「僕、今魔法使ってるよね」
魔王の器が親元を離れてから、十五年の月日が経った。
孤児院の庭から、ぱかんぱかんと軽快な音が響く。薪割りの音なのだろうが、その音は人間の大人が振るったとしても早すぎるリズムである。
縦にも横にも大柄なその少年は、生々しい肉色の肌と上向きの鼻、鍛え抜かれた筋肉を脂肪で包んだ肉体を汗に濡らしていた。人間と言うには疑問符が付き、また獣人と呼ぶにはあまりに人間的な少年の種族は、半獣人。
その傍らでは一人のエルフの少年が魔法を繰り、割れた薪を猫車に乗せて納屋まで引率していた。以前は薪を薪割り場から納屋の中まで直接飛ばしていたのだが、加減を間違えて壁に穴を開けてしまい、院長や他の先生にしこたま叱られ彼は魔法の使用を禁止された。
しかし周りに自身を咎める者が居ないと分かると、また率先して手を抜き始めるのだった。それも、すぐに手に持ち換え、言い逃れが出来る狡猾なやり口で。
この量を魔法の補助なしでエルフの少年が押して歩く事など出来ず、納屋に収められた量から逆算すれば明らかにおかしいのは目に見えて分かる。
だが彼はこういった誤魔化しをしておけば、決定的な証拠がない限りは誰にも怒られる筋合いなどないと考えていた。約束事を破っているのだから叱られて当然なのだが、どうやらこの少年の中では、暴かれなければ犯罪ではないらしい。
ブフゥ、ブフゥと息を吐きながら薪を並べる半獣人の少年に、エルフの少年が声を掛けた。
「なぁブゥータ、本当にたった今唐突に思ったことなんだが、何で僕らは薪割りなんぞをしてるのだろうね……?」
「ブフッ!?」
人が肉体労働に勤しんでる最中に、このエルフは一体何を言い出すのだろうか。孤児院で使うからに決まっているだろう、でなければ市場に売りに出す以外に利用価値など無い。ハーフオークの少年がため息と共に教えてやると、いやいや違うんだよとエルフの少年は返した。
「この前首都から来た商人に教えてもらったのだけれど、どうも最近、勇者サマの持ち込む地球の技術を本格的に脅威と見做した魔道師ギルドが、魔法学校なるものを創設したと聞いてね。」
「ああ、それなら何度か耳にした。んで?」
「僕、今魔法使ってるよね。この世界に来て驚いたのは、魔法だとかぶち上げてる癖に特別な詠唱とか魔法陣とか、そういった特殊な技術が一切要らないんだよ。転生組の僕らからすればむしろ超能力って感じなんだけどさ。」
そうなのだ。この世界の 【魔法】 には特段体系付けられた技術や知識は必要ない。必要なものは使用者の想像力と、それを目の前に反映させ続ける精神力。逆に、目の前の現実を変える事を躊躇ってしまうと、その時点で魔法の威力は半減するかそれ以下になってしまう。
それら全ての条件を統合し、現実世界に魔法として体現出来るまで練り上げる力を 【魔力】 と呼ぶ。
イグニス曰く、『明晰夢を自在に操れるか否かが才能の分かれ目』であり、具体的には他人や世界主体で物事を考えず、自己中心的に振舞う事が出来る者こそが、魔道師として力を存分に振るえるのだ。
秀才の群れと揶揄される魔道師ギルド。
それに属さない高位魔道師はほぼ全員が無政府主義、或いは積極的虚無主義を掲げていた。どんなに努力を重ねようとも、当然のように自身の思想や目的のために他人や秩序を犠牲にする発想が出て来なければ、結局は凡人上がりの秀才止まりで終わってしまう。
そういった意味では、イグニスは "才能" に関しては文句の付け所も無いほどの魔道師であった。
「という事はだよ? ほぼ万能である魔法を脅かすほどに、この世界は勇者サマが啓蒙する価値観や技術に依存している。この世界由来の技術や文化は据え置かれて、 "他所から入った" "他所での成功例" のみを受け取り成長する文明圏。割とクソだよね。」
勇者サマ、という言葉に思い切り厭味を込めつつも、十五歳とは思えないような視点で物事を語る|イグニス。それもその筈、彼がこの世界に転生した時、既に高校生並みの知識を有していたのだ。通算では三十を過ぎた頃だろう。
それは目の前でフゴフゴと相槌を打つブゥータも同じである。
「……つまり、お前が言いたいのは、魔法技術が正しく発達していたら汗水たらして薪割りをしなくとも、お前みたいに思念一つで風呂が温まる快適な生活が出来ていた可能性があったのかも……って話か。」
ああ、と頷くイグニス。そしてもう一言付け加える。
「この世界ってさ、そういう所が凄く胸糞悪いんだよね。外から来たよく分からない誰かの価値観で好き勝手にかき回されたりするの、本当に何やってんだかな。」
その余計な一言を耳にしてしまい、ブフッと鼻を鳴らすブゥータ。着眼点とそこから見出す結論まではいいのだが、このご同輩の主観はどうしようもないほど歪んでいる。
この悪癖さえ無ければ、奴を取り巻く友人関係が多少は改善するのだろうが、とブゥータは心の中でぼそりと呟いた。
そんな考えなど露知らず、魔力の篭った目線で薪に "命令" し、猫車に積んでいくイグニス。
この年齢の魔道師ならば、予め魔力を込めておいた魔杖――上位魔道師には指揮棒と皮肉られる――を扱う事が多い。また冒険者や開拓者として最前線で活動する者は、腕の動きや指での指示での補助を必須とした。
無論、これらの手間はイメージ力の強化だけでなく、魔法という万能兵器に取り付ける 【安全装置】 の意味合いも強い。
それ故に、動作を必要としない魔法の行使は多大な危険を孕むのだ。狂気に陥った魔道師の被害妄想と結びついた魔力が、現実世界のあらゆるものを無差別に変質させる 【発狂事故】 は、規模によっては魔王災害にも匹敵する被害を引き起こす事も少なくない。イグニスのやり方は、ゆるい田舎ならまだしも都会では厳罰に処される禁忌の一つだった。
だからこそ、僅か十五歳でこの熟練度ならば準一流と言ってもいいだろう。真の一流は、目線すら動かさずに願いのみで地形を切り崩し、他人を呪殺するのだが、イグニスはそこまで人並み外れた外道ではなかった。
「この薪を納屋に置いたら食堂に行こうと思うのだけど、どうする? まだ割りたいなら適当に先生の目を盗んでちょろまかしてくるけどさ。」
そうすればもう一食分余分にお腹に詰めれるからなと言った後、邪気の無い笑みではははと笑うエルフ。この孤児院には財布に余裕が無く、余分に食べられた分は誰かが飢える事となる。悪趣味な冗談を飛ばしてくる友人、いや悪友に促されてブゥータはしぶしぶ労働の手を止めた。
白く燃える太陽は青空と雲を共に引き立たせ、身体を撫でる風は木々を揺らして木漏れ日を煌かせる。
いずれ魔王に成長する者らがこの場に存在するとは思えぬほど、平和な一日があった。