3 いきなりの強引な勧誘勧誘勧誘!!!
足音が近づいてきたことに気付いたのか、その金髪の男はくわえ煙草のまま、振り向いた。
目を細めてる。何かやーなかんじ。そして組んだ腕のまま、首をかしげ、…明らかに、僕を見ている。
だけど金髪の奴に僕は知り合いはいない。少なくとも、捜されるようなことをした覚えはない。…無いと思うんだけど…
違うよね? 違うと… 誰か言って欲しい。
だって、何か、何か、近づいてくるじゃないか!
細めた目のまま、煙草をかかとで床に押しつぶすと、男は僕の方に真っ直ぐ近づいてきた。
僕も、一緒にいたノゾエさんも、何か、その足取りに圧倒されて動くことも忘れていた。
「あとりめぐみ!」
「は、はい!」
反射的に返事をしてしまっていた。
「ああそうだ、やっぱりそうだ。その声だ!」
「え?」
「やっと見つけた!」
えええええええええええええっ!!
内心絶叫しながら僕は硬直した。
何が起こってるのか、正直言って、信じられなかった。
だって、そうだろう。何だって、初対面の金髪の男に、抱きつかれなくてはならないんだ!
僕は硬直しながらも、男の肩越しに見えるノゾエさんに目で助けを訴えた。
先輩… いや同級生… いや年上… そんなことはどうだっていい! とにかく年上だろうが女性に助けを求めなくてはならないくらい、僕は正直言って、どうしたものなのかさっぱり判らなくなっていたのだ。
しかもこの男、何だってこんな、力が強いんだ! 身動き一つとれない…
ノゾエさんノゾエさん。僕はひたすら目で訴える。
そしてやっと彼女ははっとして、男の肩を、その力のある手でぐっと掴んだ。
「ちょっとあんた、何なのよいきなり!」
「痛! 何つー力だ!」
「その子を離してよ! 何あんた、いきなり、この学校の生徒? 違うわよね! あたし見覚えないよ。こんな老けた新入生はいないでしょ!」
「老けてて悪かったなあ。ああ確かに俺ここの生徒じゃねーよ。だけどしょうがねーじゃないか。捜してた奴が、ここの生徒なんだから」
だからって。…頼むから、手を、手を解いてくれ。
顔を上げて、彼女の方を向いてはいるというのに、何だって、いつまでもその手は僕の背中に巻き付いてるんだ!
「だからあんた、その説明をしてよ! 捜してる捜してるって…アトリ君、怖がってるじゃないの!」
「へ?」
金髪男は、驚いた様に、僕の方を改めて見る。そしてじっと、今度は目を大きく広げた。あ… れ? けっこう整った顔だ。
「…あ、すまん」
あっさりと男は手を離した。そんなに怖がっているように…見えたんだろう…な。
あははは、と乾いた笑い声を立てながら、僕はその場にずるずるとしゃがみ込んだ。
「大丈夫?」
ノゾエさんは慌てて僕のそばにしゃがみ込む。そしてきっ、と金髪男を見上げて強くにらみつけた。
「ほらちゃんと説明なさいよ! 可哀想に…」
いやそんな、怖かった訳ではないんだけど。ただずいぶんと突然のことに、驚いたんだ。すごく。
「あー… と」
金髪男は、さすがに困った様な顔になった。
そして何やら黒いジーンズの中の、ポケットの中をごそごそと探りだす。
手持ち無沙汰なのだろうか。中身の無い煙草のパッケージを見て、顔をしかめる。
「…あー… つまり、あとりめぐみ、俺、ここんとこずっと、あんたを捜してたんだよ」
「それは聞いたわよ」
「あんたには言ってねーよ、でかいねーちゃん。俺はこっちの可愛い子の方に言ってるの」
「あたしがでかいのもこの子が可愛いのも確かだけど、一応友達として聞く権利はあるわよ!」
「友達なのか?」
ぬっ、と顔を突き出して、金髪男は僕に訊ねる。友達… まあ、友達なんだろうな。…さっき出会ったばかりのような気もするむけど…
「うん。友達だけど…」
壁に手をつきながらゆっくり立ち上がると、僕は彼を見上げた。
「僕に、何か用なの? 僕はあんたを知らないけど」
ようやくそれだけを訊ねる。まだ何か、どきどきしてるじゃないか。ゆっくりだけど、何か立ち上がったショックでくらくらするし。
「知らない、かなあ? こないだ、一度会ったけど」
「…こないだ?」
記憶をひっくり返してみる。だけど金髪男なんて…
あ。
「もしかして、あんた、こないだの店の…」
「こないだの?」
ノゾエさんは不思議そうに訊ねる。男はうなづいた。
