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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

命の連鎖

作者: ぼっち球

 縄の輪を両手で掴み、その輪に首を通す。

 鬱蒼とした木々が夕焼けの空を覆う山中。僕は最後に数少ない友人や両親に対して、目を閉じて心の中で感謝を述べた。

 時間にすれば、ほんの僅かだったのだろう。感謝を済ませて目を開けても、まだ目先の枝にはカラスが先程と変わらぬ様子で僕を見ている。


 『さあ、早く死にゆく様を見せてくれよ』と、カラスは黒水晶のような瞳で語る。

 僕の死は、カラスの残酷な道楽でしかないのだろう。

 いや、十七という若さで自殺するんだ。最後の最後で他の生き物を笑わせる事が出来るだけ、それくらいにはこの命に価値はあったのか。



「……きみ、死ぬの?」


 唐突に聞こえた女性の声に、びくりと肩が跳ねた。

 思わず縄から首を抜いて、辺りを見回す。


「ここだよ」


 いた。

 僕の後ろに立つ木に隠れるように、声の主が僕を見ている。

 夕陽を遮る木々のせいか、彼女の顔は幽鬼のように仄かに白く浮かび上がって見える。

 山には不釣り合いな明るい色のワンピースは所々が破れ、同じくボロボロな肌から滲む血が点々と付いていた。


「ねえ。どうせ死ぬなら、その命をわたしにちょうだい」




――それが、彼女との出会いだった。

――異常な彼女と、自殺未遂の僕。なんともミスマッチなベストカップルだろうか。

――固く結った縄の輪が所在無さげに揺れるのを目に納めると、僕へ手を伸ばす彼女に応え、その場を去った。



 ♀♂



 彼女はフリーターだと言う。年は僕の四つ上の二十一。

 木造の古びた一軒家に一人で暮らしていた。が、僕が増えたので今は二人暮らし。


「ね、ね、腕だして!」

「右? 左?」

「んー、右かな?

 左手の痣、まだ消えてないでしょ?」

「うん」


 差し出した右腕を、彼女が自らの左腕で下から支えて僕の二の腕を柔らかく掴む。

 彼女は右手に持ったカッターを、僕の右腕に当てた。

 そして、撫でるように優しく切りつける。痛い、が、それほどでもない。一昨日、左腕に振るわれた金槌よりはマシだ。


「血、出たね」

「うん」


 カッターの軌跡を示すように、浅く切られた皮膚からプツプツと小さな赤が生まれている。

 その鮮血の上を、そっと彼女の指先がなぞる。


「もっと深く切るわね」

「いいけど、死なない程度にね」

「当たり前じゃない。

 きみの命はわたしの物だよ?」


 カッターの刃を本体からちょこんと出る程度に調節すると、それをゆっくりと、僕の腕に刺す。皮膚が裂け、血が滲み出る。きっと、刃を抜けば、流れ出てくるだろう。

 先程の浅い切り傷の隣に、同じ長さの深い溝が出来上がった。

 溢れ、腕から滴り落ちる血液を、彼女は柔らかく熱い舌で受け止める。


「美味しいの?」

「不味いわよ」


 血で染まった唇を僕の耳に寄せて「……でも、クセになる」と続けた。彼女の息がこそばゆい。

 密着した身体から、彼女の規則正しい心音を感じる。彼女の匂いは、仄かに甘く、清涼だ。


「痛っ!」


 切りつけられた右腕に、いきなり電流のような痛みが走った。

 未だに血を流す傷口に、彼女は爪を立てたのだ。

 彼女は僕の反応なんて気にもせず、爪で傷の内を掻く。身体を合わせたまま、僕の耳に唇を乗せたままだというのに、器用なことだ。


「ほら」


 ふわりと身体を離すと、今しがた傷口で遊ばせていた真っ赤な指を僕の顔の前で立てた。


「舐めて」


 拒否する権利は無い。僕は彼女の物だ。

 拒否する理由も無い。尋ねたのは僕だ。


 彼女の指先は、当然ながら血の味がした。不味い。

 けれど、僕の口腔内に居座る彼女の指が舌を弄ぶこの感じは、嫌いじゃない。

 彼女はというと、身を捻って、また傷口を舐めている。だから、舐めやすいように腕を上げた。


 どれだけの時間、そうしていただろう。

 僕の口から指を抜き、腕から頭を上げる。久しく見た彼女の双眸は、妖しい光をしていた。


 言葉は無い。

 時折、外を走るトラックの音が壁を隔てて微かに聞こえるばかり。

 ここは、異世界だ。


 再び彼女の心音を感じる程に密着する。心音は僕と同じく速まってきていた。

 彼女も僕と同じ気持ちなのだろうか?

