11 アトリ君、学校を休学してケンショーの所へ転がり込む
しかしそうこうしているうちに、僕は本格的に学校に行かなくなってしまった。アハネと顔が会わせづらい、ということもあった。
バイトとバンドはどっちも忙しかった。特にバンドの方は、秋の終わりに作った配布カセットの評判も良く、ライヴの動員数も増えてるみたいだった。
ただ、このカセットには写真を使えなかった。あの時のことがどうしても頭に引っかかって、せっかく撮った写真なのに、僕はずっとカバンの中にしまったままだった。
代わりに、と二色でなるべく「お洒落な」デザインのインデックスを作って見せたので、メンバーにはうなづいてもらった。いや実際、写真を使ってフルカラー印刷を百枚も二百枚も刷るだけの余裕が無かったというのもある。単色カラーの方がまだコストは低い。
「やっぱりいい感じになったねー」
とそのサンプルをカセットケースに入れた時、オズさんは言った。
「そうかなあ?」
「うん。俺的には、部屋の中に転がしておいて、友達が来た時恥ずかしくて隠したくなるような奴は嫌だからね」
「友達、ですか?」
僕はにや、と笑ってオズさんに訊ねる。知ってるんだ。この間、さっぱりとした感じの女性が一緒だったこと。
「…あ、めぐみちゃん、どっかで見たのか?」
「まあ一度。いい感じの人ですね」
「紗里はそういうんじゃないよ」
「でも、よく部屋に遊びに来るんでしょ?」
「時には寝たりもするけどね。だけど友達。…あー… も少し言えば、昔の恋人」
「ええええええええ?」
「…そんなに驚くか?」
オズさんは露骨に嫌そうな顔をした。だって、そんなに驚いた、から久々に声を張り上げてしまったのだ。
「高校ん時、田舎でそういう関係だったの。だけど俺がこっち来てから、自然消滅って感じだったんだけど」
「でも、こっちに居るじゃないですか。…まさか追って?」
「そのまさか… と言いたいとこだけど、残念でした」
僕は首をかしげる。
「あいつは向こうで高卒でOLやってたんだけどさ、何かそれだけではやりきれなかったらしくって、大学受け直したんだよ。四大」
へえ、と僕は目を大きく広げた。それはすごい。
「だからそーだな、今就職活動の真っ最中なんだわ。…大変そうだよ」
「へえ…」
「俺にはよく判らんけどさ、一浪で四大で女、ってなると、何か就職も大変らしいよ。それなりにちゃんとしたとこ、探そうとしたら」
「…ふうーん…」
ひたすらうなづくしかなかった。前向きな人なんだな。
「めぐみちゃんは、どうしようと思ってる?」
「どうしようって?」
「いや、就職」
「え」
その単語が、バンドメンバーから出るとは僕はさすがに思ってなかった。
「だってさ、一応デザイン関係の仕事つきたくて、あの学校入ったんだろ?」
「んまあ、そのつもりだけど」
休んでばかりだけど。
「手に職があるってのはいいらしいぜ。あいつが言うには。だから紗里の奴も、何か紺色のスーツ着て、慣れないヒールはいて就職活動しながら、資格も取ろうっての。いや~ 俺には絶対真似できない」
「僕は」
言いかけて、詰まった。オズさんはん? と首をかしげる。
「…でもまだ、時間はあるから」
「まあ、そうだよな。めぐみちゃんはまだ若いし」
そう言って、子供にそうするように、僕の頭を撫でた。
「オズさんだって若いじゃないですか」
「だけど、もうこの世界に入ってから結構なるよ? 俺高校卒業して飛び出してきたクチだから」
指を折って数える。紗里さんが一浪で今四年、ということは…
「あ、オズさんってもうそんな歳だったんだ」
「意外か?」
意外だった。あんがいこの人は童顔の部類なので、つい忘れそうになる。
「ま、歳はあまり関係ない世界ではあるからなあ」
