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「力を持つ存在」

 食堂でイグニスと別れた後、ラピスは人知れず行動を開始していた。


 自身の担当する少年が、田舎で作ったつまらぬ縁に絆されて、直前で入学を取り止めるという展開は何としてでも避けたい。なので、先に相手を説得(・ ・)してやろうという純粋な好意でもって、彼女は孤児院の隅々まで訪ね歩いた。

 これでイグニスの趣味や嗜好でも知れれば、それを餌に出来る。弱みを握れるなら尚更よしという下心も当然あったのだが。


「全ッ然駄目な子じゃないの! 思いっきり騙されたわ!」


 軽く話題を振るだけでも意味深に溜息を吐かれ失笑され、挙句の果てには 『優秀? 別の子とお間違えじゃありませんか?』 と来た。


 イグニスに比べれば、劣等人種――ブゥータと言う名らしい――の方がよほど素行に優れ紳士的な振る舞いをしているらしく、 『半獣人と言えど侮れませんなぁ、おっとエルフ様(・ ・ ・ ・)に向かって言う言葉ではないですな! うはははは!』 と笑い者にされる始末。

 そのまま院長に怒鳴り込めば、貴方が勝手に勘違いをしておいて何を言っているのですかと呆れられてしまい、文字通り返す言葉も無かったのだ。


 ラピスの誤情報をそのまま利用したイグニスの誤魔化しにまんまと引っ掛かった所為で、彼女は墓があったら埋まりたいほど屈辱的な挨拶回りをする羽目に陥った。


 あの糞餓鬼に、今日一日で死ぬほど恥をかかされた恨みを返さねばならない。その後、力を持つ存在がどの様に振舞わねばいけないのか、きっちり教育する必要もあるだろう。


 憎悪の赴くまま醜悪に顔を歪めるその姿に、此処を訪れた時の美麗な女エルフの面影は無い。すれ違った子供を怪我をさせる事無く魔法で恫喝し、イグニスの部屋まで案内させたラピス。


 怒りに任せて扉を蹴破ろうと力任せに足を叩き付け――



              *



「…………?」


 イグニスは首を傾げた。概念レベルで隔離され、空気すら通さぬほど完璧に閉じたこの部屋が、ほんの僅かに "揺らいだ" のだ。

 周りを見渡すと、扉に張られた封印札が一枚剥がれ、ひらひらと宙を舞っている。しかし、それは一瞬の事。視線を感じた封印札は、まるで恐ろしい主人の目に留まった下人の様な素早さで元の位置へと戻り、再びその任へと戻った。


 ――何故、剥がれた?


 勿論、存分に魔力を込めたラピスの蹴りが原因だ。

 【出入り口を封じ、あらゆる一切の出入りを禁ずる空間を形成する】 のがイグニス流の結界術だが、恐るべきはイグニスの持つ魔力(せかいかん)を真っ向から否定し、異なる別の法則で上書き出来るほどに練り上げられたラピスの魔力(そうぞうりょく)だろう。


 しかし、そんな事はイグニスにとってどうでも良い話である。


 たった今、エルフに転生して初めて気がついた恐るべき事実に対して考察する方が大事だと思い直し、再び思考の海へと潜る。

 そんな主人を守るかのように、封印札は先ほどよりより強固に出入り口を塞ぎ、この閉鎖世界を確立させた。



              *



「く、そ。畜生畜生畜生! いってぇえええんあ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 淑女とは思えぬ絶叫が、空気を振るわせる。


 扉は頑丈だった。

 魔法に頼り切った脆弱なエルフの肉体ではあるが、それでも戦闘兵として申し訳程度には鍛えてある。魔力抜きでも木の扉は蹴り壊せる筈なのだが、目の前のそれは一切傷付きも震えもせずそこに慄然と立ち塞がっていた。

 彼女は過剰破壊に等しい力の衝撃を、自分の身体で吸収せねばならなかった。


 足の痺れから一瞬間をおいて襲い掛かった激痛は、ラピスの脳を散々に嬲り苦痛に喘がせた。息も絶え絶えになりながら血塗れの足をさすり、やっとの事で砕けて飛び出した骨を元の場所へと収めていく。


 純白の魔道服の裾を赤黒く染め、荒く肩で息をしながら涙目になる女エルフは中々絵になる構図ではあるが、その相手が扉では何とも締まらない。イグニスの施した結界はその役目を十全に果たしたと言えるが、それが常に最良の結果をもたらす訳ではなかった。


 普段の理知的な判断力や常識は、どす黒い憤怒と憎悪で直ちに焼き尽くされ、ラピスの精神は破壊衝動を伴う狂気で染め上げられる。

 心の底から戦闘と蹂躙を望み、それを魔力に置き換えすぐさま実行する超攻撃的精神こそが戦闘魔道師に求められる資質。その中でも最上級と目されるのが 【魔道院直属戦闘兵】 と呼ばれる一派、即ちラピスなのだ。


「いぎぃいいいいっ……! この野郎っ、絶対殺す!」


 想像を絶するほどの魔力が、空気を歪ませ周りの空間を侵食していく。

 ごく僅かに残った理性のみが、彼女の力に指向性を持たせる程度の制御を行っていた。


 無造作に壁に向かって突き出された拳が、触れる事無く壁に大穴を開け、彼女は弾けるように外へと飛び出した。空中で身体を固定し、木造二階建ての寮を睥睨(へいげい)する。


 イグニスの部屋の窓が、漆黒を詰めた様な不自然な暗さで塗り潰されている。――確実に、厄介な性質の結界だろう。別の部屋の窓に幾人かの影が写る。結界の強度やその発動方法を調べる際に巻き込む恐れがある、とラピスは冷徹に判断した。


