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18 アハネ君再登場、アトリ君の「宿題」について切り出す

 それからしばらくの間、僕は彼女の部屋で過ごした。

 僕はそこからバイトに通っていた。そして僕はバイトの量を少し増やしていた。

 それまで出る気はなかったフロアに出て、時給が100円上がった。そして時間を伸ばした。それまでは定期的に休んでいた分をカットした。

 どうしたの、とマネージャーは言ったけれど、僕は今、何も考えたくなかった。

 こういう仕事はいい。何も考えずに、とにかく、仕事と割り切ってやっていられる。朝から晩まで。身体を動かして。愛想笑いをして。

 作りでも何でも、笑顔を作っていられるうちは大丈夫だ、と僕は思った。思おうとした。

 そうでもしないと、すぐに、今までのこととか、自分の才能とかやりたいこととか、とにかく今考えるには許容量オーバー、と言いたい程の考えが押し寄せてきて、僕はそのあふれかえる思考の中でおぼれてしまうと思ったのだ。

 朝出向いて、フロアに出て、昼食をとって、またフロアに出て、人が少ない時間になったら、細々とした作業をして、また混んできたら、他のフロア仲間と調子を合わせながら、なるべきてきぱきと動き回る。

 同僚の一人は、ずいぶん変わったね、と驚く。変わった訳じゃあないんだけど。

 そして夜、疲れ果てて、食事をしてから彼女の部屋へ戻る。

 彼女は居たいだけ居てもいい、と言った。だけどそれはまずい、と思う。

 彼女がいいと言っても、僕自身が許せない。いつかは出ていかなくてはならない。近いうちに。

 だからそのためにも、僕はてっとり早く収入は欲しかった。

 だけどそれほど器用ではないのは判っているから、とにかく今居るところで、少しでも仕事を増やしている。そういう意味もあったし、職種のえり好みなどしている余裕は無かった。

 僕は僕に言い聞かせる。


 あんなことまでステージの上ではできたんだから、フロアで愛想笑いくらい飛ばすのは簡単だろ?


 美咲さんがケンショーに、僕が居ることを言ったのかどうかは判らない。

 どっちだっていい。言ったところで、逃げ出した僕を奴は追わないだろう。それは確信だった。逃げ出した時点で、僕は奴の声でいることは辞めているのだ。そのくらいは判るだろう。判ってほしいものだ。


  

 そんなこんなで、一ヶ月があっと言う間に過ぎた。朝のTV番組にある日何気なく耳を傾けた時のことだ。美咲さんは毎朝ミルクティを呑み、僕はカフェオレを彼女の手からもらっていた。優しい手だ。

 だけど一ヶ月も一緒に暮らしていると、そこに身体の関係があるなしでなくとも、判ってくることがあるものだ。彼女は彼女で、僕が居ることで楽しんでいる。

 それはそれで悪くはない。少なくとも、居候している罪悪感からは、逃れられるというものだ。

 彼女はどうも、自分が守ってやれる存在というものが好きらしい。のよりさんも、最初は彼女に泣きついたらしい。彼女はそのあたりは兄と似ているのだろうか、男も女も関係ないのだ、という意味のことを言っていた。

 僕はその時には黙って聞いていた。だけど。


   *


 そんなある日、僕に客だ、とマネージャーが言った。

 午後二時半は、ランチの客が終わり、お茶の時間にはやや間がある、というエアポケットのような時間帯だ。その時には客が少ない分、店員も少ない。フロアには僕とマネージャーともう一人、女の子しかいなかった。


「客?」

「友達じゃないの? 二人連れだけど」


 三十分くらいだったらいいよ、とマネージャーはあっさりと許してくれたのだが、僕には心当たりがない。実際のところ、ケンショーが来る、という可能性だってあった訳だ。

 だけど二人連れ、という時点でその考えは消えていた。あの男は来るだったら一人で来るだろう。

 そしてその考えは当たった。店員の通用口に回ってみると、そこには意外な顔が居た。


「ナカヤマさん… それにアハネ?」


 僕はもう少しで驚きの声を上げてしまうところだった。


「久しぶり、アトリ」


 そう言ってアハネは手を挙げた。


「どうしてここが… いや、どうして今?」

「んー? 俺、お前が学校来なくなってから、それでも時々ライヴ見に行ってたんよ? 知らなかっただろ」


 知らなかった。来てるなら来てると言ってくれれば…

 だけどそれはできなかったのだろう。僕とあんな形で疎遠になったのだから。


「だけどいきなりお前出なくなった、と思ったらさ、何かメンバーチェンジがどうとか、ライヴハウスで噂になってるし。気にはなったからさあ、前に携帯の番号聞いてたこのひとに連絡してみたの」


