キリア・レインゲートに強欲
あるところに、若い夫婦がいました。やがて二人には娘が生まれました。この世に生まれてすぐ、娘はなかなか泣き止みませんでした。他の赤ん坊の何倍もの時間泣き続けていました。父が工場から駆けつけ、その腕に我が子を抱き、優しく言いました。
「愛しい子、今日からお前は、キリア・レインゲートだ」
初めての贈り物。それは誰もが持つ、名前。彼女はそれに満足したかのように、穏やかに眠りにつきました。二人は娘を大切に育てました。
神は娘に何をさせたかったのでしょうか。娘は生まれつき感情が全て抜け落ちていました。喜ぶことも怒ることも悲しむことも笑うこともしません。ただただ無感動、無表情。全ての感情を失った状態で生まれてきたのです。
近所の人は彼女を気味悪がり、町の子供たちは彼女に近づきません。普通なら、ここで悲しんで、涙の一つでも流すのでしょう。しかし彼女には感情がありませんでしたから、そうすることも出来ませんでした。ある意味、それは良かったのかも知れません。悲しいことではありますが。
少女は成長するごとに、心が渇いていくような感覚に悩まされました。彼女の中の欲は強くなるばかりで、心の中にはいつも大きな穴がありました。同じ年頃の子供たちと遊んでみても、話をしても、家族と出掛けても、一緒に食事をしても、彼女の心の穴は塞がらない。いつも、彼女が満足することはありませんでした。
どうしたものだろう、と思った少女は、両親に尋ねてみました。するとこんな答えが返ってきました。
「大切なものを、心から大切と思えるものを作ってみなさい」
考えると、それは名案に思えました。綺麗なもの、気に入ったもの、面白いもの。集めれば穴も塞がるかもしれない。彼女は箱を用意していろいろなものを集めました。
最初はというと、石や押し花。虹色のガラス玉。写真、手紙。綺麗なものとそうでないもの、面白いものとそうでないもの、彼女はそれが解らない。それでも目に映った気になるものを集めていきました。そのうち、箱は宝物でいっぱいになりました。
少女はもっと欲しがりました。大きな箱を用意して、箱いっぱいの宝物を。
少女はやがて、少し高価なものを欲しがるようになりました。アクセサリー、小説。肌触りの良い布、リボン。その箱もしばらく経つといっぱいになりました。
それでも穴は塞がらない。むしろ、どんどん広がり、心の渇きは強くなっていきました。洋服、ぬいぐるみ、ピアノ、ティーセット。目に映った気になるものを少女はとことん欲しがり、手に入れました。彼女の欲は収まるどころか、膨らんでいました。
(欲しい、欲しい、もっと、もっと! 渇く、欲しい、欲しい、ほしい、ほしい、もっと、もっと、もっと、ちょうだい!)
彼女の両親は変わらず娘を愛しました。両親はそれまで以上に働き、欲しいものを買ってやりました。そのうち、二人は次々に身体を壊しました。少女は両親を看病しました。
「ごめんね。今はちょっとだけ、我慢してね」
「父さんも母さんも、すぐに良くなるから。少しだけ待ってなさい」
母は少女の頭を撫で、父は少女の手を握りました。彼女は心がほんの少しだけ温まるのを感じ、小さく微笑みました。それは彼女が初めて感じた、温かな感情でした。
次の日、父は無理をして仕事に行ってしまいました。そして父の働いている工場から炎が上がりました。少女の父がミスをしたことが原因だと後に言われました。この日は風が強く、空気は乾燥していました。また、この町の建物は木造のものがほとんどでした。炎が広がるには良い条件が揃っていたのです。
炎はどんどん広がり、瞬く間に家を焼いていきます。友を、家族を、恋人を、そしてその家で過ごしてきた幸せな思い出を、一つ残らず炎は焼いてしまいました。
「私の宝物は? 父さんと母さんはどこ? 私のよ! 誰にも渡さない、何にもなくさない、全部! 私のなんだから!」
広がる炎に、少女は錯乱状態に陥っていました。燃える家の中へ飛び込み、両親と自分の宝物を探しました。しかし、父はすでに工場で死んでいました。母は役所にいました。両親は家にはいません。宝物は多く、小さな少女には全てを持っていくことはできません。少女は机の上に置かれた父の日記を見つけると、それだけを持って出ました。