 その影を意識しながら軽く指を曲げるだけで、寮の中に居た子供らが部屋から瞬時に引きずり出され、外の地面へと叩き付けられる。そのままパンと手拍子を打つと同時に、轟音を響かせ圧縮された寮が、何も分からぬまま土にまみれ呻く子供らの心を完全にへし折った。



              *



 ブゥータは隣で黙り込む親友の異変に気付いた。


 涙をぐっと堪え、唇を噛み締めぷるぷると震える姿は、普段のイグニスの慇懃な態度からは想像も付かない程の異常である。声を掛けようか、いやしかし俺の発言が原因ならば火に油を注ぐ結果になるのではと逡巡している間に、何処か情けないような、弱々しいイグニスの声が耳に届いた。


「地球人からエルフに転生して、今初めて気が付いたんだがね……。魔法が使える僕が地球の知識を持ってても、全く意味無いんじゃないの……?」


「……ブフッ!」


 言われてみれば確かにその通りであった。イグニス程度の魔力があれば、どんな不足の事態にも対処できる。が、地球から持ち込んだ技術の利点はその "再現性" なのだ。


 十分な魔力さえあれば技術なんぞ必要も無く、逆に技術を発達させれば、その分魔道師(エルフ)の利用価値は相対的に下がる。地球の知識と魔法の力を両方兼ね備えたところで、互いの良い部分を打ち消しあう結果にしかならない。


 その上、地球の知識を持って転生した代償として、彼らは魔王の器として将来必ず勇者に殺されねばならない因果を背負ってしまった。

 転生のリターンを一切得られずにリスクのみが手元に残る。異世界転生としては "はずれ" の部類に入るだろう。


「ちょっ、ブゥータふざけるな、何で君はこの話を聞いて笑ってるんだ? 他人事だと思ってさぁ……!」


「ブヒヒッ、いやすまんすまん。」


 んもうこの野郎、と半分呆れ顔で憤るイグニスの目から涙は消えていた。それを確認してから、ブゥータは再び親友へと問いかける。



「なぁ、俺にはちょっと分からんのだが。結局お前は何をやってみたいんだ?地球の知識とか魔法ってのは、言うなれば "道具" だろ。お前の話聞いてると、道具の選り好みばかりに時間を食って、肝心の作りたい物が見えてこねぇ。俺なら孤児院を出た後、嫌な事全部放り投げて好きな事とかやりたい事を虱潰し手当たり次第にやるけどな。」


「そんな好き放題に生きて良いと思ってるのかい? 人の嫌がることを率先してやろうとか、言われなかった?」


「知った事じゃねぇな。人生ってのは我慢しながら嫌々過ごすもんじゃない。俺は友人の為に力を尽くす事はあっても、我慢や遠慮なんざしないぜ。死ぬ瞬間、これ以上は無いって程に全力を尽くしたって言える人生を、また今回も過ごす事に決めてるからな。」


 異世界で被差別種族の半獣人に転生し、隣には自分が逆立ちどころか覚醒しても一生勝てぬ相手が、その才能を無駄に腐らせてふらふら生きている。そんな万死に値するような者にすら対等に接し、親友と呼ぶ仲になれたのは、彼のニヒリズムの極致とも言える思想のお陰だろう。

 努力なんかしない、地位や名誉に意味なんて無いと(うそぶ)きながらも人とは違う力に縋り、内心誰かに認めて貰いたいと願うイグニスと比べれば、ブゥータの "強さ" は桁違いだった。


「今回も、って……。皮肉抜きで羨ましいよ、一体どんな死に方したんだい?」


「あ、聞きたい? 俺の事 『生理的に無理です、絶対付き合えません!』 って振った女の子を電車から庇って死んだんだ。」


 ブフン、と得意げに鼻を鳴らしているが、想像以上に意味不明で悲惨な死である。何故そんな最後を全力で生き抜いた結果だと胸を張って言えるのか、イグニスには全く理解出来なかった。

 そんな彼の疑問に気が付いたのか、ブゥータは多少言葉を選びながらも詳しい経緯を話し始めた。


「沙良って名前のちょっと内気な女の子に惚れてな。友人にも協力してもらって、何とか恋人関係に持ち込もうと思ったんだが……。手酷く振られた挙句に 『貴方と付き合うぐらいなら、死んだ方が余程ましよ!』 って目の前で線路に飛び込まれて、慌てて突き飛ばしたら逃げ切れずに俺だけ死んじまったのさ。」


 この上なく感情を廃した、淡々と紡がれる死因説明。しかしブゥータの顔を見る限り、どうにも嘘を言っている様にも見えない。随分頭のおかしな女の子に惚れたんだな、とイグニスは素直に受け取った後、そのまま歪んだ視点から見た考察を――出来なかった。



 あらゆる出入り口に貼り付けた封印札の内の数枚が、じわりと腐食し朽ちていくのを目の当たりにしたのだ。



 創造主であるイグニスに似たのか、限界まで耐え抜いた札は灰の如くぼろぼろと崩壊し、魔力を幾ら注いでも再び元の形へ戻る事は無かった。

 即座に部屋の隅に置かれている紙の束に視線を落とし、素早く形を整えてから魔力を "焼き付け" 、新たな封印札として欠けた場所へ補充する。この間僅か一秒にも満たない。


 正直、たかが数枚無くなったところで堅牢無比な結界である事には変わりが無い。十二分に、余裕を持って対処可能な範囲内だ。


 しかし。

 自身が作り出し、誰にも触れられる事は無いと定義付けた異空間に干渉出来る魔道師(エルフ)が存在する。

 万能感溢れる明晰夢が、いつの間にか操縦不可能な夢にすり替わったような寄る辺なさが、ぞわりとイグニスを包みこんだ。



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