「有意義な人生設計」
地球人として生きていた頃の誠には、友達や恋人と呼べる者は一人も居ない。誠の両親ですら、彼の心に寄り添おうとはしなかった。
友情に恵まれぬ人生を送っていた誠は、あらゆる勝利からも見放されていた。頭が良いとはお世辞にも言えず、運動能力に優れている訳でもない。彼には努力という名の才能が一切無かったためだ。
そんな彼が、虐めという巨大な壁を克服する事も打ち勝つ事も無く、命を捨ててまで努力を拒否して逃げ出した、逃亡先の世界。
イグニスは、転生する前の自分ではけして持ちえぬ能力に恵まれた。容姿端麗、春の陽を紡いだかのような細い金の髪と、赤く燃える夕日のような目、日常的に魔法で補助し続ける魔道師特有の華奢な身体。何一つ努力して得たものではない。自分よりも遥か格上の"何か"から、与えられただけの先天的な才能。
これらを得て、人生を一からやり直せるという千載一遇のチャンスに恵まれたイグニスだったが、孤児院ではそんな才など特に必要も無い。
彼の物語は、その恵まれた才能を生かせる場所に行かねば始まらないのだ。
まだ昼食には少し早いのか、食堂にはイグニスとブゥータ以外に子供は居なかった。お互い何か喋る事も無く、黙々と割り当てられた食事――やや固くなったパンと畑で育てた野菜、干し肉といった質素なもの――を口に運んでいる。いつもと変わらぬ日々。
そんな無味乾燥な日常風景を突如破る客人が現れたのは、まさにこの時だった。
「イグニス! イグニスという名のエルフは居ませんか!?」
凛とした鈴のような声が響いたと同時に、食堂と廊下を隔てる扉が勢いよく開け放たれる。その声を聞いた瞬間、イグニスは魔法で服にフードを取り付け目深に被った。
こうやって名前を呼ばれながら探し回られるのは、大概何かやらかした時なので、心当たりが無くてもとりあえず隠れておくのが望ましいと判断したのだ。
あたりを見回し、人の居ない食堂であえて隅に座る少年と、その友人であろう劣等種族の二人組みを目敏く見つけたラピス。
まるで羽虫でも払うかのような動作で腕を一振りし、席に座る少年の上着をフードごとズタズタに切り裂いた。舌打ちと共に睨み付けられ、彼女は笑みを浮かべた。話に聞いていた通りの金髪、赤い目、長い耳。
――あの少年がイグニスか。
「目上に対して返事をしないのは頂けませんね……。そんな劣等種族と共に食事を取るのも、エルフとしての品位に欠けていますよ。」
そんなあからさまな蔑称など意に介さず食事を続けるブゥータ。
オークを含む獣人は、国家事業の辺境開拓を邪魔する先住民であり、勇者の英知を拒絶する蛮族なのだ。その蛮族が人間と交わり生まれた者が半獣人、そして孤児院に入居したとなれば、どの様に孕まされたかは想像に容易い。
相手によっては即座に殴り合いとなってもおかしくない侮蔑的な言葉を、魔王の器らは多少眉を顰めただけで受け流す。心無い言葉や差別的な態度など、地球で生きていた時には当然のように降ってきた。それも、同じ日本人から投げられたものだ。
どこで生まれ変わり、どんな姿で生きていようとも、彼らは全く変わらない。変わる事が出来ない存在と言っても過言では無い位に。
「初めまして……。僕がイグニスですが、貴方は一体誰なんです? どうして初対面の子供の服を切り裂いてまで、僕を探していたんですか……?」
警戒心や猜疑心を隠そうとするあまり、何故か珍妙な敬語が出てしまう。多少皮肉めいてしまったか、目的も知れないのに反感を覚えるような表現を使うのはマズかったかな、と相手の出方を待つイグニス。これでいて意外と小心者なのだ。
そんな顔色を伺う態度が良かったのか、ラピスは特に気分を害した雰囲気もなく、厚みのある一通の手紙を差し出した。
「その理由は、これです。貴方を魔法学校へ入学させるための手続きの為に来ました。」
もう既に決定事項であるかのような言葉。
先ほどから意にも介さず野菜を口に運ぶブゥータを冷たい目で一瞥し、大事な話をするからとっとと出て行けとでも言うような態度で顎をしゃくるものの、どうもこの劣等人種は居場所の無い部屋よりも、自分の食事の方が大事らしく梃でも動かない。
その隣で、几帳面に封筒を破かぬよう封蝋を開けたイグニスが、中の書類に目を通し、まるで拒絶するかのように端整な顔をくしゃりと歪めた。
どちらの反応も、ラピスにとっては予想外である。
劣等人種の方は無視すればいいが、何故この少年は嫌悪の表情を浮かべたのだろうかと。田舎者は都会に憧れると聞いていたのだが。
「……何故、そのような顔をするのです?」
「いやさ、僕らちょうど午前中に魔法学校の話してたんだけど……。いや、まぁ……、 『入学手続きのために来た』 は良いけど、僕の意思とは関係無しに強制的に入学させられるのかい?」
「だとしたら、何だいうのですか。善い話ですよ、魔道師ギルドが支援する魔法学校を卒業すれば、それ相応の進路を斡旋してもらえますから。院長にもその能力を買われるほどの実力者なのでしょう? こんな田舎で才能を腐らせるよりも、よほど有意義な人生設計が出来ますわ。」
そのラピスの言葉に、イグニスは多少引っ掛かるものを感じた。
院長にも? 既に話を通した上で入学が決まったという事だろうか。
「あー……。少し待って欲しいんだけど、ちょっと頭の中で考えを組み立てたいからさ……。」
あまりの衝撃に上っ面の敬語も吹き飛んでしまったが、いやいや問題はそこではないと心の中で小さく笑う。
内面の余裕とは裏腹にイグニスは手の中の手紙、 【入学案内状】 を斜め読みしながら、素早く捲った。
どうやら入学の是非は個人の裁量に任されてはいるようだが、入学しないと魔道師ギルドから "処分" の名目で、今まで孤児院に与えられていた様々な恩恵が無くなるらしい。しかしこの開拓村では、魔道師ギルドから派遣されている人員や物資は無い――筈だ。
それを見越した上で、強制入学はこの女エルフのブラフのようだと、とりあえずはほっと胸を撫で下ろす。
しかし、 『院長にもその能力を買われるほどの実力者』 が分からない。今まで魔法を使う度に院長から散々叱られてきたのだ。禁止命令すら出されているのに、何故このような評価を下したのだろうか?
