第1話「出会い」
この世に英雄と呼ばれる者が必要とされるなら、それはどんな時であろうか。
一言で言うのならば、それは争いが起きている状況であろう。
どのように強い英雄がいたとしても必要とされていない時に英雄は生まれない。
平和な時代に武器の価値がないように。
何もない平和な時勢において英雄とはいるだけで人々から警戒されるもの。
多くの物語において、争いが終わった後の英雄の悲惨な末路について記されたものは多い。
だが、それが戦時であるのならば、どのような英雄であれそれは後の物語に輝かしい英雄譚の主役として記される。
たとえそれが利己の目的のために戦った人物であろうとも。
たとえそれが血を求め争った人物であろうとも。
生き残り、勝者の側についたのであれば、その人物は紛れもない『英雄』として語られる。
ゆえにこれは紛れもない『英雄』の物語。
その時代、『魔』の驚異に脅かされた人々を救済するべく戦った英雄の物語。
たとえその者の真実がどうであろうとも、それだけは変わらぬ歴史の結果であったのだから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――アルフェス王国。
争いの大陸と呼ばれるロー大陸において300年以上の歴史を誇る王国。
その首都、王都マフィテルに存在するセント・ルー大聖堂。
そこにひとりの聖女がいた。
天窓から、降り注ぐ光を浴びつつ、膝を折り真摯に祈りを捧げるその姿は見る者の瞳を奪い去り、どのような荒んだ心の持ち主であろうとも穏やかな印象を与える。
彼女こそ現在のアルフェス王国における光のシンボルにして象徴。
この国の聖女と謳われるイルフェーナの女性アイシス=ミレルド=パルネックであった。
「……はぁ」
しかし現在、その清廉なはずの表情をわずかに曇らせ
イルフェーナ特有の長い耳もそれに釣られるようにわずかに心持ち下向きに下がる。
いつもは誰に対しても微笑みを浮かべ、明るい表情の彼女であったが今日に限っては胸の内の憂鬱に苛まれていた。
「セファナード教国からのお誘い……光栄なことなんだけど、どうするべきなのかな」
彼女が口にしたセファナード教国。それはこの大陸とは別の大陸に存在する一大都市のひとつ。
つい先日、彼女はその教国の教皇より直々の推薦を受け、その教国で司教として迎え入れたいとの誘いを受けた。
それは彼女に取ってまたとないチャンスであり、自らの功績が認められた証でもあった。
「無論、それ自体は嬉しいんだけど……住み慣れたこの故郷を離れるのは少し寂しいな……」
そうつぶやきながらも、アイシスはこれが自分の意思で拒否できるような簡単な話ではないことも理解していた。
なぜならセファナード教国といえば、彼女が所属するクレイムディア教において総本山とも呼べる場所であり、アルフェス王国の教会において自分たちの信者の一人がその総本山の司教へと抜擢されるという栄誉は何者にも勝る実績へと繋がる。
そのため彼女の意思とは関係なく、セファナード教国への移転はアルフェス王国側からも後押しされる形となっていた。
「ふぅ、なんだかこれじゃあ政略結婚に出されるお嫁さんみたい。あーあ、私も物語のお姫様みたいに素敵な誰かにさらわれて、そこから苦難と希望に満ちた大冒険の始まりが起きないかなー」
と、誰もいない大聖堂の中で思わず彼女は本音を口走る。
アルフェスの聖女として祭り上げられているアイシスであるが、彼女自身は生まれながらの聖女でもなんでもない。
無論、人を慈しみ愛する気持ちは誰よりも深い。その上、彼女が生まれつき有した海鳴<シンフォニア>と呼ばれる人体を癒す能力はこのアルフェスにおいて右に出る者はいないほどの才能であった。
そうした癒しの能力の高さと、老若男女問わず誰に対しても心優しい振る舞いから次第に『聖女』と呼ばれるようになったのは自然である。
だが、だからと言って彼女の性格そのものまで『聖女』として完璧でなければいけないのだろうか。
アイシスはあくまでも“心優しいだけの普通の少女”である。
夢は見る。物語の本は読む。空想だってする。恋をしたいとも願う。冒険にも憧れる。
ただ公の場でそれを開放しないだけであり、公私において必要のない一面を出さないのは誰しもが行う自然の行為である。
