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12 貧しいながらもシアワセ、たぶん。

「…いいけど。ずいぶん思い切ったわねえ」


 部屋わ引き払った僕は、生活に必要な最低限のものだけをバッグに詰めて、後の画材とか課題は、学校でノゾエさんがぶんどっているスペースに置かせてもらうことにした。


「でも、辞める訳じゃないから」

「ふうん。それじゃああたしと同じだね」

「ん? ノゾエさん、また留年なの?」

「違うわよ。今度はちゃんと進級するって。でも来年またするかもしれないけどね」


 あははは、と彼女は笑った。


「でもさ、アトリ君」


 彼女は僕が作った課題の一つを手にする。


「何か君、あんまり大きなものより、小さなもの作る方が好きじゃない?」

「え?」

「何っか課題でも、こういうパッケージものとかはいいセン行ってるのに、でかい色彩構成とか、広さを持て余してるみたいな感じがするけど」


 鋭い! すぐさまそう言われるとは思わなかった。それともそんなに僕の傾向は露骨なんだろうか。


「…で、今、何処に住んでるの? 引っ越したんでしょ?」

「あ、ノゾエさんには携帯の番号、教えておかなくちゃ…」

「あ、ありがと。でも居場所のほうは?」


 あ~、と僕は言い籠もる。


「…うん。また今度教えるよ」


 アハネの時のことがある。この人も結構鋭いから、あまり僕はケンショーとの仲をあれこれ言われたくはない、と思った。

 そのアハネはまた、写真を撮りに出てると言う。番号を教えるべきだろうか、と思ったけれど、何となくその気が失せてしまった。


「いつでもいいわ。やる気が出たら、取りに来てよ」


 必ず、と僕は答えた。 



 ただいま、と声がしたので、僕は顔を上げた。


「お帰り。あ、何か持ってる」

「あ、食うか?」


 ぽん、とケンショーは手にしていた袋をかさかさ言わせながら座卓の上に放り投げる。店の「お持ち帰り用」のパックにゴムを二重三重に巻いた中には、何本もの鳥串があった。多少たれが外に漏れているものもあったが、そんなことは気にする程のことじゃない。

 相変わらず飲み屋でもバイトしているケンショーは、よくこうやって余り物を持ってくる。余り物と言っても「食べ残し」じゃないから、別に僕にもこだわりはない。

 何よりお互い、貧乏なのだ。


「やったじゃーん。これ好き」

「ふふーん、そう言うと思って、避けといたんだぜ?」


 どっか、と座り込みながら、奴は冷蔵庫を開けて、ビールを出す。


「あー疲れた」

「それは僕だって同じだよ」


 確かにそうだった。今日はお互い「バイトの日」だ。練習の無い日。生活していくには、金が要る。押し掛けた僕としては、最低、食費と光熱費くらいは折半しなくてはならないだろう。

 本当は、部屋代だってそうした方がいいのだけど。

 けどなかなかバイトと言っても、僕の性格だと、稼ぎのいいものは見つからない。

 結局奴同様、食事系の裏方に回っている。仕事は黙ってる方が好きだ。もともと人前に出る性格じゃあない。メイクしたり衣装をつけたりしない時の僕は。

 それに食事系の店の場合、何だかんだで途中に入る食事がただか、じゃなくてもかなり安く食べられるということがある。これは美味しい。そこで一食かなりきっちりと食べれば、後の食事など適当でいいのだ。…まあそんなことやっているから、どんどんやせていってしまうのだけど。


「あ、そういえばケンショー、郵便、来てたよ」

「郵便?」


 そこ、と僕はTVの上を指した。その程度にはこの部屋には物がある。

 珍しいな、と奴はビールを置いて立ち上がる。そしてぱら、とその差出人を見た時、表情が曇った。僕の知らない名だった。

 もっとも、僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。今現在のこの生活と、バンドの周りの人たち。それしか、僕がケンショーについて知ってることなんて、無い。

