15 ケンショーの中の音、カナイの声
「…あ、変なこと聞いた? ごめん」
彼は慌ててそうあやまる。違うんだ、あんたが謝ることじゃない。僕が、ずっと、忘れていたことを、あんたは思い出させてくれたんだ。
「…ううん、違うんだ。ちょっとど忘れ」
そう言って僕は笑顔を作る。そういう時に笑顔を作ることにも、もう慣れてしまったんだ。
「…で、あんたは、…SSのヴォーカル君、どんな音をやってるの?」
「あ、じゃ今度見に来てよ、ライヴ」
「うんいいよ。いつ?」
彼は今度の水曜日、と答えた。水曜日だったら、その日はバンドの練習日、だからバイトも昼間早く終わる。
練習をちょっと何とか言って休もうか、という気にまで僕はなっていた。そのくらい、何かこの目の前の年下のガキの言うことにはつられるものがあった。何がどう、というのじゃない。何か、引き込まれるのだ。
「チケットは…」
「そーんな、ソールドアウトなんってしないって」
あはは、と彼は笑った。じゃあナナさんにでも聞いてみよう、と僕は思う。
ふと、通路の向こう側で、見慣れた金髪がきょろきょろとしているのが見えた。このガキからはちょうど見えない位置だ。用を終えたケンショーが、僕を捜してうろつき回ってるのだろう。
「うん、じゃあ連れとそろそろ合流しなくちゃ、SSのヴォーカル君、またね」
「今度は名前で呼んでね、カナイだよ… あんたは?」
カナイ君、か。僕は肩をすくめると、彼の問いには答えなかった。
*
「何やってるんだよ、探したぞ」
ケンショーは僕を見つけるなり、引き寄せて抱き込んでわざとらしい程に僕の頭を撫で回した。
「うん、ちょっとピアノの音がしたから」
「へえ。ちょっと怪談じみてるなあ」
「そういうのじゃないって」
そう言いながら彼から僕は自分を引き剥がす。この勢いだ。僕は思う。この勢いが、僕をその気にさせてしまうんだ。最初の時から。
あの熱意に、ギターに、僕はあの時負けてしまったんだ。そりゃあ、決して嫌ではなかった。だけど積極的に「歌いたい」という気持ちがあったのかどうかは、…判らない。
でも今は。今は、僕は好きで歌っている。歌ってるじゃないか。
そうだよ、今は、ちゃんと好きで、奴のギターに合わせることが好きで…歌ってるじゃないか。それじゃいけないのか?
「で、ライヴ日程は決定したの?」
「まーな。できるだけ本数こなしたいし、できれば今度は、地方にも行きたいよな。たまには」
「げ。そんな余裕僕等にあるのっ?」
「だからとりあえずは東京での動員を増やしてだなあ」
ケンショーはそれから家へ帰る道中延々、これからどうする、という考えを僕に喋り続けた。
ただライヴをするだけでいいのか。もっと何処かに宣伝をうたなくてはならないのか。カセットではなくCDを今度こそ出そう。
「そうあんたは言うけど予算がねー」
「いや、そーでもないぞ」
「えええええええ?」
「そう驚くなよ… ウチのバンドって結構真面目で有名なんだぞ」
「そ、そーなの?」
久しぶりに驚いてしまった。
「だいたいなあ、バイトが続かないバンドマンなんて山ほど居るんだ。そんな中で俺達はそれでも一応、バイトは続いてる」
「そういえばそうだね」
「お前はどーか知らないけど、俺は貯金という奴もしている」
「ええええええっ!!!」
ケンショーと貯金。…そんな似合わない単語があるとは思わなかった。
「…だからどーしてそんなにお前、驚く訳?」
「だってあんたと貯金って結びつかない」
「…あのなあ… うちのバンド、いつも何処で打ち上げしてる?」
「あ」
打ち上げそのものが少ない僕らのバンドは、気がつくと、僕等の部屋に押し掛けては翌朝、白いプラスチックのトレイと菓子の空き袋と空き缶を大量に発生させる、という「打ち上げ」をしている。
時々美咲さんが料理を差し入れてくれることもある。冬には鍋もした。
「お前は他のバンドの打ち上げとか行かないから知らないと思うけどさ」
そうでなくても、普段の練習の後に、せいぜい行くとしても、定食屋くらいなものだ。例の赤だしの美味い。
「で、俺はお前と同居してから、ガス代とか電気代とか折半だからずいぶん減ったし」
「…あんた妙なとこで細かいよなー」
「悪いか?」
「別に悪いなんて言ってないじゃない。意外だ、って言っただけだよ」
「俺はただ、必要なものは必ず欲しいだけだよ」
