第十二話
互いのグラスが空になったことを確認した後、俺たちは再び注文パネルに触れて、それぞれが飲みたいものを選んでいく。田口も流石にビールに飽きたのか、ほかのものをチョイスするようにしたけれど、そのうえで選んだものは度数の高い日本酒だったから、どこか酒豪だな、という感想を抱いてしまう自分がいた。
俺は少し情けないと感じながらも、結局甘めのカクテルしか飲む気にはなれなかった。度数が低い、高い、とかは関係なく、自分の好んでいる味が飲めないことについて我慢ができない、そんな感覚で飲み物を注文していた。
「それにしても、あいつらの今ねぇ……。本当に聞きたいと思ってんの?」
「……それなりには聞きたいと思ってるよ」
それは心の底から出た言葉ではないことを自分自身で理解している。あくまで建前として出た振る舞いに自分をかぶせているだけで、正直それ以外に興味関心なんて生まれるはずもない。それらしい対応が今必要だと思ったからこそ、俺はそれを選んだだけに過ぎなかった。
俺の言葉に訝しいような表情を浮かべる田口だったが「まあ、いいか」と諦めたような一言をこぼした後、しばらく考え込むようにする。注文パネルで操作をしてから数分も経っていないのに、その頃合いで注文した飲み物は運ばれてくる。机に置かれた各自の飲み物を取り合いながら、そうして田口は口を開いた。
「まー、最初は久瀬の話からするべき、ですかね?」
「……」
久瀬って誰だっけ、と言葉を返しそうになったけれど、間一髪のところで声を押し込んでみる。だが、俺のそんな気持ちを見抜くように田口は「今、だれだろう、とか思ったっしょ」と睨みつけた。俺は苦笑で返すしかできなかった。
「久瀬はあいつですよ、生徒会の書記やってた女子。ほら、打ち上げの時に空気読まない発言をしたあいつ」
「……ああ」
その発言でひとつ思い出す人影があった。顔については詳細には思い出せないものの、それでもその役職にあった人間がいたこと、そしてそんな振る舞いをしていたことは鮮明に思い出すことができる。……そして、自分が行ってしまった場を凍り付かせるような発言についても容易に。
「あいつは大学に入って一年目で彼氏ができたらしいっすねー。まあ、地味な見た目はしていましたけれど、大学に入ってから垢抜けたからかな、五月の段階で彼氏作ってて、今もその彼氏と仲良くしているらしい、とかなんとか。よくインスタのストーリーで彼氏とのツーショットとかあげているけど、あのままの流れなら結婚とかするんじゃないすか」
「へえ」
安易に相槌を打った。正直、本当に興味がなかったからこそ、特に考えるまでもない息をついたことを自覚した。そんな俺の振る舞いに田口は何かを返してくるかと予想したものの、その期待は外れるようにして、彼は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「というか、だいたい進学した女子って一年目には彼氏作って幸せそうにしてるんだよなぁ。俺なんか誰も恋人ができる気配とかないし。いつも彼氏持ちの女が俺に相談してくるの、本当にきついからやめてほしい……」
「……いやあ、それは、まあ、ほら、田口が頼りにされていることの証明だから」
震えた声で返せば、それに向きになるように、けっ、と唾を吐く勢いで声を返してくる。
「それで恋人ができなければなんも意味ないんだよ。俺が欲しいのは相談される器量じゃなくて、頼れるからこその求められる恋人像っていうのかな。そういうやつなんだよ」
「……はは」
よくわからないから、結局乾いた笑いを浮かべることで誤魔化した。きっと俺がこれ以上に何か言葉を尽くしたとしても、文句だけが返ってくるのは目に見えていたから。
「それで、その。……深夏は、いま、どうしてるんだ?」
どうでもいい話をこれ以上に広げても意味がないから、俺はさっさと押し流すように深夏の名前を出してみる。別に彼女についても無関心の度合いは変わらないはずだけれど、それでも書記の子の現況よりかは興味が惹かれていることは確かだった。
……興味が惹かれている?
そんな実感が俺の中にあったことを、俺は少し驚きながら俯瞰で見つめていた。
「深夏先輩は……」
俺の言葉に押し流されるようにして、田口は口を開いていた。口を開く最中、手元にあった日本酒を半分ほど飲むようにしているから、そんな勢いで飲んで大丈夫なのか、と不安になってしまう自分がいる。少しずつ目が据わってきているような雰囲気のある眼力に、俺は何かを言うことはできなかったけれど。
「……」
そして、彼は口を開いているはずなのに、それ以上に何か言葉を続けることはしなかった。その視線は一対一である俺に向けられていたはずなのに、結局それは俺から逸らされてしまって、中を見上げるようにしていた。それは思い出していいる、ということをこちらへと示しているような気がするし、もしくは言葉を迷い続けている、言いあぐねていることを示しているようにも感じた。
それからしばらく沈黙が蟠った。
田口はそれから携帯を覗くようにした。ソーシャルネットワークサービスで深夏の動向を追いかけるようにしているのかは定かではないが、言葉が止まった以上、そうして彼女の存在を見つけようとしていると思いたかった。俺は俺で彼の邪魔をしないようにして口をはさむことはしなかった。ただ、沈黙によって喉が渇く感覚は増していくような気がして、手元にあったカクテルを一気に頬張るようにした。
少し重みのある感触が胃の中に落ちていくような気がする。沈黙の中に閉ざされれば、それだけで自分の感情と向き合う時間がやってくる。
あまり好きではない時間。いつだって向き合いたくないと考えていること。先ほども考えてしまった深夏に対する興味、関心。それらについて。
彼女のことを振り切っている、もう振り返らない、だからこその無関心を貫き通している、とそう考えているからこそ、俺はこうして大学生活というものをうまくやり切れている。そんな実感が俺の中にはある。
だが、実際には彼女の存在があるからこそ、この大学生活があるのではないか、とそう思ってしまう自分がいる。だからこそ、押し流すようにして彼女の話題へと無意識に切り替えようとした。そんな塩梅。
……よくわからなくなる。考えれば考えるほどに、俺のすぐそばには彼女がいるような気がして仕方がない。俺のすべての生活に、彼女が根幹へと関わっているような気がしてどうしようもなくなる。俺が行った行動すべて、そうしてたどっている現在のすべても、彼女がいたからこそ、……いなかったからこそ、選んできたものなのではないか。
──俺は、彼女をどう思っているのか。
そんな疑問が心臓を刺すように、ちくりと心の中に過った後、田口は小さくため息をついた。
「……すいません。深夏先輩、アカウント消しているみたいで、見つからないっす」
申し訳なさそうに、田口はそう言葉を残した。