「こいつら、新入生歓迎のコンパで、ウチの店、借り切ってたんだ。その時、この、あとりめぐみが、いきなり酔っぱらって歌連続七曲うたいまくったんだよ」
「…」
僕は押し黙った。
確かにそういうことをした、と後でアハネに聞いたりはしたけれど、僕自身、ちゃんとした記憶が残ってる訳じゃあない。そんな時のことを引き合いに出されても、困る。
「で、その時の声があんまりにも良かったから」
「…あ、確か、あの時も、そんなこと言ってた…」
そうだ。そこは思い出した。帰り際にいきなり手を捕まれたんだ。その時はアハネが何か上手く助けてくれたけど。
「でも、良かったから、…何だって言うの?」
「欲しいと思って」
「欲しい?」
僕とノゾエさんの声が重なる。どういう意味だ、それは。
「俺、バンドでギター弾いてるんだけど」
「ああそうだね。確かにバンドマンって感じよね。いまどきパツ金ロン毛ったって、そこまで長いのはバンドマンくらいなもんだわ。珍しいくらい」
そう。そしてその長い髪の毛は後ろでざっとくくられてるだけだ。何か、毛先のほうなんて、火を点ければ実によく燃えるだろうな、とか、とうもろこしの先っちょについてるあの毛を思い出してしまった。
「で、今、ウチのバンドヴォーカルが居なくて」
「僕は歌えないよ」
「あん時、ちゃんと歌ってたじゃないか。すげえ上手かった」
「あれは… 酔ってたから」
「じゃあ歌えるって。歌ってみない?」
そう言いながら、その顔がいきなり笑顔になった。思わず僕は後ずさりする。視線を彼女の方へ巡らす。
どうしたものか、と彼女もまた天井を見上げていた。ああもう。人に頼ってる場合ではないらしい。僕は一度生唾を呑む。
「困るんだってば。僕この学校に入ったばかりで、これから忙しいんだ。バンドやってる暇なんて無いって」
一気に大声でまくし立てた。ちょっと自分でもびっくりしている。何か滅多にそういう言い方しないから、胸がどきどきする。
でも何となく、そのくらい言わないことには、この金髪男には通じない様な気がしたんだ。
「ふうん」
あれ。でも何かあっさりと引き下がってる。
「ま、いいさ。そんな、最初からあっさりやるなんて言われたら、その方が不気味だもんなー」
「いきなり抱きつくあんたの方がよっぽど不気味だとは思わないの? ストーカーじゃないんだから!」
ノゾエさんは悪意を込めて訊ねた。
「別に」
男はあっさりと言う。僕はため息をついた。
「そこで、だ。あとりめぐみ、これをあげよう」
男は上着のポケットから何かを取り出した。
「テープ?」
しかも、何かいまいち趣味のよろしくないインデックスが入っている。黒地はいいけど、この飾り罫、装飾字体はよせ、って感じだ。ちょっと引きたくなる。
「これ、あんたのバンドの?」
「そ。俺のバンド。あとりめぐみ、ちょっと聞いてみてくんない? そのくらいはしてみてくれないかなあ?」
「わざわざ作ったの? 物好き…」
「や、これは配布テープって奴。客に配った奴の一つが、俺のウチにもあったから。結構いい感じで録れた奴だからさ、ね、一度聞いてみてくれね?」
僕は黙って、そのテープのケースを表に返し裏に返す。タイトルが書かれ、その下に、…バンド名かな、これが。
「…り…? 何って読むの? …RINGER」
「カタカナ的に読むと、リンガー。鐘鳴らし」
「鐘鳴らし?」
思わず眉を寄せた僕の頭の中に、「世界名作劇場」の中に出てくるのどかな教会のある農村の風景が浮かんだ。
「んじゃ、考えておいてくれよ!」
そしてまた、金髪男はさっと手を出すと、僕を一度ぎゅっ、と抱きしめて、…今度はノゾエさんがどうこう言う前に、玄関から走り出て行った。
さすがに今度は腰を抜かすようなことは無かったけれど…硬直していたのは、言うまでもない。
「…災難だね…アトリ君」
全くだ、と僕は思った。
*
ぱちん、と部屋の灯りをつける。
小さな部屋。四畳半とまではいかないけれど、六畳一間の部屋の隅に台所がついた、1Kアパートという奴。
地方から出てきた一人暮らしの学生としてはまあ上等。決して建物は新しくはないけど、台所も、小さいながらも風呂もついてはいるし。
でもまだ、がらんとした部屋だ。何があるという訳でもない。引っ越してきた時のそう多くもない荷物が、部屋の隅の段ボールの中に大半入っている。服も、画材も。
電化製品も、まだほとんどない。部屋の真ん中にある蛍光灯の照明も、二口コンロのガスレンジも、置き忘れられた様にここにはあったから、わざわざ買う必要はなかった。