まぁいいや。何故かこの女エルフは僕の事を強力な魔道師だと思っているようだが、分からない事は適当に流しておくに限る。
どうせ頭で考えたところで、根拠の無いただの予想でしか無いのだから。
「大体の事情は分かったけど、正直心以外に準備しないといけない物があるから、せめて一週間程度の準備期間が欲しいなぁ。その程度なら滞在出来るよね? えっと……。」
「ラピスです。ちなみに "魔道院直属戦闘兵" が、私の本来の職ですから。……それと、一週間ですって? 孤児院で暮らしてるのだから、荷物を纏める程度なら数時間で終わる筈よ。魔道師でしょう?」
一週間、という期限を聞いたラピスの顔が僅かに強張ったのを、イグニスは見逃さなかった。
ラピスの服装や荷物から想像すると大体その程度の泊り込みを予定していた様に思えるのだが。いや、むしろその予定が狂ったから、こんなに急いで事を纏めようとしているのだろう。
今まで十五年間エルフとして、人間として生きていた時代ですらここまで頭を働かせる事は無かったと思えるくらい、イグニスは素早く情報を組み立て始めた。
このラピスという女性は僕を魔法学校に入学させたい。しかし、何かの都合で当初の予定が狂い、出来る限り早く僕を連れていきたいのだろう。その為にはどんな手も厭わないという気迫はある。初対面でいきなり服を破るくらいだしな……。
院長先生にも既に会って話はしてあるっぽいけども、実際僕は魔王の器で、それが知られれば拘束対象。院長先生もそれを知らない筈は無い。
――現状、保留しか無いな。
「いやいや、大人にも認められるほどの魔道師じゃん? 僕ってさ。だから居なくなった後に、次の人の為に残しておかなければいけないものがあるんだよ。一週間でも少なすぎるんだって!」
ラピスから得た情報をそのまま返しつつ、前向きな対応と思わせておいての現状維持である。院長からどの様に紹介されたのかは不明瞭な為、どうとでも取れるようなぼんやりした表現でさり気なく誤解させる。
彼はこういったなあなあの対応や保身の才能が自身の意に即して異様に伸び、その事について特に疑問は抱いていなかった。
「んー……。仮にもエルフなら、そういう引継ぎは半日で終わらせて次へ進むのが常識ですって。」
「勘弁してよ。優秀なエルフが集まった職場ならまだしも、ここはそうでもないからさ。僕としても不本意だけど、色々歩き回らないといけないんだ。」
含みのある目で睨み付けてくる親友から目を逸らし、イグニスは相手の自尊心をくすぐる様な形で譲歩を引き出そうと勤めた。自分が下手に出れば彼女から侮られるだけで終わるだろう。エルフという種族を上に置きつつ、他者を見下げる事で相対的に自身を正当化する。
いつから僕は、交渉事がこんなに得意になったのだろう? 疑問を頭の隅に追いやり粘ること数十分。
「分かりましたよ! 仕方無いですね、四日間待ちます。ですがそれ以上は……、分かっていますね?」
「ええ、もちろん。僕のために時間を割いて頂き、感謝の極みです、本当にありがとうございます!」
机の下で親友に脛を蹴られる痛みを隠す程度の、実に薄っぺらい笑みを顔に貼り付けたまま、イグニスは朗らかに言い放った。
ちらほらと食事を貰いに来る子供たちが増え、興味深そうにエルフ同士の交渉を眺めている。そんな状況で、これ以上何かするのも気が進まないと考えたのだろう。ふぅと一息つくとラピスは席を立ち、それじゃあまたねと手を振って食堂から出て行った。
薄く笑みを浮かべた顔は、一瞬酷薄な印象を思わせる顔付きへと変わったが、それに気付く者は大抵ブゥータのみである。底意地の悪い性格を美しいエルフの外見で隠し、彼は心の中で毒づいた。
――誰が落ち目のギルドの悪あがきで作られた学校なんかに行くんだよ、馬鹿かっての。
イグニスの最大の欠点。
それは、手中に収める至高の能力を生かしも磨きもせず、現状維持か手を抜く事にのみ力を注いでしまう、最悪の組み合わせとも言えるような人間性。
この一つで、彼は今を生きる誰よりも無価値な者へと成り下がってしまったのだ。