「オズさんは、ずっとこのバンドを続けてくつもり?」
「そりゃあ、このバンド、俺はかなり好きだから、できればメジャーに行きたいね。そりゃあまあ、メジャーに行くことがすべてじゃないけど、俺はドラマーだから、少しでも、その世界で生き残るためには、そちら側に入り込めた方がいい、と思うし」
「そういうもの?」
「俺はプレーヤーだからね。ケンショーと違って、曲を作るってことはできない。だけどドラムが好きで、それさえできれば、何の仕事だっていいんだ、本当言うと」
「ケンショーは… 違うのかなあ」
「奴もプレーヤーと言えばプレーヤーなんだけど、その半分で、やっぱ、『音楽』をしたい、って奴だからさ。俺なんかの様に、ハコバンでもカラオケの裏方でも何でもいい、って奴じゃあないんだよな」
オズさんは当たり前の様に、そう言った。
でも実際、確かにケンショーにはそういうところがある。そうでなくちゃ、あっさりとヴォーカルが逃げたから、って次のヴォーカルを探さないと思う。
「じゃあケンショーは、メジャーに行く行かない、よりはバンドで好きなことをやっている方がいい、ってことかなあ」
「…どうだろうなあ」
そうだ、という答えを期待していたから、オズさんのこの言葉は、少なからず僕を驚かせた。
「それだけじゃ、済まない奴だ、ってのは感じるんだよなあ。何となく。…めぐみちゃんは、どう?」
「え?」
いきなり振られて、僕は戸惑う。
「どうって?」
「メジャーデビウできる程のバンドになって欲しい?」
「…考えたこともなかった」
それは確かだ。
「人気が出るのは楽しいよね。確かに。僕は今まで、意識してる時に大声で歌ったことなかったから、歌って、僕の歌が好きで、それを表してくれるひとが居るってのは、すごく、嬉しい。だからそれがどんどん大きくなれば、それはそれで、すごく楽しいことじゃないかって思うんだけど」
だけど。
そこで僕の言葉は止まるのだ。
いっそメジャーデビウを目指してみようか? 僕の中で囁く声がする。それも悪くない、と考える自分が居る。
それが単に、自分に降りかかる声援が嬉しいからなのか、背中から回される手の熱さと重みが気持ちいいからなのか、その時の僕には判らなかったのだけど。
*
どんどんどん、とその夜、僕はケンショーの部屋の扉を叩いた。夜中だ。あえてそういう時間を選んできたのだ。今更帰れとは言われない時間。
起きてない、なんて言わせない。
やがて、何だあ? という実に不機嫌そうな声とともに、奴の姿が現れた。だが扉の向こうで、僕が開けてよ、と言った途端、鍵をがちゃがちゃと外す音が聞こえた。
「…めぐみ… どうしたんだあ?」
金髪が、これでもかとばかりに乱れまくっている。いい気分で寝ていたんだろう。ま、しょーがないさ。僕もそれは承知で来たんだから。
「入れてよねとにかく」
僕はそう言って、奴の腕のすきまからするりと中に入り込む。僕のとこと大して変わらない部屋だ。ただ物が雑然としているあたりは、やっぱりこいつらしいと思う。
ぽん、と手にしていたバッグ二つを床に投げ出すと、そのままずんずんと上がり込む。
そして僕は宣言した。
「部屋代払えないから、追い出されたんだ」
へ、と奴の目がこれでもかとばかりに大きく広がった。
「だからしばらく泊めてよ」
*
ことの起こりは、冬休み手前に久しぶりに出向いた学校だった。
それにしても久しぶりすぎた。課題が全くこなせていない僕は、事務局に呼び出され、単位が足りない、という通告を受けた。
つまりは、このまま行くと留年だ、ということだ。