 その心意は探らない。

 ただ、求められたままに彼女の唇を受け入れるだけだ。


 やはり、血は不味かった。

 しかし、長く味わいたい。



 ♀♂



 彼女がアルバイトに行っている間、僕はずっと家に居る。

 世間的に、今の僕は行方不明。自殺をはかる前に遺書を書いてきた為、もしかすると両親も半ば諦めている事だろう。


 この家には、あまり生活感が無い。

 テレビやパソコンも無い。でも、本だけは沢山あった。

 実用書に字引、歴史小説、エッセイ、参考書、官能小説、異国の本、その他諸々。

 彼女はよく本を読んでいた。乱読だし、読み終わる前に別の本に手を出す。けれど、不思議な事にあらすじや感想を聞けば、十二分な答えが返ってくる。

 本当に、彼女は不思議だ。どこかしら、狂っている。


 適当に散らばった本の山から、適当に目についた小説を読んでいると、玄関の鍵が開く音がした。

 彼女だ。


「ねえ、お風呂、わいてる?」

「わいてるよ」


 風呂掃除などは、僕の仕事。強制はされていないけれど、一日中読書ばかりでは、気が狂ってしまう。そんな不安感から、風呂を掃除するのだ。


「一緒に入ろ」


 言いながら、彼女はスタスタと浴室へ向かう。僕はそれに従う。

 珍しい事ではない。

 珍しい事ではないのだが、何故か彼女は決して服を脱ぐ姿は見せない。脱衣だけでなく着衣の時も、僕はその姿を見る事は無い。

 今だって目先で扉を閉められた。

 だから僕は扉の外で服を脱ぐ。いつもの事だ。


 頃合いを見て浴室へ入ると、彼女は身体を洗い終えたところだった。

 僕も身体を洗う。生傷がしみて、痛い。

 そんな僕に、彼女は深く澄んだ瞳を向ける。僕の苦手な視線だった。だから、僕は身体を洗っている間、敢えて壁のタイルを数えて気づかないフリをする。



 広くはない浴槽に、僕と彼女が入る。お互いに膝を抱えて、向かい合う。

 華奢で張りのある彼女の白い肌が、薄い桜色をしている。

 それに比べ、僕の肌はただただ不健康に白い。

 アルバイトをしている彼女と、家から出ない僕の肌の色は、違った白さだった。


 不意に天井の水滴が、湯船の上を跳ねた。

 それを合図にしていたように、彼女が優しく僕の頭を引き寄せた。僕はそれに逆らう事もなく、彼女の手に従う。

 ゆっくりと、優しく、僕の頭が湯船の中に沈められた。苦しくて、思わず肺の空気を泡に変えてしまった。

 反射的に頭を水面の上へ出そうとするが、彼女の身体が邪魔をする。後頭部に乗せられた腕が、旋毛(つむじ)の辺りに当てられた彼女の胸が、僕に呼吸を許さない。

 酸素を求めて開いた口にお湯が勢いよく雪崩れ込む。鼻からもお湯が入り、ツンと痛む。


 ダメだ……苦しい……


 意識が途切れる寸前で、ふっと拘束が緩められた。

 朦朧とするなか、最後の力を振り絞って顔を上げる。



「暴れちゃダメだよ」


 お湯か涎か鼻水か、顔をぐしゃぐしゃにした僕に彼女は言う。


「暴れちゃ、ダメ」


 ()せ込む僕の頭を撫でる彼女の手は、本当に優しい。

 彼女の言葉に応えたいのに、僕の口は未だに空気を求めてヒュウヒュウと喘いでいた。

 まだ、頭がクラクラする。


 そんな僕を、彼女は再び沈めた。

 流石に耐えられなくて暴れたが、彼女も身体全体を使って僕を押さえつける。

 あの華奢な身体に、どうしてこんなに力があるのだろうか。


 その日は、四回沈められた。



 ♀♂



 彼女と交わる夜は、僕の背中に掻き傷が増える。

 何度も、何度も、まるで猫が爪を研ぐように、何度も何度も掻き乱す。

 彼女が僕の上に乗る時は、首を力の限り締め上げる。



 行為の最中は、いつも以上に静かだ。

 彼女の微かな嬌声と、ささやかな水音、僕の少し荒い呼吸。

 それらが闇に溶けて消える。


 形の整った彼女の胸は柔らかく、僕の口に押し当てられる唇もまた、柔らかい。

