プロローグ2:思ひ出でボロボロ
「ほっほ、驚くのも無理はないかもしれんのう。
何せ、わしを超えろ、と言っておるのじゃからな」
驚いて固まる俺をよそに、してやったりと言わんばかりに楽しそうに笑う魔王様。
さ、流石に冗談だよな? 俺みたいな貧弱経理が隠しボスとか、現実感が無さ過ぎて笑う事すら出来やしないぞ。
「は、はは……本当にお人が悪くございますよ魔王様。
ええと、この件はそちら──隠しダンジョンへの異動という事でよろしいのですか?」
その態度に、この現状に。現実感を得られない俺は恐る恐ると言った様子で笑顔を作った。
無論、苦笑にも満たないようなぎこちない笑顔だ。
これはきっと、アレだ。新しいダンジョンが軌道に乗るまで俺を経理として派遣するという事だ、多分。
快活に笑う魔王様と、表情一つ変えないソフィア様。そしてぎこちない笑顔の下っ端経理である俺。
考えてみたら、凄いメンツの中にいるんだな、俺。
魔界最強と、魔界で五指に入る実力者を前にしているのだ、俺が勇者だったら絶望して故郷に帰っているね。
……だが、笑う魔王様が続けたのは、現実逃避という逃げ道をふさぐ強大な要塞の如きお言葉だった。
「うむ、まあ異動と言うよりは栄転かのう。お主の中に眠る才能を見た青田買いとも言うな。
何より、このソフィアのお墨付きじゃ。
……そろそろわしも年である。後続の育成を進めたいと思ってな」
なんか妙に買われている!?
そしてソフィア様、貴女の眼は節穴なのでございましょうか!?
確かに俺は種族で見たらエリートもエリートだ。だが俺は戦いを避けてきたヘタレ。
下手すれば出発直後の勇者にも負けるような雑魚魔族でございますよ?
そんなヘタレが今更魔王様にお墨付きを貰ったからと言って「そうか……これが俺のあるべき姿だったのだな……!」ってな感じに第二形態に覚醒するなんてありえない。
しかし、逆に言えばその程度の俺に魔王様がご期待くださっているのも事実。
断るに断れない。矛盾した思いが強まっていく。
「なあに、気負う必要はないぞガローズ。
最初に、ソフィアとお前に頼みたい、と言ったろう。
新しいダンジョンの初期人員にはソフィアも入っておる。
自信が持てぬのなら、しばらくの間は戦闘をソフィアに任せるのもよろしい。
わしもまだ後200年は負けるつもりはない。そのうちにたっぷり鍛錬すればよかろうて」
こうして、励ましてもいただけているしなあ……
魔王様に励ましを貰うなんて、現実的では無いほどに幸運な事だ。
……やっぱり断れないな。
やれることは、やれるだけやってみよう。
「……魔王様のお言葉、この上無くありがたく感じます。
未熟の過ぎるこの身ですが、ご期待に添えるよう全力を持って当たらせていただきたく思います」
そう、それに魔王様の仰っていた通り、魔王様が負けるなんて考えられない。
長い時間をかけて、ご期待に添えるようになればいいのだ。
ダークマージと言う中級種族の出ながらに、血の滲むような努力で最強の座を手に入れた魔王様だ、俺だってエクスキューショナーのはしくれ。やってやれない事はない筈!