「なーんてね。そうは言っても私には断わる資格はないんだよね」
己の心情を軽く吐いた後、彼女はそうしてどこか覚悟を決めたようにつぶやく。
「……私には“お姉ちゃんが出来なかったこと”をやり遂げなきゃいけないんだよね」
その言葉には寂しさと共に決意に満ちた何かがあり、そうしてアイシスがつぶやき終えた瞬間、大聖堂の扉が開き外から二人の来訪者が現れる。
その音に思わず振り返るアイシスに対し、来訪者の方から声をかける。
「これはお祈りの最中でしたか。当然の来訪、申し訳ございません」
そう言って丁寧な物腰で謝罪を述べるのは教国において数人しか存在しないはずの教皇に次ぐ地位を示す青い礼装を纏った人物。
しかし、その服とは正反対にその者の髪はまるで紅蓮のように赤く、精練されたその顔つきは聖職者と呼ぶよりもむしろ戦場に存在する戦士のように揺るがぬ自信を携えていた。
「はじめまして、セファナード教国よりお迎えにあがりました。私の名はソーマと申します」
ソーマと名乗った青年の隣に並んでいたもうひとりの人物もまた彼の名乗りに続くよう自らの名前を名乗る。
「私の名前はグリム。どうぞ、お見知りおきを」
白い髪にしわを刻んだ顔、だがその瞳や表情は年齢の衰えを感じさせず、むしろ深い経験を経た事で何物にも動じない雰囲気をその初老の男は携えていた。
だが、それよりも名乗った二人の人物の衣装が教国における枢機卿を表す礼装であることを知っていたアイシスはそれを確認するかのようにソーマ、グリムと名乗った二人に確認するように問う。
「まさか、枢機卿ですか?なぜあなた方がわざわざこちらに」
必死に平静を装いながら問いかけるアイシスであったが、彼女の内心の驚きも当然である。
先日、彼女にはセファナード教国より直接迎えの者が現れると聞いていた。
だが、まさかそれが教皇に次ぐ地位を持つ枢機卿二人による迎えだとは予想もしていなかったからである。
過去に自分のように教国に招かれた者は幾人もいたと聞いているが
その迎えに枢機卿が、それも二人も現れるというのはおそらく初めての事態であろう。
「それは無論、我が国に取って重要な貴方様を迎えるのにあたって、こちらも相応の礼を取っただけに過ぎません。アルフェスの聖女アイシス様。
それに我々には貴方様を無事に教国までご案内するという任務がございますから」
深々と頭を下げる二人の枢機卿に対してアイシスは年相応の少女のように困惑した表情を浮かべつつ、すぐに本来あるべき聖女として立ち振る舞いへと戻る。
「任務、ですか。ですが、それならわざわざ枢機卿でなくとも護衛の兵などでもよかったのでは?」
「いえ、そう言うわけにもいきません。なにせ貴方様は狙われている立場ですから」
「……へ?」
突如としてソーマと名乗った人物の予想だにしなかったある単語に思わず素の声を上げるアイシス。
それを確認するように恐る恐る疑問を口にする。
「あの、狙われているって、どういうことでしょうか?」
「言葉の通りです。貴方はつい先日“聖痕”を宿したはずですね?」
「あ、はいっ」
アイシスの疑問に答えるように今度はグリムと名乗った初老の枢機卿が問いかける。
「それは我ら教国における聖なる痣。それを身に纏った人物は神により選ばれた僕であり、我らセファナードの総本山に招かれるべき証でございます。
ゆえに今回、アイシス殿が我らがセファナード教国に招かれたのも、それが要因の一つです」
その答えにアイシスはここ数日、なぜ自分が急にセファナード教国に招かれたのかその疑問が解消されたのを感じる。
それは今からひと月ほど前、彼女の体の一部に謎の刻印が浮かび上がったのである。
それまでその場所に痣が生まれるような出来事などはなく、浮かび上がった刻印もまるで血のように赤く、はっきりと刻まれており、彼女はそうした自身に起きた異常な現象を教会側へと報告をしていた。
おそらく、それが大陸を飛び越えセファナード教国まで届いたのであろう。
先程グリムの言ったことが真実であるならば、それが自分が教国へ招かれることとなった要因の一つであろう。
だが、それではまだ疑問は半分残されている。ではなぜ、その自分が狙われることとなるのであろうか?
