12 貧しいながらもシアワセ、たぶん。
「…いいけど。ずいぶん思い切ったわねえ」
部屋わ引き払った僕は、生活に必要な最低限のものだけをバッグに詰めて、後の画材とか課題は、学校でノゾエさんがぶんどっているスペースに置かせてもらうことにした。
「でも、辞める訳じゃないから」
「ふうん。それじゃああたしと同じだね」
「ん? ノゾエさん、また留年なの?」
「違うわよ。今度はちゃんと進級するって。でも来年またするかもしれないけどね」
あははは、と彼女は笑った。
「でもさ、アトリ君」
彼女は僕が作った課題の一つを手にする。
「何か君、あんまり大きなものより、小さなもの作る方が好きじゃない?」
「え?」
「何っか課題でも、こういうパッケージものとかはいいセン行ってるのに、でかい色彩構成とか、広さを持て余してるみたいな感じがするけど」
鋭い! すぐさまそう言われるとは思わなかった。それともそんなに僕の傾向は露骨なんだろうか。
「…で、今、何処に住んでるの? 引っ越したんでしょ?」
「あ、ノゾエさんには携帯の番号、教えておかなくちゃ…」
「あ、ありがと。でも居場所のほうは?」
あ~、と僕は言い籠もる。
「…うん。また今度教えるよ」
アハネの時のことがある。この人も結構鋭いから、あまり僕はケンショーとの仲をあれこれ言われたくはない、と思った。
そのアハネはまた、写真を撮りに出てると言う。番号を教えるべきだろうか、と思ったけれど、何となくその気が失せてしまった。
「いつでもいいわ。やる気が出たら、取りに来てよ」
必ず、と僕は答えた。
*
ただいま、と声がしたので、僕は顔を上げた。
「お帰り。あ、何か持ってる」
「あ、食うか?」
ぽん、とケンショーは手にしていた袋をかさかさ言わせながら座卓の上に放り投げる。店の「お持ち帰り用」のパックにゴムを二重三重に巻いた中には、何本もの鳥串があった。多少たれが外に漏れているものもあったが、そんなことは気にする程のことじゃない。
相変わらず飲み屋でもバイトしているケンショーは、よくこうやって余り物を持ってくる。余り物と言っても「食べ残し」じゃないから、別に僕にもこだわりはない。
何よりお互い、貧乏なのだ。
「やったじゃーん。これ好き」
「ふふーん、そう言うと思って、避けといたんだぜ?」
どっか、と座り込みながら、奴は冷蔵庫を開けて、ビールを出す。
「あー疲れた」
「それは僕だって同じだよ」
確かにそうだった。今日はお互い「バイトの日」だ。練習の無い日。生活していくには、金が要る。押し掛けた僕としては、最低、食費と光熱費くらいは折半しなくてはならないだろう。
本当は、部屋代だってそうした方がいいのだけど。
けどなかなかバイトと言っても、僕の性格だと、稼ぎのいいものは見つからない。
結局奴同様、食事系の裏方に回っている。仕事は黙ってる方が好きだ。もともと人前に出る性格じゃあない。メイクしたり衣装をつけたりしない時の僕は。
それに食事系の店の場合、何だかんだで途中に入る食事がただか、じゃなくてもかなり安く食べられるということがある。これは美味しい。そこで一食かなりきっちりと食べれば、後の食事など適当でいいのだ。…まあそんなことやっているから、どんどんやせていってしまうのだけど。
「あ、そういえばケンショー、郵便、来てたよ」
「郵便?」
そこ、と僕はTVの上を指した。その程度にはこの部屋には物がある。
珍しいな、と奴はビールを置いて立ち上がる。そしてぱら、とその差出人を見た時、表情が曇った。僕の知らない名だった。
もっとも、僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。今現在のこの生活と、バンドの周りの人たち。それしか、僕がケンショーについて知ってることなんて、無い。
