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8 ライヴ。交差する誰かと誰かの思い

「あらあ」


 休み明け、食堂で久しぶりに会ったノゾエさんは見事に日焼けしていた。今日のA定食のスパゲッティのサーモンクリームソースセットを手にした彼女はすとん、と僕の前に陣取った。


「元気だった? アトリ君。…あれ? 何か、君、顔、変わった?」

「え? 何か変ですか?」


 僕は問い返した。


「や、何か、前よりかわ… いや、綺麗になったんじゃないの?」

「綺麗ってノゾエさん、何ですかそれ」


 僕は慌てて手を振る。詰まった言葉も予想はつく。

 だけど、そういう彼女の方が僕にとってはよっぽど綺麗に見えるのだけど。きっとまた、いつもの様に、あちこちを回ってきたのだろう。


「休み中、何処か行ってました? また」

「うん。今度は九州」

「へえ」


 九州。そういえば、アハネの故郷はさらに向こうだ。


「そうだね、だいたい二十日間くらい、九州の中をうろうろしていたよ。一泊三千円くらいの安宿とって」

「へえ… よく焼けてますよ」

「うん。時間のある限り回ってやろう、って思ったからね。今回は」

「今回は?」

「ま、今度はちゃんと進級しなくちゃまずいでしょ。さすがに」

「進級」

「アトリ君はそういう心配はないだろうけど」

「心配… うーん…」


 僕は少しばかり言葉を濁す。正直言って、実は心配だった。

 バンド活動に身が入るにつれて、僕の学校の方の課題に向ける熱意が減っていたのは確かだった。


「何だあ? すごーく情けなさそうに!」

「ちょっと… 危ない」

「はあ!」


 僕はそう言いながら、スプーンでカレーライスをかき回した。


「何でまた。君ずいぶんまじめそうだったのに」

「まじめとまじめそう、は違うんですよ~」


 そしてぱく、と口に運ぶ。


「何でまた」

「バンドが」


 間髪入れない問いは、つい僕の口から言葉を引きだした。


「バンド… ちょっと待ってよ、アトリ君、もしかして、まだ、続けてるの?」


 ぐい、と彼女は身を乗り出してくる。


「まだ、って何ですか」

「試しで入る、って聞いた時だって信じられなかったわよ? だって、あの男のバンドでしょ?」

「そういう言い方、よしてくださいよ」


 僕は少しばかりむっとして、彼女に言い返した。


「音楽には、まじめなんですよ?」

「それはそうなのかもしれないけど」


 彼女は眉間にしわを寄せながらも引いて、スパゲティのサーモンクリームソースをからげ出す。そして器用にくるくるとフォークだけで細いスパゲティを巻いて口に運ぶ。


「…最近、そのバンド、…何って言ったっけ?」

「RINGER」

「そうRINGER。どうなの?」

「最初の頃よりは、慣れてきたから… 今度、見に来ます?」


 そういえば、そうだった。慣れてきていた。

 と言うか、ステージでの格好を変えたあの時から、僕は変わった。

 ケンショーの言うところの鎧だ。別に僕の中身がどう変わるという訳ではないけれど、派手な格好をすることによって、むやみやたらな緊張から、僕が解放されたのは確かだ。

 それに。


「行ってもいいなら。…ああ、でも君、あの友達も行ったことあるの?」

「友達? アハネ?」

「そう、そのアハネ君」

「ああ、そういえばまだあいつ、故郷のほうから戻って来ないんですけど… そろそろ戻ってくるかな?」

「だったら彼も一緒にしてよ。あたしだけ誘うと、それはそれで、何か良くないと思うけど」


 そうかなあ、と僕は首を傾げた。



 服を着替えて、鏡に向かって、髪とメイクを整える。それは僕にとって、ライヴの前の儀式のようなものだった。

 それが、楽屋とも言えない、ライヴハウスの奥の、狭っ苦しい空間だったとしても、だ。