でも冷蔵庫はいずれ欲しいな、と思う。
仕送りはたくさんは期待できないから、無駄づかいはできないのだ。
バイトはするつもりだけど、結構な費用が課題の制作費とかに消えるだろうし。
外食はあまりできないから、自炊したほうがいいだろうし。だったら冷蔵庫くらいは欲しい。小さくていいんだ。でも2ドアがいい。氷が作れるといい。
親が出してくれたのは、学費と、部屋代くらいなもの。後は自分で稼がなくてはならない。食費すら。
部屋代って言ったって、僕の地元の倍くらいするのだから、それは仕方ない。この部屋を今借りる分で、地元だったらあと一つ部屋が増やせて、おまけにキッチンが別になるって聞いた。
東京に出ていくというなら、それしかしてやれない、と僕は言われた。
それで充分だ。充分すぎると思う。だからバイトなんかも、すぐにでも捜さなくてはならないのだけど。
はじめは、反対された。でも押し切った。こんなのは、生まれて初めてだった。
でも何でそこまで強情張ったのかは、僕にも判らない。
だって、一応僕の育った県にもデザイン系の学校はある。家から通える距離に、結構な数の学校がある。
絶対に、家に居た方が楽だ、ということは判ってる。
食事も洗濯も、黙ってやってくれる母親。風呂だってそれでもここよりは大きいし、ちょっと古いけど、持ち家で、隣の家とは音楽を鳴らしても構わないだけの距離はある。
地元の自動車産業の工場で働いている兄貴は、やっぱり車が大好きで、僕が何処か行きたいと言えば、嫌な顔することもなく、送ってくれたりした。
日曜日にはよく出かけてく。つきあってる人もいるらしい。きっと結婚も早いだろう。
親父とお袋も、すごく、という訳じゃないけど、それなりに仲が良く、やっぱり休みになると、何処かにドライブに出かけることがよくある。僕らが住んでたあたりは住宅地だったけど、ちょっと足わ伸ばせば、ちょっとした観光ができる山とかもあの県にはあった。
無茶苦茶裕福、ではない。けどひどく穏やかで、明るい生活。
地元では、当たり前な、そんな生活。
僕にしたところで、成績がいい方ではなかったから、兄貴同様、高校を卒業したらすぐに就職すると親は考えていたらしい。それも一応考えはしたのだけど。
だけど。
何か、違うと思ってしまった。
何が、とはっきり言葉に出して言えるわけじゃない。でも「違う」ということだけは判った。
だから親に問いつめられた時、すごく困った。理由らしい理由がない。説明できるほど「何か」は固まってない。
だけど、ここに居るのは、それは、それだけは違う、と思った。
母親は困った顔をした。兄貴も困った顔をした。
不思議と平然としていたのは、普段おっとりとして無口な親父だった。
彼はこう言った。
「どんな理由か俺にはよくわからんし、お前もよく判らないんだろうが、お前がそこまで言うのを初めて聞くから、―――まあそう時間はやれんが、やってみろ」
僕はどちらかというと、親父似だと言われていたので、ちょっとばかり、彼のその言葉は嬉しかった。
違う、と思うなら、その理由だけでも見つけないことには親父に顔向けができない、と思った。
そうやってやっと始まった一人暮らしだった。
殺風景な部屋。狭いのは狭いんだけど、一人だと、何かがらんとしている。
人の居る家につきものの、始終ざわついている、あの音が無いのだ。夜になれば、遠くの電車の音や、車の排気音、隣のうちのテレビの音がぼんやりと聞こえてくるくらい。それは僕に関係のないものばかり。
不思議と安心する。
でも、これだけは新しく買った、CDラジカセ。
音楽が好き。音が無いと寂しい。それは昔から。
実家のコンポを独り占めできる、と苦笑した兄貴は、入学祝いに小さなそれをプレゼントしてくれた。
どうせこんな小さな部屋では、大きな音は出せない。このくらいがちょうどいいんだ。大きな音で聞きたい時のために、ヘッドフォンもちゃんとついている。
上着を脱いでハンガーに掛けると、その拍子に、ポケットからさっきもらったカセットテープが畳の上に転がった。
やっぱり何かデザイン的にはいまいちだと思う。少なくとも僕はこんなデザインのカセットをもらっても嬉しくはない。
でも一応聞かなくちゃまずいだろうな、と思った。だったらコーヒーでも呑みながら、気楽に聞こう、と。