第10話「開幕」
「で、話ってのはなんだよスライムオッサン。言っておくがさっさとしてくれよ。俺は帰って早いとこ寝てーんだからよ」
「これはこれは随分と不遜な態度の少年ですね。まあ、いいでしょう。大目に見ましょう」
言って呼び出された私室のひとつにて足をテーブルの上に乗せたまま偉そうな態度の少年にリレムは呆れながらも怒りはなく、貴族特有の寛大さでそれを流す。
「用件というのは一つです。北の魔族討伐およびセファナード教国への訪問。それを邪魔して欲しいのです」
「本気で言ってんのか?冗談は体型だけにしとけよ」
「もちろん、冗談などではありません。むしろ私はこの国のために本気で行動しておりますよ」
そんな心にもないことをグレスは内心思うがそれを顔に出すことなく、リレムの主張を聞く。
「いいですか、そもそも戦争とは利益あってこそのもの。利益なき戦など浪費に過ぎません。今回の北の魔族討伐などまさにそれでしょう。大量の軍と傭兵を雇いそれを北の大陸へ向ける。それだけでもどれほど国の財政を圧迫すると思っているのです。これらは全て民草の税により得た尊いものなのですぞ。王はこれが近い未来の驚異を取り除くための必要な行為とおっしゃっていますが、現状北の魔族がこのアルフェスの驚異となったのは数年前の襲撃のみ。それ以降、彼らはこのアルフェスには目もくれなくなりました」
それについてはグレスもアイシスから聞いていた。
かつて数年ほど前にこのアルフェスは北の魔族を統治する魔王タナトスの側近、白き死神の異名を取るジェラード=ファルーアと呼ばれる魔族率いる軍勢によって襲われ大きな被害を出していた。
だが、それ以来、このアルフェスが再び襲撃を受けることはなく、襲撃を行った魔族たちはまるで必要なものは得たとばかりにこの国に目を向けることはなくなった。
「確かに大陸違いとは言え相手は魔族。また再びこの大陸に襲撃を仕掛けるやもしれません。ですが、それは遠い先の可能性であり、北の魔族は北の大陸に存在する強国、セファナードに任せておけばいいのです。もしも今ここで我々が下手に北の魔族を刺激してそれであちらの逆鱗を買ってはどうするのですか?せっかくのつかの間の安息を自らの手で破ることになるのですぞ」
「そうは言うがよ、そのセファナードと魔族がつながっていたとしたらどうなんだよ?その件についても議題に上がって、だからこその訪問が必要じゃねぇのか?」
「確かに。ですが、それこそ本当に訪問だけでいいのですよ。わざわざこのように軍を固める必要などはありますまい。聞けば先の不祥事も向こうのセファナード教国からの使者が起こした者だと貴方がたは言いましたよね?ならば咎は向こうにある。それだけでも向こう側から謝罪を含めて有利な交渉に運べるでしょう」
「そいつはつまり……向こうが魔族と組んでいるのなら、それを利用して自分たちの国もその庇護に与ろうって話か?」
「可能性の話ですよ。それに自分たちの利となるならそれが悪であろうとも利用する。私は国の為を考えるならそれはむしろ正しい判断だと思いますがね」
それはある意味で一つの選択としては正解なのかもしれない。正しさを無視して自国の繁栄のみを図るのならば、敵と通じ条約を結ぶのは争うよりも、よほど賢い選択肢だ。
なぜならば大陸に存在する多くの国々もそうした条約によって平和を保ち、過去幾度とあった争いを終結していったのだから。
「まあ、お前の意見はわかった。で、俺にどうしろって言うんだ?今更俺が騒いだところで軍の遠征が取りやめられるとは思わないがね」
「それについてはご心配なく、貴方がすることはごく単純なことです」
言ってリレムは懐から透明な水の入った瓶をテーブルに置く。
「これをラシュム卿の口に入れて欲しいのです。食べ物に混ぜるなり方法はお任せします」
「……毒か?」
「いえいえ、そんな物騒なものでありません。まあ、体調は崩れるかもしれませんが命に別状はありませんよ。ただ軍の指揮を執るのはいささか難しいでしょうな」