ケンショーは迷うことなく言った。ああそうだよあんたはそういう奴だ。そうでなかったら、僕は今頃ここには居ない。
「そのために、何をするかなんだ。だらだらしてたって前には進めねーし」
「前に」
そう。奴の目はいつもそうだ。前ばかり向いてる。
「メジャーデビウ?」
「まあそれもあり、だな」
「だけど、メジャーに行ったら、したい音楽ができなくなるってことはない?」
「それは基本的にはない、と俺は思う」
「何で?」
よく聞く話だった。メジャーに行くと、それまで目指してきた音楽性が「売れる」方面にねじ曲げられてしまう、ってこと。その中でつぶれたバンドもたくさんあると聞く。そういうのは、ケンショーは怖くないんだろうか。
「だってさ、それでも俺がやる音なんだぜ?」
僕は目を細めた。
「例えばちょっと聞き易くできるように、バッキングを少し軽めにする、とかそういうことをしても、一番大本は、絶対に俺は変えない。だけど、それでも俺の音は、いけるはずなんだ」
「何その自信?」
今度は目を丸くする。
「めぐみお前は、自信はないの?」
「…ある訳ないじゃない。そこまでは…」
「そぉ? 俺はあるぜ?」
「単純…」
「単純結構。俺は、それで立ち止まること方が怖いよ」
嫌みではない。この男はそんなことも考えてはいないだろう。つん、とケンショーは自分自身の頭をつついた。
「俺はさ、音がさ、放っておくと、この頭から、指から、どんどんあふれ出してくるんだよ。頭の中で、わんわんと鳴ってる。昔からそうだった。だから、どうしても、その音を引っぱり出さない訳にはいかなかった」
初めて聞いた。そんなこと。
「…それを取り出して、形にしない限り、俺の頭はいかれる、って思ったね。そのくらい、それは俺の中で、ぐちゃぐちゃになりながら、ひたすらわめき続けてた。俺がギターを弾けるようになって、それを音のつながりに変えることができるようになるまで、俺の頭はずーっと、混乱したままだったから」
確かにそれは。
「だからどうしようもなくて、他のこともつまらなくて、どうしたものかって、中坊の頃とか思っててさ」
「そんな頃から?」
「そんな頃、ってだいたい楽器なんて始めるのはそのくらいのことが多いだろ?」
まあ確かに。僕の中学の時にも、そんなクラスメートはクラスに一人は居た。
「でもそんなこと、親とか家族が判る訳ねーだろ?」
ケンショーは吐き捨てるように言う。
「だいたい、美咲だって、理解はしてくれるけど、俺の中の、それがどういう状態か、なんて、どうしても理解できねーって言うし。聞いたことの無い曲が、勝手に頭の中で組み立てられて、わんわんと鳴って形にして外に出してくれってうるさい、って言ってるんだ、って言っても、どうしてもそのことが判らないんだ、って言うんだ。親なんかもう、やっとのことでそれを説明した俺を、頭がどーかしたんじゃないか、って思うばかりでさ」
確かに、そう思われてもおかしくはないかもしれない。その状態は、僕にもよく判らない。
「だけど、それは確かに俺の中にあるんだ。それはどうしようもないことで、俺がどうこう言ったところで、止むものじゃないんだ」
いつの間にか、僕等の足は止まっていた。
「俺はただもう、その音をちゃんと形にしたい。耳に入れたい。人前に出したい。それだけなんだ。だから、その途中で多少の衣装が変わろうが、俺の中に最初にある何か、は絶対壊れることはないんだよ」
「そういうものなの?」
「そういうもの。少なくとも、俺にとっては。だから俺はお前のいうような、そういう心配はしたことないよ。時間はともかく、俺は、必ず、それができる」
「…だけどそれを聞く、皆が皆受け止めてくれるとは限らないじゃない」
「それはその音にまだ力がないからだと思う」
まだ、と奴は言う。
「今はない。でも明日はあるかもしれん。明後日かもしれん。でも、確実に、ある。だから、それはそれで、別の問題だ。腕とか、技術とか、そういう問題だ。それは、どうにでもなる。本当に、したいと思ったら、それは、掴めるはずだ」
本当に、したい。
ざっ、と僕は全身の皮膚が粟立つのを感じた。こんなケンショーを見るのは初めてだったし、たぶん、これが本性なんだ、と僕はその時初めて感じたのだ。
ただのギター弾き、「楽器屋」ではない、と言ったオズさんの言葉の意味がようやく判った。だからこいつは、目的があったら、他のものが見えないんだ。
だから?
