其の二
「まほ!?」
「……っ」
肩が、熱い、です。
「何て無茶するんですか!?ああもう、姫神!浴室に行ってタオル濡らして絞って持ってきなさい!」
「わ、分かったのじゃ!!」
「とっさに弾いたから良い物の、下手したら貴女は死んでいたかもしれないんですよ!?聞いていますか、真帆路さん!!」
勇者様の、そんな表情を初めて見ました……。
眉根を寄せた真剣な表情。
それはまるで、私の事が心配で心配で堪らないと言われている様。
座り込んだ勇者様に抱きかかえられ、顔を覗き込まれながら、私はそれがとても嬉しかったので、つい微笑んでいたのです。
「大丈夫です、勇者様」
優しく頬に触れて来る手をそっとどけて、私は立ち上がりました。
「何が大丈夫なものですか、痛かったでしょう……?肩、傷が残ってしまうかもしれません。………私は…貴女を守り切る事が出来なかった。普段あれだけ言っておきながら……。本当に、申し訳ありません」
「そんな、謝らないで下さい。大丈夫だと理解していたくせに、勇者様の事を信じていた筈なのに、とっさに飛び出してしまった私が悪いんです。だからそんなにご自分を責める様な真似、なさらないで下さい」
「しかし……」
勇者様は、ここへ来て初めてと言って良い位、物凄く落ち込んでいました。
「大丈夫ですよ。ちょっとくらい傷が残った所で、どってことありません。もし残ったとしても、この先“売れる”予定はありませんから、問題無いです」
そう言うと、勇者様は「そう言う問題じゃないでしょう」と言って、がっくりと肩を落とされました。
……というか、
「むしろ普段の勇者様なら、この機会に『責任取る』とか言い出しそうなものですが……」
首を傾げたら、何故かムッとされました。
「一体貴女は私の事を何だと……。取って良いなら、そりゃ全力でとらせて頂きますがね?」
え、ええと?
口元は笑みを浮かべているのに、何で怒っている様に見えるんでしょうか?
勇者様が私に手を伸ばして―――、って、このままでは何かマズイ気がしますよ!?
「……逃げないんですか?」
ひっ!?
囲われる寸前、勇者様の端整な顔が耳元に近づいて、低い掠れた声が吹き込まれます。
うあ、ぞあっとしましたよ!?今!!
思わず鳥肌が立って余計固まった私の後ろから、突如声が響きました。
「あーっ、勇者!まほに手を出すでない!怪我人じゃぞ!?分かっておるのか!?」
その声に私は吃驚したものの、おかげで硬直が解けました。
しかし逆に勇者様はびくっと固まって……。
「じゃ~し~ん~~~~」
ひいっ!?
勇者様にお会いして4ヶ月以上経ちますが、これほどの威圧感を感じたのは初めてです。
勇者様は私から離れると、姫神様の方へゆっくりと歩き出しました。
………何故今私は、狩る勇者様と狩られる姫神様の構図を見ているのでしょう……?