聞いてみたこともあるけれど、奴は案外口が堅くて、結局僕の知りたいことは、他の人から何気なく聞き出すしかなくなってしまう。
たとえばオズさんはケンショーとはバンド仲間として長いつきあいだ。美咲さんは何と言っても、ケンショーの妹だ。何故か二人とも僕のことをよく心配してくれているようなので、僕はその好意に甘えて、奴のことを時々聞き出している。
でも結局、そこにあるのは、「出来事」に過ぎなくて。奴がその「出来事」をどう思ったか、というのは、そこから想像することしかできないのだ。
奴は封筒を不器用にべりべりとやぷき、中からカードを取り出した。カードだ。手紙じゃない。
「招待状?」
僕は問いかける。だって、そのカードはどう見たって、結婚式の招待状だった。
こいつに結婚式に出てこい、という友人が居た、ということに僕はまず驚いた。いや居たっておかしくはないのか。僕より幾つか上なのだから。中には結婚する友達だって居るだろう。
「結婚式でもあるの?」
僕はわざとらしく問いかける。ああ、と奴は短く答えて、それを元通りに中にしまった。
「行くの?」
「行ってやりたいけどなー。日程が合わないんだよなあ」
そう言って、TVの上にまたその手紙を戻した。
「ライヴ、入ってたっけ」
「まーな」
はぐらかした。僕はふうん、といい加減にあいづちをうちながら、串のレバーに手を伸ばした。
「あ、それ俺の」
「最近僕だって好きになったんだもの」
「好み、変わったか?」
と言うか。貧乏暮らしは好き嫌いを無くすとはよく言ったものだ。
「そりゃまあ、積極的に好き、ってことは無かったけどさ。でも貴重な栄養だも
ん。とらなくちゃ」
ぱくぱく。
ケンショーはそういう僕をあきれた様に見ながら、頭を撫でた。何度かくしゃくしゃとそのまま髪をかき回す。僕は何となくそのままくらくらとしてくる自分を感じる。
奴と暮らしだしてから、もう四ヶ月くらいになる。
冬だった季節も春になって、春一番がサッシの窓のほこりを飛ばし、だんだんこの貧乏人達の部屋も、少しは住みやすくなっていた。
考えてみれば、僕は引っ越さなかったら、あの冬を、あの何もそろえていない部屋で寒々しく送った訳だ。暖房器具を揃えるということすら僕の頭には、あの時無かったのだから。
この部屋には、まあ最低限の暖房ということで、こたつくらいはあった。
それにまあ、寝る時には、人一人居るとこれはこれでずいぶん違う。実家に居た頃より気温は低い部屋のはずなのだけど、ずいぶんと暖かく気持ちよく眠った様な気がする。
実家に居た時には、意味もなく夜中に寒くて目が覚めることがあった。そういう時には何故か身体中が冷え切っていて、どうやってもその寒さが抜けない。忘れることにして眠りにつこうとしても、その寒さがどうしても眠りの中に落としてくれないのだ。
だけどこの冬は違った。狭苦しいけれど、とにかくそんな風にして夜中に目覚めることはまずなかった。
「…おい、それ食わないのか?」
は、とつい串を持ったままぼんやりしていたことに気付いた。慌てて僕はたれつきのレバーを口に放り込んだ。
「やっぱり春先はまずいのかねえ」
「そんなことないよ。元々僕はぼーっとしてると言われるんだ。それに」
「それに何?」
「いい男だなあ、と思ってたの」
は、とケンショーは目をぱちくりさせる。ふふん。知ってるんだよ。焦点が合ってないど・近眼だし、何かとポーカーフェイス作ろうとしているけど、結構こういう言葉を真正面から言われると、機能停止してしまうってことは。もっともこれはナナさんからの受け売りだけど。