 もっとも、今日のライヴハウスは、その空間がいつもより広かった。ACID-JAMというそこは、僕は初めてだった。出演するのだけではない。入るのも初めてだった。

 爆発した様な髪の、綺麗な女性が時々出入りしている。どうやらこの店のスタッフらしい。Tシャツにくるまれた大きな胸の上に、この店の名前が白抜きで入っている。


「上手ね」


 その女性が、ふと、声をかけた。鏡に彼女が入ってきた時に、はっと僕は顔を上げた。


「でも、口紅はも少しラインをくっきりさせた方がいいんじゃない?」


 そう言うと、彼女は僕の手から口紅を取り、袋の中のメイク道具をがさごそと探ると、専用の筆を取り出した。


「じっとして」


 その筆が、すっ、と僕の唇の上を動く。ほら、と彼女は鏡を僕に手渡した。確かに、何となく印象が変わる。


「うんやっぱり、その方がいいわ」

「あ、ありがと… えーと」

「初めて? あたしはナナよ。覚えておくと便利よ」

「ナナさん?」

「演奏が終わったら、飲み物は何がいい? 後ろのカウンターへ取りに来ればいいわ」


 そう言うと、彼女はさっと立ち上がってその部屋を出て行った。僕はあっけに取られてその後ろ姿を見ていた。色んな人がいるものだ。僕は、と言えば、そのテンポには相変わらずついて行けてない。


「支度できたか?」


 ケンショーが入れ替わりの様に入ってくる。


「あれ、ちょっと顔変わった?」


 奴は目を細めてみる。


「あんたの目でも。そう思うの?」

「何となく」


 だとしたら、あのひとは上手いんだ、本当に。


「ケンショー、ナナさんって知ってる?」

「ナナさん? ああ、ここのスタッフの? まあな。あ、でもお前、あのひとは駄目だぞ」

「え?」

「あのひとは、BELL-FIRSTのノセさんの彼女だし」


 何を言ってるんだろ。この男は。


「…ああそう言えば、ベルファ、こないだベースの奴が事故って、亡くなったんだって言ってたな… お前も事故る… や、事故られるなよ?」

「何だよそれ」


 客電が消え、僕はふらりとステージに出た。

 それでも、始まるその瞬間までは、緊張が少しは身体に残っている。

 だけどその緊張は、僕に少しばかりの力を与えてくれる。

 オズさんのスティックがカウントを鳴らし、ケンショーのギターが、ナカヤマさんのベースが音を奏でる。僕はその上にふわりと飛び乗って、声を張り上げる。

 網に包まれた腕が、大きく、ライトに包まれた空間を動き回る。別に何か考えている訳じゃあない。音に乗って、身体が動く、それにただ僕は従っているだけ。

 まだ今のところは、前のヴォーカルの子がつけた歌詞の曲だけだけど、そのうちケンショーは僕にも何かつけろと言い出すだろう。

 曲の合間、軽くドリンクを口にしながら、さっきのことを思い出した。

 ふっと後ろのカウンターに視線を飛ばすと、そこには高校生くらいの男子がカウンターに並んで座っていた。一人はカウンターに突っ伏せている。そしてもう一人は、ぼんやりとドリンクを口にしている。時々こっちを見ているが、決して熱心ではない。…少なくとも、僕に対しては。

 僕はほんの少し、意地悪な気持ちになって、じっとそちら方向を見ると、にっこりと笑ってみせた。

 だって。その高校生のガキは、明らかにケンショーのファンだ。少し距離はあっても、視線の方向で、判る。

 だいたい野郎で僕のファンがつくことは滅多にないだろう。そんなことは判ってる。数回ライヴやれば、そんなことはすぐに判る。

 こっちを向けよ、とは思わない。思ってたまるか。

 次の曲が始まる。僕は大きく頭を振って、また声を張り上げる。

 そしてその視界の隅で、そのガキが、僕に向けて、指で銃を作って撃つのが、見えた。 


「良かったわよ、ライヴ」

「ありがとう、…ナナさん」


 言われた通りに、僕は終演後、さっさとメイクを落とすと、客が引いた後の店のカウンターに出向いた。僕がそうしている横でギターを片づけていたケンショーも、ついでとばかりについてきた。


