「魔王の器」
ある晩、開拓村の孤児院を二人のエルフが訪れた。
その腕には日光で紡がれた金糸のような産毛が生えた、可愛らしい乳児が抱きかかえられている。
「夜分遅くに申し訳ありません、此処では望まれぬ赤子を引き取って頂けると聞いたのですが……。」
目を伏せ、睫毛を涙で濡らしながら母親は問うた。父親と思われる男性のエルフは、どこか居心地が悪そうな顔で腕を組み、壁に背を預けている。
赤子は重苦しい雰囲気など意にも介さず、目を開けてじっと母親を見つめている。甘えの仕草や態度を一斉匂わせず、ただ眺めるだけの素振りで、両親を、部屋の中を、あるがままに観察していた。
「どうやら私たちの子供は、魔王の器なのかもしれぬのです。」
魔王の器、とは。
この世界には、72柱の魔王が存在する。
何度倒しても、全く脈絡の無い別の場所で代替わりし、復活する。
魔王は人を囲い、その権能を存分に行使し他者を堕落させるものである。
いやそれは魔神と呼んで区別するべきであろう、魔王とは人に害をなす者のみを指すべきだ。
異論極論あるものの、あえて一言で定義するのならば 【精神・肉体共に逸脱した異形の者】 だろう。
その器となる人間の多くは、誕生した時から既に終わっている。
肉体が未成熟というだけで、その精神は鬱屈し、破滅願望があり、何もかもを憎んでいる。この世界に転生する前に何があったかは、言葉を喋れるまで成長した後でさえ、彼らは語りたがらない。
ただ一つ言える事は、魔王の器と呼ばれる者らはある日突然、魔王として覚醒するという事実。その中には当然、人と友好的に過ごそうと努める者もいるのだが。
目の前の赤子、その中身が一体どんな魔王なのかは、その日になるまで分からない。
人並みの親には到底荷が重過ぎるのだ。
誰が好き好んでそんな爆弾を抱え込もうというのだろうか?
事実として、この孤児院には既にもう一人、魔王の器の疑いがある赤子が捨てられていた。半獣人。好き好んで交われる相手では無いだけに、望まれぬ行為の末に玄関に投棄されたと表現した方が正しいだろう。
これらの子捨ては、自身が腹を痛めて生んだ子供だから、その命を奪いたくないという親心ではない。
魔王はその対となる人間――勇者の称号を与えられた者――が、異世界から来訪するまで決して殺せないのだ。 "あらゆる手段" を用いて無力化しようと試みたが、無意味だったとの事。
それ程の厄種でありながら、むざむざ生かすしかないという矛盾。この世界は赤子とそれを取り巻く人々の運命すら、人ならざる者の手に委ねられているのだ。
「どうか……、この子の面倒を見ては頂けないでしょうか。最早此処しか頼れる場所が無いのです!」
「私からもどうかお願いします! 既に別の器がこの施設で育っていると聞いています、もはや我々の手では……。手に負えないのです。」
山の様な自尊心と文字通りに名高いエルフに深々と頭を下げられ、対応した院長はため息をついた。新しく引き受ける子供に向けてではなく、何処からそんな話が洩れたのか、と。
「分かりました、引き受けましょう……。ですが、この事は他言無用。一切外部に漏らしてはなりません。貴方がたにその情報を伝えた方にも厳命しておいて下さい。誰にも伝えてはならぬ、と。」
心無い人達に知られれば今居る子達のみならず、この子の未来すら危うくなるでしょうから、と院長は続けた。
その言葉に両親は顔を見合わせ、その言葉の意味が分かるとまた深々と頭を下げた。ありがとうございます、ありがとうございますと涙を何度も口にする両親を見やり、院長は苦笑した。
「大丈夫ですよ。東方には人間と共存し、力を貸し与える魔王が多く居ると聞いております。この子らがそうでないと誰が言えるのですか? 私たちは全ての子供に平等に接します。」
院長は目の前の相手に優しく微笑み、そしてふと気が付いたように両親に問いかけた。
「そういえば、この子のお名前を聞いては居ませんでしたね。どういった名なのですか?」
「ああ、それなら "火" と――」 「マコト。」
小さな、それで居てはっきりとした声。
息を呑む大人達を値踏みするかのように、その乳児は夕焼け色の目で、冷淡な眼差しを向けていた。