仕方ないだろうな、と僕は思った。自分のだらだらさ加減と、学校に対する気力の無さは、ずっと感じていた。実技や実習中心のこういう学校で、学校に出ないということは、それだけでするべきことを捨てているようなものだ。
「今からたまっている課題をこなせるとは思わないでしょう?」
事務局の女性は、やんわりと、だけど痛烈な一言をくれた。僕自身、たまっている課題をこの先の二ヶ月かそこらで全てこなせるとは思っていない。だいたい、講義も受けていないから、手順そのものが判っていないものがある。
仕方ないですね、と僕は言った。
だが学校はそれで良くても、学校でない部分はそうはいかなかった。
留年決定は、学費を出してくれている実家には報告しないといけない。それでどういう対応が来ようとも、僕がそうしてしまったことに対しては黙っている訳にはいかないだろう。
で、兄が来た。
ちゃんと土日を選んで、兄貴はわざわざ上京してきた。新幹線ではない。車で、だ。婚約者のくみこさんも東京見物をしたい、ということだったので、僕のところへ二人そろってきた。
「ふうん」
扉を開けた兄貴は、まず僕を見てそう言い、部屋の中を見てそう言い、そして部屋の中に吊された服を見てそう言った。
「あたし、外そうか?」
くみこさんは言った。
「そうしてくれるか?」
兄貴は後で携帯入れるから、と彼女を送り出した。ここからだったら、彼女が行きたがっていた渋谷とかもそう遠くないから、ということだった。
「何か、変わった服だなあ」
「うん。バンドやってるから」
あっさりと僕は答えた。バンドね、と兄貴は首をひねった。彼も音楽を聴かない訳ではない。だけど僕がやっているような音とは無縁の人だった。カーステレオには相変わらず、売れているポップスが入っていることだろう。くみこさんもそういうのが好きだ。
「まあ座ってよ」
ぐるり、と見渡していた彼に僕は言った。
「殺風景な部屋だな」
「うん。別にあまり欲しいものも無かったからね」
兄貴はいまいち居心地悪そうに、それでも畳の上にそのまま座り、あぐらをかいた。
「何か呑む? …ってこの部屋には、何も無いけど…」
「いや、いい。そう長居するつもりはないから」
そう、と僕はうなづいて、兄貴の前でやはりあぐらをかいた。
「…じゃあ、用件を言ってよね」
「お前、バンドはそんなに楽しいか?」
話が切り替わる。何となく僕はむっとする自分を感じる。
「楽しいよ。どうして?」
「いや、あれだけ頼み込んでやりたがっていたものを放り出す程楽しいのかな、と思ってさ。俺はお前の歌なんぞ聞いたことはなかったし」
「…そりゃあ。僕だってあの頃は、知らなかったから。でも、楽しいよ。…でも留年になってしまったことは、悪い、と思う」
「ならいい」
兄貴はそう言うと、ポケットから煙草を取り出した。僕は軽く目を細める。ケンショーとは違う銘柄だ。
「吸う様になったの?」
「まあ色々とな。ああ、嫌いだったな」
「慣れたよ。でも、怒ってたろ? 親父どの」
「や」
兄貴は首を横に振った。
「怒ってたのは、お袋さん。だったらとっととこっちに帰ってこいって、結構な剣幕でさ。だけどまた親父がなだめてくれた」
「親父が」
「ま、俺も同様でさ。お前、俺がどう転んだってできないことができるだろ?」
「…って?」
「小さい頃から、絵とか好きで上手かったじゃないか」
「それは別に、好きだったし」
「だけど俺とかには、どうしたってできないことだったしな」
それを言うだったら、僕だって、兄貴のようなことは逆立ちしたってできない。
「僕からしたら、兄貴の方が、すごいと思うよ」
「別にすごいことないさ。毎日毎日、ただ会社に通って、作業して、帰るだけじゃないか」
「それができるじゃない。僕にはできない」
「おいおい」
兄貴は苦笑した。