「うむ、その言葉を待っておったぞガローズよ」
満足そうに頷く魔王様に、選択は間違っていなかったと認識させられる。
魔界最強になれる、なんて思ってもいないが、恩には全力で報いるが忠義。
結果はどうあれ、走るだけだ。
目指すは魔界最強──現実的ではないが、諦めている内は目標に到達なんてできっこない。
決意を新たにし、俺は新たな挑戦への闘志を燃やす。
「いい眼をするようになったな。
……よし、それではソフィアや」
俺の眼を見た魔王様が、満足げにほほ笑んだ。
これだけでも身に余る光栄だ。
威厳ある声に呼ばれたソフィア様が、前に歩み出て、魔王様の御前に立つ。
恭しく一礼をしたソフィア様が、俺の方へと向き直る。
……ソフィア様か。宵刻姫として恐れられる最強のヴァンパイア・ロード。
これからはこのお方が俺の直属の上司になるのだろうか。
すっかりしみついた新入構成員としての俺が、そんな事を想う。
だが、直後に俺は自分の引き受けた事の起こす事象を理解する。
なんと、魔界最強の少女が。宵を刻む姫との異名を持つLv120のヴァンパイア・ロードが。
魔王様にして見せたように、俺へと深く頭を下げたのだ。
「只今よりガローズ様専属のメイドを務めさせていただきます、ソフィア=トラジディでございます。
どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」
あまりの事に頭がフリーズする。
……さっき、魔王様なんて言ってたっけ。
そうだそうだ、隠しダンジョンの長になれとか仰ってた筈だ。
つまりそれって。
一緒にダンジョンに行く宵刻姫ソフィア様の上司になるってことなんじゃないの?
「うえええええ!?」
熟考の末に自分が引き受けた大役が、予想以上に大きい責任と地位を伴っていた事に、ガローズ=オラシオンはようやく気がついた。
経理としてこの頭の回転の遅さってどうなの? とは思うが一流ダンジョンの、とはいえぺーぺーの新入構成員が、魔界のカリスマと称される宵刻姫ソフィア様の上司になるとか誰が夢想だにしようか?
人間で例えるなら大陸最大クラスのギルドに加入したばかりの新人が、ギルドマスターを顎で使う立場になったようなもんである。
現実味すっ飛ばして、取り返しのつかない事をしてしまった感が止まらない。
「あ、あの! 私めはソフィア様にそのような接し方をされるほど優秀な魔族ではございません!」
慌てふためき、却って礼を損してしまう。
大仰に手を振るって混乱する俺は、さぞかし滑稽だったようだろう。
「そうは仰っても、ガローズ様はこの任を引き受けて下さった時より私の主となっています。
……主に対し、礼節を尽くすのはメイドの──いや、魔族としての礼儀でございます」
首をかしげるソフィア様。持ち主の頭が揺れる事により、蒼銀の長髪が輝く風を形作る。
駄目だ、話が通じない。いや、今の俺が言う事でもないけれど!
そもそもソフィア様がこの俺の下に付くってことがありえないんだってば!
余計に混乱を深めていく俺。優しげな笑みだった魔王様が、困ったような楽しそうな笑いを湛えている事に、横目で気付く。
「ほっほ、ソフィアや。お前さんにそんな風に接されたら誰でもそうなるじゃろうて。
とはいえこればかりは慣れてもらわん事にはのう。
まあ気負うでないガローズ。聞けばお主たち、幼馴染と言うではないか」
それ100年近く前の話でございますよ!?
だが、そういえばそうか。俺達幼馴染なんだっけ。
魔王様の言葉に、一瞬落ち着く俺だが、すぐに気付く。……今更関係無いわ!