ふと僕は、あの時会った女性のことを思いだしていた。
ケンショーはそういう奴だ、と言った、のよりさんのことを。
*
水曜日、僕はACID-JAMに居た。
何故かその日、ケンショーにはそこに行くとは言えなかった。
別に言ったところで何かある訳ではない。だけど、何故かあの高校生と話したことを、彼に言いたくなかったのは確かだ。
ナナさんにも何も言わず、当日券を買って入った。素顔だし、地味な格好をしていたから、あの時のカナイというSSのヴォーカリスト同様、僕がRINGERのKということは気付かれはしない、と思った。
何かすごく久しぶりだった。客としてそこに居るのは。
この日は、三つくらいのバンドが一緒に出ていた。SSは二番目だった。まだ本当に出たばかりのバンドだというから、そういう位置なのだろう。最初と最後のバンドの名は僕も聞いたことがある。このライヴハウスの常連だ。
だけどどうも、時間が経つにつれて、フロアを埋めだした客のかなりが、SS目当てで来ていることを、僕は次第に気付きだしていた。
客層。若い女の子が多い。彼女達は一番新しくて尖ったものに敏感だ。
聞き耳を立てる。その会話の中には、僕も名をよく知ったメジャーのバンド名に混じって、聞いたことがないインディーズのバンドの名が飛び交う。
この間は――― のライヴに行って、そこの――― 君の服がどうの、ステージでこけたの、ヴォーカルとギターが接近しただの肩を組んだだの、それに対してベースシストが何か少し奇妙な視線を送っただの。
僕にしてみれば、どこまでが本当でどこまでが妄想だか判らない会話だったが、彼女達はそんな話を延々としている。そのエネルギーがどこから来るのだろう。
待ち時間は退屈だ。一人で居るとなおさらだ。ジーンズのポケットに手を突っ込んで、床の端の段差に座り込む。誰の選曲だろうか、一昔まえの洋楽が延々スピーカーからは流れている。
やがて客電が消え、最初のバンドが出てきた。案の定、あの女の子達は、そのために前へ突っ込んだりはしない。あちこちに置かれている丸いテーブルに肘をついて、時々くすくすと笑い合っている。
目障りだろうな、と僕はふと、ステージのヴォーカリストに目をやる。一生懸命歌ってるのに。
でもそう考えてる僕自身、別にその音にも声にも惹かれるとこがないから、立ち上がることもせずに、ぼんやりと音が流れていくのをそのままにしている。
つまりは、それが音の持つ力なんだろうとは思うんだけど。
全部で八曲くらいやったのだろうか? 途中から曲数を数えることも忘れてしまった。眠くなりそうだった。
退屈だ、と僕はそれでもまた次のバンドの準備の間に流れる音を聞きながら思った。今度は、何故かピアノ曲が流れていた。
「あ、この曲好き」
丸テーブルで話していた女の子がそうつぶやく。そう大きな声ではなかったけれど、妙にその声が僕の耳についた。
「知ってんの?」
連れの女の子は訊ねる。
「何かー、誰かは忘れたけど」
そう言われてみたら、確かに何処かで耳にはしているクラシックのピアノ曲。タイトルも誰のものかも出てこないけど。
さっきまでのバンドが、中途半端ににぎやかな音で、それを好きな客が踊っていたような状態だったから、客の入れ替えにはいい感じなのかもしれない。
女の子達はそのままテーブルを離れると、羽織っていた長袖のシャツを取って、腰に巻き付けた。中からは派手な柄の、ぴったりした半袖のTシャツが現れる。ふわふわした髪を、後ろできゅ、と結ぶ。僕はその様子に目を見張る。戦闘準備OK、という感じだ。