その意味するところをグレスは正確に理解していた。
今回の軍の指揮はラシュムが執る。その彼が倒れれば遠征は中止となり、仮に別の指揮官が派遣されることになっても、それはおそらくリレムの息のかかった人物か、あるいは彼本人。
その後の立ち回りはリレムによって北の魔族討伐などは行わず、セファナードとのていのいい調停で終わらせる気であろう。
「ああ、もちろん。このような危険な任務を任せるのです。貴方への報酬は存分に支払いましょう。今後、一生を贅沢して過ごせるほどの財はもちろん、望むなら爵位も与えましょう。無論、貴方ともうひとりの彼が起こした騒動ももみ消し、自由の身は言うまでもありません。どうでしょうか?」
そんなリレムの交渉に対しグレスは退屈そうにテーブルに置かれた瓶を手で遊ばせながら最後に問いかける。
「一つ聞く。なんで俺なんだ?」
それはあの場にいた者の中で自分の他にもそれを実行できる者はバサルトもいたにも関わらずリレムは自分の身を選んだ。その理由に関してもバサルトのような真面目な人物がそれに答えるはずもなく、可能性があるとすれば自分の方だと思ったグレスであったが、リレムの返答は全く想像外であった。
「いえなに、あの中で貴方が一番私に似ていると思ったのですよ」
「は?」
それはまさに予想外の答えであり、グレスにとってはこのアルフェス王国に来て一番の侮辱にも似た感覚であった。
「俺とお前のどこが似てるって言うんだよ?」
「さあ、なんとなくそう感じただけです」
しかしリレムの方はグレスを侮辱する意図などは全くなく本心からそう言った様子であり、グレスにとってはそれがますます不可解に感じられた。
だが、そんなグレスの心境はよそにリレムは先の依頼への返答を問う。
「それで、どうします。この依頼受けていただけますかな?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして三日後、アルフェス王国の港町クリクラには無数のアルフェス王国の紋章を掲げた船が並び、その中にはすでに数千人を越すアルフェスの兵士と傭兵達が集っていた。
「出航準備完了致しました、陛下」
それらを確認し終え、ラシュム=ジラックスはこの港までわざわざ見送りに来たアルフェス王国の国王ハウルウト一世に頭を下げる。
「ああ、では気をつけて往くが良い、ラシュム。吉報を待ち望んでいるぞ」
「陛下のご期待に応えられますよう全力を尽くします」
そう言ってメガネを上げるラシュムの表情には臣下というよりもどこか隣りに並ぶ友人のような笑みがこぼれていた。
そうして二人挨拶が終わり、ハウルウト一世は隣に立つアイシスへと声をかける。
「アイシスよ。君はあくまで後方支援として戦場に立つよう。決して無理をしないよう。君は我がアルフェスが象徴する聖女であり、なにより君をなくせば君の姉上に対して私も申し訳が立たないからな」
「はい、お言葉ありがとうございます。国王様。ですが、戦場で傷ついた人がひとりでもいるなら私はその人物を見捨てず救いたいと思います。それが姉からの教示でもありますので」
そのアイシスの言葉を受け、彼女は聖女であろうとするのではなく、ただ自分のしたいようにした結果、聖女となったことを思いだし、国王は笑みをこぼし頷く。
そしてアイシスの隣に立つグレス、バサルトの前まで王は歩き、彼らの顔を正面から見つめ声をかける。
「君達と顔を合わせるのは初めてだね。私はアルフェス国王ハウルウト一世だ」
「グレスト=F=レヴァントス。まあ、アンタには言うまでもなく知ったことだろうけど」
「バサルト=レキリアムと申します。陛下、この度の温情、誠にありがとうございます。微力ながら我々も魔族討伐のため力となる所存です」
国王を前にいつものように不遜な態度を取るグレスと、それとは対照的に礼の法った挨拶を行うバサルト。
この二人のこうした対照的な姿もここ数日、彼らの傍にいたラシュムやアイシスには日常の光景であったが、さすがに国王を前にしても普段と変わらないグレスの態度には呆れや驚きなど様々な表情が現れていた。
