原罪の話1
一部修正しました。
男は疲れきっていた。
彼の身分は奴隷。彼は名を持たない。
この世界は教会と呼ばれる集団に支配されている。彼の主もまた、この地域を統べる司祭だ。主は自らを神の代弁者と言い、他の人間を蔑み見下し、自分の都合の良いように、人々に神の預言として多くのことを強いている。人々は司祭の命令で多くのものを失った。
男には妻がいる。彼女も司祭の奴隷だ。二人は愛し合っており、妻の腹には小さな命が宿っていた。しかし、妊娠していた妻は主と幹部達に暴行され、子は生まれることなく命を落とした。その後も暴行は続き、夫以外との子を孕まされた妻は精神を病んだ。
男には親友がいる。親友は司祭の料理人だ。親友の待遇は男同様、良くはなかったが、彼は食に喜びを見出だして心を守った。彼は男や男の妻のために隠れて食事を作ってくれた。親友は男の恩人だった。しかし、親友はどれだけ食べても満腹にならない病を患っていた。
男には愛人がいる。愛人は町一番の美女と言われる踊り子だ。彼女は快楽に溺れ夜は身体を売っていた。ある夜、男は彼女に出会い誘われる。男は妻を愛していたが、彼女と関係を持ってしまった。彼女は男を気に入り、男もそれなりに気に入ったため、度々二人は会っていた。妻はそれを知っており、これも妻が病んだ原因の一つである。
男には嫌悪を抱く兄と溺愛する弟がいる。兄は身体が弱い。そのために男は、長男が負うべき責務を全て押し付けられていた。何一つ自分で出来ない兄は荷物でしかない。申し訳なさそうな顔をするのがさらに男を苛立たせた。弟はまだ幼く、明るく活発で、何も出来ない長兄の世話を嫌な顔一つせずにこなす良い子だ。男は弟を大層可愛がっていた。しかし時折、弟から鋭い視線をぶつけられているような気がして、首をかしげた。
男は思った。
「神はどうして私から奪うのか」
答えの出ない問い、しかし男は一つの結論に至る。
「世界を平等にしよう」
それは皆が不幸でなくなる方法。
「絶望したなら、私とおいで」
男は若き兵士に声をかける。兵士は世界の不平等に、己の無力さに、全てに怒りを覚えていた。彼は人々を守るために兵士になった。しかし、実際は司祭や有力者の護衛、邪魔者の排除などが主な仕事で、貧困に喘ぐ人々の苦しみを見ていることしか出来ない。誰一人、救えない。
兵士は男に従った。
男は手伝ってくれる人間を探した。
「いらないなら、私が使っても良いだろう?」
男は病人に声をかける。病人は家族に捨てられ、生きる気力を失い、今、自殺しようとしていた。この不自由な身で、愛する家族がいないなら、もう生きていても仕方がない。死ぬ決意をしたというのに、見知らぬ男が止める。もう死ぬ気力すら湧かない。
病人は男に従った。
男は主である司祭の書庫で様々な魔術を学んだ。信憑性のあるものもないものも、古今東西の書物が揃っている書庫は、男に魔術の知識を十分に与えた。男はその知識で新たな魔術を生み出した。
その最中、男は司祭の望みを知る。それは不老不死。男は司祭の私室に入り、司祭と客人に不老不死の術と引き換えに自分に協力するように言う。司祭と客人は暫く思案した後、男に従った。
「材料は揃った。さぁ、儀式を始めよう」
男はまず、兄を手にかけた。優しい兄は喜んで男の一部になった。次に男は哀れな愛する妻を殺した。妻は愛していると言って男の一部になった。
男は場所を移し、司祭のもとへ向かった。
男はまず、司祭を手にかけた。司祭は笑いながら男の一部になった。次に男は司祭を訪ねて来た貴族を殺した。貴族は男を憎みながら男の一部になった。そこで、異変に気づいた親友がやって来て男を止めようとした。男は謝りながら、親友を殺した。親友も男の一部になった。
男が外に出ると、そこには軍人と病人がいた。男が命じると、二人は命を断った。二人は互いに違う種類の絶望を抱えて男の一部になった。
愛人がそこに訪れた。男は愛人を手にかけた。愛人は男に口付け、男の一部になった。
男は地面に円を描くと、呪文を唱え始めた。
これは世界を平等にする魔術。
皆が不幸でなくなる方法。
全てを無に帰す方法。
男は気づかなかった。
男の命を狙う者がいたことを。
胸部に刺さったナイフ。
それを引き抜き、男は襲撃者を葬った。
愛する弟に憎まれていたことに死の間際で気づいた。
儀式成功。
町は壊滅し、そこに暮らす人々は命を落とした。
しかし、世界は滅ぶに至らず。
男の前から世界は消えた。
男が原罪となり、世界から離れるという形で。
男の一部になった者達はそれぞれ役割を与えられた。司祭と軍人は男、原罪に忠誠を誓った。妻は男を支えながらも止めようとした。親友も男を止めようとした。病人は暫く傍観することにした。兄は一人涙を流した。愛人は原罪に従いつつ関係を持ち続けた。
貴族は元庶民だった。若くして商売に成功した彼は、様々な有力者と交友関係を持ち、慈悲なき商売で莫大な財を築き上げた。彼の一番の宝は、可愛い一人娘だった。妻とは堪えられないと言われて別れたが、娘は変わらず父を慕った。いつも笑顔で父を見送り出迎えた。しかし、そんな幸せも、奴隷の男のせいで終わりを迎えた。貴族の彼が持つ全て、地位も財産も、築いた関係も、愛する娘も、全て消え失せた。己の全てを失わぬように、奴隷の男に従ったのだ。その末路がこれか。彼は所有物にされたことに怒り、原罪を内側から己の中に取り込もうとした。
焦った原罪は罪達に新たな身体を得る方法を教え、それぞれに自由に過ごせる領域を与えた。罪達は再び現世に呼ばれるときまでと、それぞれの領域へ去っていった。