 聞いてみたこともあるけれど、奴は案外口が堅くて、結局僕の知りたいことは、他の人から何気なく聞き出すしかなくなってしまう。

 たとえばオズさんはケンショーとはバンド仲間として長いつきあいだ。美咲さんは何と言っても、ケンショーの妹だ。何故か二人とも僕のことをよく心配してくれているようなので、僕はその好意に甘えて、奴のことを時々聞き出している。

 でも結局、そこにあるのは、「出来事」に過ぎなくて。奴がその「出来事」をどう思ったか、というのは、そこから想像することしかできないのだ。

 奴は封筒を不器用にべりべりとやぷき、中からカードを取り出した。カードだ。手紙じゃない。


「招待状?」


 僕は問いかける。だって、そのカードはどう見たって、結婚式の招待状だった。

 こいつに結婚式に出てこい、という友人が居た、ということに僕はまず驚いた。いや居たっておかしくはないのか。僕より幾つか上なのだから。中には結婚する友達だって居るだろう。


「結婚式でもあるの?」


 僕はわざとらしく問いかける。ああ、と奴は短く答えて、それを元通りに中にしまった。


「行くの?」

「行ってやりたいけどなー。日程が合わないんだよなあ」


 そう言って、TVの上にまたその手紙を戻した。


「ライヴ、入ってたっけ」

「まーな」


 はぐらかした。僕はふうん、といい加減にあいづちをうちながら、串のレバーに手を伸ばした。


「あ、それ俺の」

「最近僕だって好きになったんだもの」

「好み、変わったか?」


 と言うか。貧乏暮らしは好き嫌いを無くすとはよく言ったものだ。


「そりゃまあ、積極的に好き、ってことは無かったけどさ。でも貴重な栄養だも

ん。とらなくちゃ」


 ぱくぱく。

 ケンショーはそういう僕をあきれた様に見ながら、頭を撫でた。何度かくしゃくしゃとそのまま髪をかき回す。僕は何となくそのままくらくらとしてくる自分を感じる。

 奴と暮らしだしてから、もう四ヶ月くらいになる。

 冬だった季節も春になって、春一番がサッシの窓のほこりを飛ばし、だんだんこの貧乏人達の部屋も、少しは住みやすくなっていた。

 考えてみれば、僕は引っ越さなかったら、あの冬を、あの何もそろえていない部屋で寒々しく送った訳だ。暖房器具を揃えるということすら僕の頭には、あの時無かったのだから。

 この部屋には、まあ最低限の暖房ということで、こたつくらいはあった。

 それにまあ、寝る時には、人一人居るとこれはこれでずいぶん違う。実家に居た頃より気温は低い部屋のはずなのだけど、ずいぶんと暖かく気持ちよく眠った様な気がする。

 実家に居た時には、意味もなく夜中に寒くて目が覚めることがあった。そういう時には何故か身体中が冷え切っていて、どうやってもその寒さが抜けない。忘れることにして眠りにつこうとしても、その寒さがどうしても眠りの中に落としてくれないのだ。

 だけどこの冬は違った。狭苦しいけれど、とにかくそんな風にして夜中に目覚めることはまずなかった。


「…おい、それ食わないのか?」


 は、とつい串を持ったままぼんやりしていたことに気付いた。慌てて僕はたれつきのレバーを口に放り込んだ。


「やっぱり春先はまずいのかねえ」

「そんなことないよ。元々僕はぼーっとしてると言われるんだ。それに」

「それに何?」

「いい男だなあ、と思ってたの」


 は、とケンショーは目をぱちくりさせる。ふふん。知ってるんだよ。焦点が合ってないど・近眼だし、何かとポーカーフェイス作ろうとしているけど、結構こういう言葉を真正面から言われると、機能停止してしまうってことは。もっともこれはナナさんからの受け売りだけど。

 ナナさん、と言えば、ここのところ少し楽しそうだった。彼女の恋人のバンドでもあるベルファも、亡くなったベーシストの代わりがどうやらようやく見つかって、活動再開するそうだという。

