掘り出し物タオル
ショートSF作品です。
短編なのでサクッと読めると思います。
よろしくお願いします。
男は生きることに疲れていた。
仕事場では上司に小言を浴びせられ、家に帰れば妻に嫌味を言われる毎日。安らぎを与えてくれる場所は無く、男は自分が日に日に疲弊していくのを実感していた。
このままでは精神的な過労で死んでしまうと男は将来を危ぶんでいたが、どうしたら改善できるのか分からない。だから男は、何も考えずにブラブラと散歩をしてみることにした。そうしたら何か解決策が浮かぶような気がしたからだ。
仕事帰りに電車に乗らず、家まで徒歩で帰るという行程。もしかしたら現状を打破するチャンスが道端に転がっているかもしれないと淡い期待を抱きながら、男は見慣れない道を歩く。
すると、途中で一軒の骨董屋を見つけた。店の前には一枚の張り紙があり、
『あなたに最適な物品を紹介します』
という謳い文句が書かれていた。
男は誘われるように店の中へ入っていく。店内には怪しげな品が四方八方に置かれていて、混沌とした空気を醸し出していた。
「いらっしゃい。初めてのお客さんネ」
声のする方向を見ると、ニットキャップを被った老齢のおじいさんがカウンター前で座っていた。
「あなた、慣れない仕事で疲れてるネ。顔に出てるヨ。そんなあなたにオススメの品あるネ」
店主らしいおじいさんは男を見るなりそう言い放つと、カウンター裏から一枚のタオルを取り出して男に見せる。
「これは洗浄タオルといってネ、顔に擦りつけるだけで疲れやストレスを拭きとってくれる魔法のタオルなのネ」
「ふーん、たったそれだけで疲れが取れるのかい」
「そう、その通りネ」
「どれどれ」
そう言って男が店主の顔にタオルを擦りつけようとすると、店主は驚いた顔をして、そのタオルを思い切り手でたたき落とす。
「な、何するネ!」
「何って、これで疲れをとらせようと……」
「わ、私は今疲れてないネ! これは疲れている人じゃないと効果がないネ!」
「じゃあストレスを和らげるためにも一回使ってみて……」
「私にはストレスなんてないネ!」
これだけ怒りっぽいのにストレスがないなんて信用できるか、と男は思いながらも、興味本位でこの『洗浄タオル』とやらの値段を聞いてみた。だが店主が提示した価格は、男の想像していた価格を軽く二桁上回っていた。正確には百万以上。
「たとえ骨董屋といえどもこの価格はぼったくりすぎる。話にならん」
そう吐き捨てて帰ろうとする男を、店主が慌てて引きとめる。
「じゃあ、お試し。このタオルを一回だけ試してみるネ。買うか買わないかはその後で決めていいネ」
必死になって勧めてくるので、男はこのタオルを渋々使ってみることにした。触ってみたところ、肌触りは市販のタオルとあまり変わらない。変わっているのは、両面の色が別々なところぐらいだ。目の前に見えている表面が青色、裏面が赤色。これほど色が両極端なのも珍しい。
早速タオルを顔に擦りつけてみる。
するとその瞬間に、身体中に溜まっていた憑き物が吸い取られる感覚が全身を駆け巡った。驚いてタオルから手を離す。たった数秒の出来事だったが、以前と比べて確かに体調は回復していた。沈んでいた気分も高揚。将来のことも楽観的に考えることができる。ネガティブな思考はどこへやらで、身体の一部となっていた胃の痛みも知らぬ間に収まっている。
タオルで顔を拭いた瞬間、確かに男を蝕んでいたストレスが綺麗さっぱり無くなった。店主はニヤリと笑って、男が落としたタオルを丁寧に拾い上げる。
「効果は即効性。タオルは何回も使えるネ。これでこの価格は安いと思うヨ」
男は急いでATMから現金を引き出し、この洗浄タオルを一括払いで購入した。
タオルを鞄に入れ、男は満ち足りた顔で家へ帰ろうとした。だが途中で運転の荒い車が水溜りの上を猛スピードで走行し、水しぶきが男のスーツにかかった。全身水浸しになった男はもちろん憤慨し、イライラが再発した。
結局スーツをクリーニング屋に持って行くことにして、帰ったのは夜遅く。共働きなので妻はまだ帰ってきていない。
イライラを解消するために、男は早速あの洗浄タオルを使うことにした。あの店主の言う事が確かならば、このタオルは何回でも使える。それを証明するために男はタオルを顔に擦りつける。すると、さっきまでのイライラが嘘のそうに解消された。
「本物だ」
男は良い買い物をしたことと、ストレスのない清々しさが相まって、今までにない幸福感に包まれた。
その時、玄関のチャイムが鳴って妻が帰宅した。男は妻にもこの幸福を与えてやろうとタオルを持って駆けだした。妻はシステムエンジニアという職についていて、毎日残業をさせられている。その休息のない窮屈な毎日は、夫婦の仲に少しずつ亀裂を生み出していた。
このタオルさえあれば、妻と元通りの生活を送ることができる。そんな理想を夢見ながら、男は玄関で立ち尽くしている妻にタオルを差し出した。
外は雨なのか、妻はびしょ濡れだった。妻は差し出されたタオルを無造作に受け取り、顔についた水滴をふき取る。顔に接しているのは赤色の部分だった。
そして、妻の表情は一変した。ふくれっ面だった顔は般若の如く怒りに満ちて、目には憎悪の炎が灯されていた。そしてタオルを投げ捨てると、間髪入れずに男に跳びかかり、馬乗りになる。そして華奢な腕に似合わない力で男の首を締めあげる。何が起きているのか分からない男がそのまま心停止するのに、時間はそれほどかからなかった。
雨の中、家にいるのは一人の女性と死体が一体。妻は顔を青ざめさせながら、躯となった男に呟く。
「あなたがいけないのよ。あなたが相談も無しに銀行から大金を引き出すから」
骨董屋の店主は、淹れたてのお茶を口に運び、厄介なものを処分できて良かったと胸を撫で下ろしていた。
店主は、洗浄タオルについての諸注意を、あえて男に伝えなかった。実はこのタオルは、青色の部分は疲れやストレスを洗い流す効果があるが、赤色の部分は逆に疲れやストレスを増幅させる効果がある。この両面の色の効果は繋がっていて、青色の生地を使えば使うほど、赤色の生地の効果も比例して増幅していく。
おじいさんも暇な時には青色の部分を顔に擦って使用していたので、赤色の部分の効果は限界にまで達していた。
洗浄タオルは、使いどころを誤ればもろ刃の剣にもなる欠陥品であった。
雨の中、男の妻はボンヤリと死体を見つめていた。仕事の疲れ、銀行のお金を相談も無しに使ったことに対する怒り、そして店主による溜まりに溜まったツケが合わさってこの行為に及んだことを、彼女は知る由もない。今はただ、愛していた夫を殺したという罪悪感に苛まれていた。そして彼女は、男の死に顔と目が合わないよう、手元にあったタオルを男の顔に被せることしかできなかった。
男の顔に接した生地は青色。
後に訪れることになる警察の人間は、妻に殺されたのにこれほど満ち足りた顔で逝くのは珍しい、と不思議がることになる。