「邪神」
「ひっ!?」
あの、いつも傲岸不遜な姫神様が本気で怯えている所を、私は今、生まれて初めて見ている気がします。
勇者様は姫神様に近づくと、そのまま頭をわしっと捕まえ、
「あなたがそれを言いますか」
「み、みい゛い゛い゛い゛い゛い゛!!わ、割れる、われるううううう!!!」
「もう一度同じことをやるなら、今度こそ本気で討伐しますよ」
「す、すまんのじゃー!ごめんなのじゃー!もうしないのじゃー!!!」
我に返った私が慌てて間に入ると、勇者様は渋々、といった感じでその手を離してくれました。
一方姫神様は、手を離されると同時に私の元へ駆け寄り、大泣きです。
それからしばらく勇者様を見ると、びくっとして私に隠れてしまうので、何だかまるで他人に慣れない小動物みたいでした。
ちょっと可愛いとか、嬉しい、なんて口に出して言える雰囲気でも無かったので、口には出しませんでしたが。
勇者様がたちどころに不機嫌になってしまいますからね。
あれから数日後。
「まったく、そもそもあなたが神力のコントロールが出来ていないのが原因なんですよ。分かってますか?」
「そ、そうは言ってものう」
勇者様のお小言は、まだ完全に終わった訳では無かった様です。
気がつけば姫神様は、いつの間にか勇者様の前で正座していました。
この間の、相当怖かったみたいですね。
「出来なければ一生ゲーム断ちですね」
「そ、それは嫌なのじゃ!!」
勇者様からの最後通告に、姫神様は顔色を変えて猛抗議です。
「いいですか?あなたがそうやって真帆路さんにごねるから、私が真帆路さんと過ごせる二人っきりの時間も、碌に取れない有様なんですよ?」
「そ、それは良い事じゃろうが…」
「良い訳ありますかこのロリ邪神。良く考えなさい、利害は一致しているんですよ?」
「ぬっ!?」
「あなたが神力をコントロールさえできれば、あなたはゲーム機触り放題、私は真帆路さんとゆっくりとした時間が持てる。………という訳で今から早速修行始めますよ」
「う?え?うえええええええええっ!?」
まさかの修行宣言でした。
………それって普通、神と人間の立場が逆じゃありませんか?
「霊力と神力。多少の違いはあれど、元々は祖を同じくするもの。しかし、違いとは言ってもこれくらいの些細な物ならば、さして問題はありません。力の調整方法はエクソシストにとっては義務教育、言ってみれば小学生レベルですからね。お子様邪神にはちょうど良いでしょう。この機会にみっちりお勉強して身に付けて貰いますから、そのおつもりで」
「いー、いやじゃー!勉強キライー!!」
「何子供の様な事を、行きますよ」
「うわーんっ、まほー、まほー!!」
洗濯籠を抱えて通りすがっただけの私には、話に口を挟む間もありませんでした。
こうして、勇者様による神力技能向上の為の、特別短期コースが開催される運びとなったのです。
最初こそ何かやらかす度に、勇者様のカミナリと姫神様の泣き声がワンセットで聞こえて来たものですが、相変わらず飲み込みだけは妙に早いらしく、3~4日もすれば褒められている所を目撃する様になり、1週間経つ頃には暴走の気配なく勇者様と対等に渡り合うほどに成長されている様でした。
そんな中、私はと言えばちょっとだけ疎外感を感じていました。
現在昼間のほとんどは、勇者様と姫神様の2人で特訓に当てられています。
わたしは1人家事をこなすだけ。
それに、食事の際はいつも通り3人でとるのですが、その時の話題も今日の特訓の反省や今後の方針についてである事が多く、門外漢の私には分からない話も多かったのです。
もちろん、そればかりだった訳ではありません。
でも、今までいつも2人して「まほが」「真帆路さんが」と構い、慕ってくれていた事を思えば、私が僅かにでも寂しいと感じるには十分でした。
今の私はまるで子供の様です。構って貰えなくて寂しいだなんて。
お互い今まで以上に仲良くなり、姫神様は勇者様を頼りにし、勇者様の方は姫神様を「姫神」と呼ぶ様になりました。
姫神様の手が離れ、勇者様にもあれこれ気を使われなくなり、私は落ち着いて家事に専念出来る様になりましたから、良い事の筈なんですがね。
もしかしたらこの巫女としての役目も、そう遠くない内に終わりを迎えるのかもしれません。
今のまま行けば、姫神様は遠からず自分の力を完璧に使いこなす事が出来る様になるでしょう。
そうすれば、もう邪神として封印される理由も無くなります。
ちっぽけなこの島にこだわる理由はありませんから、恐らくどこか別の場所に大社を構え、たくさんの巫女にかしずかれる事になるでしょう。
邪神認定が取り消されるのであれば、あるいは弟妹である3貴神(スサノオ様は現在地上で農家をされているので、2貴神という事になるのでしょうか)のいらっしゃる、高天ヶ原に行く事になるかもしれません。
ほっと、すべきなんでしょうね……。
出て来た溜息は、ほっとするとは程遠いものでしたが。




