違う才能を声高に叫ぶ彼に対し嫉妬という感情は、彼の態度に対する批判という正当性を持って発現されていた。
だが、それでも彼という存在が公然と排除を受けなかったのは、そんな彼を受け入れる存在、里人達の信頼を一身に受けた存在がいたからこそである。
彼の名はバサルト=レキリアム。次のロアドゥ族の族長にして現里人達から信頼されている人物。
彼という存在が信頼されている理由はひとえに人の理想であったからと言える。
人が英雄という理想を求めるとき、そこに求めるのは能力だけでなく人格もそうであろう。
世界を救う英雄譚においてその主人公となる英雄の性格はそのほとんどが完璧誠実であり謙虚さと慈しみを備えた人格者である。
無論その細部は異なるが、物語の英雄が最後に語られるとき、彼らの人格もまたその偉業と共に理想として昇華されている。
つまりは誰しも口にしなくとも無意識ではこう思っているのだ。
自分たちを導く英雄は能力もそして人格も理想の形であってほしいと。
バサルト=レキリアムとはそうした彼らの理想を体現した人物でもあった。
幼き頃より英雄を目指すよう父からの教育を受け、それにふさわしい人格と能力を形成するに至った人物。
だからこそ、部族内においてグレストとバサルトが互いに競い合う際にそこには隠しようもない贔屓目が存在した。
そう、英雄譚にはその英雄の活躍を与えるための敵であり、ライバルが必要である。
能力こそ突出したものの傲岸不遜な問題児と、それを諌めるように競い合う清廉潔白な英雄。
観客的に見てグレスとはバサルトにとっての障害であり『敵』であった。
少なくとも彼ら二人を周囲から見ていた里人達からすればそれが正しい形である。
ゆえに彼らが思い描いた理想とは物語の通りに英雄が敵を踏破する様である。
そして、それは彼らが思い描いたとおりの結末を迎える。
それは部族内の実力の順位を図るための実践試合。
その決勝において戦ったグレストとバサルト。その勝者はバサルトであった。
この瞬間、ロアドゥ族の多くが次なる部族長、英雄バサルトの勝利を謳い讃えた。
なにより口にこそ出さなかったが誰しもが心の内である種の爽快感を感じていたのだ。
あの傲岸不遜な天才を自分たちの代表が破ったのだ、と。
歪ではあるが人はそうした自分たちにとっての共通の敵を倒してくれる代表を英雄として持ち上げる。その裏にあるからくりをグレストも、そしてバサルトも気づいていた。
「……グレス」
試合が終わり皆からの賛辞を受けたバサルトはひとり里の外れで水を飲んでいるグレスの前に立つ。
「どうしたよ、バサルト。今やお前は里を代表する英雄様だろう。俺なんかと話してないで、さっさと皆のところに戻れよ」
「そのために君はわざと負けたのかい?これまでのことも含めて」
その言葉が意味することをグレスは当然わかっていた。
英雄という存在が人々から認められるにはその障害となるべき敵であり、目的が必要。
グレスが傲岸不遜に振る舞い自ら人から嫌われる仕向けていたのは、つまりはそうしたグレストにとっての明確な敵、引き立て役となるため。
相手が気に入らない人物であれば、それが負けた際にそこにかける感情に同情はなく、勝利した人物も称えやすい。
それは人として公には言われない感情だが、だが確実に誰しもが持っている根幹の感情。
ゆえにグレスのこれまでの行動も全てこのための布石であり、こうして敗北するまでが彼にとっての目的でもあった。それを理解したがゆえのバサルトの問いかけであった。
「……別に、そんなんじゃねぇよ。俺は他人から嫌われるのには慣れてるからな。それに」
言ってグレスはバサルトを正面から見て言う。
「お前は『英雄にならなくちゃいけない』んだろう?」
「グレス、君は」
その言葉が意味していることをバサルトは自然理解した。
「……知ってたんだね」
「まあ、同じ屋根の下にいれば多少はな」
バサルトに取って英雄とは憧れでもなんでもない。そうならなければならない対象なのだ。
幼き日、グレスがバサルトの家に引き取られてからしばらく、グレスの才覚がバサルトを凌駕し部族内における成績を塗り替えたことがあった。
その日の夜、眠れなかったグレスが家の外を歩いていた時、見てしまった光景。
それは自らの父に体罰を与えられながら、それでも整然と座るバサルトの姿であった。
「バサルトよ、なぜお前が罰を受けているかその理由がわかるか」
「……はい、里に現れた新参者に対し私の成績が敗れたためです」
「それだけではあるまい。お前はあの者の才覚に気づきながら、それを上回る努力を怠った」
それを見抜けなかったことの罰としてか、父が持った棒がバサルトの背中を打つ。
「よいか。お前には才能がある能力がある。突出した全てがある。だからこそお前は英雄にならなければならない。お前にはそれ以外の道はない。英雄種族である我らロアドゥ族の、その族長の子として生まれたからには他の宿命などない。それを受け入れ、その道にのみ万進せよ。お前には英雄以外の道はない」
「……はい、私は必ずや英雄となります」
それはある種、洗脳にも似た教育でもあり、呪いにも似た宣言であった。
だが、その光景を見てグレストが恐れたのはバサルトが受けていた仕打ちでも、バサルトの父の所業でもなかった。
そこにあったバサルトの揺るがぬ瞳。そこには一切の負の感情はなく、文字通り彼が父から与えられた『英雄』という道が己にとっての唯一無二の救いであるかのように渇望していた瞳であった。
もしもそこに父からの洗脳ゆえに英雄を目指すという呪いめいた縛りがあったのなら、グレスはバサルトが目指すその道を否定し、その呪縛を解こうとしただろう。
だが、バサルトの目にあったのは純粋にして真摯な憧れ。
己はそれのためだけに生を受けたのだという確かな自信と天命にも似た祈りをバサルトに感じたからである。
他の誰でもない。誰かに頼まれたから、誰かに強制されたから、誰かの夢に憧れたから。
そんな模倣ではない、彼自身の夢がそのまま『英雄』という形であるとグレスは理解した。
ゆえにその日からグレスはバサルトのため、彼が思い描く夢の成就のために手を貸そうと誓ったのだ。
「――そうか、わかった」
そんなグレスの自分への友情を知り、バサルトは静かに頷く。
彼の自分を犠牲にした協力に比べれば、全力で戦わなかったことに対する不満など取るに足らないことである。
なによりその程度のことで、二人の友情が崩壊するほど、彼らの信頼と絆は軽くはない。
だからこそ、友の想いを尊重するならば、バサルトがするべき行為はただ一つ。自身が英雄となりその気持ちに報いること。
「けれど、いつかその夢が叶ったら君と全力で戦いたいな。その時はお互いに手加減なしだ」
「ああ、約束だ。けど覚悟しろよ。いくらお前が英雄だからって俺はその上は行く天才だからな。簡単に勝てると思うなよ」
そうして二人は握手を交わす。ここで交わした誓いが遠くない未来、想像にしなかった形で実現することをまだ知らずにいた。