「…だからまあ、家族の中で一人くらい、そういう奴が居て、時間を多少無駄に使ってもいいじゃないか、というのが親父の意見。俺もそれに賛成、って訳だ」
「…」
「ただ、うちだって決して裕福ではないのは知ってるだろう?」
僕はうなづいた。
「だから、学校にちゃんと通う様になったら、学費と家賃は復活させる。できないうちは、送金はできない。それがお袋さんの意見だった訳だ」
あちゃ、と僕は舌打ちをした。さすが財布を握っている人は強い。
「それでもここに居て、バンドしたいのなら、どうするか、自分で考えろ。お前が妹だったら、引きずっても帰るけどな」
兄貴は苦笑した。でも兄貴、その妹ではない弟は、悪い男に既に引っかかってるんですよ。
「どうする?」
「…今は、バンドをやりたい」
僕は迷わずそう言っていた。理由を考えるのはとりあえず後にした。そうしたい、という気持ちが確かに僕の中にあったのだ。
「学校はしばらく休む。今は納得するまで、バンドをやりたいんだ」
「ふうん」
不思議そうな顔で、兄貴は僕を見た。
そしてその夜は、兄貴とくみこさんに久しぶりにまともな食事をおごってもらった。中華の、定食以外なんてどれだけぶりだろう!
僕は恵まれている方だと思う。だから、ちゃんと前を向かなくてはならない。
「それにしても、めぐみ君、何か顔変わったんじゃない?」
食事をしながら、くみこさんはそう言った。上京する前から彼女は兄貴を訪ねて時々やってきていたので、僕と顔合わせくらいはしている。
「変わりました?」
ころころしたイカと青い野菜を取りながら、僕は彼女に訊ねた。
「うん。何か前より顔、整ったって感じ」
うーん、と僕は苦笑するしかない。
それはたぶん、化粧一つしていなかった女の子がある日いきなり化粧しだして顔が変わったように見えるのと同じだ。眉をちょっと整えたり、もともと濃くないひげが伸びないように気をつかったり、そういうことが重なっているからだと思う。
「やだなー。下手するとあたしより綺麗じゃない?」
「冗談よしてくださいよ! くみこさんだって、前よりずっと綺麗になりましたよ?」
「そりゃまあ、俺がかわいがってるしなー」
あっさりと兄貴は言った。やだやだやめてよ、とくみこさんは隣に座っている兄貴の背中をばん、とはたく。仲がいいなあ相変わらず。
「あ、それともめぐみ君、彼女できたあ?」
ぐっ、と僕はそこで言葉に詰まった。
*
彼女ではないんです、くみこさん。
そうその場では言わなかった。だって、僕が押し掛けて来てしまったのは、彼女ではなく、彼、のところだ。
兄貴達は気づいただろうか? いやそんなことはないだろう。あの人たちの頭の中には、同性の恋人なんていう単語はそうそう出て来ないはずだ。
「追い出されたって」
「留年決定したから、部屋代が振り込まれないの。あんたのせいだよ? ケンショー」
僕は何気なく言った。だが事実だ。
「で、学校には休学届けだしてきた」
え、と奴の声が喉の奥でつぶれた。僕はそんな奴の表情をわりあい冷静に見ている。だってそうだろ。僕だってかなりな決心が必要だったんだ。それもこれも、あんたに会ったせいなんだケンショー。責任取ってくれ、というもんだ。
「しばらくはバンドとバイトに専念するからね」
「…お前さあ…」
ふう、と奴は頭を一度振る。髪が大きく揺れて、表情は判らなかった。
「何?」
「本当に、それでいいのか?」
「いいんだろ」
良くなかったら、こんなとこ来ない。絶対に明日にうちに、この部屋掃除しまくってやる。こいつが何と言おうと。
奴は表情が見えないまま、ふわりと僕の背中に腕を回した。僕はその腕に手を当てる。ああ暖かいな。
どうして、こういう温度に僕は弱いのだろう?