 熱い舌が僕の上顎の裏を這い、僕の舌は彼女の八重歯に傷付けられる。


「……そろそろ、いいよ」


 彼女の許可が出るまで、僕は我慢しなくてはならないのだ。


「いくね」

「どうぞ」


 薄い茂みの先へと進入した()は、身体の内を沸騰させるような熱さを感じた。

 彼女の顔が、ほんの一瞬だけ歪む。

 僕が()を動かす度に、彼女の爪は僕の背中を裂く。やがて滲み出る血液で爪が汚れても、彼女は何度も爪を立てる。

 ガリガリと、ガリガリガリガリと、深く掻く。


 そして、すべてを終えると、彼女は赤で汚れた自分の指を、これまた猫のようにペロペロと舐めるのだった。



 ♀♂



「肘の裏側、出して」


 (やすり)を手にした彼女が言った。

 昨日、(のこぎり)でズタズタになった方の腕を差し出す。


 肘裏の薄皮に鑢をかける彼女。

 いつものように真っ赤に汚れた指先を舐める彼女。

 指先の赤で僕の顔を汚す彼女。

 不味い血を口移ししてくる彼女。

 肘裏だけでなく肩にも鑢がけする彼女。


 いつも通りの、彼女。


 その彼女が、寝る前に突然こんな事を言った。


「明日、わたし、死ぬね」



 ♀♂



 訪れたのは、僕の命を彼女にあげた場所だった。

 僕が結んだ縄もそのまま。月並みに言えば、あの日から時間に忘れ去られてしまっているみたいだ。


 彼女は、僕が昔結んだ縄で死ぬんだと笑いながら言う。

 そして言葉の通り、その縄の輪に首を通した。


「なんか、変な感じだね。

 きみが死ぬために結んだ縄で、わたしが死ぬのは」

「うん」


 本当に変な気持ちだった。

 僕の命は彼女の物なのに、その彼女が僕の縄で死ぬ。


 ……なら、僕の命はどうなるのだろうか?


 その不安を口にする事は、最後の最後まで出来なかった。



 ♂



 彼女が死んで、僕は一人になった。

 彼女が一人で暮らしていた古びた一軒家に、一人きり。


 やつれ、髪が伸び、髭が生えた僕は、行方不明になった頃とは別人だ。

 食料を得るために家を出ても、誰も僕を僕として認識しない。


 ……そもそも、僕は命を持って無い。僕の命は彼女にあげてしまったから。

 なら、僕は、誰……?


 答えの出ない思考が、常に頭の中を埋める。



 夢に映るのは、彼女の亡骸だ。

 だらりと力無く、目を見開いた首吊り死体。蝿がたかり、糞尿で汚れた彼女。その生気が失われた瞳は、ただただ僕を見つめている。

 身体が腐り、頭が落ちても僕を見つめ続ける瞳。

 顔から零れ落ちても、ひたすらに彼女の眼球は僕を見つめ続ける。

 そんな悪夢を毎日のように見続けた。


 そんな日々を過ごす中、夜に散歩をしていると、橋から飛び降りようとする少女を見かけた。

 橋の手すりの上に立ち、虚空を見つめている。


「……勿体ないなぁ。

 折角、自分の命を持っているのに」


 最後の一歩をなかなか踏み出さない少女を隠れて見ながら、思わず一人ごちた。


 ――どうせ捨てるなら、その命を僕にくれないかな……?


 そんな考えが脳内を駆けた瞬間、カチリと何かが解った気がした。



「ねえ、きみ、死ぬの?」


 声を出したのは無意識だ。思わず口から言葉が出ていた。

 僕の姿は隠れたまま。その証拠に、橋の手すりに立つ少女がキョロキョロと声の主を探している。


「ここだよ」


 そう言って僕が姿を現すと、少女は些か警戒するように身を強張らせた。

 少しでも間違えれば、少女は橋から飛び降りて、その命を捨ててしまうだろう。言葉を間違えては、いけない。


 軽く息を吸い、端的に目的を伝える。


「どうせ死ぬなら、その命を僕にちょうだいよ」



 そしてその日、僕は僕の命を手に入れた。

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