「お久しぶりす、ナナさん」

「ふうん?」


 カウンターに片方の肘をつくと、彼女はケンショーの方を意味ありげに見た。そして首を傾げると、こう納得したようにつぶやく。


「なるほどねえ」

「何か言いたいですかね?」

「ううん、相変わらずだなあ、と思ってさ」

「相変わらず?」


 僕は特別だからね、と言われた「本物の」オレンジジュースを両手で受け取りながら訊ねる。


「…このひとは、人をからかうのが好きなんだよ」


 そう言いながら、ケンショーはポケットから煙草とライターを取り出した。あれ、珍しい。僕の前ではそうそう吸わないのに。


「何照れてんのよぉ」


 あはははは、と彼女は笑った。照れてる? 照れてるのか? この男が。


「毎度毎度、この男、ある程度まで新しいヴォーカルが慣れて来るまでぜーったいにここには連れてこないのよ」

「へえ?」

「…」


 ふうん。オレンジジュースを口にしながら、僕はケンショーを改めて見る。視線を向こう側に飛ばして、煙草をふかしている。ふうん。照れてるのか、これは。


「何で?」


 僕は不意に訊ねた。


「ふふん。決まってるでしょ。ある程度慣れないと、あたしの毒舌に可愛い子がしぼんじゃうものねえ」

「…判ってるなら言うなよ」


 ふーっ、と奴はそう言いながら煙を向こう側に大きく吐き出した。


「ま、でも今度の子がこの子で、結構あたしとしても、あなた達のバンドには期待が持てるんだけど?」

「…何だよ、気味悪いな」


 くいくい、と灰皿に吸い殻をなすりつけてから、奴はこっちを向く。ナナさんはぐい、とカウンターから身を乗り出す。


「あらあ、正直な感想と言って。だってあなた達、腕はいいんだけど、何かいつも華が足りなかったじゃない。この子、ステージ映えするし、声も」


 彼女は一呼吸、そこでおいた。


「…よく伸びるし。えーと、名前…」

「あとりめぐみ」


 すかさずケンショーは言った。


「…でもお前、その名前じゃない方がいいんだろ?」

「え?」

「そんなこと、言ってなかったっけ」


 言った覚えはない。だけどそう思っていることは確かだ。


「だから… そーだなあ。漢字で書くと、恵、だからK。こんなとこでどーだ?」


 どうやらこれは僕に対する確認のようだった。


「Kちゃん?」


 すかさずナナさんはそう口にする。


「いいんじゃないの? Kちゃんね」


 ふふ、と彼女は何が楽しいのだか、顔いっぱいに笑みを浮かべる。


「…ベルファもしばらくは活動休止だし… あなた達にもがんばってほしいな。うちの店、結構ベルファ目当てとか多くてさ」

「そういえば、さっき、あの子見たぜ?」

「…ああ、見た? マキノ君」

「名前までは知らないけどさ、あれ、あんたのとこの亡くなったベースのひとにいつも引っ付いてたガキじゃなかったっけ」

「…まあね。でももう、来ないかもしれないわ」


 何の話をしているのだろう。


「結構早くベースも上達したから、誰かバンド組んで、…早く思い出にしてくれればいいんだけど」


 そうだな、とケンショーもぼそっと言った。



「どういう子だったの?」


 帰り道、ゆっくりと歩きながら僕はケンショーに訊ねた。オズさんもナカヤマさんも、二人で呑みに行ってしまった。この男は自分は飲めるのに、僕を送っていく時には絶対に呑まない。


「何が?」

「さっきの話。ベルファってBELL-FIRSTのことだよね?」

「あ? ああ。事故って亡くなったベースの人ってのが、ずいぶん上手い人でさ。その人に今年の春あたりからくっついてたガキが居たの。俺が知ってたのは、それだけ」

「ふうん」


 でも、どうしてその子の連れが、僕にめがけて指で銃を撃つんだろう。

 悪意ではないけれど、何か、その行為そのものに、僕に向けての意志のようなものを感じたのだけど。悪意ではない…だけど、敵意に近い。


「ケンショー」


 僕は不意に立ち止まり、彼の名を呼んだ。何、と答える声が聞こえる。


「僕のこと、好き?」


 何を言ってるんだよ、と彼は笑った。


「いいから、言って」

「好きだよ?」


 これはあっさりと言う。こういうことはあっさりと言うのに、どうしてナナさんの前では照れるんだろう。変な奴だ。


「今日、うち寄ってく?」

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