「し、親しき仲にも礼儀あり、でございます魔王様。
ソフィア様は──」
「昔のようにソフィーとお呼びくださいガローズ様」
俺とソフィア様では、同じ場所に勤めているが天地ほどの地位の差がある。
それを伝えようとした俺だったのだが──
呼び名に凄まじい速度で反応をしたソフィア様が、名前を言い終わった直後に俺の言葉を遮った。
……どうすりゃいいんだ。
いくらソフィア様の命とはいえ、あだ名で、しかも呼び捨てなど出来ようはずもない。
妥協点を探り、魔王様に進言して、ソフィア様に自らの立場を認識していただくしかない。
「そ、ソフィ-様は──」
「ソフィー」
だめだ、ふうさつされてやがる。
このままじゃ、ソフィーと呼ばない限り名詞を出させてもらう事すら出来やしないだろう。
「ほっほっほ、ソフィアが良いと言っておるのだから良いのじゃよ。
それにこれからはソフィアはお前の部下なのじゃぞ? まずは呼び名から慣れるのもいい手じゃと思うがな」
「……ぐぐ、それがおかしいのです魔王様。魔界のどこにLv7に付き従うLv120が居ると言うのでございますか?」
「ここにおりますよガローズ様」
もうソフィア様は黙っていてください。話が進まない。
「私がソフィアさ──」
「ソフィー」
「……ソフィーの部下になるというのなら解りますが、どう考えてもおかしいではございませぬか」
いつまでたっても話が進まないので、恐れ多い存在を呼び捨てにする恐怖から来る胃痛に耐えながら、なんとか進言する。
魔王様は、この混沌とした状況を楽しんでおられるようだ。
結構「楽しければいい」処がある魔王様だ。なんとかこの状況の重大さに気付いてほしいもんだが──
「そうは言うがのう。ソフィア自身の願いなのだから仕方がないではないか。
幼いころに約束したんじゃろ? 魔界最強になって魔王になる! とのう」
子供の恋愛をみるかの如くにやにやと笑う魔王様。貴方様への威厳が壊れていきますよ。
しかしそんな事言ったか? この俺が。
……うーん。
言ったわ。
そういえば昔ソフィーと遊んでいる時、まだソフィーが泣き虫ソフィーと呼ばれていたころの話。
近所の悪ガキにソフィーがいじめられているのを助けた時だったか。
いつまでも泣きやまないソフィーに俺は確かこういった。
『泣きやめソフィー! おれが魔界最強の王になって、お前を守ってやるから泣くな!』
記憶の中の、幼き俺の声と、ソフィーの声が重なった。
……まさかソフィー様、一字一句間違えず覚えていたと仰るのでしょうか?
そしてそれを今言ったと? 魔王様の前で?
「……と、幼き日のガローズ様は仰ったではありませんか」
腰に手を当て、どうだ? と言わんばかりの顔をするソフィー。
う、うわああああああ! 黒歴史やめて! 若かったの! 俺若かったのぉ!
両手と両膝を付き、俺はうなだれた。
うああ……キッチリ覚えていたって言うのか……ソフィー……
「されど何時まで待ってもガローズ様は立志なされない。
それではその夢をお近くでサポートしようと強くなった私が馬鹿みたいではございませんか。
そこで私は魔王様に進言したのです。次代の魔界を担う人材の育成プロジェクトに、是非ガローズ様を、と!」
つまり全部ソフィア様の……いや、俺の招いた結果だったというのか……
「逃がしませんよガローズ様。貴方様には魔界最強となって、私を守っていただかねばなりません」
頬を赤く染めたのを見られまいとしてか、両の手で頬を隠すソフィア様……否、ソフィー。
言葉通り、逃げられない事を俺は悟った。
上級種族ヴァンパイア・ロード最強の少女を前に、一体どう逃げきれと言うのか。
っていうかもっと言うなら魔界最強の女性をどうやって守れと言うんだ。
俺に出来るのは、もはや強く生きる事だけだった。
「話は纏まったようじゃな。
なあに心配するでないガローズ。いくらソフィアの頼みといえど、何の打算もなしにLv7の少年に眼を掛けたりはせぬよ、自信を持ちなさい。
……さて、ではこれ以上こじれる前に話を終えるとするかの。
今日のところは休みなさいガローズ。追って予定を伝えよう」
「今はまだ魔王様のメイドである私は仕事に戻らねばなりません。
ですがこれからはずっと一緒でございますよガローズ様」
現実感のないコンビから放たれる、現実感のない現実。
現実から逃避しようにもその逃げ道は封鎖され、逃げ出そうにも追手が居る状況だ。
一体どうしたらいいのかもわからず、俺はとぼとぼと玉座の間を後にした……