両親を探して、少女は炎に包まれた町を走りました。しかし、工場も役所も、町の建物は簡単に炎にのみ込まれてしまいました。どれだけ速く走っても、どれだけ瓦礫を退かしても、火傷を負っても、転んでも、両親は見つからない。いつも少女を守り、助け、愛してくれた両親は、炎の中で死にました。
少女は気がつくと、町の人に地面に押さえ込まれていました。町の人々は少女がどれだけ両親に苦労させていたかを知っていました。その日、少女の父が無理をして来ていたことも、疲労が溜まっていたことも、知っていました。だから、彼らが亡くなった彼女の父を責めるのではなく、元凶の少女を責めました。
「お前さえいなければ……。この娘を町から追放せよ」
少女は言われるままに、少しのパンと水、父の手帳が入ったカバンだけを持って、町を出ました。幸い、道中で野垂れ死ぬことはなく、少女を見つけ、哀れに思った隣町の孤児院長が引き取ってくれることになりました。
孤児院は貧しく、それに加えてたくさんの子どもがいました。皆が少しずつ我慢して、協力し合って生活していました。しかし、少女にはそれが分かりませんでした。今までは両親と少女だけだったので、いつも少女が優先されていました。孤児院では、それは許されません。
彼女は人より多くの食べ物を欲しがりました。彼女は人より多くのものを欲しがりました。自分のものは他人に分けず、他人のものは欲しがりました。
院長も、少女より年上の子どもも、同じくらいの年の子ども達も、少女に注意しました。少女は学びました。怒られるのが嫌なことだと学びました。
ある時少女が目を覚ますと、足の裏が真っ黒でした。少女は首をかしげた後、水で足の裏を洗いました。ポケットの中には知らない物がいっぱい入っていました。少女は手紙を書いていた院長に箱をもらいました。そこにポケットの中の物を入れました。
院長は少女に言いました。
「午後から別の町の孤児院の方が来られます。貴女はその方と一緒に行きなさい」
少女はとりあえず頷きました。
少女は余所の孤児院の人に連れて行かれる時に泣きました。子ども達は、泣いている少女を見て、彼女が自分達と別れるのが辛いのだと悟りました。皆が少女を哀れに思いつつ見送りました。少女はポツリと言葉を溢しましたが誰にも聞こえませんでした。
「また、無くなっちゃった」
少女はカバンと父親の日記だけを持って去りました。
少女はそこで人のものを盗むと怒られるということを学びました。良いことをするとお礼が貰えると学びました。
少女が他人のものを盗むことはなくなりました。しかし彼女は優しいという感情が分かりません。どうすれば相手が喜ぶのか、どんなときに困っているのか、彼女は分かりません。少女は何度も失敗して怒られました。子ども達は少女が嫌がらせをしていると思い、仲間外れにしました。大人達は少女は悪い子だと思い、厳しくしました。やがて問題児扱いされた少女は、別の孤児院ヘ移されました。その頃、前にいた孤児院に何者かが侵入して皆が惨殺されたと、少女は足の裏を拭きながら聞きました。
ずっと満たされないまま、少女は強欲を押さえられなくなりつつありました。あの火事の日の前日、あの日の幸福感をもう一度味わいたいと渇望していました。愛を求めました。
孤児院の子ども達には簡単に与えられている愛。惜しみなく与えられている愛。彼女はあの日から、疎まれ、憎まれ、蔑まれ、愛など与えられませんでした。
少女は知っていた。
自分の中の強欲を。
それだけが味方だと。
いくつもの孤児院を移され、今いる孤児院も引き取り先が見つかり次第移されるのだろうと、幼い少女は無感動に無表情に受け止めていました。
しかし、中々引き取り先が見つからないのか、少女は長くその孤児院に留まっていました。
「キリア・レインゲートは厄災を招く」
彼女を引き取った孤児院が次々に事件や事故に巻き込まれていました。そうなると災いを自ら懐に入れるような者などいません。しかし、孤児院は行き場のない子どもが最終的に行き着く場所。その辺に捨てることも出来ません。
大人達は不安を打ち消そうと、少女を虐げ、暴力をふるいます。自分達は正義で、災いを招く少女は悪。お前に勝てる自分達は災いにも負けない。死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ!