よく周りを見てみると、皆そんな感じだ。次第にそんな女の子達が、前へ前へと移動している。僕はふらりとその場に立ち上がった。
やがてまた客電が消えた。ピアノ曲はまだ続いている。
そしてステージが明るくなり、のっそりとメンバーが歩いてくる。四人編成のバンドのようだ。ドラマーがまずゆっくりと配置についた。そして次にベーシストが出てくる。小柄な、…これも、高校生? ベースが重そうに感じる程に、華奢な。でもベーシスト。とすると、この間ピアノを弾いていたのはこの子だろうか。マキノくん、と声が飛ぶ。呼ばれた本人は、そんな声は耳を通り過ぎていくように、何処かを向いている。
次にギタリストが入ってきて、ベーシストと同じくらいに声が飛んでいる。このひとは高校生ではなさそうだ。もう少し… そう、僕くらいの年齢に見える。
そして不意に、そのギタリストが弾き出した。はっ、として僕は顔を上げる。かきむしる様な音が響き、そこへベースが絡み、リズムがそこへ叩き込まれた。女の子達の声が高くなる。
と。
いきなりステージの左から駆けだしてきた姿があった。ほとんど飛び跳ねる様な勢いで、彼は現れたのだ。
カナイだ、と僕は気付いた。確かに、あの時の彼だった。
別に特別目立った格好はしていない。そりゃあ無論普段着ではないだろうが、だけど別に衣装らしい衣装、という感じでもない。黒い皮のパンツに、ただの大きめの白シャツを、裾をひろげ、袖をまくり、ボタンを上から三つほど外した、そんなシンプルと言えばシンプルな格好で。
マイクを両手で掴んだ彼は、声を飛ばした。
僕はそして、立ちすくんだ。
まっすぐ、その声が、響いてくる。思わず僕は、近くの鉄柵を掴んでいた。何か掴むものが、欲しかった。
別に好きなタイプの曲じゃない。上手いかどうかなんかなんて、さっぱり判らない。
でもこれだけは判る。声が、突き刺さる。
言葉の一つ一つが、判る。聞き取りやすいとか、詞が上手いとか、そういうことではなく、ただもう、コトバが、そのまままっすぐ。
かっと目を見開いて、彼はただひたすら、言葉を吐き出していた。その目は座っている。こんな位置から見ても判る。怖いくらいに。
ふらふら、と僕は前の集団に近寄って行った。女の子達が押し合いへし合いしている。踊り狂っている。笑っている。
彼女達は強いリズムの中で、ダンゴの様になっては、それでもその状態を延々続けている。すきまに入ろうとする僕など、押しつぶされそうな勢いで。
そしてその女の子達を、(時には男も居たけれど)カナイはにらみつける。決まった動きなどない。カナイはもう、ひたすら、声を前に前に叩き込むことだけを考えてるに違いない。
だけど歌が切れる時、彼はせわしなく動きだす。落ち着かない。あっちへ駆け出しこっちへ飛び跳ね、めまぐるしい。そしてその姿から、目が離せない。決して曲は好きなタイプじゃないというのに!
そんなことをしているからすぐに汗びっしょりになって、それでも若いからだろうか、息も切らさずに、これでもかとばかりにどんどんテンションを上げて、声を張り上げ、口からやや離さないとマイクの音が割れる程のヴォリュームで。
僕はその中で、どうすることもできず、ただ立ちすくんでいた。右に左に揺れる集団の中で、押されつぶされしながら、どうしようもなく、立ちすくんでいた。
だって。
僕は轟音の中で、奇妙に冷静になって内心叫んでいる自分に気付く。
これは、彼の声だ。彼のうただ。
誰かに歌わされてるのではなく、誰かの音を声にしているのではなく、ただひたすら、自分の中の何か、を外に引っぱり出して前に投げつけてる、彼自身の、うただ。
それじゃあ僕は、何なんだろう。
僕は僕は僕は僕は。