「貴方が狙われる理由。それは簡単です。貴方が宿した聖痕。それはこの世界において貴重な力の一欠片と言われております。ゆえにそれを奪おうと何者かが行動を起こしていると聞きます」
その言葉に対しアイシスは己が知るこの世界における『敵』と呼ばれる勢力の名を口にする。
「……魔族、ですか」
「ええ、その通りです」
魔族。それは古く神話の時代より人々に仇なす敵として、世界を破壊する勢力として、ひとつの種族として呼ばれている者たち。
彼らの容姿、能力は様々であり、その多く、強大な力を有する魔族ほど人の姿そのものであり、だがその内面は生まれながらの悪とまで称される存在であり、彼らの中には破壊と悪逆の全てしかない。
人も世界も等しく滅ぼすべき対象。それが事実であるように過去にこのアルフェス王国内おいて
幾度かの魔族による侵攻や攻撃を受けたこともあった。
なによりもその時の争いによりアイシス自身、魔族の手によって最も大事なものを奪われたのだから。
「……………」
「ですが、最近では我ら人の驚異はその魔族だけとは限りません」
「え?」
過去を思いだし、どこか悲しみに浸っていたアイシスの頭に枢機卿のその意外な言葉が耳に入る。
「詳しいことは道中でお話いたしましょう。今は一刻も早く我らの教国まで貴方を無事にお送りしましょう」
そう言って差し出された手を前に、アイシスはこれが自分に取ってのある種の転機。望んだ形とは少し違うが、冒険と呼べる未知への挑戦になるのではないだろうかと。
そう思い、差し伸べられた手を取ろうとした瞬間、アイシスは自らの手を強引に引っ張られるのを感じる。
だがそれは手を差し伸ばした枢機卿のものではない。
突如としてこの大聖堂にあったステンドグラスの窓を叩き割り、そこから体一つでこの場に現れた褐色の少年の手によるもの。
何が起こったのか瞬間、この場にいた誰もが反応に遅れた。
だが、それに気づいた瞬間、即座に動いたのは枢機卿のひとりソーマと名乗った青年。
彼は懐に携帯していた数本のナイフを片手で掴み、それを現れた少年めがけ即座に放つ。
少年が抱えたアイシスに当たることなく、少年の頭のみを瞬時に狙い定めたナイフの軌跡はまさに達人ですら不可能な針の穴を通すほどの精密さであったが
それよりも驚くべきは、自らに向けられたナイフが少年の眼前で全て停止したことである。
両手を使った動作などはない。あえて言うならば無風のはずのこの空間に風が吹き、少年の眼前でまるで壁のように突風が吹き荒れナイフの軌道を止めたこと。
少年が現れてから1秒と経たない僅かな間に常人では知覚すらできないほどのやり取りが行われ、それを知覚出来たアイシスはただ眼前のやりとりに驚く。
そして、自分を抱える己よりもわずかに低い身長の彼の顔を見る。
それはこの世界では“一部の種族”のみしか有さないはずの神聖なる褐色の肌。
太陽を思わせるような赤い紅蓮の瞳。そしてなによりもその自信に満ちあふれた表情と笑顔。
年端もいかぬ少年でありながら、まるで幾年の経験を積み重ねた者の顔。
「よお、アンタがアルフェスの聖女さんか」
その声も見た目以上に芯が強く、自信に満ちあふれた男の声。
「俺の名前はグレスト=F=レヴァントス。アンタをさらいにきた者だ」
少年と出会った少女<聖女>はこの状況において不思議と高鳴る胸の動機を抑えられなかった。
なぜならその状況は、少女がいつかどこかで夢見た冒険へと出る光景の一部。
初めて出会う素敵な男性にお姫様だっこされ、さらわれるというものであったのだから。