「はは、話に聞いていた通りの人物だね。いや、結構。一言挨拶をしておきたかっただけだから、堅苦しい挨拶はしなく構わないよ」
言ってグレスの態度を咎めるでもなく、バサルトの型通りの挨拶に対しても無理をしなくていいと言い、しばし二人の瞳を正面から見据えた後、国王は静かに口を漏らす。
「……確かにラシュムが推薦するだけはある。君たち二人共ここにいる誰よりも強い魂を持っているようだ」
そう言って国王もラシュム同様に人の魂の価値を見ることができるのか、それともただそう感じただけの感想であったのか。
その詳細はわからないが、二人がこの中で特別であるとの評価を残し、静かに立ち去る。
やがて、ラシュム率いるグレス達全員が船に乗船すると同時に出航の合図が聞こえる。
「ではいよいよ出発の時です。準備はいいですか?」
言ってラシュムは船の上に立つグレス達に最後の確認を行う。
「もちろん、大丈夫ですよ」
「私も船旅は初めてですけど、なんだか物語の冒険って感じがしてワクワクします」
「お前は時々夢見がちなこと言うよな。本当に聖女かよ?」
だからそんなんじゃないよーというアイシスの抗議に対し「はいはい」とあしらうグレスら一行の姿を見て不思議と頬が緩むラシュム。
「ところであの魔女はいないのか?直前でビビって逃げたのか?」
「……こ、ここにおるわ」
と不意にこの場にいない三角帽子の魔女のことを問うグレスであるが、それにラシュムが答えるよりも早くどこかからか細い声が聞こえる。
見ると船の一角隅の方に丸くなり、三角座りをしている少女の姿があった。
「……なにしてんだお前?」
「べ、別になにもしておらん。ただ隅っこが落ち着くだけだ」
そういうイフであったが、先日会った時の落ち着き払った態度などはどこへやら、どこかプルプルと震え心なしか顔色も青ざめているように見える。
「……お前、ひょっとして……船、怖いのか?」
「ばばば、バカを言うでない!こ、怖いわけがあるか!儂が怖いのは不必要な揺れだけじゃ!」
そんなグレスの一言に以前同様、熱にスイッチが入ったかのように反論をしだすイフ。
しかし以前と異なり明らかに感情を表に出しているイフのそんな叫びにグレスは「ははーん」とわかったような笑みを浮かべる。
「なるほど。お前、船酔いが怖いんだな」
その一言に内心をつかれてかギクリとするイフ。その証拠に明らかに目をそらし冷や汗を流しながら、わざとらしい否定を行い始める。
「な、なんのことじゃ。わ、儂はそのようなもの体験したこともないぞ」
「そうか、ならいいんだが、一言アドバイスしておくと船の隅っこじゃなく、船の中心にいるほうが船酔いしにくいらしいぞ」
その一言を聞くや否やすぐさま船の中心に向かい、ちょこんと正座をするイフ。
そんな彼女の行動に思わず噴き出すグレスだが、アイシスもバサルトもどこか微笑ましく笑みを浮かべる。
やがて、そんな一行のやり取りの中、出航の準備は整い、船長がラシュムへと出航の指示を求める。
それに静かに頷きラシュムは全船に響くように声を出し宣言する。
「これより我らは北の大陸フォブリアへと向かう!まず目的地はセファナード教国。そこでかの国へ援軍要請を行い、しかる後に魔族討伐へと向かいます。我らの目的は北の魔王タナトスとその軍勢。かの魔族たちを打ち破ることこそ我ら人類に課せられた使命であり、数年前の悲劇へとの花束となろう。アルフェスの者達よ、我らの手で希望と平和を掴むのです」
その演説に傭兵含むアルフェスの兵士達が大きく声をあげ、それを確認し、ラシュムは静かに全船へと最初の命を降す。
「――出航」
そのラシュムの言葉と同時に船は静かに港から離れ、はるか北の大陸フォブリアへとその第一歩を開いた。
遠くで水平線の向こうへと消えゆく船と、そこへ乗る多くの兵士達を見ながらアルフェス国王ハウルウト一世は静かに呟いた。
「頼んだぞ――友よ」
ここより始まるは本当の意味での戦い。
後に伝説と呼ばれる物語の真の開幕であった。