 彼女から貸してもらった彼らの音源を聞くと、とにかく上手いバンドであることがわかる。一般受けするかどうか、そういうこととは別次元で、音楽を楽しんでいるんだな、というのがすごくよく判るのだ。

 けどその音源の中のベーシストは、確かにめちゃめちゃ上手かったから、今度入るひとは大変だろうな、と僕は思った。まあナナさんが言うには、その人にはその人の個性があるのだから、別に関係ない、ということだけど。


「それに、トモ君の腕はちゃんと引き継いでくれた子が居るしね」


 そう。その点も含めて、彼女は楽しそうなのである。どうもそのベーシストさんにくっついていた子、というのが、新しくバンドを組んだみたいなのだ。

 何というバンドかまでは聞いていない。そこまで興味はない。だけど、ナナさんが嬉しそうなのは、僕としても嬉しい。彼女は綺麗な人で、そういう人が悲しそうなのは、見ているこっちも胸が痛む。

 皆が僕には優しい。僕はそしてその状態を利用している。自分の中で、そんな自分をじっと見つめている自分が居る。

 いつからだったろう? そんな態度は。


   *


「あれ、めぐみちゃんだけ? ケンショーは?」


 スタジオの扉を開けると同時に、オズさんは言った。うん、と僕は笑顔を作る。


「僕だけ。奴は三十分くらいしたら来るよ」

「三十分? 俺時間間違えたかなあ?」


 そう言って、オズさんは時計を見る。


「間違ってないよ、オズさん」


 僕は軽く言葉を放った。彼はまたか、という表情になる。またか。そう、また。


「めぐみちゃん、いい加減、俺から聞くの、止したら?」

「ケンショーは言わないもん。だったらオズさんに聞いたほうが早いじゃない」

「いや、―――そりゃそうだが」


 オズさんは下げていたバッグの中からスティックケースを取り出し、その中からT字ビス回しを出し、備え付けのドラムのスネアをチューニングする。僕は椅子に反対向きに座りながら、作業している彼に向かい、構わず言葉を投げた。


「昨日さ、招待状が奴に来たの。結婚式」

「へえ…」


 気のない返事。


「で、差出人が、木庭戸野依きにわどのより、ってあった」

「え?」


 きり、とビスを回す音が止む。


「のよりさん、って前のヴォーカルでしょ?」

「あ? ケンショーから聞いたか?」

「まーね」


 嘘ではない。奴は前に、何気なくそんなことを漏らしたことがある。

 それに僕は前のヴォーカルの時のテープも持ってる。そこにはヴォーカルはノヨリ、とアルファベットで書いてあった。


「そうか… のよりちゃん、結婚するんだ…」

「で、相手が箱崎昌志、ってあったけど、オズさん、知ってる?」

「げげげ?」


 何って声だ。オズさんらしくない。僕は肩を軽くすくめた。


「ふうん、オズさんのとこには、招待状、来てないんだ」

「…来てない。…でも来るとは思ってないから… ハコザキ、か…?」

「知ってる人?」

「知ってるといや、知ってるけど…」

「前の前のヴォーカル、でしょ?」

「めぐみちゃん?」

「何で、その二人がつきあうのかなあ? だって、代々のヴォーカルって、皆ケンショーの恋人だったんでしょ? 男女問わず」

「…おい」


 困った様な顔になって、オズさんはゆっくりと僕のそばに近づいてきた。


「それで、ケンショーはどうするって言ってた?」

「行かないって。ライヴの日程とぶつかるからって。おかしいよね。その日、ライヴ入ってないけど。奴にも、何か思うとこあるんだ?」


 ふう、とオズさんはため息をついた。


「…めぐみちゃん、一体何を聞きたいんだ?」

「聞きたいんじゃないんだ。頼みがあるの」


 そう言って僕は笑顔を作る。


「頼み?」


 そして、ポケットから携帯を取り出した。

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