子ども達は、大人達のそんな様子を見て、真似るように少女を虐め始めました。少女を魔女と呼び、少女を階段で突き飛ばしたり、ことあるごとに大人達にあることないことを言いつけて大人達に躾という名の暴力を受けるのを嘲笑ったり、少女の食事にゴミや虫を混ぜ、殴って蹴って、彼女の長い髪を切り、奴隷扱いしました。
いつも少女は顔色を変えませんでした。それで一層彼女を不気味に思い、行為はエスカレートしました。少女はどれだけ暴力をふるわれても、食事抜かれても、死にませんでした。
強欲の力。全てを自分の物にする能力。
少女の身体は何より丈夫にできている。
少女が奴隷扱いされ始めてしばらくたった頃、少女を引き取りたいと言う者が現れました。聖ゴールズ教会の神父でした。孤児院の大人達の恐怖はさらに増し、少女に暴力をふるうことが増えました。今まで災いに見舞われた孤児院のごとく、この孤児院にも災いは起こると誰もが確信していました。さんざんな目に遭わせておいて何もないはずがありません。皆が分かっていました。しかし、もう止まることなど出来ませんでした。溢れだす負の感情が、少女ヘと降り注がれていました。
どうせ破滅するぐらいなら。皆が少女を痛めつけました。誰も止めるものはいませんでした。
ある時、子ども達が少女の荷物を漁り、少女が唯一持っていた父親の日記を見つけました。子ども達はそれを、少女の目の前で破りました。
『強欲の力を見せてやれ』
視界が黒く染まりました。
気づくと、少女は火の海に立っていました。町の建物は一つ残らず炎の中。少女以外の生き物は全て死に絶えていました。今までの孤児院に起こった災いは、全て自分が引き起こしたものだったのだと少女は初めて知りました。
まるであの日のような光景に、喉がひくつくのを感じました。全てを失った日。今まで当たり前に与えられていたものを失った日。愛を失った日。
少女は腕の中に、何かを抱えていました。ページを千切られ、ボロボロになった父親の日記でした。少女は幼く、ページを開いても何が書いてあるのか分かりませんでした。しかし、そこに確かに、あの日失った父親がいました。
少女は独り、ぼろぼろと涙を溢して泣きました。
町の火が消えた頃、聖ゴールズ教会の神父が現れました。少女は火の消えた町をしばらく眺めた後、神父について町を去りました。
「さぁ、キリア。今日もお勉強頑張ろうか」
「うん。よろしくおねがいします」
数日前、教会に来たキリアはボロボロだった。痩せて傷や痣だらけの身体、バラバラに切られた髪、表情も反応も薄い。ルイスの時とはまた異なる姿の異様さに、俺達は同類だと悟った。すぐさま、神父やシスターから離し、俺達で世話をした。
感情を、基本の常識を、言葉を、知識を、愛情を。
俺達は形があるものは与えることが出来ないから、形のないものを、いつまでも失うことのないものを与えた。それは俺達が与えられなかったもの。俺達が得られなかったものを、せめてキリアには与えたかった。
キリアはよく学んだ。父親の日記を読むために、勉強に熱心に取り組む。また、最近はよく笑うようになり、時々小さな我が儘を言うようになった。良いことだ。適度にガス抜きしないと、爆発してしまう。
「これ、おいしい……」
嬉しいことに、キリアは俺が食べるものを食べることが出来た。ゼッヘルやルイス曰く、毒物料理。以前食べた子は即死。だから、キリアが横から手を伸ばし、料理を口に入れた瞬間、絶望した。ゼッヘルとルイスも顔面蒼白。しかし、キリアは目を見開き、もう一口、口に運んだ。
「何ともねぇか?」
「吐き気とか、頭痛とか、腹痛とかありませんか?」
心配そうに聞くゼッヘルとルイスに
「とてもおいしいよ」
キリアは破顔した。
どうやら、強欲の能力は毒も自分のものとして、しまうようだ。以来、キリアは俺の食べ物を一口頂戴と言ってきたりする。可愛い。俺が料理をすくって差し出すと、キリアは嬉しそうにぱくりと口に含む。悔しそうなゼッヘルとルイスを横目に、キリアの頭を撫でた。
俺達の妹分は今日も可愛がられています。
キリア・レインゲート
銀色の髪に青い瞳の少女。痩せている。
身体が丈夫で、身体能力がずば抜けている。
表情も反応も薄いが、以前より反応を返すようになった。
色々なことを教え、与えてくれた年長組に懐いている。特にカルロが大好き(主に教えてくれるのはカルロ。ゼッヘルとルイスはキリアに構うだけ。クロードは寝ている)。
父親の日記が宝物。読むために勉強中。
両親を亡くし、町を追い出され、色々な孤児院をたらい回しにされ、行く先々で虐げられた。最後にいた孤児院で日記を奪われキレた。強欲の暴走で、町ごと焼き滅ぼした。
【強欲】の所有者。毒をも自分のものとしてしまう。
強欲は決して裏切らない自分の味方だと認識。