 そう言って彼は、ナカヤマさんの肩をぽん、と叩いた。


「でもさ、このひともバンド辞めたとか言ってるし」

「ええっ!」


 僕は今度こそ、声を上げてしまった。


「ナカヤマさん、RINGER辞めたの…?」

「まあね」


 さらりと彼は答えた。何か僕が知らない間に、色々なことが向こうではあったらしい。


「じゃ、バンド、今はケンショーとオズさんだけなの?」

「や、メンバーチェンジ、って言っただろ? チェンジだよ。後任が入って、メジャーデビューに向けて、割と着々と進めてるらしいよ。俺も詳しいことは知らないけど」

「メジャーデビューに向けて… じゃあ話、まとまったんだ」

「まあね。でも俺はメジャーに行ってまで音楽する気はなかったから、辞めさせてもらった」

「…どうして」


 自分だったら聞かれたくない質問なのに、その時の僕は彼に聞いていた。だがいつも冷静だったこの人は、この時も冷静だった。


「あのね、めぐみちゃん。俺は音楽が好きなの。ベースが好きなんだよ。だから仕事ににしたくはない。それだけ」

「それだけ?」

「それで十分じゃないのかい?」


 彼は苦笑した。バンドに居た頃には、僕には見せたことの無い表情だ。


「大切であればあるだけ、人にどうしてもいじられたくないものってあるだろ?

 それが正しい方向であったとしても」


 ああ、と僕はうなづいた。そういう人だったんだな、と改めて僕は思う。本当に、もっと話しておけばよかった。


「…じゃあ、今のヴォーカルとベースは」

「何でも、SSってバンドの子達を引き抜いたってことだけど」


 SS。


「…って確か、カナイって子…」

「知ってるのか?」

「ちょっと…」


 一瞬、胸が締め付けられた。そうか、あの時のガキは、自分の欲しいものをちゃんと自分で手に入れたんだ。ケンショーの隣、という位置を。

 考えないようにしていたことが、急に自分の中になだれ落ちてくる様な気がした。


「…奴は、元気?」

「らしいよ」


 ナカヤマさんは短く言った。僕はうなづいた。そしてこう付け足した。


「そうだろうね」


 そして僕のその答えを聞くと、肩をすくめて、タッチ交代、とばかりにアハネを軽く押し出した。


「ありがとうございました。本当」

「いやいやいいの。俺も気がかりだったのは確かだから…じゃあ、後は二人で話して」


 ナカヤマさんはそう言うと、ひらひらと手を振った。残された僕らは、とりあえず何から話したものか、少し迷った。沈黙を破ったのは、やっぱりアハネの方だった。


「…えーと… お前さあ、あの時の写真、まだ持ってる?」

「え?」

「あの時の、写真。お前持って帰ったろ」

「あ? うん。一応」


 今でもあの写真は、バッグの底に入っている。


「出そうと思えば、今でも出せるけど… 返してってこと?」

「ばーか、違うよ。そうじゃなくて、お前はお前のすべきことをしたか、ってんの」

「僕の?」

「お前、俺にあんだけ写真撮らせといて、それを使った作品を結局見せないままじゃないの」


 ざり、と音を立てて、アスファルトの上の小石を奴は蹴った。ぽん、と鈍い音を立てて、それは近くに駐車してあった車のタイヤに当たった。


「作品」

「あれは、CDジャケット用だったんだろ?」

「ああ… うん、でもあの時は、結局、別のデザインでカセットに」

「見せろよ」


 僕が最後まで答えないうちに、彼は言った。え? と僕は問い返す。


「俺にはそれを見たいという権利があるぜ?」

「…そ… うかもしれないけど、…でも結局その時は作らなかった訳だから、新しく作らなくちゃならない訳だし、機材とか何も今は」

「学校のがあるだろ」

「僕は休学中で」

「だったら休学なんてやめればいい」


 どき、と心臓が跳ねた。


「お前、バンドやりたくて休学してたんだろ? でもバンドは辞めたんだろ? だったら戻ってくればいいじゃないか。俺がついててやればそれはそれでいいけど、あいにく俺も、もうあの学校の生徒じゃないからなあ」

「…って、アハネ、今何してんの?」

「あーん?」


 そういえば、そういう時間が過ぎていたのだ。専門学校はそう長い時間のカリキュラムの場ではない。僕がバンドをやっているうちに、あの頃一緒に入学した連中は卒業していたという訳だ。

