「自分より大きな何かの気紛れで」
「どうすんだよ、お前……。ハードル上げ過ぎだろ……。」
ベッドの他は僅かばかりの収納家具しか置かれていない、孤児に割り当てられた狭い一人部屋の中。ブゥータはあきれ返ったような口調で目の前の親友に問いかけるのだが、当の本人は至って涼しい顔をしている。
――異質な部屋だ。窓や扉など、外界に繋がる出入り口にはべたべたと札が貼られ、窓硝子を通して見た外に、普段通りの風景はない。一寸先すら見えぬ黒々と塗り込めた暗闇が、唯一札の隙間から眺められる景色と言えよう。外からは一切の光が入らなかったが、部屋の中は特段薄暗いと言う訳でもない。
"内" と "外" を区切り、外からの干渉を拒絶する閉鎖空間の形成。
後世において 【結界魔術】 と呼ばれるその魔法は、この時代を生きるエルフならば特別才能が必要な訳でもない、持ち得て当然の知識であった。
発動する方法も地域で違い、また個人ごとに手を加えられてより複雑に改良されている事が多い。そのため発動者より高位の魔道師が力技で結界を破らない限り、他者が解除するのがほぼ不可能な魔法の一つでもある。
今回の場合、内側から貼られた封印札を全て窓や扉から剥がすか、札自体を破壊しない限り彼らは外には出られず、また外からも中を窺い知る事は出来ない。
窓や扉など "出入りする場所" という概念そのものを札で封じてある――魔法は術者の想像力や世界観に依存する――ため、この部屋は完全に密閉され、独立した異空間と化したのだ。
非常に手間は掛かるが、魔王の器として、あるいは転生者として。決して他者に聞かれてはならない話をする時には最も適した方法である。
「別にいいって、魔法学校なんて元々行く気無いから。それよりも、どうやってこの状況から逃げ切れるかの方法を考えてくれよ。魔道院直属戦闘兵? なんで対象者に入学案内を届けるだけの簡単な仕事で戦闘兵が来るのかね。」
「断ったら暴力とか脅迫みたいな方法に移るんじゃねぇの? 拉致るって手もあるだろうがな。」
それしかないよな、と半分諦めが混じった表情で呟くイグニス。
その態度が少し気に障ったのだろう、ブゥータは目の前の相手と目も合わせずに問いかけた。
「っていうか、何でお前は魔法学校行きたくねぇの? 正直言って俺は行くべきだと思うぜ。暴力的な手段に訴えてまで魔法の素質を持つ子供を集めてるって事は、近い将来確実に魔道師ギルドが魔道師を独占する形になるんだろ。 なら早めに入学なりして、適当に大きな派閥に属しておけば将来安泰じゃん。」
「何で魔法学校に行かないかって……? 決まりきった事を言うじゃないか。」
やれやれ、と芝居掛かった動作と皮肉げな笑みを浮かべ、彼は特大級の爆弾を投下した。
「僕、なんてったって転生者じゃん? 科学の進んだ日本の知識と、想像しただけで何でも創造できる魔法を兼ね備えたハイブリットエルフじゃん? そんな有り余る可能性を持って生まれながら、どうして魔法一筋で頑張る必要が――」
「ちょっ、ちょっと待て!」
何だよぉ、と不満げなイグニスの弁を手を振って制止し、ブゥータは頭を抱えた。
元々自意識過剰な部分が鼻に付く感じはあったが、まさかこうも酷いとは思わなかったのだ。イグニスは生まれ持った能力は優秀なのだが、どうも自己評価が残念に過ぎる。一度本気で鼻っ柱を叩き折ろうと試みた事もあるが、逆切れして泣き喚きながらめちゃくちゃに暴れ回るので、言葉を選んで慎重に理解させねばならぬとブゥータは決意した。
「いいか、イグニス……。確かに俺達は凄い技術力を持つ地球の先進国、日本で生まれ育った記憶を持って異世界に転生した。此処まではいいな?」
「今更説明するまでもなくその通りだね。で?」
「この世界ではマスケット銃は日の目を見る事無く淘汰された……。歴史好きの勇者が "火縄銃" をドワーフらに作成させ、軍に優先的に配備させた数年後に、銃火器狂の勇者が "突撃銃" や "狙撃銃" を発案し、前者を破産に追い込んだ。」
「あ、ああ。歴史の時間に習ったね……。」
「流石に現代兵器の再現をしろとは言わんが。軍事・文学・科学・政治から料理に至るまで、数多くの勇者が来訪し技術を伝えて去っていった。で、お前は何が得意なんだ。今まで来た日本人よりも優れたもの、当然持ってるんだろうな?」
「あう……。いや、いやでも! 転生者といえば冒険活劇、女の子にモテモテで、富や名声が集まってくるってイメージが――」
「今まで彼女、作ったことあるか? この孤児院で、お前はどんな名声を得た? これは俺の勝手な持論だが、『俺はこんな所で終わる人間じゃない! 別の場所で一からやり直せば、もっと良い結果を残せるんだ!』 とか言ってる奴に限って、何回やり直そうが結局何にも創れず終わる事が多いんだ。」
自分の勝手知ったる場所ですら積極的に動こうとしないのに、全く知らない土地で一からやるのは無謀だとブゥータは断言した。
そんな話を聞いて、俯いて歯を食いしばりぷるぷると震えるイグニス。耳が真っ赤に紅潮しているあたり、彼は泣いてるのではなく怒りに染まっているらしい。
「あのね……。本気で本音を言わせて貰うけど、冗談抜きで僕は地位や名誉なんざどうでもいいと思っている。別に努力してまで手に入れたい物でもない。上を向いて口を開けて、餌が投げ込まれたら儲けもんさ。僕はアリとキリギリスでいう所の、キリギリス系エルフだからな。」
「……何でそこまで頑張る事が嫌いなんだ? お前なら、少し手を伸ばせば何だって手に入りそうなもんだが。」
そこまで問いかけ、ブゥータはイグニスの顔を見た。悲しげな表情を、無理矢理嘲る様な顔へと作り変えたような笑みを浮かべた少年。普段朗らかに笑っている姿とはあまりにもかけ離れた、素顔を曝け出したイグニスがそこに居た。
「ブゥータさぁ。子供の頃、アリの巣に水入れて水没させた事ない? 爆竹詰めて爆発させた事は? 戯れに指で潰して遊んだ事は? 『アリさんが、冬に備えて夏の間必死こいて貯めたご飯』……。腐らせたら終わりだよね。それ以前に、駆除用の毒餌で全滅する事もあるだろうね。」
「…………。」
「何が努力だ、真面目にやれだよ馬鹿馬鹿しい。そんなもんは、大抵自分より大きな何かの気紛れで根こそぎ奪われるのがオチだよ。」
吐き捨てるように呟くと、イグニスは疲れた顔をして大きく溜息を吐いた。
親友として、同じ魔王の器として。言葉以上の何かを察したブゥータは、それ以上は何も聞かず、静かに目を閉じた。