ナナさん、と言えば、ここのところ少し楽しそうだった。彼女の恋人のバンドでもあるベルファも、亡くなったベーシストの代わりがどうやらようやく見つかって、活動再開するそうだという。
彼女から貸してもらった彼らの音源を聞くと、とにかく上手いバンドであることがわかる。一般受けするかどうか、そういうこととは別次元で、音楽を楽しんでいるんだな、というのがすごくよく判るのだ。
けどその音源の中のベーシストは、確かにめちゃめちゃ上手かったから、今度入るひとは大変だろうな、と僕は思った。まあナナさんが言うには、その人にはその人の個性があるのだから、別に関係ない、ということだけど。
「それに、トモ君の腕はちゃんと引き継いでくれた子が居るしね」
そう。その点も含めて、彼女は楽しそうなのである。どうもそのベーシストさんにくっついていた子、というのが、新しくバンドを組んだみたいなのだ。
何というバンドかまでは聞いていない。そこまで興味はない。だけど、ナナさんが嬉しそうなのは、僕としても嬉しい。彼女は綺麗な人で、そういう人が悲しそうなのは、見ているこっちも胸が痛む。
皆が僕には優しい。僕はそしてその状態を利用している。自分の中で、そんな自分をじっと見つめている自分が居る。
いつからだったろう? そんな態度は。
*
「あれ、めぐみちゃんだけ? ケンショーは?」
スタジオの扉を開けると同時に、オズさんは言った。うん、と僕は笑顔を作る。
「僕だけ。奴は三十分くらいしたら来るよ」
「三十分? 俺時間間違えたかなあ?」
そう言って、オズさんは時計を見る。
「間違ってないよ、オズさん」
僕は軽く言葉を放った。彼はまたか、という表情になる。またか。そう、また。
「めぐみちゃん、いい加減、俺から聞くの、止したら?」
「ケンショーは言わないもん。だったらオズさんに聞いたほうが早いじゃない」
「いや、―――そりゃそうだが」
オズさんは下げていたバッグの中からスティックケースを取り出し、その中からT字ビス回しを出し、備え付けのドラムのスネアをチューニングする。僕は椅子に反対向きに座りながら、作業している彼に向かい、構わず言葉を投げた。
「昨日さ、招待状が奴に来たの。結婚式」
「へえ…」
気のない返事。
「で、差出人が、木庭戸野依、ってあった」
「え?」
きり、とビスを回す音が止む。
「のよりさん、って前のヴォーカルでしょ?」
「あ? ケンショーから聞いたか?」
「まーね」
嘘ではない。奴は前に、何気なくそんなことを漏らしたことがある。
それに僕は前のヴォーカルの時のテープも持ってる。そこにはヴォーカルはノヨリ、とアルファベットで書いてあった。
「そうか… のよりちゃん、結婚するんだ…」
「で、相手が箱崎昌志、ってあったけど、オズさん、知ってる?」
「げげげ?」
何って声だ。オズさんらしくない。僕は肩を軽くすくめた。
「ふうん、オズさんのとこには、招待状、来てないんだ」
「…来てない。…でも来るとは思ってないから… ハコザキ、か…?」
「知ってる人?」
「知ってるといや、知ってるけど…」
「前の前のヴォーカル、でしょ?」
「めぐみちゃん?」
「何で、その二人がつきあうのかなあ? だって、代々のヴォーカルって、皆ケンショーの恋人だったんでしょ? 男女問わず」
「…おい」
困った様な顔になって、オズさんはゆっくりと僕のそばに近づいてきた。
「それで、ケンショーはどうするって言ってた?」
「行かないって。ライヴの日程とぶつかるからって。おかしいよね。その日、ライヴ入ってないけど。奴にも、何か思うとこあるんだ?」
ふう、とオズさんはため息をついた。
「…めぐみちゃん、一体何を聞きたいんだ?」
「聞きたいんじゃないんだ。頼みがあるの」
そう言って僕は笑顔を作る。
「頼み?」
そして、ポケットから携帯を取り出した。