 彼はスタジオの名前を出す。聞いたことはない。


「写真?」

「そう」

「ちゃんと、目指す方向へ行ってるんだ」

「そりゃそうだろ、好きなんだから。したいんだから」

「僕とは違うから」

「お前ねえ」


 そう言うと、彼は手をやや上に伸ばして、僕の両肩を掴んだ。


「あのなあ、お前まだ、ああいう作業とか、どういうものが好きなのか、掴む前に振り回されたんだよ?」

「…判ってる」

「判ってるんだろ? そしてやってみて、振り回されていたってことに気付いたんだろ?」

「アハネは知っていたんだ。気付いてたんだね、あの時から」

「見れば判る。判らなかったのは、お前だけだよ」


 だろうな、と僕は思う。今になっては、そう思う。


「別にあの時、俺は、お前が男とどうとか、ってのはどうでも良かったよ。だいたいこのテのザデインやら写真の世界じゃ、ある程度そういうのがある、ってのは常識だろ。だいたい今の俺のセンセイなんぞ、明らかに両刀だよ。だけどそんなの、彼女のプライヴェートに過ぎないし、それが作品にいい影響与えるならいいことだ」

「…」

「俺が気になってたのは、歌うのが好きなのが、お前の意志なのかどうなのか、ってことだった。だけどお前はさあ」


 ふう、とアハネはため息をついた。


「言っても仕方ない、と思ったから、ライヴ見に行ったけど、それ以上はできなかった。俺も俺で、気弱だからさあ」


 彼はそう言うと、にやりと笑った。


「アハネ…」


 僕は何と言っていいものか、迷った。遠くでからん、と三時の鐘が鳴っていた。三十分だ、と彼は時計を見た。


「俺も仕事行かなくちゃ。途中に抜け出したから」

「…あ…」

「でも作業する気があるなら、今日仕事終わったら、学校に来いよ。俺待ってる」

「お前卒業したんじゃ」

「卒業生ならいいんだよ。どうせ今の時期、皆課題でてんてこまいだ。一人二人増えたって何が変わるかよ。それにノゾエさんに聞いたけど、お前自分の道具、置いてあるんだろ?」

「…ああ」

「いいか? 八時半。一時間待つ。それで来なかったら、もうお前とはすっぱり、会わない」

「アハネそれは脅迫ってものじゃ」


 じゃあな、と僕の返事も聞かずに、彼はフードつきの上着を揺らせて背中を向けた。

 僕は僕で、三十分が過ぎていることに気付き、慌てて店内に戻った。



 行こうか行くまいか、少し考えたが、夕食を摂った僕の足は、学校へと向かっていた。時計は約束より十五分過ぎていた。アハネは入り口の段差に座って、ポケットに手を突っ込んでいた。


「来たな」

「来たよ」


 じゃ行こうや、と彼はすっと立ち上がると、中へと入って行った。久しぶりの校内だった。ここに居た日々より、居なかった日々のほうがずっと多い。

 それでも確かに、居た記憶は僕の身体に染みついていて、何処に何があるのかは、忘れていなかったようだった。

 彼は灯りの消えたPCの部屋に僕を連れて行った。


「…ずいぶんこの部屋、機材が増えたね」

「まあな。お前がいなかった一年半のうちに、ずいぶんと新製品も出たしな」


 そういうものなのか。確かにPCの変化は無茶苦茶早いと聞くけれど。


「でも基本は大して変わらない。と思う。俺はあまり詳しくはないけど、それでも何とかこの科目もパスできたからさ」

「…」


 僕は適当にPCの机の間をうろうろしていたが、その中の一台のスイッチを入れた。


「スキャナはそっち。電源入れたか?」


 僕は慌ててそちらの電源も入れる。


「で、向こうにカラープリンタがある。紙は…」

「たぶんそれは、判るよ」

「ああ。まあ一枚二枚いろーんな種類やったそこで、ばれやしねーとは思うけど、無駄づかいはするなよ」


 とんだ卒業生だ。僕は肩をすくめた。


「で、期限はいつまで?」

「別に決めてないけどさ」


 アハネはそこで一度言葉を切った。


「ただ俺としては、ずっと待ってたのよ」


 彼はそう言って、苦笑する。


「俺としては、お前の、こうゆう構成とかって好きだったから、実際に使うもので、お前が本気出したら、どういうものができるかな、ってのは結構楽しみだったんだぜ?」

「僕の?」

「そ。お前の作品」

「…」


 何か、そういうこと言われたのはすごく久しぶりの様な気がする。


「だから、できるだけ早く見られたら、うれしいな、ってとこかな」

「…そう…」

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